にっぽん縦断 こころ旅
伊賀市比土(ひど)「あまたに」を見下ろす所
「お母ちゃん、もうおうちへ帰ろ。」
母の田んぼ仕事について来た私が、夕暮れ近く、帰りたくなると、いつも決まって母の背に向かって呼びかける言葉でした。
「あと二つ電車が通ったら。」
と、時計をもっての農作業など考えられなかった昭和三十年代。田んぼの広がる中を15分ごとに通過する電車(かつての近鉄伊賀線)とお日さまの高さで時刻を推し計っての母の言葉が、きまって返ってきました。
農作業が機械化されていなかった当時、母は田植えの時も稲刈りの時もひたすら手作業で田に向かっていたので、私は母の背だけを見ていたのです。広がる水田の中を少しずつ動く母の背中。静かに時が過ぎていく中、広がる水田の中をまっすぐに15分ごとに、モカラン、モカランと通りすぎ、近くの駅に停車する二両連結の電車。電車の通過する時の動きと音がなかったら、時が止まったかのように思うほど、穏やかな場所と時間だったなとなつかしく今も思い出す風景です。山の向こうから電車が走ってくる、そうして、また15分経つと山の向こうへ電車が走っていく。やがて、私は、中学生になるとその電車で通学するのですが、私は、小学生の頃、母の背を見ていたように、車中から今日はどの田んぼに母がいるかなと探したものでした。
平成に入って、広がる水田のほ場整備をする中で、日本最古の庭園遺跡が発見され、城の越遺跡として整備され、田の中を舗装された農道を車が通り、昔とは少し変わりましたが、今も伊賀鉄道と名前を変えた二両編成の電車が一時間に4本通っています。
私が母の背と電車を見ていた「あまたに」と呼ばれる小高い所にも農道が通り、当時の静かさはありませんが、今も時々行ってみたくなる思い出の場所です。
三重県伊賀市
丸山 昌美
女・62歳
三重県伊賀市
丸山昌美(よしみ)さん(62歳)からのお手紙