ページの本文へ

こうちWEB特集

  1. NHK高知
  2. こうちWEB特集
  3. 【地域おこし協力隊】高知・土佐市のカフェ"炎上"当事者の思い

【地域おこし協力隊】高知・土佐市のカフェ"炎上"当事者の思い

地元住民と元地域おこし協力隊が経営するカフェ トラブルの発端は?すれ違う地域への思いに迫る
  • 2023年09月05日

高知県土佐市で元地域おこし協力隊の男性が経営するカフェが地元住民と対立し、その内情をSNSに投稿するとネット上で"炎上"。ともに地域の活性化を願っていたはずの両者の思いはなぜすれ違ったのか。地元・NHK高知放送局が約3か月にわたり取材しました。
(高知放送局 記者 奥村敬子/ディレクター 石原智志)

【目次】
・「田舎はどこもこうなんですか?」SNS投稿が大騒動に
・いったいどんなトラブル?
・地元NPOはなぜ退去を迫ったのか
・片付け進めるカフェ経営者の思い
・進まぬ協議 市の説明は

「田舎はどこもこうなんですか?」SNS投稿が大騒動に

注目が集まったのはことし5月。高知県土佐市が所有する新居地区の観光交流施設「南風」(まぜ)をめぐって、この施設を利用するカフェが、施設を管理するNPOから退去を要求されたことなどをSNSに投稿したことがきっかけです。

この投稿はインターネット上で爆発的に拡散され、土佐市役所には全国から苦情の電話が殺到。無関係の幼稚園にも脅迫メールが届くなど、市民生活にも大きな影響を与えました。

店の投稿はインフルエンサーにも拡散され、9/2時点で1億3000万回以上表示

いったいなにがトラブルに?

地域おこし協力隊として東京から土佐市に移住してきた永田順治さんは、土佐市から観光交流施設内のカフェの経営を任されていました。

一方、施設を所有する土佐市は、7年前の開業当初から地域住民が主体のNPOに施設の管理を委託していました。

去年6月、そのNPOが施設の一部を利用するカフェに対して、施設からの退去を通告。カフェは市に仲介を求め、一度は退去を免れました。

NPOからカフェに向けた利用中止通知書

しかしその後、NPOは利用者の公募を行い、カフェは落選。

ただ、カフェは、公募の結果が発表されてから退去するまでの期間が短く、審査の過程も不透明だとして異議を申し立てるとともに、「ほかに取れる手段がない」としてSNSへの投稿に踏み切ったのです。

カフェがSNSに投稿したイラスト

地元NPOはなぜ退去を迫ったのか

永田さんが経営してきたこのカフェは、休日には行列もできる人気店に成長。
オーシャンビューや地元の食材を使ったメニューなどを目当てに、県内外から若い世代を中心に多くの客が訪れていました。

地域にとってもプラスとなっていたカフェ。なぜNPOは退去を迫ったのでしょうか。

SNSで炎上後、インターネットを中心にさまざまな情報が錯そうする中、自分たちの思いをきちんと伝えたいと、NPOがNHKの取材に応じました。

NPOの理事長で、土佐市の新居地区で生まれ育った横山昌市さん(81歳)です。若いころは地元を離れ、東京で働いていました。

地元のNPO 横山昌市理事長
「私自身、東京で暮らしていた経験があり、移住者の人たちが土佐市にやってきて、知り合いがいない中で心細い気持ちも分かります。私だって高知県の外に出たらよそ者だ。大切な故郷の人口が減っていることを昔から心配していて、移住者が来てくれるのはいいことだと思っています」

2001年6月 浸水対策事業で国や高知県などと合意した横山さん(左から2人目)

横山さんは住民グループの代表として長年、地域おこしに携わってきました。

「仁淀ブルー」の呼び名で知られる清流・仁淀川の河口に位置する土佐市。その仁淀川と支流の波介川はたびたび氾濫し、長年、住民は水害に悩まされてきました。浸水対策として、川の流れを変える大工事を行うため、住宅の立ち退きや農地の買収を余儀なくされたのが、横山さんたちの住む新居地区です。長年の反対運動の末、農地を中心に地区全体の面積のおよそ1割にあたる土地が買収され、「川がないところに川を作る」工事が行われたのです。

その代償として地域住民が勝ち得た条件のひとつが、過疎化が進む地域に活気をもたらす施設の建設。それがのちの「観光交流施設 南風」でした。横山さんたちの住民グループは、この施設を管理して地域活性化に取り組むNPOとなりました。

仁淀川河口のそばにある「南風」

NPOの理事長に就任した横山さんは、タクシーの運転手の仕事を引退した後、この施設の管理や接客などにあたっています。

横山さんやNPOのメンバーが当初構想していたのは、施設の2階スペースを使って高知名物・カツオのたたきが食べられる日本料理店や、地元の農家の人たちが自分たちが育てた野菜を使った料理をふるまう農家レストランの案でした。

地元のNPO 横山昌市理事長
「このスペースを使ってカツオ料理などが食べられる店を開きたかった。観光名所の桂浜や、空港からのアクセスも悪くないので観光客も呼び込めるだろうし、高齢者が多い地元の人たちが集まったり、子どもたちが帰省してきたときに使えるような店にしたかった」

しかし、結果としてできあがったのは若者受けするおしゃれなカフェ。

横山さんは、その経緯を問題視しています。 

住民グループと調整を進めていた土佐市は、当初、地元の住民みんなで店を運営することを想定して、企業組合を立ち上げ、店を切り盛りする仕組みを考えていました。

ただ、農家が中心の地元住民たちには飲食店経営のノウハウがなく、開店準備がなかなか進まないことにしびれを切らした市は、飲食店で勤めた経験がある地域おこし協力隊の永田さんに店を任せることを決めたのです。

横山さんたちNPOのメンバーは、市が方針を決めて事後報告したことに憤っています。

地元のNPO 横山昌市理事長
「土佐市の職員とほかの地域に視察に行って、ずっと一緒に店の構想を考えてきました。市も『こういう仕組みを利用したいと考えています。やりませんか』と私たちに事前に話をしてくれてから決めるのならわかります。市が勝手に『永田さんに任せる』と決めた後に私たちに報告してくるなんて、大きな間違いで、私たちへの裏切りではないか」

横山さんたちは、カフェと共存する道も探りましたが、両者の距離は年々広がり、関係は悪化の一途を辿りました。

コロナ禍を経て、双方の考えの違いが決定的となり、退去通知につながったのです。

片付け進めるカフェ経営者の思い

一方、カフェはSNSでの投稿が“炎上”した後、店を休業し続けています。

騒動から3か月たった8月。永田さんは店の片付けを進めていました。

カフェ経営者 永田順治さん
「仕込んだ食材ももう全部使えないので、もったいないですよね。かき入れ時の5月の大型連休にあわせて仕入れた米も、もうお客さんに出せる状態ではないので処分しようと思っています。食材を捨てざるをえないのはつらいです」

永田さんが高知に移住してきたのは8年前。

永田さんは学生時代から飲食店でアルバイトをしながら、音楽活動を続けていました。音楽活動はなかなか軌道に乗らない一方、飲食店での仕事は順調で、気がつけば社員に。複数の店で店長を任されるようになりました。

35歳の時、それまでの人生を見つめ直し、心機一転、大好きな高知に移住することを決めました。

幕末の歴史とバイクが好きな永田さんは、18歳の時に初めて一人旅に出ます。坂本龍馬をはじめとした幕末の志士たちの出身地で、「海がきこえる」の舞台にもなった高知。旅の道中はあいにくの雨が続いたものの、当時の永田さんにとっては宝物のような経験でした。

カフェ経営者 永田順治さん
「清流として有名な四万十川に行っても雨のせいで濁流になっていて、雨が降る中で野宿をして、わりときつかったんですけど、一人旅の経験そのものが当時18歳の若造にとってはすごく貴重な経験だったんです。ずっと雨だったのでリベンジをしようと翌年、もう一度高知を訪れて、きれいな川も見られましたし、自然がやっぱりすごいなと感動しました。深い山があって、谷があって、きれいな川と海があって、すごくいいところだと思って。それから高知を気に入って、何度も旅行に訪れるようになりました」

観光分野担当の地域おこし協力隊として土佐市に移住してきた永田さん。はじめは飲食店の仕事を続けるつもりはありませんでした。

地域おこし協力隊として稲刈りを手伝う永田さん(写真提供:永田順治さん)

しかし、開業の準備を進めていた観光交流施設の「南風」で飲食店を開く構想があると知り、自身の経験を生かして地元の人たちを手伝いたいと考えていました。

当時、市が外部のアドバイザーに依頼して、横山さんたちのNPOが構想するレストランが採算を取れるか試算したところ、「厳しいだろう」という結果が報告されていました。市の職員からアドバイスを求められた永田さんは、いい方法がないかを市と一緒に考えるようになりました。

カフェ経営者 永田順治さん
「立地や、本格的な料理人を確保するのが難しいという条件から考えると、集客のためには景色を生かしたカフェにするのが一番いいと考えました。外からお客さんを呼び込めるランドマークのような店にして、地元の食材を提供すれば地域の活性化にもつながります。市の職員と話す中で、自分が旗振り役になるしかないと思い、地元の人たちに話をしに行く必要があると考えていましたが、『市が調整するので、永田さんは開店準備に集中してほしい』と言われ、市に一任してしまいました」

そうして決まったカフェの出店。開業前に永田さんのカフェが開いた試食会には、NPOの人たちも参加するなど当初は一緒に協力して地域の活性化に取り組んでいこうとしていました。

しかし、市の担当者の異動や、コロナ禍で店の経営が厳しくなったことでNPOとのコミュニケーションがうまくいかなくなり、どんどん関係が悪化。結果として、NPOから退去を要求されました。

「南風」は公共施設のため、借りている人の権利が保護される賃貸借契約を結べない仕組みとなっていて、永田さんは有効な手立てを打てない状況です。

今回のトラブルを経て永田さんは「一度は東京や地元の大阪に戻ろうか考えたものの、高知が好きなことは変わっていない。ここでやっていきたい」と考え、大好きな高知で、新たな店を開く準備を進めています。

進まぬ協議 市の説明は

この騒動のあと、土佐市とNPO、カフェの三者で今後の対応を話し合う場が、市の仲介で一度は設けられたものの、原因を究明しようとしない土佐市の姿勢に不信感を示して、NPOが離脱。交渉は暗礁に乗り上げています。

開業当初に生じた「ずれ」。板原市長は行政の立場でできることは尽くしてきたと説明しています。

土佐市 板原啓文市長
「施設オープン当初からNPOとカフェ、両者とで施設の利用方法、運営方法あるいは内容について様々な協議、あるいは調整をしておりましたけれども、NPOとカフェとの間の主張の相違、これに対して、市が入って解決に至らなかったという点につきましては反省すべき点だと感じております。ただ、運営方針の違いというところをなかなか修復することは、簡単にはいかない。対応は市の職員もしてくれましたけども、なかなか難しかった分もあったと思います」

取材後記

「まさかこんなことになるとは思わなかった」。
今回の騒動を受けて、私たちが取材したみなさんがこうした実感を抱いていました。

施設の「南風」という愛称は開業時に公募で決まりました。漁師の家の生まれの横山さんによると、古くから地元の漁師の間では「南風(まぜ)が吹くと、海が荒れる」と言い伝えられていたそうです。

地域おこしを願う双方のすれ違いから、市を揺るがす大騒動にまで発展した「南風」のトラブル。

9/5(火)に放送した「クローズアップ現代(NHK総合)」では、専門家による全国のトラブルの分析や、移住者を地域で受け入れる上でどうすれば共存できるのか、全国の自治体に行ったアンケートの結果も交えてお伝えしました。
番組取材班は、この取材の裏側を紹介する「取材ノート」も公開しています。
「取材ノート」はこちらから。
#クロ現 取材ノート >地域おこし協力隊に聞いた 地方移住トラブルはなぜ?解決策は?

  • 奥村敬子

    高知放送局 記者

    奥村敬子

    2019年入局
    行政取材を担当

  • 石原 智志

    高知放送局 ディレクター

    石原 智志

    2017年入局
    東京・横浜を経て高知へ

ページトップに戻る