2022年2月24日に始まった、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻。現地の障害者は逃げられない恐怖や困難に直面しています。作家/活動家の雨宮処凛(あまみや・かりん)さんと日本障害者協議会代表で全盲の藤井克徳(かつのり)さんをお迎えし、戦争の歴史のなかで障害者が置かれてきた差別的で悲惨な状況を振り返り、しかし今また繰り返されていることに対して声を上げることの大切さを語り合います。
2022年4月14日、国連障害者の権利委員会は、270万人いるとされるウクライナの障害者の大半が安否不明だとの声明を発表しました。多くの障害者が支援網から切り離され、薬や酸素、食料、水が不足し、医療設備などを利用できない状態で自宅や施設に取り残されているといいます。
また、ウクライナ盲人協会のホームページには、ハリコフにある盲学校の体育館も砲撃を受けたことや、視覚障害者が避難所に逃げることができず、生活に支障をきたしていることが記載されています。
湾岸戦争後とイラク戦争が始まる直前の2回イラクを訪れ、戦争をテーマにした本を執筆している雨宮処凛さんは、今のウクライナの状況について次のように話します。
(雨宮さん)「2月24日から毎日映像を見て、胸が痛くて、本当につらいです。私自身は経済制裁下のイラクを2回見ていますが、戦争は、その場にいるいちばん弱い立場の人たちが最も犠牲になるということを痛感しています。権力のある人たちやお金持ちは逃げることができるし、空爆などの最前線にはいないわけです。普通に暮らす人たちが、なすすべもなく、生活を破壊されてしまいます」
日本障害者協議会代表で全盲の藤井克徳さんは、ウクライナの障害者に向けて、「とにかく生き延びてほしい」と呼びかける詩『連帯と祈り ウクライナの障害のある同胞(はらから)へ』をつくりました。その詩はウクライナ語、ロシア語など、全部で7カ国語に翻訳され、ウクライナの障害者団体にも届きました。(詩の全文と朗読はこちらのページの一番下、「きょうされん」の詩に関するリンクをご覧ください。)
(藤井さん)「ロシアの侵攻のあと、障害者はどうなっているのかと考えていました。車いすの人や白杖の人は、テレビやラジオ、新聞でも報じられません。いてもたってもいられない気持ちで詩をつくっていました。ウクライナ全体を統括しているウクライナ障害者国民会議という団体からの情報によれば(現地は)すさまじい状況で逃げられない。難病の方や知的障害者の方もやはり逃げられない。シェルターにも行けない。「取り残されている」というのが、今の障害者の実情かと思います」
歴史的に、戦争はそれに関わるあらゆる人に負の影響をもたらしてきました。雨宮さんは自身の経験から、子どもや障害者など弱い立場の人への影響を懸念しています。
(雨宮さん)「私が初めてイラクに行ったのが1999年、湾岸戦争から8年後でした。湾岸戦争は、初めて実戦で劣化ウラン弾が使われた戦争です。劣化ウラン弾は核や原発のごみを兵器に転用したもので、劣化ウラン弾がイラクに降り注いだ8年後、子どもたちの小児がんが増え、障害のある子どもが多く生まれました。経済制裁によって薬が入ってこないため、『この子は今日はもたないでしょう、この子は3日後ぐらいには亡くなるでしょう』とお医者さんが淡々と言うしかなく、親は泣き叫んでいるという状況が、99年に見た光景でした。生まれてくる子どもは、戦争には何も関係ないですよね。そういう子どもたちが、医療にもかかれず亡くなっていく地獄絵図が戦争なんだと思いました。
いまロシアへの経済制裁が行われていますが、ロシアの弱い立場の人、障害がある人や病気の人たちが、どこかで何らかの影響を受けていないか、とても心配です。報道ではなかなか見えてこないことだと思います」
藤井さんは、戦争と優生思想の関係を指摘します。
(藤井さん)「戦時中のナチスドイツが行った『T4作戦』で多くの障害者が虐殺をされました。わかっているだけで20万人以上です。殺害する基準は『働けない人』。もう少しはっきり言うと『兵隊になれない人』。そういう人が国家にとっては邪魔である、足手まといであるということですね。日本でも今、旧優生保護法が問題になっていますが、これははっきり言えば、『障害者はまた障害者を生むに決まっている。だから断種をしよう』ということです。弱肉強食の極みが優生思想で、戦争ではそれが凝縮されていく。まさに優生思想をかき立てると言ってもいい」
藤井さんの指摘を受けて、雨宮さんも同じ考えだといいます。
(雨宮さん)「戦争が優生思想的なものをむき出しにするというのは、本当にそうですね。平時ですら、障害がある人、立場が弱い人、あるいは貧しい人が守られていない状態ですから。日本は少子高齢化で社会保障の財源がないから、『ある程度命の選別をするのは仕方ないよね』という空気がコロナ禍よりずっと前の90年代ぐらい、バブル崩壊ぐらいからより濃厚になってきたと思います。今も生産性が高いこと、より多くの利益を生み出すことが人間の価値とされて、(それを基準に)人が選別されるような世の中なので、そこに戦争がきたら、もう一段と地獄が深まるということだと思います」
(藤井さん)「ふだんの社会のありさまが、戦争によって集積化、集中化しますね。日本も世界も、生産性一辺倒、弱肉強食という考え方が支配的です。改めて、このウクライナ戦争を通して、そのような日常のあり方を問うことも、市民の課題、政治の課題だと感じます」
日本でも、太平洋戦争時は、障害者は非常につらい状況に置かれました。
藤井さんは、敗戦当時に障害者が詠んだ川柳に込められた思いを、かみしめています。
(藤井さん)「『敗戦に涙が出ない非国民』これは佐藤冬児(さとう・とおる)さんという下半身麻痺だった方が詠んだ川柳です。戦争が終わったときは、みんな泣いたんです。しかし、障害者にとっては、内心ではむしろよかったと。涙が出なかったのは、まさにそういう思いです。戦争中、障害者は、兵隊になれないっていうことで「非国民」だとか、あるいは「穀潰し(ごくつぶし)」、つまり、穀物を食べるだけで何も役割を果たせないという言葉を平気で投げつけられました。たくさんの障害者がこういう目にあったと同時に、戦地では知的障害者の兵隊が、一番の前線に立たされたりもしました。そして、戦争を通してさらに障害者がたくさん作り出される。こんなことを、今、また繰り返していることが、本当に悔しいです」
雨宮さんは、戦争による価値観の変容を危惧します。
(雨宮さん)「私は最近、戦争と障害者について、荒井裕樹(ゆうき)さんという方の『まとまらない言葉を生きる』という本を読んだんですね。そこには、日本が戦争のときに、障害者や障害児がどういう扱いを受けていたかというエピソードがたくさん載っていました。例えば障害児教育にすごく力を入れて尊敬されていた先生が、戦争になった途端に「非国民」と言われてしまうとか、障害児や障害者が「米食い虫」というふうに言われて冷たい視線にさらされるだとか。障害児が疎開した先で、何かあったときのために軍部から青酸カリが渡されるっていうことも書いてあったり、あるいはハンセン病の方が「国がこんなに大変なときに、このような情けない病気になってしまって恥ずかしい」と言って割腹自殺をしたっていうような話があったり。
やっぱりすべての価値観が「戦争の役に立つかどうか」に変わっていくのが、一番恐ろしいですよね」
藤井さんは、戦争は障害者を抑圧するだけでなく、多くの障害者をつくりだす側面もあると指摘します。
(藤井さん)「1981年の国際障害者年に、国連で、いくつかの決議文を決める討論の中で、『戦争は大量の障害者をつくり出す最大の悪である』というフレーズが出されました。この地球上には約11億人の障害者がいると言われていますが、実はWHOの報告では、その多くは戦争が関係しているとされています。戦場での直接の被災もありますが、その後の社会不安や栄養失調も含めて、障害者が生まれやすいということも大きな問題として見るべきでしょう」
また、雨宮さんは、戦争についてインタビューをした著書の中で「メンタルへのダメージが大きい」と書いています。
(雨宮さん)「イラク戦争に行ったアメリカ海兵隊員の方にお話を聞いたことがあります。彼らは、モラル・インジャリー(良心の傷)という形で、PTSDとは違った症状が出ていました。『イラクを解放するための民主主義を植えつけるための戦いだ、良いことをしてるんだ』と教えられて戦地に行ったけれど、実際には、ファルージャでの最悪の虐殺となった作戦に加担し、同じ部隊の中には子どもを殺してしまった人たちがたくさんいました。戦場にいる間は疑問を感じなかったのですが、帰国してから『自分が加担した戦争に正義はなかったんだ』と考えたり、批判をされていることを知ったりして、心身ともに壊れてしまったという話をたくさん聞きました。
今のロシア軍の人たちは、『ウクライナを解放するため、正義のために、いいことをするんだ』という大義名分で行動しているのかもしれませんが、教えられてきたことと違う事実を知った何年後か何十年後に、PTSDやモラル・インジャリーが噴き出してくる可能性もあると思います。今後、メンタルヘルスを破壊される可能性がある人たちが、毎分毎秒生み出されている状態であることに、もっと目を向けるべきではないでしょうか」
(藤井さん)「日本の太平洋戦争でも、傷痍軍人の中でいちばん多かったのは精神障害なんです。そのために陸軍直営の大きな精神科病院を佐賀県の肥前療養所、新潟の犀潟療養所、東京の国立武蔵療養所につくりました。(そこに収容されたのは)全員が戦争による障害者でした。戦争と精神障害、精神疾患というのは、歴史的に今も共通で、今後も大きなテーマになってくると思います」
ウクライナの侵攻が長引くなか、藤井さんは新たに詩を発表しました。
「無力じゃない」(全文)
長老のカラスがドスを効かせて
緑の薫風が懸命に追いかけてきて
ゆったりと世界を見まわる太陽がいつになく早口で
「そこのあなた」と呼び止める
「何かできるでしょう」と続ける
ハッとする
何もできないと決め込んでいた自分
遠い よその国のことだからと
あわてて指を折る
いっぱいあるじゃないか やれることが
想像力を働かせること
自身や愛する人がウクライナの大地に在るとしたら
脳裏の大スクリーンいっぱいに浮かぶはず
逃げ惑う人々のあいだに自分たちも そして聴こえてくる
遠く近くの銃声と炸裂音 ガレキの奥から母を呼ぶ幼子の泣き声
本当のことを見きわめること
毎日のように情報が上書きされる
情報の源には少しばかり神経質に
大切なのは自分で嗅ぎ分けること
事実だけでなく 真実を
心を言葉にすること
言葉に出すことで共感が近づいてくる
つぶやきは行動の源泉
国際NGOを通せば 募金だってメッセージだって託せるはず
悲惨さや理不尽さを言葉で交わすのも連帯の証
第二次世界大戦が終わってからのこと
殺し合いをくぐってきた人たちは、若者に告げた
「先の大戦は君たちに責任はない。でも繰り返してはならない責任はある」と
あっけなく砕かれてしまった
それでもあきらめてはならない
「あきらめない」を裏打ちしてくれるものがある
それは気づく力
戦争がどんなに恐ろしいことか
戦争がどんなに愚かなことか
戦争に真の勝者がいないことを
無力じゃない 私たちは
無力じゃない どんなに隔たっていても
無力じゃない 相手がだれであろうと
国境を越え始めている 「無力じゃない」の塊が
もう呼び止められることはない
雨宮さんは、ウクライナの戦争が終わったあと、ウクライナに行きたいと話します。
(雨宮さん)「ぜひ平和なウクライナを見てみたいですね。ただ、戦争は終わらせるのが難しい。
イラク戦争も2003年3月から始まり、5月には戦闘終了宣言がなされました。でも、そこからも泥沼が始まりました。2013年ごろには最悪の危機という状態で、避難民が約180万人いる状態になったのに、そのときには世界の関心がまったくなかったんです。
今、ウクライナの問題に皆さんが関心を持っていますが、長期化すればするほど無関心になっていきます。そういう意味では、報道が少なくなったとしても、ウクライナを見つめていくことがいちばん大事じゃないかなと思います。
藤井さんの詩の中にもあるように、『戦争に真の勝者がいない』という言葉は、そのとおりだと思っています。いまも実際に命を失っている人がいる。体に障害を負っている人がいる。メンタルに傷を負っている人たちも膨大にいる。もし、どちらかの国が戦争に勝った状態になったとしても、だからといって命は取り戻せないわけですし、一度破壊されてしまった心身の傷は、どうしたって取り戻せない。そのことを本当に、自分のことのように皆さんに考えていただきたいです」
藤井さんは、平和を求める声を上げていくことが大切だと話します。
(藤井さん)「この詩は障害者関係者だけではなく、一般市民に何ができるだろうかと考えて、したためました。戦争を仕掛けたほうも、仕掛けられたほうも、勝ったほうも負けたほうも、戦争の被害は一網打尽です。痛めつけられ、逃げられないのは障害者。一刻も早く停戦、一刻も早く和平、そして平和へ。これらを無条件で行うこと。そのために国際世論を高めていくことがとても大事じゃないでしょうか。私たちも、小さな声かもしれませんが、そういう声を出していきたいと思います」
※この記事は視覚障害ナビ・ラジオ 2022年4月24日放送「今月のトピックス 特集・障害者と戦争~ウクライナ侵攻から考える~」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。
番組HPから番組の音声が丸ごとお聴きいただけます。(2024年3月末までの予定です。)
https://www.nhk.or.jp/heart-net/shikaku/list/detail.html?id=47331