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ほっとかない社会 ~地域でつながるプロジェクト~

ほっとかない社会 ~地域でつながるプロジェクト~

新たな地域連携のプロジェクトを始めました。地域で行動している人や組織と協力し、そこでの社会問題の改善にどれだけ貢献できるかを探っていきます。見過ごせない課題も、誰かの頑張りも「ほっとかない」。これは地域の未来をあなたとともに創るプロジェクトです。第1弾として、東京・豊島区が行う「ひきこもり支援」についてお伝えしていきます。

【密着 豊島区のひきこもり支援】
Topic05 みなさんの意見、鈴木係長にぶつけて議論してみました 2021.04.14公開
Topic04 「元気です」の裏にあるもの 鈴木係長の苦い経験 2021.03.18公開
Topic03 ひきこもり支援に欠かせない“まなざし”とは 2021.02.10公開
Topic02 「“ひきこもり”をほっとけない」 鈴木係長のSOS 2020.12.25公開
Topic01 NHK×豊島区「ひきこもり支援」始動 2020.12.11公開
【“ひきこもりな自分”と生きる~豊島区 ひきこもりサバイバー~】
【番外編】ひきこもりを脱け出した私と、自死した兄 生死を分けたものとは 2021.10.15公開
File05 ハダリさん(30歳)「納得できる自分を手に入れる」 2021.09.30公開
File04 テツさん(33歳)「誰かの期待に応えたい」 2021.09.08公開
File03 ハルカさん(25歳)「踏み出す一歩は“人目を避けて”」 2021.07.30公開
File02 ミツヒデさん(56歳)「病名がつくことで前向きになれた」 2021.07.09公開
File01 イズミさん(27歳)「プライドの高い自分に気づいた」 2021.06.25公開

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2021年10月14日

ひきこもりを脱け出した私と、自死した兄 生死を分けたものとは

東京・豊島区でひきこもり状態を抜け出した人、あるいは抜け出そうともがいている人から、“ひきこもりな自分”とうまく付き合う方法を聞くシリーズ「ひきこもりサバイバー(みんなでプラス「ほっとかない社会」)」

今回は、File04 テツさんの記事にコメントを寄せてくれた、東京・日野市在住のゆうたろうさん(42歳)に話を聞きました。

ゆうたろうさんは2年前、同居していた兄を自死で亡くしました。兄弟ともに精神疾患を患い、同じような苦しみを抱えて暮らしてきました。

なぜ、兄だけが死を選んだのか。生死を分けたものとは何だったのか。
ゆうたろうさんからのメッセージに耳を傾けました。

ほっとかない取材班 涌井 瑞希

就職活動に悩みうつ状態に…

9月、「ひきこもりサバイバー」の連載に1件のコメントが寄せられました。

「私は今年42歳になる独身男性です。大学卒業後、一般企業に勤めた経験もありますが、学生時代から罹患していたであろう精神疾患のため、休職を繰り返したり、退職後の無職の1年間は食事以外は自室にこもり、1週間風呂にも入らず、家族以外、誰とも連絡を取っていませんでした。
今は、回復して、以前より身体に負担のない仕事をするとともに、精神保健福祉士の資格を目指し、自分の経験を伝えていきたいと思っています」(東京都・40代男性)

コメントをくれたのは東京・日野市在住のゆうたろうさん、42歳です。

なぜコメントをくれたのか、直接連絡を取り、話を聞いてみると「ひきこもりを抜け出すために大切なことを伝えたい」と理由を語ってくれました。

ゆうたろうさんが違和感を覚えたのは、就職活動をしていた大学4年生のとき。スポーツ紙の記者を志望していましたが、それが叶わず落ち込んでいる時期でした。

これまでは勉強やスポーツ、アルバイトなど休みなく活動していましたが、ある時期から、体がだるく、ベッドから起き上がれなくなります。

精神科を受診するとうつ病と診断されました。

ゆうたろうさん
「ショックでした。当時の私には精神疾患というレッテルが重かったです。精神科に通院していることは友人には言えませんでした」

ゆうたろうさんはそれでも就職活動を継続し、志望していたスポーツ紙の新聞社に記者ではなく営業職として入社します。

後にゆうたろうさんは双極性障害(躁うつ病)だとわかりました。活動的になる躁状態と無気力になるうつ状態を繰り返す病気です。

躁状態のときは社内で一番働いていると言われた時期もありました。しかし、うつ状態が悪化して2度休職。復帰後も体調が上向かず、約10年勤めた新聞社を退職しました。

会社を退職したころの写真。大好きな野球観戦に行くも目はうつろだった。

ここから、ひきこもりの生活が始まります。家では起き上がれずにベッドにいる時間がほとんど。

うつ状態がひどいときは、陽の光を浴びることやシャワーを浴びることが嫌になり、1週間以上風呂に入らないこともありました。外出は月に一度、通院とハローワークに行く日だけ。失業手当を受け取るためになんとか外出していました。

障害者枠での雇用を探していましたが、何がやりたいのかもわからない。障害者枠でも大きな企業で働きたいというプライドもありました。

仕事はなかなか見つからず、ひきこもり状態は1年ほど続きました。

ひきこもりを抜け出したきっかけはSNSへの投稿

ゆうたろうさんがひきこもりを抜け出すきっかけとなったのはSNSへの投稿です。

それまではひきこもっていることを直接友人や知人に話すことはできませんでしたが、あるとき、「外に出て食事に行きたい」とSNSに投稿してみました。

SNSなら誰か反応してくれるかもしれない。誰か話を聞いてくれるかもしれない。
救いを求めるような気持ちだったといいます。
すると15年ほど会っていなかった幼馴染から連絡があり、食事をすることになりました。

久しぶりに会った友人たちに病気のことや仕事を辞めたことを打ち明けると、意外にも彼らの反応は「そうなんだ」とあっさりしたものでした。「そうは見えないね」とも言われました。

ゆうたろうさん
「病気のことを話して友人たちが離れてしまってもそれでいいと覚悟していましたが、それまでと変わらずに接してくれてありがたかったです。周りに病気のことを言えたことで止まっていた時間が動き出したような気がしました」

友人にありのままの自分を受け入れてもらえたことで、自信を取り戻したゆうたろうさん。
外出ができるようになり、本格的に就職活動を開始。
複数の就労支援窓口に出向き、障害者枠での雇用につながりました。

誰にも打ち明けられずに命を絶った兄

一方、ゆうたろうさんの兄は住宅メーカーの子会社で働いていましたが、20代後半で統合失調症と診断されました。統合失調症は、幻覚や妄想などの症状が起こる病気です。

その後30代のときに病状が悪化。周囲の目が気になり、36歳のときに退職しました。

転職するものの精神的にも体力的にもつらく、障害者手帳を取得して障害者枠で働くようになりました。兄はひきこもった時期はありませんでしたが、統合失調症の症状から、物覚えが悪く、1時間前のことを忘れてしまうことがありました。

同居していたゆうたろうさんに、ときおり「もういいや」、「50歳まで生きなくていいや」などと話すこともありました。その度にゆうたろうさんは、励ましたり怒ったりすることしかできませんでした。

それでも、趣味の俳句ができる句会を探したり、豪雨被害があった地域に災害ボランティアに行ったりするなど、少しずつ元気を取り戻していたかに見えました。

2019年12月、亡くなる前の兄

しかし…。
2019年の暮れ、兄は夕方ごろに「近くのスーパー銭湯に行く」と言って出かけたまま深夜になっても帰りませんでした。

警察からの連絡で兄の訃報を知りました。
後に遺書が見つかり、自死だとわかりました。
47歳でした。

家族だけで葬儀を済ませたあと、ゆうたろうさんは、兄を心配している人がいるかもしれないと、兄のスマホから友人に連絡をしました。すると、兄の病気を知っている人はいませんでした。

ゆうたろうさん
「兄の友人たちから『知らなくてショックだった』『気にせず言ってほしかった』と言われて、兄が周りに打ち明けるようにしてあげられていたらと後悔しています。20年近く病気があったけど、誰にも言えなかったんだなと…」

兄との違いは、誰かに話せたこと、居場所を見つけられたこと

ゆうたろうさんと兄には多くの共通点がありました。
それぞれ統合失調症、双極性障害という精神疾患に苦しんだこと。
病気が原因で正社員を辞めたあと、障害者手帳を取得して障害者枠で働いたこと。

なぜ、兄だけが自ら命を絶つまで追い詰められたのか。
兄と自分との生死を分けたものがあるとすれば、それは何だったのか。
ゆうたろうさんは、次のように語りました。

ゆうたろうさん
「ただ、1つだけ私と違っていたのは、兄は友人・知人に病気のことを打ち明けられていなかったことです。私は親しい友人たちには病気の話をして、受け入れてもらっていました。支援施設にも週1、2回通い、自分の状況を周りに話したことで、良い意味で開き直り、元気になりました。兄も一時期、句会を探したりボランティアに出かけたりしていたのは「居場所」を求めていたからかもしれません」

自分なりの居場所を見つけ、ひきこもりを抜け出したゆうたろうさん。
現在は、学習塾で働きながら精神保健福祉士の資格の取得を目指しています。

ゆうたろうさん
「自分の病気のことを理解して納得するまで10年かかりました。病気は一生付き合っていくものだし、今はこれが僕の人生だと思えるようになりました。今後自分と同じように精神的に障害がある人の手助けができたらと思っています」

インタビューの最後に、ゆうたろうさんは、「こんな経験や思いを伝えることで、『私も一歩踏み出してみよう』と思ってくれる人がいればいいなと思います」と笑顔で話してくれました。

「日本人は家族の中だけで問題を解決しようとしすぎるのではないか」
これもゆうたろうさんの言葉です。大切な家族を失ったからこそ、人に打ち明ける大切さ、家族以外の居場所の必要性を伝えたいという強い気持ちが伝わってきました。

コメントを寄せていただき、ありがとうございました。


<今つらいあなたへ、つらい人を支えたいあなたへ>
相談窓口・支援団体はこちら


「ほっとかない社会」取材班では、豊島区の「ひきこもり支援」に密着取材しているほか、豊島区でひきこもり状態を抜け出した人、あるいは抜け出そうともがいている人から、“ひきこもりな自分”とうまく付き合う方法を聞く『“ひきこもりな自分”と生きる ~豊島区 ひきこもりサバイバー~』を連載しています。

みなさんの経験と知恵もぜひ下記の「コメントする」からお寄せください。寄せられた内容は、豊島区とも共有し、施策につなげることを目指します。あなたの声が豊島区を動かすかもしれません。

※コメントは編集部で内容を確認の上、掲載させていただきます。

2021年9月30日

“ひきこもりな自分”と生きる File05 ハダリさん(30歳)

豊島区でひきこもり状態を抜け出した人、あるいは抜け出そうともがいている人から、“ひきこもりな自分”とうまく付き合う方法を聞いていく連載『“ひきこもりな自分”と生きる ~豊島区 ひきこもりサバイバー~』

File05は、体型にコンプレックスを感じてひきこもるようになったハダリさん(30歳)です。10代の後半には、体重が約120キロあったといいます。

ひきこもりを抜け出すきっかけは、自ら始めたダイエット。極端な食事制限で体調を崩したりリバウンドを経験したりしながらも、8か月で60キロ以上の減量に成功しました。

なぜダイエットをすることが、ひきこもりを抜け出すことにつながったのか。ハダリさんが自信を取り戻すまでの道のりを聞きました。

ほっとかない取材班 涌井 瑞希

File05ハダリさん(30歳)のポイント
【やり過ごす】勉強と趣味に集中する
【抜け出す】納得できる自分を手に入れる

自分以外に太っている人がいない… 体型にコンプレックスを感じてひきこもりに
大学に入学したころの写真。当時の体重は120キロ。

「小さいころからけっこう太っていました」
ハダリさんは高校1年生のころ、クラスメイトに体型のことをからかわれたことがきっかけで人の視線が気になるようになりました。できるだけ人と接しないように始業ギリギリに登校し、授業が終わったらすぐに帰る日々を送ります。一部の親しい友人たちだけは、体型のことを気にせず接してくれましたが、彼らと離れて大学に進学したあとは不安を覚えるようになったといいます。

ハダリさん
「大学に入ったら自分以外に太っている人がいないなと思いました。そのうち大学で笑い声が聞こえると、自分の見た目のことを笑われているのではないかと思うようになり、外に出られなくなってしまいました」

大学に通えたのは最初の1~2カ月だけで、1年ほどで退学。外出も難しくなり、そこから家に引きこもる生活になりました。近所に買い物に行くことはできましたが、人目が気になるため、夏でもマスクが欠かせませんでした。

【やり過ごす】勉強と趣味に集中する
ハダリさんはその後、親からのすすめで通信制大学に入学し、家で勉強をするようになりました。通信制と言っても単位の半数以上は通学が必要な授業でしたが、できるだけ通学をしたくないため、オンラインで単位を取れる授業を中心にカリキュラムを組みました。



授業や課題がない日は、引きこもっていることを自覚して不安になりました。そんな時は、オンラインゲームに没頭することで考えないようにしていました。高校時代の友人と明け方まで話をしながら熱中することもありました。勉強とゲームで時間を埋めることで、ひきこもりの苦しさをやり過ごしていました。

ハダリさん
「少しでも時間ができると、将来どうなるんだろうと不安になりました。勉強をする以外は、とにかくゲームに没頭することで気持ちを紛らわせることができました」

ハダリさんの【“ひきこもりな自分”をやり過ごす方法】
勉強と趣味に集中する

【抜け出す】納得できる自分を手に入れる
ハダリさんは、4年かけてオンラインで取得できる単位を取りきると、通学が必要な必修科目が残りました。中でも最後までなかなか受けられずにいた科目が「体育」です。体育の授業では初対面の人とグループで球技などをする必要がありました。

ハダリさん
「こんな体型で動き回っているなんてみっともないと思って行けませんでした。ズルズルと先延ばしにしてしまい、まずいな…と」

ハダリさんは27歳のときに一念発起。ダイエットを始めます。当初の体重は120キロでした。 まず、家でスクワットなどの筋トレを始め、慣れてくると人目の少ない時間なら外に出られると考え、早朝4時ごろから1時間ほど近所をウォーキングしました。食事は、サラダチキンや卵、チーズなどのタンパク質と野菜だけをとり、1日わずか500キロカロリーに抑えることもあったそうです。

ハダリさん
「コンプレックスが消えれば人とも接することができるだろう、とその一心でした。当時は痩せることだけを考えて、その後のことはスタートラインに立ててから考えようと思っていました」

運動と食事制限により、約8カ月で体重は55キロにまで減少。60キロ以上の減量に成功しました。努力が目に見えて結果に現れることがモチベーションにつながりました。この頃になると外出も苦ではなくなっていました。

夕食のメニュー。今も毎日野菜中心のメニューを食べている。

その後、極端なダイエットの影響で体調を崩したこともありましたが、筋トレやウォーキングを続けて、現在は60キロ前後を維持しています。

ハダリさん
「ダイエットでかなり気持ちが前向きになりました。まだお腹が出ていて気になる部分もありますが、今は自分の体型にギリギリ納得できています。マスクも外して外に出られるようになりました」

大学の体育の授業は新型コロナウイルスの影響で、動画を見て家で運動する内容に変更されましたが、ハダリさんはダイエットのおかげで外に出る自信がつきました。そして今年4月、10年かけて通信制大学を卒業することができました。

ハダリさんの【“ひきこもりな自分”を抜け出す方法】
納得できる自分を手に入れる

【現在】自分にあった働き方を模索中
大学を卒業後、ハダリさんは就職を考えましたが、30歳で職につけるか不安でした。そんなとき、就労支援があることを知り、豊島区とつながりました。支援員と相談して、まずは短時間の勤務から始めています。現在は週に6日、朝1~2時間ほどマンションの清掃の仕事をしています。今後は運動を続けて体型を維持しながら、働く時間を増やしていきたいと考えています。

ハダリさん(30歳)の例をお伝えしてきました。

「私はこんな方法で“ひきこもりな自分”をやり過ごしてる」
「私はこうやって抜け出した」

など、みなさんの経験と知恵もぜひ下記の「コメントする」からお寄せください。寄せられた内容は、豊島区とも共有し、施策につなげることを目指します。あなたの声が豊島区を動かすかもしれません。

<豊島区を取材することになった経緯についてはこちら>
Topic01 NHK×豊島区「ひきこもり支援」始動

<これまでの記事はこちら>
【“ひきこもりな自分”と生きる ~豊島区 ひきこもりサバイバー~】
File04 テツさん(33歳)「誰かの期待に応えたい」
File03 ハルカさん(25歳)「踏み出す一歩は“人目を避けて”」
File02 ミツヒデさん(56歳)「病名がつくことで前向きになれた」
File01 イズミさん(27歳)「プライドの高い自分に気づいた」
【密着 豊島区のひきこもり支援】
Topic05 みなさんの意見、鈴木係長にぶつけて議論してみました
Topic04 「元気です」の裏にあるもの 鈴木係長の苦い経験
Topic03 ひきこもり支援に欠かせない“まなざし”とは
Topic02 「“ひきこもり”をほっとけない」 鈴木係長のSOS

「#こもりびと」特設サイト
https://www3.nhk.or.jp/news/special/hikikomori/

※コメントは編集部で内容を確認の上、掲載させていただきます。

2021年9月8日

“ひきこもりな自分”と生きる File04 テツさん(33歳)

豊島区でひきこもり状態を抜け出した人、あるいは抜け出そうともがいている人から、“ひきこもりな自分”とうまく付き合う方法を聞いていく連載『“ひきこもりな自分”と生きる ~豊島区 ひきこもりサバイバー~』

File04は小学校高学年で引きこもりがちになったテツさん(33歳)。担任との相性が悪かったことがきっかけで徐々に学校に行かない日が増え、中学校から不登校に。高校は通信制を卒業しますが、以降28歳まで10年間引きこもり状態でした。

家族が一緒なら出かけることができましたが、一人だと不安で外出ができなかったテツさん。外出時の不安を取り除いてくれたのは「連絡カード」と「香り」の2つのアイテムと、5年以上サポートを続けてくれた支援員の期待に応えたいという気持ちでした。

ほっとかない取材班 涌井 瑞希

File04 テツさん(33歳)の体験
【抜け出す①】もしものときの「連絡カード」と「香り」
【抜け出す②】誰かの期待に応える

パンフレットに自分の名前だけがない… 引きこもりがちになった小学生時代
テツさんが引きこもりがちになったのは小学5年生のとき。担任との折り合いが悪く、授業中わからないことがあると強い口調で指摘されたり、失敗したことを怒られたりしたことで徐々に学校に行くことができなくなりました。

さらに追い打ちをかける出来事が起きたのは6年生のとき。移動教室のパンフレットに記載されている参加生徒の一覧にテツさんの名前だけがなかったのです。担任がうっかり書き忘れたのか、もしくはわざと自分の名前を書かなかったのか・・・。テツさんは母親を通じて担任に説明を求めました。しかし、明確な説明はなく、むしろ「わがままだ」と怒られてしまったのです。

テツさん
「理科室に自分だけ呼ばれて1時間ほど怒られました。当時は本当につらかったです。なんでそんなことをするの?と怒りと悲しみが混ざったような気持ちでした」

上から小学4年、5年、6年の出欠の記録。小学6年のときは半数近く欠席していた

この担任とのトラブルがきっかけで、テツさんはさらに学校から足が遠のきました。中学校へ進学後も学校に行くこと自体がつらくなり、友人のグループに入ることもできず、入学後1か月だけ通学したあとは卒業まで3年間不登校となりました。高校は通信制高校を選択したため外出する機会は少なくて済みましたが、この頃になると自宅でも動悸(どうき)がするようになります。体調が安定せず、進学や就職などを考えることができませんでした。高校卒業後は28歳までの10年間、引きこもりの状態が続きました。

【3日間スケジュール】朝寝て昼に起きる生活、食事は1日2回


高校卒業後のテツさんの3日間スケジュールです。外とのつながりがなくなり、1日の大半はリビングでテレビを見て過ごしていました。朝方までテレビを見てから就寝、昼ごろ起きる生活のため食事は1日2食。見たいテレビがあると寝る間を惜しんで見てしまい、翌日まとめて寝ることもありました。

テツさんは父親、母親、妹との4人暮らし。テツさんには自室がなく、妹や母親と同じ部屋で過ごしていますが、家族との関係は良好で、引きこもり状態を家族から咎(とが)められることはありませんでした。ただ、将来には漠然とした不安を感じていたといいます。

テツさん
「家族に話すことはなかったですが、将来に不安をずっと感じていました。もしこの先、家族に何かあったら経済的にどうすればいいのか。このままではどんどん仕事に就きづらくなるのではないか。なにかしないと…とは思っていても、どうしたらいいかわかりませんでした」

ところが、28歳のときに転機が訪れます。母親が豊島区役所に訪れたことがきっかけで、支援窓口を紹介されたのです。
【抜け出す①】もしものときの「連絡カード」と「香り」
支援窓口につながってから最初に取り組んだことは「一人での外出」でした。家から一人で豊島区役所に行けるようになることを目標に、まずは近くのコンビニに行くことから練習をはじめました。しかし、少し歩くだけで動悸(どうき)がしたり不安になったりしました。

テツさん
「動悸(どうき)がして倒れてしまったらどうしよう、病院に運ばれても、病院から帰る途中でまた倒れてしまったらどうしよう…。不安が不安を呼び、悪い可能性ばかり考えてしまいました」


テツさんは少しでも不安を取り除くため支援員と対処法を編み出しました。その一つが「連絡カード」です。表には氏名と住所と連絡先、裏には自分の特徴について書きました。何かあったときにうまく話すことができなくてもこのカードさえ出せば周囲がなんとかしてくれる。そう思うと気持ちが軽くなりました。

ふだんは財布に入れて持ち歩いている。実際に倒れて人に見せたことはない

もう一つの対処法として 好きな香りがするスティックを持ち歩くようになりました。キャップを外すと爽快なミントの香りがします。呼吸が乱れてしまったときはいったん立ち止まり、この香りを嗅ぐと落ち着きを取り戻すことができました。

失くしたときのために予備も持っている

外出できる範囲が広くなった今でもときどき動悸(どうき)がすることがありますが、連絡カードと香りを持っていれば万が一のときも大丈夫と不安が軽くなりました。

テツさんの【“ひきこもりな自分”を抜け出す方法①】
もしものときの「連絡カード」と「香り」

【抜け出す②】誰かの期待に応える
不安な気持ちを軽くするアイテムによって少しずつ外出できる距離が伸びてきたテツさん。しかし、区役所近くの高速道路付近の道を通ることがなかなかできませんでした。なぜだかわからないけど、足がすくんでしまう。そんな日々が半年続きました。

なかなか越えられなかった高速道路下の信号。区役所まであと80m

それでもテツさんは週1回足を運び続けました。心の支えは区の支援窓口の支援員の存在です。支援員は区役所にたどり着けなくても決して自分を責めることなく励まし続けてくれました。その思いに答えようと何度も区役所の近くまで行っては引き返すことを繰り返した結果、ある日突然、苦手だった信号を越えることができたのです。最初に挑戦してから2年、信じ続けてくれた支援員の存在が、テツさんのひきこもりを脱するきっかけとなったのです。

テツさん
「区役所の窓口まで行けたときは『やっとできた!』という気持ちでした。そこから区役所に一人で通い続けて1年ほどで引きこもりを脱出できたと思えるようになりました。時間はかかりましたが、待ち続けてくれる人がいるということにとても勇気づけられました」


テツさんの【“ひきこもりな自分”を抜け出す方法②】
誰かの期待に応える

【現在】まずは仕事に慣れるところから
テツさんは、区役所の支援窓口に通えるようになったことで、支援員から仕事を紹介してもらえるようになりました。中学生に勉強を教えるボランティアやバーの手伝い、小売店での品出しの仕事などを経て、現在、就職活動中です。

テツさん
「少しずつできることが増えてきて自信につながっています。就職して早く自立できるように頑張りたいです」

テツさん(25歳)の例をお伝えしてきました。

「私はこんな方法で“ひきこもりな自分”をやり過ごしてる」
「私はこうやって抜け出した」

など、みなさんの経験と知恵もぜひ下記の「コメントする」からお寄せください。寄せられた内容は、豊島区とも共有し、施策につなげることを目指します。あなたの声が豊島区を動かすかもしれません。

<豊島区を取材することになった経緯についてはこちら>
Topic01 NHK×豊島区「ひきこもり支援」始動

<これまでの記事はこちら>
【“ひきこもりな自分”と生きる ~豊島区 ひきこもりサバイバー~】
File03 ハルカさん(25歳)「踏み出す一歩は“人目を避けて”」
File02 ミツヒデさん(56歳)「病名がつくことで前向きになれた」
File01 イズミさん(27歳)「プライドの高い自分に気づいた」
【密着 豊島区のひきこもり支援】
Topic05 みなさんの意見、鈴木係長にぶつけて議論してみました
Topic04 「元気です」の裏にあるもの 鈴木係長の苦い経験
Topic03 ひきこもり支援に欠かせない“まなざし”とは
Topic02 「“ひきこもり”をほっとけない」 鈴木係長のSOS

「#こもりびと」特設サイト
https://www3.nhk.or.jp/news/special/hikikomori/

※コメントは編集部で内容を確認の上、掲載させていただきます。

2021年7月30日

“ひきこもりな自分”と生きる File03 ハルカさん(25歳)

豊島区でひきこもり状態を抜け出した人、あるいは抜け出そうともがいている人から、“ひきこもりな自分”とうまく付き合う方法を聞いていく連載『“ひきこもりな自分”と生きる ~豊島区 ひきこもりサバイバー~』

File03は人間関係のトラブルをきっかけに約半年間のひきこもり状態から外に出ることができるようになったハルカさん(25歳)です。脱出のキーワードは「大雪」と「マスク」でした。

ほっとかない取材班 涌井 瑞希

File03 ハルカさん(25歳)の体験
【抜け出す①】 踏み出す一歩は“人目を避けて”
【抜け出す②】 “お守りのマスク”を外せた瞬間

ただただぼーっと過ごす日々 過ぎていく時間に焦り
ハルカさんがひきこもり状態になったのは19歳のとき。アルバイト先での人間関係のトラブルがきっかけでした。人に見られることや外に出ることが怖くなり、部屋に閉じこもるようになりました。

ひきこもっている間は、自分の部屋でただただぼーっとしていたハルカさん。布団の上で寝起きを繰り返す生活で、ぐっすり眠れずに夜中に目が覚めてしまうこともありました。お腹が空くこともなく、食事は“食べさせられている”感覚でした。たまに外に出ると「通りすがりの人みんなが笑っているように感じる」こともあったといいます。

ハルカさん
「ただただ過ぎていく時間が無駄に感じました。何かしたいという気持ちはあったけど、どうしていいかがわからない。焦りを感じていました」

そんな生活が変わるきっかけになったのは、祖母と豊島区役所を訪れたことでした。祖母からひきこもりを抜け出す支援窓口に行くことを勧められ、気が進まないまま出かけました。

【抜け出す①】 踏み出す一歩は“人目を避けて”

ハルカさんが初めて豊島区役所を訪れた日、都内は記録的な大雪でした。外に出るのが億劫になりそうなところですが、ハルカさんはあえて悪天候の日を選んだといいます。

ハルカさん
「天気が悪ければ区役所は人が少ないだろうと思いました」

実際に利用者が少ないタイミングはあるのか豊島区に聞いてみました。

支援員
午前9時頃は人が少なく狙い目です。1週間のうち週初めの月曜と週末の金曜は給付金などの申請で利用者が増える傾向なので、週半ばの水曜がおすすめです。また、月初めと月末も利用者が増えることがあるので、月半ばがおすすめです。」

大雪などの悪天候の場合、外出は避けたほうがいいかもしれませんが、人目が気になる場合は利用者が少ないタイミングを狙ってみるのはひとつの方法かもしれません。

このとき支援窓口につながり、ひきこもり脱出の一歩を踏み出したハルカさん。外出する機会を徐々に増やし、約1年かけて一人で豊島区役所に行くことができるようになりました。

ハルカさんの【“ひきこもりな自分”を抜け出す方法①】
踏み出す一歩は“人目を避けて”

【抜け出す②】“お守りのマスク”を外せた瞬間
ハルカさんが外出の際に手放せないのがマスクでした。
高校生のときからダンスが好きで、家で「踊ってみた系」動画を見ながらひとりで踊っていました。豊島区でダンス仲間ができても、人が少ない公園を選び、さらに顔全体を覆うマスクをつけていました。

ハルカさん
「自分の顔があまり好きじゃなくて…。隠したいし、人に見られたくないです」

ダンス仲間もいっしょにマスクをつけてくれた(写真中央がハルカさん)

そんなハルカさんに転機が訪れます。2年前、ダンスで舞台にエキストラ出演する話が舞い込んだのです。大勢の出演者に囲まれ、大勢の観客に見られる舞台でしたが、周りの出演者は誰もマスクをしていません。仕方なく、マスクを外して人前に出ることにしました。

ハルカさん
「舞台への出演は誘われて半ば強制だったんですけど…。嫌な気持ちもありましたが、ちょっと頑張ってみようと思いました」

ハルカさんが勇気を出して一歩を踏み出した瞬間でした。豊島区の支援員によると、区役所に来た当初は「人を拒絶している感じがした」そうですが、このころにはもうその印象はなくなっていたといいます。

支援員
「彼女は頑張り屋さんで、芯が強い。負けず嫌いな一面もあります。自分を変えようと努力して能動的に動いてきたことが、引きこもりを抜け出すことにつながったのでは」

ハルカさんの【“ひきこもりな自分”を抜け出す方法②】
“お守りのマスク”を外せた瞬間

【現在】正社員での採用を目指して就職活動中
現在は正社員での採用を目指して就職活動中です。6月には就職に向けた面談がありましたが、落ちてしまいました。それでもハルカさんは前向きで、気持ちは次回の面談に向いています。

ハルカさん
「落ち込んだりはしないです。悩んでいるのがもったいないのでどんどん次に行こうと考えています」

ハルカさん(25歳)の例をお伝えしてきました。

「私はこんな方法で“ひきこもりな自分”をやり過ごしてる」
「私はこうやって抜け出した」

など、みなさんの経験と知恵もぜひ下記の「コメントする」からお寄せください。寄せられた内容は、豊島区とも共有し、施策につなげることを目指します。あなたの声が豊島区を動かすかもしれません。

<豊島区を取材することになった経緯についてはこちら>
Topic01 NHK×豊島区「ひきこもり支援」始動

<これまでの記事はこちら>
【“ひきこもりな自分”と生きる ~豊島区 ひきこもりサバイバー~】
File02 ミツヒデさん(56歳)「病名がつくことで前向きになれた」
File01 イズミさん(27歳)「プライドの高い自分に気づいた」
【密着 豊島区のひきこもり支援】
Topic05 みなさんの意見、鈴木係長にぶつけて議論してみました
Topic04 「元気です」の裏にあるもの 鈴木係長の苦い経験
Topic03 ひきこもり支援に欠かせない“まなざし”とは
Topic02 「“ひきこもり”をほっとけない」 鈴木係長のSOS

「#こもりびと」特設サイト
https://www3.nhk.or.jp/news/special/hikikomori/

※コメントは編集部で内容を確認の上、掲載させていただきます。

2021年7月9日

“ひきこもりな自分”と生きる File02 ミツヒデさん(56歳)

豊島区ひきこもり支援の新連載
『“ひきこもりな自分”と生きる ~豊島区 ひきこもりサバイバー~』

ひきこもり状態を抜け出した人から、
ひきこもりの状態を「やり過ごす方法」「抜け出す方法」を聞いていきます。

当事者の方が自分に合う知恵と出会えるデータベースをつくります。
また、ここで集まった当事者の言葉を豊島区と共有し、施策につなげることを目指します。

ほっとかない取材班 髙松 俊

File02 ミツヒデさん(56歳)の体験
【やり過ごす】 自分の好きなことに没頭
【抜け出す①】 病名がつくことで前向きになれた
【抜け出す②】 もがいた先のふとした瞬間

33歳でパニック症状 20年間ひきこもりに
今回お話を伺ったのはミツヒデさん。30代から20年間ひきこもり状態が続き、ふたりで暮らしていた父親は3年前に亡くなりひとり暮らしをしています。取材中、シリアスな話を陽気に話してくださる姿が印象的でした。

ミツヒデさんがひきこもり状態になったのは33歳の時。アパレル業界で洋服の型紙をつくるパタンナーとして働き、海外と日本を行き来する生活を送っていました。ある日飛行機の中で突如パニック症状が出ます。心拍が早くなり、汗が吹き出し、叫びたくなるのを必死にこらえて着陸を待ちました
それから電車、バス、あらゆる乗り物に乗る前から症状が出るようになり、社会生活が困難になって会社を退職します。

ミツヒデさん
「なにが原因かわからず“自分は頭がおかしくなったのか”と思いました。人生がピタッと止まった感覚でした」

その後自宅近くのコンビニでアルバイトを始めましたが、持病の難聴が原因で客の言葉の聞き間違いなどが重なり辞めました。自信を失い、家にひきこもるようになります。以来ひきこもり歴は20年以上になりました。

【やり過ごす】 自分の好きなことに没頭
大好きな歴史シミュレーションゲーム 「推しキャラは苦労の多い明智光秀です」

33歳から5年間ほどは人生のどん底にあったというミツヒデさん。「自分は社会にいてはいけない存在だ」と希死念慮もあったといいます。

毎日を家で過ごしていると過去の後悔と将来への不安で押しつぶされそうになる瞬間があったといいます。そんな時に気持ちを和らげてくれたのが、大好きなゲームに熱中して時間を忘れることでした。

ミツヒデさん
“痛み止め”みたいなモノですね。一度やり出したら眠さで気絶しそうになるまでトコトンやって終わった後は1日寝ている。起きると“なんであんなに不安になっていたんだろう?”と思えるんですよね」

ミツヒデさんの【“ひきこもりな自分”をやり過ごす方法】
自分の好きなことに没頭

【3日間スケジュール】 外出は早朝と夜間 極力人目を避けて


当時のミツヒデさんの3日間スケジュールです。

ゲームを丸一日した後に睡眠を丸一日とる昼夜逆転の生活です。ただふたりで暮らしていた父親の夕食の準備はミツヒデさんの担当だったので、その時間だけは必ず守るようにしていました。

注目すべきは外出の時間帯。ゴミ出しは早朝。コインランドリーや古本屋に行くのは夜間。極力人目を避けて外出していました。

ミツヒデさん
「近所で“あそこの息子さんはひきこもりよ”と話題になっている気がして嫌でした。人の目がとにかく気になっていました」

【抜け出す①】 病名がつくことで前向きになれた
ミツヒデさんの診断書

ミツヒデさんに転機が訪れたのは38歳の時。難聴の治療で通っていた耳鼻科の紹介で精神科の病院を受診します。
そこで初めて「パニック障害」という診断を受けました。病名がついたことでフッと気持ちが楽になったといいます。

ミツヒデさん
「それまで社会に出られないのは自分の努力が足りないからだと思っていた。でも病気だと言われることで、努力ではどうにもならないこともあるんじゃないかと思えたんです」

さらに、「原因は人間関係だ」と医者から指摘を受けました。原因が明確になることでミツヒデさんは“パニック障害のある自分”を受け入れ、どううまく付き合っていくか前向きに考えるようになっていきます。

ミツヒデさんの【“ひきこもりな自分”を抜け出す方法①】
病名がつくことで前向きになれた

【抜け出す②】 もがいた先のふとした瞬間
ミツヒデさんはパニック障害の治療薬を服用することで徐々に外に出られるようになっていきました。ところが、依然として改善が見られなかったのが“乗り物恐怖症”でした。
社会復帰を目指す上で避けては通れないと考え、最寄りの駅で何度も電車に乗ろうとしますが、ホームまでは行けても汗が吹き出し心臓がバクバクしてきて乗車することがどうしてもできませんでした。

ある日、不思議なことが起きます。早朝に目を覚まし、寝ぼけながらフラフラ最寄り駅へ向かいました。やってきた始発電車に乗ってみたところ、なんとすんなり乗ることができたのです。

一体なにが起きたのでしょうか。
ミツヒデさんはこの時の経験を、もがいた先のふと力が抜けた瞬間が大事と振り返ります。

ミツヒデさん
「それまで “乗れないと人生終わり“くらいに根詰めていたけど、力を抜くことが必要だった気がします。乗れた時は生まれ変わったような気になって感激しました」

ミツヒデさんの【“ひきこもりな自分”を抜け出す方法②】
もがいた先のふとした瞬間

【現在】 20年ぶり 積極的に人との交流を
区の就労支援でできた仲間と参加した夏祭り

ミツヒデさんは6年前から豊島区の就労支援とつながり徐々に社会とのつながりを取り戻すようになりました。
現在は通勤に1時間かかる衣類関係の工場で働いています。あえて家から遠いところで働くことで、電車に長く乗る訓練をしています。

20年間ほとんど人付き合いがありませんでしたが、区の支援でできた仲間とイベントに参加したり猫カフェに行ったり、高校時代の友人に30年ぶりに連絡を取り会いにいくなど、積極的に人との交流を持つようになりました。

支援員
「体験就労の仲間たちみんなで電車に乗った時に“こういうの憧れていた”とボソッと言っていたのが印象に残ってます」

ミツヒデさん
「徐々にできることを増やしていきたいと思ってがんばって人とも会うようにしています。でも本当は今も家でテレビを見たりゲームをしたりするのが一番楽です(笑)

ミツヒデさん(56歳)の例をお伝えしてきました。

「私はこんな方法で“ひきこもりな自分”をやり過ごしてる」
「私はこうやって抜け出した」

など、みなさんの経験と知恵もぜひ下記の「コメントする」からお寄せください。
寄せられた内容は、豊島区とも共有し、施策につなげることを目指します。
あなたの声が豊島区を動かすかもしれません。

<豊島区を取材することになった経緯についてはこちら>
Topic01 NHK×豊島区「ひきこもり支援」始動

<これまでの記事はこちら>
【“ひきこもりな自分”と生きる ~豊島区 ひきこもりサバイバー~】
File01 イズミさん(27歳)「プライドの高い自分に気づいた」
【密着 豊島区のひきこもり支援】
Topic05 みなさんの意見、鈴木係長にぶつけて議論してみました
Topic04 「元気です」の裏にあるもの 鈴木係長の苦い経験
Topic03 ひきこもり支援に欠かせない“まなざし”とは
Topic02 「“ひきこもり”をほっとけない」 鈴木係長のSOS

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※コメントは編集部で内容を確認の上、掲載させていただきます。

2021年6月25日

“ひきこもりな自分”と生きる ~豊島区 ひきこもりサバイバー~ File01 イズミさん(27歳)

ほっとかない社会「豊島区ひきこもり支援」では、新たなシリーズ連載を始めます。

タイトルは
『“ひきこもりな自分”と生きる ~豊島区 ひきこもりサバイバー~』

豊島区を取材する中で、ひきこもり状態を抜け出した人たちに話を聞く機会が増えてきました。抜け出した経緯を聞いていくと、皆さんに共通しているのが、“普通になれない自分”と折り合いをつけて生きていけるようになったことです。

では、どうしたら自分とうまく付き合っていけるのか。
このシリーズでは、ひきこもり状態を抜け出した人、あるいは抜け出そうともがいている人から、“ひきこもりな自分”とうまく付き合う方法を聞いていきます。
柱は2つ、ひきこもりの状態を「やり過ごす方法」「抜け出す方法」です。

ひきこもる原因は人によって千差万別。“これ”といった解決策が見つからず困っている当事者の方に向け、自分に取り入れられそうな知恵と出会えるデータベースをつくります。
また、ここで集まった当事者の言葉を豊島区と共有し、施策につなげることを目指します。

ほっとかない取材班 ディレクター 髙松 俊

File01イズミさん(27歳)の体験
【やり過ごす①】 今の自分を肯定するキャッチフレーズをつくる
【やり過ごす②】 体調の変化に敏感になる
【抜け出す】    プライドを捨てる

小2で不登校に 「なにが人と違うのか?」自問する学生時代
今回お話を伺ったのはイズミさん。ひきこもりについて独自に築き上げた哲学を熱く話す姿が印象的なBOØWYを愛する27才の男性です。

イズミさんがひきこもり状態になったのは小学2年生の時。教室に入ると密閉された空間に息苦しさを感じ、やがて嘔吐恐怖症という症状※を発症しました。そのうち、教室にいるとパニック症状が出るようになり不登校になりました。

※嘔吐恐怖症=自分や他人が吐くことに対して強迫的に恐怖を感じる状態

その後、中学・高校と調子がいい時期には学校に通えましたが、ひきこもり状態と脱出を繰り返していました。なぜ自分だけ周りと違うのかとモヤモヤした日々を過ごしたといいます。

イズミさん
自分だけ何かが違うけど、その何かがわからない。普通になりたいけどなれない。悶々(もんもん)として自分を責めることも多かったです」

【やり過ごす①】 今の自分を肯定するキャッチフレーズをつくる
イズミさんの愛用するギター BOØWYで一番好きな曲は『Dreamin’』

イズミさんは、ひきこもっている自分をつい責めてしまう時に有効な方法があると言います。 今の自分を肯定するキャッチフレーズをつくってみることです。

イズミさんは音楽の専門学校を卒業後、就職をせずに3年間ほど家で音楽制作をしながら、ひきこもり状態を続けてきました。20歳をこえ周囲には定職に就く人も増える中、「このままでいいのか自分…」と焦りも感じ始めていました。

そんなとき、友人や知人に “自称ミュージシャン”を名乗り始めます。はじめは軽い気持ちで言っていましたが、そのうち気分が楽になっている自分に気がつきました。 ミュージシャンだから家で作曲に打ち込むのは当然のこと。むしろ没頭している自分を誇らしく思えたそうです。

イズミさん
「一時的な慰めかもしれませんが、ダメな自分を責め続けるくらいなら肯定できる言葉を見つけてあげることが大切だと思います。僕の場合は、“自称ミュージシャン”と言っていたら本当にプロを目指したくなっていましたけど(笑)」

イズミさんの【“ひきこもりな自分”をやり過ごす方法①】
今の自分を肯定するキャッチフレーズをつくる

【やり過ごす②】 自分の体調の変化に敏感になる
もうひとつ、イズミさんが大切にしているのが、自分の体調の変化に敏感になることです。

ある時、毎年梅雨になると体調が悪くなることに気がつきました。アルバイトもこれまでに3回梅雨の時期に辞めていました。
ネットで調べると似たような人たちがいて、「おそらく気圧の問題だ」ということもわかりました。以降、梅雨の時期には無理しないように心掛けるようになったといいます。

イズミさん
なぜつらいかがわかると、少し安心できるようになります。調子が悪いときに頑張ろうとして、無駄に落ち込むことが減りました」

イズミさんの【“ひきこもりな自分”をやり過ごす方法②】
体調の変化に敏感になる

【抜け出す】 プライドを捨てる
愛する高円寺 撮影:イズミさん

「自分だけが周りと何か違う」。ずっとそう感じていたイズミさんに転機が訪れます。

おととし、音楽関係の知人に紹介され高円寺のバーを訪れたときのこと。お客の姿を見て衝撃を受けました。頭はカラフル、服装ダボダボ、裸にジージャンの人もいる。話は趣味のことだけで、仕事の話をするのはヤボな雰囲気。自分と似たような社会に溶け込めない人たちに出会い、価値観が変化していきました。

イズミさん
「社会的に見たらぶっ飛んだハミダシモノばっかりなのに、みんな、人と違うことを全然気にしていないのがすごいんすよ!」

さらに重大な気づきがありました。
ある日、イズミさんはこのバーで酔いつぶれてしまいます。裸になって、吐いて、恥をさらけ出す経験をしたのです。ですが周りは特に気にしていない様子。その時に、人前でパニックになってしまうことを見られるのが嫌でひきこもっていた、プライドの高い自分に気づいたといいます。

イズミさん
プライドを捨てる瞬間でした。自分が吐いても周りは特に気にとめていなかったんですね。今まで自分が気にしていたのはこんな小さなことだったのかという気づきがありました。そう思えてから積極的に外に出られるようになりました」

イズミさんの【“ひきこもりな自分”を抜け出す方法】
プライドを捨てる

【3日間スケジュール】 意外と行動範囲は広め
イズミさんの「3日間スケジュール」

イズミさんの「ある3日間のスケジュール」をご紹介します。
抗うつ薬を飲む生活を続けていて、その影響で眠くなることが多く、生活の中でも「睡眠」の時間が多くなっています。

意外だったのが、ひきこもり状態にもかかわらず、友人の仕事を手伝いに中野区に出かけたり、友人と遊ぶために新宿区に出かけたりと、地元の豊島区内で行動することはまれだということ。自分と似ている人が集まっている場所があれば豊島区に限らず出かけることがあるといいます。

イズミさん
「意外にひきこもりは行動範囲が広いんです。付き合いがあるのは同じ趣味を持つ人なので、その人たちがいるところに行く。行動範囲は豊島区に限りません」

【現在】 公務員を目指し勉強中!
豊島区の支援員に勉強を教わるイズミさん

イズミさんは、徐々に自分との折り合いをつけてきたことで、最近はひきこもり状態を脱しつつあると感じています。
5年前から豊島区の就労支援とつながり、アルバイトなどを始めるようになりました。さらに最近では、支援員のアドバイスもあり公務員試験を目指すことにしました。週に一度豊島区役所に通って今後の進路を相談しています。

イズミさん
「“今を楽しく”とずっと思っていましたが、最近は先のことを考えられるようになりました。仕事をする方がいろいろチャンスが広がるなと思ったので、勉強しようかなという感じです」


イズミさん(27歳)の例をお伝えしてきました。

「私はこんな方法で“ひきこもりな自分”をやり過ごしてる」
「私はこうやって抜け出した」

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<豊島区を取材することになった経緯についてはこちら>
Topic01 NHK×豊島区「ひきこもり支援」始動

<これまでの記事はこちら>
Topic05 みなさんの意見、鈴木係長にぶつけて議論してみました
Topic04 「元気です」の裏にあるもの 鈴木係長の苦い経験
Topic03 ひきこもり支援に欠かせない“まなざし”とは
Topic02 「“ひきこもり”をほっとけない」 鈴木係長のSOS

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2021年4月14日

みなさんの意見、鈴木係長にぶつけて議論してみました

写真はJR池袋駅東口にある“いけふくろう”の銅像。地域のマスコット的存在なんです。
どこか愛嬌のある顔つきで、待ち合わせをする人たちにそっと寄り添う姿が印象的ですよね。
豊島区のひきこもり支援プロジェクト。今回の記事ではこの銅像もヒントに…?

以下の内容でお届けします。
① 豊島区ひきこもり支援 本格稼働へ向けた発令式が行われました
② 各課のデータを集計 傾向は?
みなさんの意見、鈴木係長にぶつけて議論してみました

ほっとかない取材班 ディレクター 髙松 俊

連携グループ発令式 「どこかでなにかに引っかかれば糸口になる」


4月1日、ひきこもり支援の肝となるグループ連携の発令式が豊島区で行われました。福祉系の部署11課に加え、新たに住宅課と教育センターが加入。支援の中で住宅に関する問い合わせが多いこと、学校と連携することで支援につながるケースがあるため、さらなる拡充がされました。

“縦割り”の弊害から、必要な情報が他の部署にうまく伝わらないという行政の現状を変えたい。グループでは日頃から緊密なコミュニケーションをとりつつ、月に1度情報共有会を開き、横の連携を強めていきます。

参加した職員
「高齢者の支援をしていて認知症の高齢者宅からひきこもり状態の方がいることがわかるケースがあります。自分から相談できない人が、どこかでなにかに引っかかって、支援につながる糸口になればと思います」

「225人」 若年&高齢の両輪アプローチで
グループに参加する各部署が個別に対応しているひきこもり状態の人を集計したところ、全部で225人いることがわかりました。豊島区全体では約2000世帯がひきこもり状態にあると推計されており、まだアプローチすらできていない人が相当数いることが改めて浮き彫りになりました。

225人の年齢別内訳を見ていくと、10代~40代が3分の2近くを占める一方、60代以上も少なくありません。“池袋を中心とする都会”と“高齢世帯が多い地域”どちらも抱えている豊島区では、若年層と高齢層、両輪のアプローチが一層重要になるのです。

225人の年齢別内訳 「豊島区ひきこもり支援における調査結果概要(2021年2月)」より

みなさんの意見、鈴木係長にぶつけて議論してみました
伊東プロデューサー(左)、豊島区・鈴木係長(中央)、ディレクター髙松(右)@NHK

若年層へのアプローチに鈴木さんが有効と考えているのがウェブでの情報公開です。

前回記事でホームページのネーミング案を募集しましたが、今回、みんなでプラスやTwitterに寄せていただいた意見をもとに、鈴木さんと取材班で議論する場を設けました。

熱心に意見を読み込む鈴木係長

まず鈴木さんの目に止まったのは、みたんさんからいただいた案「hoppin’」(ほっぴん)
「ステップ・ジャンプに繋がらなくても“ホップ”なら、そんなに躊躇や決意はいらない」というみたんさんの意見に「なるほど…“まずは一歩を”というイメージですね」と深く頷いていました。

続いてはなさん「困りごとオーダーメイド相談窓口」。「その時はわかっていたつもりが、あとで聞くと検討違いだった」というはなさんの経験は鈴木さんにも心当たりがあります。

一方ですんさん「ともに」は、「素敵な語感で個人的に好きなのですが、行政はあくまで脇役。主役である当事者からすれば、ちょっと前に出すぎな印象を受けるかも…」との意見。
みなさんの案を検討するうちに、少しずつ鈴木さんが目指すイメージが見えてきたようです。

議論中盤、話題は“そもそもホームページをどう利用してほしいか”という根っこの部分に至ります。みなさんのアイデアやご意見に刺激され、鼻息も荒くなった鈴木さんから 「豊島区をこえて全国の人に利用してほしい」「ひきこもりという属性をつけたくない」という意見が飛び出した時、長年、子供の貧困問題を取材してきた百戦錬磨の新井デスクが口を開きます。

新井直之デスク

新井デスク
「気持ちはわかりますが、あれもこれもと欲張るあまり焦点がボヤけるのもどうかと…。 子供の貧困を取材した時もそうでしたが、いろいろな課題が絡み合うテーマについて、的を絞らずに議論していくと『結局何をしているんだっけ?』と本質がぼやけてしまうことがありました。子どもの貧困の時は『厳しい状況に置かれた子どもたちのために』という軸だけはぶらさずに制作したことで、結果として多くの人に届く番組になりました。だからまず、鈴木さんとプロジェクトの“軸”をしっかり定めると良いのでは?」

豊島区として、ブレない軸をどこに置くのか。
最後に話題に上がったのが佐奈さんからいただいた「止まり木的存在を求めている」という意見でした。これを踏まえて「無理に利用してもらう必要はないけど、なにかあった時のためにいつでもつながれる場にしたい」という軸が見えてきました。

池袋と豊島区のシンボル的存在、いけふくろうと掛けて“梟の止まり木”という案も

この日は以上でタイムアップ。今回の議論を、ホームページの中身やその他の施策に落とし込むべく豊島区内で再び話し合うことになりました。
ホームページの正式オープンは6月1日を予定しています。併せて専門ダイヤルも設置します。

「ほっとかない社会」では引き続きひきこもり支援に関するみなさんのご意見を募集しています。

▼行政のホームページにあるとうれしい情報やコンテンツ
▼こんなことを相談できるといいな

などなど、ぜひ下記の「コメントする」からお寄せください。
あなたの声が豊島区を動かすかもしれません。

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※コメントは編集部で内容を確認の上、掲載させていただきます。

2021年3月18日

「元気です」の裏にあるもの 鈴木係長の苦い経験

豊島区が11課横断で取り組むひきこもり支援。
そのコンセプトは「当事者ひとりひとりに届くオーダーメイドな支援」です。
プロジェクトの旗振り役である福祉総務課の鈴木寛之係長にねらいを伺うと、

「“元気です”の裏にどんな気持ちがあると思いますか?」
と逆質問。詳しく聞いてみると、鈴木さんの苦い経験にたどり着きました…。

そんな鈴木さんがちょっと困っています。
この春立ち上げ予定の「ひきこもり支援専用HP」、
肝心のタイトルが決まらないということですが…。

ほっとかない取材班 ディレクター 髙松 俊

「怖い」「上っ面の支援」コメントを受けて


「係長の言葉には怖さを感じました」
「上っ面の支援に感じています」
連載4回目のこの日の取材。前回記事に寄せられたコメントを読んだ鈴木さんは意気消沈していました。

鈴木係長
「普段一番気をつけている“言葉”について指摘があったので、けっこうこたえました…」

行政の役割はひきこもっている人たちを外に出して社会に適応させること。でもそれはただのおせっかいなんじゃないか。当事者の方はただ自由でいたいだけなんじゃないか。鈴木さんは自問自答しながら支援にあたってきました。

過去には生活保護受給のケースワーカーとして90人を同時に対応していたこともあります。上からは数値目標や就労プランを決めることを求められますが、そう簡単には割り切れません。いつもその狭間で頭を悩ませているのです。

鈴木係長
「行政は‟こうすれば上手くいく”というレールを敷きがちです。でも特にひきこもり支援についてはひとりひとりで全く事情が異なる。状況に応じたオーダーメイドの対応が必要です。大きな組織では油断するとすぐ型にはまった対応になってしまいます…コメントをいただいて身が引き締まりました」

鈴木係長の座右の銘
「元気です」の裏にあるもの


鈴木さんがひきこもり支援に思いを巡らせるきっかけになった人がいます。
2年前、豊島区福祉総務課の相談窓口にフラッとやってきた40代の男性。人間関係が原因で職場を退職、10年ほど家にこもる生活が続いていました。常に怒っている様子が印象的でした。

「イライラすることがありましたか?大丈夫ですか?」
「ありません。元気ですよ」
「最近気になることはありますか?」
「ありません。それよりも…」
こんなやりとりをよくしていました。

男性は「すぐに働きたい」と言いました。鈴木さんは「今すぐは厳しいのでは」と思いました。社会人的な受け答えを練習する、会う時間を守るといった基礎的なことから再開すべきと思ったのです。
でも男性は先を急いでいるように見えました。そこで、履歴書の書き方を教えたり求人動向をいっしょに調べたり実践的な支援をしていきました。

鈴木係長
「毎回ステップを踏んで前に進めないと、窓口に来なくなってしまう気がしたんです」



男性は2週に1回のペースで相談窓口を訪れ、スムーズに進んでいきました。

ところが、いよいよ企業に履歴書を送るまであと一歩というタイミングで、男性はプツッと窓口に来なくなってしまいます

電話はつながりません。
「せっかくここまで来たのだから」とメールや手紙を出したり、家を訪ねたりもしましたが、反応はありません。
結局男性とはそれっきり関係が途切れてしまいました。

「なにが悪かったのか」鈴木さんは頭を思いめぐらせました。
そして、男性が心の底でなにを求めているか本気で想像していなかったことに気がつきました。

鈴木係長
“働きたい”“元気です”と言うけど、その裏にはどんな気持ちがあると思いますか?口では強がりを言うこともあるし、自分の状態がわからなくなることもあります。彼がなぜ急いでいるのかを深堀りしたら違う結果になったかもしれない。表には見えない部分に目を凝らすのが大切だと痛感しました」

以来、鈴木さんは毎回相手の心の奥まで想像し、その度に頭を悩ませるようになりました。
当事者の方と喋った日は「あの一言は余計だったかなぁ…」と家でひとりごとを言うので奥さんに心配されているといいます。

ついに寝言でつぶやくようになり、奥さんと別部屋で寝ることにしたほど…
専用HP立ち上げ タイトル案募集してます
いま鈴木さんを悩ませているものがあります。ひきこもり支援の専用ホームページです。

現状の支援体制では、当事者や家族が窓口に来て相談、あるいは専門機関や関係部署からの紹介という形が主で、当事者や家族がアクセスしづらい課題を抱えています。そこでHPで支援に関しての情報提供をするとともに、SNS等で気軽に相談を寄せてもらうのが目的です。

ところが、この春のオープンを目指しているのに肝心の「タイトル」が決まらないといいます。

試作版のHP(なかなかの試作段階感)

現状の仮タイトルは「Re:スタ」。でも鈴木さんはしっくりきていません。

鈴木係長
「悩み続けるうちになにがふさわしいのかわからなくなってきて…ぜひみなさんといっしょに考えたいです」

みなさんならどんなタイトルにしますか?
またどんな中身があったら嬉しいですか?

ぜひ下記の「コメントする」から自由にご意見お寄せください。
あなたの声が豊島区を動かすかもしれません。

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※コメントは編集部で内容を確認の上、掲載させていただきます。

2021年2月10日

ひきこもり支援に欠かせない“まなざし”とは

豊島区全庁をあげた「ひきこもり支援」。4月からのスタートに向けて、急ピッチで準備が進んでいます。

部局横断グループの中心として活動する福祉総務課・鈴木寛之係長は、メンバーにひきこもり支援を深く学んでもらおうと勉強会を開催しました。

支援に欠かせない“まなざし”と、見えてきた課題をお伝えします。

報道局社会番組部(デジタル開発)ディレクター 髙松 俊

11課が集結


今月3日、勉強会が開かれたのは、再開発が進む池袋の中心部にある、としま区民センターです。



健康推進課、子ども若者課などひきこもり支援に直面するグループから、介護保健課、生活福祉課などひきこもりとはあまり馴染みのないグループまで、11課38人が参加しました。ひきこもりは複合的な課題を抱えているため、どの課も当事者と接する可能性があります。たらい回しにしないためにも、各課で適切な対応を学ぶ必要があるのです。

窓口対応の人、自宅までアウトリーチする人、施策決定を行う司令塔の人、様々な立場のメンバーが集まり、勉強会スタート。副区長のあいさつに始まり、いかにも“お役所的”な感じで進行していくかと思いきや…
“対策”はしない
(KHJ全国ひきこもり家族会連合会の本部事務局長・上田理香さん)

冒頭、講師の上田さんの一言が会場をザワつかせます。

「みなさん “対策”と言っていますが、“対策”したらひきこもりは隠れます」

どういうことでしょうか?上田さんは続けます。

KHJ全国ひきこもり家族会連合会 本部事務局長 上田理香さん
「対策という言葉は当事者にとっては、ひきこもりがあそこにいるぞ!と言って追ってくる“自粛警察”のようなもの。まずは本人の心情を知ること。その上で、“ひきこもりをなおす”ではなく、彼らの状況を聞き、困っている事柄を解消していくフラットな姿勢が大切です。」

なるほど、たしかに「君にはこういう問題がある」と大きなレッテル貼りをしてくる人の話は聞きたくならないですよね。それよりも具体的な事象に目を向けようと。納得です。
欠かせない家族支援


ひきこもり支援に欠かせないのが「家族支援」です。印象に残った点をまとめました。

①家族の感情は当事者に伝染する
家族の感情はプラス方向でもマイナス方向でも当事者に伝染し大きな影響を与える。だから家族の支援が第一歩目となる。

②否定→肯定的関心へ
本人の言動には必ず本人なりの理由がある。たとえばゲームは自分のままでいられる唯一のコミュニティかもしれない。周囲が理解のまなざしを向けていくことが大事。

③充電期間が不可欠
ひきこもりは家族全員が日々エネルギーを消耗させた状態なので、先を急がない。

ひきこもり≠問題がある人 各課で新たな気づき
上田さんが最後に強調したのが、「地域でともに生きている認識を持つ」ことでした。

KHJ全国ひきこもり家族会連合会 本部事務局長 上田理香さん
「無意識の内に“ひきこもりイコール問題がある人”というレッテルを貼りがちだが、私は “地域でともに生きている人”という認識で接しています。当事者は支援者のまなざしに敏感です。生活の小さな困り事が糸口になることも多く、植木の伐採、ペットの世話、健康相談など日常生活の情報提供からやっていきましょう。」



1時間の勉強会が終了。参加者のみなさんは自分たちの仕事を振り返るいい機会になったようです。

社会福祉協議会の職員
「グサグサっと刺さった。無意識にひきこもりという当てはめをして、相手に相談しづらさを与えていたことに気がつきました。今どういう状況でどういうことに困っているか具体的に聞いて、一緒にできることを考えるようになりたい。」

介護保健課の職員
「高齢者のお宅を訪問すると、“この部屋は子どもがいるけど…”と隠そうとするケースがあり、それ以上踏み込まないようにしていました。ご家族の心情を勉強させてもらったので、今後はフラットに情報提供ができればと思いました。」

見えてきた課題


勉強会終わり、黙々と片付けをする鈴木係長に話を聞きました。手ごたえとともに、今後の課題も見えてきたといいます。

ひとつは「待ちの姿勢→攻めの周知へ」。支援グループの情報を流して待っているだけでは、そもそも当事者に届かない。今後は、当事者や家族がアクセスしやすいSNSの運用も検討していきたいといいます。

もうひとつは専門家の不足です。ひきこもりは複数の専門領域を横断するため、たとえば、多重債務等の問題に対応できる「弁護士」、精神的なケアに精通した「看護師」、家計を考えられる「FP」をチームに組み込めれば、機動的な対応が可能になります。

4月に向けて鈴木さんたちの準備は加速していきます。リアクションやご意見ありましたら、下記の「コメントする」からぜひ声をお寄せください。あなたの声が豊島区を動かすかもしれません。

「#こもりびと」特設サイト
https://www3.nhk.or.jp/news/special/hikikomori/
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「“ひきこもり”をほっとけない」 鈴木係長のSOS
https://www.nhk.or.jp/gendai/comment/0022/topic002.htmll

※コメントは編集部で内容を確認の上、掲載させていただきます。

2020年12月25日

「“ひきこもり”をほっとけない」 鈴木係長のSOS


NHKが地域とつながるプロジェクトの第1弾として豊島区の「ひきこもり支援」に密着することを前回の記事でお伝えしました。

NHK×豊島区「ひきこもり支援」始動(2020年12月11日公開)
https://www.nhk.or.jp/gendai/comment/0022/topic001.html

豊島区では2021年度から本格的に支援を始めるとしています。今回は、なぜ私たちが豊島区と連携することになったのか豊島区はどんな問題意識を抱えているのかといったプロジェクトのきっかけについてお伝えします。

報道局社会番組部(デジタル開発)ディレクター 新井 直之


豊島区職員からのSOS


今年10月、取材で長年関わりのある豊島区の職員から1通のメールが届きました。

「『ひきこもり支援』についてご意見いただきたくご連絡いたしました。(中略)大変恐縮ですが、お時間をいただきたくお願いのメールでした」。

いつもとは違う緊迫感のある連絡だったため、すぐに会いに行くことにしました。

豊島区役所4階の福祉総合フロアで待っていたのは、福祉総務課自立促進係長の鈴木寛之(すずき・ひろゆき)さん(45歳)です。自立支援の相談窓口の現場責任者をしています。鈴木さんは、生活保護のケースワーカーなどを経て、6年前からこの部署で区民の相談に乗ってきました。

窓口にはいま、新型コロナの影響で収入を失った人などからの相談が多く寄せられています。鈴木さんたちは、相談者の事情に応じて生活費の貸付や家賃の助成などの緊急対策を行い、生活再建のサポートをしています。

この日、鈴木さんから打ち明けられたのは、「ひきこもり」の問題が深刻さを増しているということでした。川崎での通り魔事件や元農林水産省事務次官の父親が長男を刺殺した事件など、ひきこもりが関連しているとされる事件が続いたことも大きなきっかけのひとつだといいます。

豊島区福祉総務課自立促進係 鈴木 寛之係長
「豊島区でもいつ同様の事件が起きるか分かりませんよね。さらにこの新型コロナでみんなが外出を控えるようになったことで、困っている人への支援がますます届きづらくなってきています。いま手を打たないと取り返しのつかないことになるかもしれない。豊島区では区長の号令のもと、来年度からひきこもり支援に力を入れていくことになりました。メディアとしても何か力を貸していただけませんか?」


豊島区ならではの課題も


厚生労働省の定義では、ひきこもりとは「就学、就労、交遊などの社会的参加を回避し、原則的には6か月以上にわたって、おおむね家庭にとどまり続けている状態」をいいます。

内閣府の調査によると、ひきこもり状態にある人は全国で115万人いると推計され、女性よりも男性のほうが多く、40才以上の人が半数以上を占めているとされています。

しかし、自治体単位での詳しい実態調査はほとんど進んでおらず、正確な数をどう把握して対策を行うかが全国共通の課題となっています。

さらに、ひきこもりを支援するにあたって、豊島区特有の課題があります。豊島区には「単身世帯」が特に多く、全世帯に占める割合は6割を超えています(2015年 国勢調査)。全国的に見ても非常に高い割合となっているため、他の自治体に比べて1人暮らしのひきこもりの人が多くいる可能性が高いのです。

親など家族と同居している場合には、その親が窓口に相談に来るケースが多いですが、1人暮らしだと本人が直接訪れない限り、区が把握するのは難しいのが現状です。鈴木さんは、単身のひきこもりの人の多くが中高年で、別の自治体で暮らす親などからの仕送りに頼って生活していると推測しています。

豊島区福祉総務課自立促進係 鈴木 寛之係長
「1人暮らしで孤立しているとどうしても私たちは見逃してしまいがちです。いまは親からの仕送りがあるから経済的には余裕があっても、この先のことを考えるとリスクが高まる可能性があります。こうした人たちにどうアプローチすればいいのか、答えを見つけられていないのが悩みです」

鈴木さんは、1人暮らしのひきこもりの問題は専門家の間でもまだ解決の糸口が見えていないといいます。そのため他の自治体においてモデルケースがないことも大きな課題です。 豊島区が全国に先がけて直面している“大きな壁”なのかもしれません。

職員たちが胸に刻む25年前のある事件


豊島区にはもうひとつ、ひきこもりに強い危機感を覚えている理由があります。鈴木さんが見せてくれたのは、『池袋 母子 餓死日記 覚え書き(全文)』(公人の友社)という1冊の本。これは約25年前に起きた「池袋母子餓死事件」と呼ばれる事件で、亡くなった母親が書いていた日記をまとめたものです。

豊島区福祉総務課自立促進係 鈴木 寛之係長
「豊島区の職員の多くが、この事件のことをいまも胸にとどめて職務にあたっています。私たちにとって忘れてはいけない事件です」

1996年4月27日、豊島区池袋のアパートの一室で、77歳の母親41歳の息子が餓死した状態で発見されました。死後20日以上経過していました。

母親は、1993年12月24日から、遺体として発見される直前の1996年3月11日まで大学ノートに「覚え書き」として日記を書き続けていました。その日の天気や気温、何をいくら支払ったかなど、生活の様子が詳細に記録されています。2人が遺体として発見される約2年半前には、次のように記していました。

心配なのは、来年、私しと、子供は、どうなるのでせうか。後少しのお金で、一年持つか、持たないかの不安と、同時に、其の後は、どんな生活に、成るのでせうか、家賃を無事におさめきるか、そして又、三月には、再契約仕無ければ、おられないけれども、その契約金どころか、毎日、毎月の生活費を、はら、はらした毎日で、来年は、何んとか、決心しなければならないが、相談する人もないし、役所などに相談した所で、最後は、自分で、決めねばならない。(原文ママ/1993年12月31日)

日記を読み進めると、2人が都会の片隅で頼れる人もなく行政にも相談できないまま孤立していた様子が推察できます。

豊島区は1996年、「餓死した背景を明らかにする社会的意義がある」として母親の手記を公開することにしました。鈴木さんは、こうした悲劇を繰り返したくないと考えています。

豊島区福祉総務課自立促進係 鈴木 寛之係長
「この親子のように孤立し、行政に相談できないまま命を落とすようなことは絶対に繰り返してはならないと強く心に誓っています。だからこそ、ひきこもりの問題も手をこまねいているわけにはいかないのです」


部局横断の支援グループを結成


鈴木さんたちはこの秋、本格的なひきこもり支援の準備を始めました。まず行うのは1人暮らしに限らず、ひきこもりの人が豊島区にはどれだけいるかを調べることです。

これまで、ひきこもり状態の疑いがある人については、その人の背景や実情、相談の状況などを区の担当部署ごとに把握しているだけでしたが、これを取りまとめて全体の状況を確認し、対策に生かしていきたいとしています。

具体的には、鈴木さんのいる福祉総務課をはじめ、高齢者福祉課、障害福祉課、介護保険課、子ども若者課、子育て支援課、健康推進課、長崎健康相談所(注:長崎は豊島区の町名)、社会福祉協議会、地域包括支援センターの計10の部署から1人ずつ担当者を集めて、部局を横断した支援グループを作ることにしました。

その上で、11月に関係各所に調査票を配布。12月までに回答を受けて調査結果をまとめ、来年度(2021年度)から本格的に始める「ひきこもり支援」の内容を詰めていくことにしています。

支援グループを率いる鈴木さんがいま最も必要としているのは、当事者の声だといいます。

豊島区福祉総務課自立促進係 鈴木 寛之係長
「専門家の意見や経験者の声には日ごろから耳を傾けています。でも、“本物”にはなかなか出会えません。“本物”とは何かというと、今まさに1人暮らしでひきこもり状態にある方の声です。接触できる機会がないので、何に困っているのかが分からない。何とかして当事者の方の声を聴いて、より多くの人に響く支援のあり方を考えていきたいです」

何が当事者にとって“最善のゴール”なのか


区をあげて取り組みを進めていく上で、どんなゴールを設定するかも大きな課題です。行政としては、ひきこもりの疑いのある人を把握して戸別訪問などを行いながら相談窓口につなげ、生活支援や就労支援などに結びつけることを目指しています

しかし、鈴木さんは現場で支援を続ける中で、戸惑いを覚えることが少なくないといいます。

豊島区福祉総務課自立促進係 鈴木 寛之係長
「ひきこもりの方を私たちが支援の名のもとに外へ引っ張り出すことがはたして正解なのか、就労につなげられればそれでいいのか、といつも悩んでいます。それが本当にその人にとって最善のゴールなのだろうかと。ひきこもりの問題は、突き詰めれば“健康問題”です。ひきこもっていても健康であれば行政の支援は必要ないのですから。ひきこもっている方たちが行政に何を求めているのかという原点を忘れてはいけないと思っています」

豊島区が当事者の声を施策に反映させるにはどうすればよいか。鈴木さんたちの挑戦は始まったばかりです。

私たち「ほっとかないプロジェクト」でも、放送や記事で発信するだけでなく、どんなサポ ートができるか模索中です。行政に期待していることや、要望したいこと、力になれることがあるという場合は、下記の「コメントする」から声をお寄せください。あなたの声が豊島区を動かすかもしれません。

「#こもりびと」特設サイト
https://www3.nhk.or.jp/news/special/hikikomori/
関連動画
単身のひきこもり どう支援する?(2020年12月14日放送)
https://www3.nhk.or.jp/news/special/hikikomori/pages/articles_95.html
関連記事
高齢化する一人暮らしのひきこもり 東京・豊島区が直面する課題(2020年12月14日)
https://www.nhk.or.jp/shutoken/ohayo/20201214.html

※コメントは編集部で内容を確認の上、掲載させていただきます。

2020年12月11日

NHK×豊島区「ひきこもり支援」始動

地域とつながるプロジェクト、第1弾の相手は東京・豊島区役所です。

2020年12月14日(月)放送のおはよう首都圏でもご紹介のとおり、豊島区では来年4月から全庁あげて「ひきこもり支援」に乗り出すことにしました。

内閣府によると、「ひきこもり」と呼ばれる人は、全国に100万人いると推計されていますが、詳しい調査はほとんど行われておらず、全国の自治体で実態の把握が課題となっています。新型コロナウイルスの感染が再び拡大している中、行政による支援はより一層厳しさを増しています。

こうした中、豊島区では支援にあたる中心メンバー10人が部局を超えて集結し、すでに準備を始めています。今後、実態の把握と計画の策定を急ピッチで進めることにしています。

NHKでも現在#こもりびとプロジェクト として「ひきこもり」と呼ばれる人たちひとりひとりに寄り添うキャンペーンを展開中です。いかに当事者やその家族の声に耳を傾け、先入観なく向き合うことができるか。生きづらい社会をどうすれば変えていけるのか、考え続けています。

そこで今回、豊島区の全面協力のもと、区の「ひきこもり支援」を準備の段階から密着取材させてもらい、自治体が行う対策の裏側をこのサイトや放送で継続的に発信していくことにしました。自治体の職員がさまざまな壁にぶつかりながらも支援の内容を決め、戸別訪問や窓口で当事者と向き合い、組織の縦割りと闘いながら「ひきこもり」という社会課題に向き合う様子を逐一伝えていきたいと考えています。

継続取材を通じて、普段は知ることができない自治体職員たちの熱い思いや激しい葛藤が垣間見えるかもしれないだけでなく、メディアが行政に間接的に関わることで、あなたの声が行政の「中の人」に直接届く機会が生まれるのではないかと期待しています。

行政と市民をつなぐ新たな回路―。それこそ、社会課題の解決を目指すメディアの重要な役割のひとつではないかと思います。

国や行政に求めることや、「ひきこもり」について思うことなど、あなたのご意見やご要望を下記コメント欄からお寄せください。豊島区民でなくても、私たちの声で豊島区を動かすことができれば、あなたの町も変わるかもしれません。

報道局社会番組部(デジタル開発)ディレクター 新井 直之・髙松 俊

※コメントは編集部で内容を確認の上、掲載させていただきます。