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2024年3月6日(水)

誰も取り残されない復興へ 東日本大震災から13年

誰も取り残されない復興へ 東日本大震災から13年

家が壊れたのに仮設住宅に入居できない人。故郷を離れ避難先を何度も転々とせざるをえない人。いつまでたっても復興できないのはなぜか?能登半島地震でも翻弄される被災者が目立ち始めています。背景には、国の復興政策が被災者の個別事情に応じた生活再建に十分に踏み込めていない現実があると専門家は指摘します。どうすれば「誰も取り残されない復興」を実現できるのか。どこまでが自己責任なのか?国や行政が果たすべき役割は?

出演者

  • 菅野 拓さん (大阪公立大学 准教授)
  • 桑子 真帆 (キャスター)

※放送から1週間はNHKプラスで「見逃し配信」がご覧になれます。

誰も取り残されない復興 東日本大震災から13年

桑子 真帆キャスター:
101年前の関東大震災。戦後の日本を襲った伊勢湾台風。1995年の阪神・淡路大震災。大津波や原発事故に直面した東日本大震災。そして、2024年1月に起きた能登半島地震。大きな災害が起きるたび、多くの人々の命や暮らし、なりわいが脅かされてきました。

そうしたものを守るために、国はさまざまな法律や制度を作り、支援に当たってきましたが、必ずしも被災者の復興につながっていない現実があります。
過去の災害から、何が生かされ、何が課題として残っているのか、今日は考えていきます。

能登半島地震から2か月 十分に届かない支援

「家がどうなっとるかね。うれしさ半分、怖さ半分」

石川県輪島市の深見地区。
避難してから、初めて自宅を訪れる人たちがいました。

「やっと、家見えてきました」

しかし、2か月たった今も、道路や電気などのライフラインは寸断されたまま。行政による支援も届いていないといいます。

「つらいです」

この集落の多くの人々は、今、ホテルに避難しています。「2次避難」と呼ばれる石川県の取り組みです。

一般的には、学校の体育館や公民館などが避難所になりますが、石川県は、そこからさらに、ホテルや旅館といった避難先を用意しました。災害関連死を防ぐことなどが目的です。こうした避難先の確保は、自治体が主体となって行うことが法律で定められています。
しかし、この避難先を巡って、集落の人々は翻弄されています。

「あっち行ったり、こっち行ったり。困るやろ」

行政が用意したホテルの退去期限が迫っていました。3月15日(3月5日時点)には、出て行かざるを得ないのです。

その後の選択肢として、石川県から提示されたのは、仮設住宅に入るか、賃貸住宅や公営住宅に移動するか、それとも、自宅を修理して戻るか。集落の近くの仮設住宅は建設が間に合わず、4月下旬まで入居することができません。また、賃貸住宅や公営住宅は各地に点在するため、離れ離れになる可能性があります。

「(別の場所に)行くしかない。行くところないもの」
「どうしても行かないとなのかね。脅しみたいなもの」

この集落の支援を行っている田中純一さんは、行政は法律に基づいて対応しているものの、画一的なものになっていると指摘します。

北陸学院大学 教授 田中純一さん
「どうも(行政の対応が)十分ではない。機械的にやりくりをしているなかで、住民それぞれの思いを十分くみ取った、具体的な施策にはなっていない」

さらに、田中さんが問題視しているのは、被災した家に住み続ける人々の存在です。
輪島市道下(とうげ)地区。震災前は、260世帯ほどが暮らしていました。しかし、今、誰がどこに避難しているのか、行政もほとんど把握できていないといいます。
法律に基づく国の指針では、被災者台帳を市町村が作るよう推奨されていますが、災害対応に追われ、作成が遅れています。そこで、この集落の区長たちは、一軒一軒訪ね歩き、家に戻った人を把握していきました。すると、その数は集落の半分100世帯近く。国や自治体の支援が届かないことに危機感を覚えています。

道下地区 総区長 森裕一さん
「住んでいるところは壊れているけれども、裏の納屋とか(で生活)何人もいる。心も疲れてきたりするのではないか」
北陸学院大学 教授 田中純一さん
「(被災者の)不安を増幅させない、取りこぼすことがない。声を聞いていくことが大事だと思う」

震災から13年たつのに 家の修理 なぜ進まない

震災から時がたつことで、法律や制度そのものの課題も見えてきました。
宮城県石巻市に住む、佐藤悦一郎さん。自宅は東日本大震災の津波で浸水し、大規模半壊と判定されました。

佐藤悦一郎さん(79)
「13年間、このまま」

壊れた箇所、全てを修理できず、この13年、傷みが広がり続けているといいます。

佐藤悦一郎さん(79)
「この木が腐って、穴だらけになって、虫くって。毎年、1年ごとに深くなっている」

なぜ家の修理が思うようにできないのか。災害救助法に基づく、家の修理制度に課題がありました。
壊れた家で暮らしていた佐藤さんは、国の応急修理制度を使って自宅の修理を始めました。ところが、修理が思うように進まなかったため、役場に仮設住宅の入居を相談。しかし、国の仕組みでは、応急修理制度を利用すると仮設住宅に入居できないと知らされます。そのため、自宅を修理するしか選択肢がなくなった佐藤さん。次の問題にぶつかります。それは、災害対策基本法に基づき、行政が損傷具合を判定する「り災証明」です。その運用指針では、水害で家が「全壊」と判断されるためには、全ての場所で1.8メートル以上の浸水が確認される必要があります。

しかし、佐藤さんの自宅は、一部がその基準を満たしていないと判断され、被害の程度が一段軽い「大規模半壊」と判定されました。

そのため、国からの支援金も減少。他の制度を合わせても、400万円の修理代に届きません。地震保険に未加入だった佐藤さん。貯金を使っても、すべてを修理できませんでした。

佐藤悦一郎さん(79)
「(うどんは)3袋で100円、もやしは15円。300円から500円、1日の食事代」

今、佐藤さんの頼りは、1か月およそ7万6,000円の年金。苦しいやりくりが続いています。

佐藤悦一郎さん(79)
「これが全財産。4,300円。(残り)9日で、これ」

佐藤さんは、今、被災者支援を行う団体の助けを借りて、目の前の生活を維持しています。

佐藤悦一郎さん(79)
「制度作ったって、現に(支援が)回ってこない。制度の思ったとおり、回ってこなくて、いま苦しんでいる」

げた箱と台所が浸水 修理は“必要最小限度”

こうした法律や制度が抱える課題は、今、各地の災害現場で顕在化し始めています。
2023年7月、記録的な集中豪雨に襲われ、5,800棟の住宅被害が出た秋田市。

齋藤宏一さん
「ここに介護用のベッドを置いて」

母親の住む家が浸水し、「中規模半壊」と判定された、齋藤宏一さん。93歳の母親は要介護認定を受け、介護施設に避難しています。齋藤さんは、母親が家に戻ってくる時のために自宅の修理をしようとしましたが、ここでも応急修理制度が課題になりました。
母親が玄関を通りやすいように、げた箱を取り外そうとしたところ。

齋藤宏一さん
「それは結局(制度の)該当にならないと」

行政の担当者から、制度は利用できないと告げられます。

応急修理制度では、修理は「日常生活に必要な最小限度」と決められているからです。そのため、浸水で使えなくなったキッチンを取り替えしようとしても、「グレードアップはできない」という理由で、取り付けた40年前と同等の製品を探さざるを得ませんでした。

齋藤宏一さん
「修復しなさいと言われても、修復できない。それはおかしい」

生活再建にあきらめ 何が復興を阻むのか

こうした中、生活再建を諦めようとする人まで出始めています。

30代の被災者
「もう絶望するしかない」

秋田市に住む30代の男性。自宅が床上浸水し、「半壊」と判定されました。

風呂場も浸水し、浴槽は使い物にならず、入浴できない日が続きました。それでも、この男性は、自分よりも困った人がいると考え、自宅の修理制度の利用を控えてきました。

30代の被災者
「お年寄りの方とか、本当に助けが必要な人を救助してもらって、(自分は)そのあとでという感じだった」

自宅の修理を遅らせた中で、体調が悪化。仕事も失いました。そこで、風呂場だけでも修理しようと応急修理制度の利用を申請。しかし、役場に行くと、すべてを修理できないことが分かりました。その後、浴槽は交換できるようになりましたが、風呂に入れない状況が続いています。

30代の被災者
「ものすごく悔しかったですね。本当に自分って、何のために生きてるんだろうと」

こうした、最低限度の暮らしを余儀なくされている被災者は、数多くいると見られています。

地元のNPOの調査では、冬を越すのが難しいとされた世帯は、800以上と推計されました。

NPO法人あきた結いネット 理事長 坂下美渉さん
「命に関わることだなと。自分たちの努力、地域の支えだけでは、やっていけない状況が実際ある」

こうした現状を、行政はどう考えているのか。そこには、法律や制度を扱う上での難しさがありました。

秋田市防災安全対策課 課長 伽羅谷浩さん
「(災害対策の)経験がなく、どうしても後手後手になってしまった。マニュアル的なものを利用して、それに合う合わないで、線引きすることしか現時点ではできなかったのかなと」

その後、秋田市では独自に調査を行い、420世帯に暖房器具の貸し出しを行いました。関係機関と協力し、制度の周知や利用促進にも取り組んでいます。

取り残される被災者 災害復興の課題

<スタジオトーク>

桑子 真帆キャスター:
被災者の支援につながるはずの法律が、なぜ十分に救いきれていないのか。今夜は災害の復興政策がご専門の、菅野拓さんと考えていきます。よろしくお願いいたします。

改めて、被災者支援に関わる法律を見ていきたいと思います。

こちらにあるように、1947年に成立した「災害救助法」は、避難所や仮設住宅の設置、そして、住宅の応急修理を国や自治体が行うと定めています。また、その後の1961年の「災害対策基本法」では、自治体が災害復旧を実施すると定め、その後の法改正では、被災者台帳の作成や、住宅の損壊具合を審査する「り災判定」を行うことなども加えられています。
その後も、さまざまな法律ができているわけですけれども、菅野さんが指摘される問題点というのが、大きく2つあるとおっしゃっています。

まず1つ目、建物判定を重視しているということで、これはどういうことでしょうか。

スタジオゲスト
菅野 拓さん (大阪公立大学 准教授)
内閣府 被災者支援のあり方検討会 委員

菅野さん:
先ほども、いろんな被災者の方がVTRに出てこられたように、本当にさまざまな困り事を抱えられるんですね。ただ、多くの支援制度が、実は、たまたま住んでいた建物の被害で決まってくるということになります。それは、持ち家や借家でも関係ないですし、「全壊」だと300万円お金が出るんですが、「準半壊」だと全く出ないとか、あとは、家の古さなんかも全然関係がないんですね。なので、そこで、なかなか難しいことが起こってきてしまうということになります。

桑子:
そして、もう一つの問題点が、インフラが重視されているということ。

菅野さん:
やはり復興の時に、例えば道路、河川、学校の建物とか、そういったものというのは「激甚災害法」という法律がありまして、ひどい災害の時には、それで十分に国が補てんをして、あまり自治体に負担がない形に直るようにはなっているんですね。ただ、暮らしというのは、なかなか取り戻せないということになってしまいます。

桑子:
インフラは重視されている。さらに、そもそもこうした災害対応を行う主体が自治体であるということ。このことが被災者支援を十分にできないことにつながっている側面もあるということなんですね。

菅野さん:
まさに災害というのは、いろんな社会問題の中でも、かなり特殊なことがありまして、ある地域にたまにしか来ないんですよ。ということは、自治体の方がいろんなことをやらないといけないんですが、いわば初めての経験で、さまざまなことをしなければいけないというふうになります。しかも、災害の法律というのは、どんどん直そうとはするんですけれども、大枠がなかなか直らない中で、すごく複雑な制度体系になっているんですね。そうすると、どうしても間に合わないとか、後手後手になってしまう。支援が十分に届かないといったことが起こってしまいますね。やっぱり自治体任せにせずに、きっちりと枠組み自体を見直さなければ、高齢化した中、こういった大変な災害というのは対応できないということになってしまうと思います。

桑子:
では、こうした中で、国は今後の災害対応の方針をどう考えているのか。

こちらにあるように、防災白書では「行政による『公助』だけでは十分な被災者支援を行うことができない。このため、国民一人一人の『自助』の意識を高めていくとともに、『共助』の取り組みを促進する」としています。こうした中で、では、どんな「公助」のあり方が求められるのか。能登半島地震の被災地では、新たな試みが始まっています。

誰も取り残されない復興 「公助」の新たな模索

今、石川県が主体となって進めているのが、被災者データベースの構築です。参加するのは、被災した市や町。互いに連携し、被災者一人ひとりを一元的に把握しようとする、これまでにない取り組みです。

その目的は、震災前に市や町が把握していた住民の情報と、県が独自に把握する被災者の最新情報を統合し、きめ細かな支援につなげることです。
なぜ、石川県はこうした取り組みを始めたのか。そこには、見えなくなった被災者の存在がありました。

これは避難者数の推移を表すグラフです。学校などの1次避難所にいる避難者が減っているにも関わらず、ホテルなどの2次避難所に行く人は、思うように増えていないのです。行政の支援が途切れ、災害関連死が増える懸念がありました。

石川県 副知事 西垣淳子さん
「避難所にいない方をしっかり把握して、その方たちの(災害)関連死を防ぐ。その方たちにしっかり支援の手を届けることが大事」

この取り組みのきっかけになったのは、「災害ケースマネジメント」という被災者支援の仕組みです。東日本大震災を契機に、日本でも広がり始めています。「災害ケースマネジメント」は、NPOのスタッフなどが被災者を訪ね、状況を細かく聞き取り、伴走しながら支援計画を考えるというものです。
支援を受けたこの男性は、使えなかった制度が使えるようになり、家の修理ができるようになりました。

被災者
「本当に、神様が手を差し伸べてくれたみたいな。一緒に動いてもらえることが、何より心強かったです」

支援の必要性に応じて、建築士や弁護士、医師など、さまざまな専門家と連携していきます。

被災者
「こんなきれいになると思っていなかった。これで一安心です」
NPO法人YNF 吉田容豪さん
「災害にあう前の状況までは戻す。目指すのは、誰一人取り残さない支援」

「災害ケースマネジメント」を行政が中心となって進める石川県。NPOと連携し、被災者の支援の必要性などを把握。データベースの充実を進めています。

「会社の車庫に住んでいたり、金沢の病院に行っているとか」
「追加で設問項目に入れてもらったり」
「それは相談しましょう」
「ぜひ」

石川県は、このデータを生かし、一人ひとりに合わせた支援を行おうと考えています。

石川県 副知事 西垣淳子さん
「公助は『制度を作ってあるから、調べて自由に使ってください』では届かない。どの制度を使ったらいいかを、相談に応じてお届けするところまで、行政サービス(公助)の役割に変わってきている」

問われる「公助」の役割

<スタジオトーク>

桑子 真帆キャスター:
石川県では、行政とNPOが協同して被災者を支えようという、いわば新たな公助の取り組みが始まっていました。その公助のあり方を考えるうえで、注目されるのがイタリアなんです。

イタリアでは災害が発生すると、国が中心となって、テントやベッド、子どもの遊び場、医療を受けられる環境を整備することが義務付けられているんです。また、法的に認められた「職能支援者」と呼ばれる、災害への対応、訓練を受けた人が、温かい料理の提供や、物資の運搬・配布などを仕事として行います。日本では、ボランティアが炊き出しを行うことが美談となるわけですけれども、根本的に考え方が異なるわけですよね。こうした中で、日本の公助、被災者支援のあり方はどうあるべきなのか。菅野さんにキーワードをいただきました。

被災者支援のあり方は
「もちはもち屋の災害対応」

こちら、どういうことでしょうか。

菅野さん:
今は行政の方だけが被災者支援をする、また、慣れない自治体の方が中心になってするわけですね。そうすると、ふだんやっていない仕事をすることになるので、当然うまくいかないということになります。でも、よく考えると、暮らしのさまざまな困り事、例えば、弁護士さんに相談をしたりとか、建築士さんが住宅のことをしたり、また、福祉のことだと、介護をしている民間の事業所さんや社会福祉の関係団体の皆さん、実は、そういった方々が担っていらっしゃるんですね。やっぱり災害時も、そういった方々に支援を担っていただくと。それを国が、例えば財源や役割分担、公的な位置づけみたいなことをしっかりと考える中でやっていただく。こういった公助の新しい形が求められると思いますね。それが「もちはもち屋」ということです。

桑子:
とはいえ、国が新しい財源を与えていくとなっても、財源には限りがあるわけですよね。

菅野さん:
やはり平常時にはできているわけなんですよね。だから、被災者支援を、ちゃんと平常時の枠組みで続ける。例えば、社会保障の法律の中に被災者支援を規定してあげると、ふだんは支援をしている方々が、そのまま災害時に支援に当たれるんですね。今だと、災害は別枠になっていますので、そういう人たちが出てこずに、自治体の方々がしてしまうと。こういうことになると、なかなか慣れないので、うまくできない。やっぱり、なんとか平常時の枠組みの中に被災者支援を位置づけて、できるかぎり持続可能な形で支援をしていくというのが大事だと思います。

桑子:
役割を分担していくということなのでしょうか。

菅野さん:
そうですね。本当に得意な、専門性を持った方々に、被災者支援に参画いただいて、皆さんは平時から専門性を蓄積されていらっしゃいますので、そういった方々に出ていただけるような形にしなきゃいけないということです。

桑子:
被災者支援が社会保障の一環なんだというお話、はっとさせられました。国が大きなデザインづくりをして、それによって、誰も取り残されないということが現実のものになるのではないかと感じます。

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