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2023年8月30日(水)

集団の“狂気”なぜ ~関東大震災100年“虐殺”の教訓~

集団の“狂気”なぜ ~関東大震災100年“虐殺”の教訓~

そこには“殺傷”に関する目撃証言が綴られていた―。関東大震災から間もなく100年。今年、存在が明らかになった当時の小学生の未発表作文集の中に、朝鮮人などの殺傷に関する記述が多数含まれていることが分かりました。当時何が?独自取材で迫りました。映画監督・作家の森達也さんは、かつて千葉県福田村で起きた日本人が朝鮮人に間違えられ殺害された事件に注目し、映画化に挑みました。なぜ集団はパニックに陥り残虐な行為は起きたのか。

出演者

  • 森 達也さん (映画監督・作家)
  • 桑子 真帆 (キャスター)

※放送から1週間はNHKプラスで「見逃し配信」がご覧になれます。

“集団の狂気”はなぜ 関東大震災の教訓

桑子 真帆キャスター:

東京や横浜を中心に甚大な被害をもたらした関東大震災が発生したのは、ちょうど100年前。

ここは、その被害を後世に伝えようと昭和6年に建てられた「東京都復興記念館」です。展示されているおよそ400点の資料からは、家屋の倒壊や火災、そして混乱した町の人たちの様子などをうかがい知ることができます。

一方、国の報告書によると震災の犠牲者およそ10万5,000人のうち1~数パーセントに上るとされる朝鮮の人たちなどの殺害についての詳細を伝える内容は展示されていません。

こうした中、2023年、こちらの資料の存在が明らかになりました。当時都内の小学校に通っていた児童たちが、震災直後の町の様子をつづった作文およそ1,000点。当時、何が起きていたのか独自取材で迫ります。

関東大震災後の作文に…

東京・上野の小学6年生が震災時の体験を、よくとし記した作文です。

各地で火の手が上がる中、親類の家に避難した少年。地震翌日の深夜、ある情報を耳にしていました。


十二時頃 非常の太鼓が鳴り出した
青年団の人が『朝鮮人が放火しますからご用心して下さい』と言って歩きました
皆は驚いて青い顔をしていました

西町尋常小学校 6年 男子

今回存在が明らかになった作文を書いたのは、現在の墨田区や台東区などの7つの小学校の子どもたち。震災の被害が甚大な地域です。

その中で80人以上が朝鮮人について記述しており、後に国が事実無根と認めた流言、デマについてもつづっています。

地震の翌日、荒川の土手に避難していた小学6年生の少女は、行き交う人々がデマを信じ、警戒心を高めていく様子を作文に記していました。


まるで戦地にいるようでした
通る人通る人皆はちまきをして竹やりを持って
中には本当に切れる太刀を持って歩くのでした

横川尋常小学校 6年 女子

さらに、決定的な瞬間を目撃したという子どももいました。


橋を渡って一町ほど行くと
朝鮮人が日本人に鉄砲で撃たれた
首を切られたのも見た

横川尋常小学校 4年 男子

その実態は、震災の年の調査をもとにした公文書にも残されています。司法省の調査書などによると、民間人や軍、警察などがさまざまな方法で手を下していました。

根拠のないデマが拡散し、人々が凶行に及んだのはなぜなのか。

在日朝鮮人の歴史を研究 東京大学 外村大教授
「当時の日本人の意識がとてもよくうかがわれる資料。そういう意味でも貴重な資料だと思いますね」

専門家は当時の日本人が抱いていた朝鮮の人たちに対する「ある感情」が背景にあったと指摘します。

震災の13年前、日本は韓国を併合し、植民地化。その後、多くの朝鮮人が仕事を求めて日本に移り住むようになります。
一方で、朝鮮半島では植民地支配に対し不満や反発を強めた人たちによる独立運動が激化していました。その様子が国内にも伝えられ、日本人の多くが恐怖心を抱き、差別意識を強めていったといいます。

外村大教授
「植民地化反対の活動をしている朝鮮人のことを日本人は『暴徒』と呼ぶ。暴力的な連中だと。何をされるか分からないという潜在的な意識が広がっていったことが一般的に言える。それが震災後、受け入れる素地があるわけで、井戸に毒を入れているとか火をつけているというデマが起こったとき、それがどんどん広がることにつながっていった」

ある事件の教訓とは

震災直後の混乱の中で起きた虐殺事件。2023年、劇映画でその実相を描き出そうとした人がいます。

オウム真理教を内側から記録したドキュメンタリーなどで知られる、映画監督で作家の森達也さんです。映画で直視しようとしたのは、加害の歴史でした。

着想を得たのは千葉県、旧・福田村で朝鮮人と疑われた日本人が村人たちに殺害された事件。香川県から来ていた薬売りの行商団15人のうち、幼児や妊婦を含む9人が犠牲になりました。事件に関する記録はほとんどなく、地元・野田市の市史にも90年以上たつまで記載はありませんでした。

桑子 真帆キャスター:
今回、森さんは被害側ではなくて加害側を描くことを特に意識されたと伺っていますが、加害側を描こうと思われたのはどうしてですか?

映画監督・作家 森達也さん:
もちろんやったことは裁かれなければならない。それとは別に加害側も同じような人間であり、同じような感情があり、同じような営みがある。
いざ、ことが起きたときに僕たちはそれを忘れてしまう、加害側をモンスターにしてしまう。そのほうがわかりやすいんですよね。加害側は悪、加害される側は善、この構図にしておけばとりあえずは安泰だし、楽だし。
でも加害側にはやっぱり大きなメカニズムがあり、理由があり。だからしっかりと検証するのであれば、被害側ではなくて加害側ですね。

森さんがこだわったのは、事件の前の村人たちの日常を丹念に描写することでした。舞台となった福田村は、東京都心から30キロほど離れた農村地帯。映画では農作業や冠婚葬祭など、共同体意識の強い集落として描かれます。また、村の中では軍隊経験のある人たちで組織する「在郷軍人会」が大きな力を持っていました。

そんな村を襲った関東大震災。村には、甚大な被害を受けた東京などから多くの人が逃れてきました。すると都心で発生したデマが伝ぱ。村人たちは恐怖と不安に駆られていきます。その後、村では「自警団」を組織。人々が徐々に朝鮮人を取り締まろうと殺気立っていきました。

そこにやってきたのが、香川からの行商団15人。地震から5日後の9月6日。神社の前で一行が休んでいたその時、事件は起きました。言葉が違っていることなどから朝鮮人だと疑われたのです。

そのあとに起こった実際の殺害の瞬間を語った音声が今回、新たに見つかりました。事件の生存者が後年証言したものです。

福田村事件の生存者
「(村人が)雲霞のように集結してきました。日本刀を持ったり槍を持ったり竹槍を持ったり猟銃を持ったりして集まってきました。朝鮮人に間違いないからやってしまえと。確認もしないで。一人に15人も20人もたかってきました。血柱がばーっとあがって」

桑子:
普通の日常を送っていた村人たちが震災を境にどんどん暴走していくじゃないですか。それが描かれていて、なんで人ってあんなに暴走してしまうんだろうという疑問がわくんですね。

森さん:
キーワードは「集団」です。ひとりだったら、人がひとりで生活する生き物であれば、あんなことは起きないと思います。不安や恐怖を刺激されたとき、とにかく集団になりたがる。怖いですから。集団化が始まると異物を探したくなる。なぜなら異物を探した瞬間に自分たちは多数派になれるから、より強く連帯できるわけです。
ですから、この場合の異物って極論すればなんでもいいんです。肌や目の色が違う、言語が違う、イントネーションがちょっと僕らと違う。あるいは宗教が違う、なんでもいい、なんか自分たちと違う。

桑子:
それは自分を守りたいという心理?

森さん:
不安と恐怖が高まったとき、まずはもちろん自分を守りたい。自分の家族を守りたい、自分の同胞、親戚、友人、これがどんどん主語が大きくなって最後は国民とかになる、国とかになるんでしょうけど、それを守りたいと。
守りたいという気持ちはとても大切な本能ですが、結構くせ者で過剰防衛しちゃうんですね。こうやって戦争は起きるし、虐殺も起きるんだろうなと思います。

背景に“国とメディア”

集団化し、狂気に走っていった村人たち。背景に何があったのか。

事件の詳細を長年調べ続けてきた、ルポライターの辻野弥生さんです。

ルポライター 辻野弥生さん
「官民一体の責任だと思います。国からのお達しで自警団を組織したわけですから」

当時、全国の警察を所管していた内務省警保局の電報。地震から2日後に各県に宛てて発信されたものです。朝鮮人に関するデマを事実と見なし、厳しく取り締まるよう求めていました。その結果、各地で武装化したのが「自警団」。国が人々の警戒心を高める後押しをしたのです。

さらに、負の役割を果たしたもう一つの存在がメディアでした。テレビもラジオもない時代に、情報伝達の頼みの綱だった新聞。多くの紙面は飛び交ったデマの根拠も示さず、人々の不安や恐怖をあおりました。

福田村事件のあと、逮捕された村人たちの裁判についても調べた辻野さん。「国家を憂えてやった」など、法廷で自らの行為を正当化する主張をしていたことに驚いたといいます。

辻野弥生さん
「裁判では何かお手柄風に語っていますよね。人をあやめたという悪いことをしたということは、そういう気持ちは何もないんですよね。だから『国家を憂えて』でしょう。お国のためって。そのデマが本当とみんな信じちゃってるから、『国のお墨付き』だという気持ちがあったと思いますよね」

人々をあおった国やメディア。その危うさは現代にも潜んでいると森さんは指摘します。

森さん:
社会が集団化したときはメディアも集団化しているんです。だから、そこのなかで不安や恐怖を彼らがもってしまう。だから、その不安や恐怖をアナウンスしてしまう。さらに言えば不安や恐怖をあおったほうが視聴率が上がる、部数が伸びる、これは世界中どこも同じです。でも同時にそれだけでいいのか。本来ジャーナリズムとは何のためにあるのか。政治権力を監視するためにあるのではないか。弱者の小さな声を届けるためにあるのではないかという、そういう葛藤をしてほしい。

集団が“暴走”するとき 個人はどうあるべきか

集団が暴走するとき、個人はどうあるべきなのか。今回の映画で、森さんが自身の思いを重ねたのが、東出昌大さんが演じる渡し船の船頭・倉蔵です。同調圧力が強い村社会の中で集団に流されない存在として位置づけました。

事件の瞬間、倉蔵は村人の暴走を制止しようと最後まで立ちふさがります。役を演じた東出さんは、集団の中で個を保つ難しさを強く感じたといいます。

倉蔵役を演じた 東出昌大さん
「なんでこうなってしまうんだろうって、集団の狂気ってみんながよりよくしたいと思っているはずなのにそうなっちゃったのは、やっぱり何を責めていいかわからないという気持ちで倉蔵はいましたね」
取材班
「ご自身があの場にいたら、どんな行動をとっていたと思いますか?」
東出昌大さん
「わからないです。僕があの村に生まれ育ったらそれこそ差別意識もあったかもしれないし、村を守ろうとそれが当たり前だろうという集団心理に左右されていたかもしれない。わからない」

森さん:
集団が一斉に同じ振る舞いをするとき、少し周りと違う動きをする。それはちょっと大切な、ある意味で希望という言い方も大げさすぎますが、人間にはこういう可能性があるんだということは示したかったし、そうした意識を持つ人がいることは絶対救いになるし、それは映画の中でちゃんと、言ってみれば少しだけ芽が出てきた感じではある。その芽の部分をしっかり描きたいと思いました。
同時にこうなってしまっては、もうそういう人たちを止められないというその無慈悲なまでの集団のメカニズムもしっかり描きたいと思いました。

桑子 真帆キャスター:
どうやって自分は個であるか、これってすごく難しいと思いますが、これを保つためにどういうことが必要ですか。

森さん:
集団に帰属することは人間の本能ですから、それはどうしようもない。これは大前提です。そのなかで埋没しない。集団を主語にしない。大勢の人を主語、つまり、われわれとか僕たちとか私たち、あるいは集団の名称を主語にしてしまう。会社であったりNPOであったり町内会でもいいです。こうしたものは主語にしない。

桑子:
常に集団の考えていることに対して疑問をもつ、疑問符を投げかけるということですか。

森さん:
リテラシーですよね。集団のなかの情報は。それに対しても疑いの目を向ける。今のクローズアップ現代でこういうことを言っているが、これは本当にどうなのか、どこまでこれが正しいのか。そういうかたちで情報に対しては信じ込まない。多層的なんです。多重的で、多面的です。ちょっと視点をずらせば違うものが見えてくる。その意識をもつこと。それは僕はリテラシーの一番基本だと思っています。

“負の歴史”から 何を学ぶべきか

森さんは今、強い危機感を覚えていることがあるといいます。それは“負の歴史”への向き合い方です。

近年、ネット上では「朝鮮人の虐殺はねつ造だ」「自警団による正当防衛だった」などとする主張が見られるようになっています。
また、朝鮮人が惨殺された事態は史実であり、人災ではないかなどと認識を問われた小池都知事は、2023年2月、次のように答弁しました。

東京都議会 2月 小池都知事
「関東大震災に関して様々な内容が史実として書かれていると承知をいたしておりまして、何が明白な事実かということにつきましては、歴史家がひも解くものだと申し上げております」

東京都は、長年続けていた朝鮮人犠牲者の追悼文の送付を6年前にとりやめ、2023年も見送る方針です。小池都知事は、毎年9月1日に行われている大法要で関東大震災や大戦で犠牲になったすべての人々に哀悼の意を表しているとしています。

桑子 真帆キャスター:
負の歴史との向き合い方、今どういう風に森さんは考えていらっしゃいますか。

森さん:
人に例えればわかりやすいのですが、人って失敗とか挫折とか失恋して成長するわけじゃないですか。歴史は何のためにあるかというと、僕は失敗の歴史を学ぶためにあると思うんです。なぜこの国はこんな失敗をしたのか、なぜ自分たちはこんな過ちをしてしまったのか。それを学ぶことで国だって成長できるはずだと思います。本来であれば教育がメディアが、そして映画も負の歴史をしっかりと見つめなければいけない。反発がくるかもしれないとか、そうしたような不安や恐怖が先に立ってしまうとどんどん消えていってしまっている。これは本当に不幸なことで、負の歴史をしっかりと見てもらえればと思っています。


被害に遭われた方々に対しまして 謹んで哀悼の誠を捧げたい

野田市長

福田村事件が起きた地元、千葉県野田市。事件から100年がたった2023年、市長が初めて犠牲者に対し公式に弔意を表しました。

今回見つかった事件の生存者の肉声。その中には事件を忘れてほしくないという強い思いが込められていました。

福田村事件の生存者
「もうほとんどいないんじゃないでしょうか。知ってる方は。悲劇ですからね。こういうこともあったんだということをね、やっぱりわたし皆さんにもね、知って欲しいですね」

同じ悲劇を二度と繰り返さないと言えるのか。私たちは今も問われ続けています。

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