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★こちらのページは2022年2月で更新を終了いたしました。

神戸先生に聞いてみよう⑥〜自分を明け渡さない生き方〜

今回登場したのは、曽我涼馬と田村創という、対照的な二人の生徒でした。

rinri_210226_04.jpg涼馬は、職員室の教師たちからとても心配されています。
これまでの2年半、学校で一度も声を発したことがないということですから、無理もありません。
逆に創は、ほとんど何の問題もない生徒に見えます。
勉強熱心で、いつも放課後は自習に励み、親子関係も良好で、進路のこともよく考えている。
その調子で卒業までがんばってね、と思っている教師がほとんどでしょう。

ところが、高柳が心配するポイントは、他の教師たちと違っているようです。
涼馬に対しては、熱中症を心配した以外は、ただ一緒にご飯を食べただけでしたが、
創にはもう少し積極的な働きかけをしていました。
高柳がいったい何を心配しているのか、彼がかけた言葉から考えてみましょう。

rinri_210226_03.jpg

創に伝えたのは、アメリカの哲学者であるホッファーの言葉でした。
「他者への没頭は、それが支援であれ妨害であれ、愛情であれ憎悪であれ、
 つまるところ、自分から逃げるための手段である。」
創が努力する理由には、自分を支えてくれる母親への恩返しの気持ちもあるでしょうし、
当たり前のこととしてやるべき勉強はちゃんとしよう、という気持ちもあるでしょう。
高柳も言っていましたが、そんな彼は、とても立派です。
でも、創はひとつだけ、とても大切な人のことを置き去りにしてしまっているように見えます。
それは「自分自身」です。

ホッファーは変わった経歴の持ち主で、正規の学校教育を受けず、企業や大学にも所属せず、
港湾労働者として働きながら、読書と思索と執筆に励んだ哲学者です。
創とは対照的に、まさに自分のために生き、自分のために勉強した人物と言えるでしょう。
彼はこの言葉に典型的に表されているような、自己を忘れ、他者や社会に没頭するあり方について、
繰り返し語り、それを批判しました。

rinri_210226_02.jpgのサムネイル画像創は、親や学校や社会の期待を気にかけ、それに応えようとしていますが、
その分だけ、自分自身のことを、それ以外の他者に明け渡してしまっているように見えます。
高柳は、創の真面目さゆえにそうしたところがあるのが少し心配になって、
「自分のための勉強を」「自分を一番に愛して、自分のために生きて」と声をかけたのだと思います。
お節介を厳しく避けたり、図書館で創の邪魔をしないようにしたりしている高柳の振る舞いにも、
自分自身に目を向けて生きてほしいと考える彼の価値観や配慮が表れていますね。

自分を明け渡してしまうというのは、創だけの問題ではありません。
むしろ、私たちはだれでも、そうした傾向を持っています。
高柳が涼馬に語ったのは、ショーペンハウアーの言葉でした。
「我々は他人と同じようになるために、厳しい自己放棄によって自身の4分の3を棄てねばならない」
ほとんどの人は、4分の3も、自分を棄ててしまっているということになります。

自分に目を向けて、自分自身を生きるということは、困難で苦しいことでもあります。
個性を貫けば目立ちますし、場合によっては孤立します。人との違いは説明せねばならず面倒です。
他のみんなと同じようになって、周囲がすることをまねて、他者に好かれるように振る舞い、
互いに馴染みあって、自分ではなく誰でもない人のように生きる方が、ずっと楽です。

自分を明け渡し、自分を誰でもない人のようにするために、一番簡単な方法は、
人と同じように語り、誰かが使っていた言葉を使って話すことです。
言葉と思考は密接に結びついていますから、そうすれば人と同じように世界を見るようになります。
そうやって互いに理解し合ったつもりになれる範囲の中で、世界を単純化して、
お互いに匿名的な人間として生きれば、波風の立たない幸せなディストピアの到来です。

rinri_210226_01.jpgのサムネイル画像・・・涼馬の沈黙は、そんな生き方を拒否しているように見えます。
彼はみずから、言葉を発さないという選択をして、自分の言葉や思考を保っています。
彼はとても「読ませる文章を書く」そうですから、書くときにはじっくり吟味した言葉を使うのでしょう。
自分の使う言葉に敏感でいることは、自分の思考や生き方に敏感であることとつながっています。

みなさんは、自分の使う言葉を、どれくらい気にかけていますか。
人に伝わりやすい言葉や、人の心を動かす言葉を使えることも、もちろん大切なことですが、
自分にとって違和感のある言葉を使わないことや、しっくりくる言葉をずっと探し続けることは、
それ以上に重要なことです。
それは、単なる言葉の問題を越えて、どんなふうに世界を見て、どんな世の中を創っていくか、
また、どんなふうに自分を保ち、どんなふうに生きていくかということと、深く結びついています。
ぜひ、どこかで聞いた言葉を安直に繰り返さずに、より適切だと思える言葉を探し続けてください。

 

〜ホッファーについて〜
1902年、ニューヨークにドイツ系移民の子として生まれました。7歳のときに事故で失明しましたが、15歳のときに突然視力を回復し、それから貪るように本を読みました。港湾労働者として働きながら、多くの著作を発表し、「沖仲士の哲学者」として知られています。1983年没。『大衆運動』『現代という時代の気質』『魂の錬金術』など、多くの著書が日本語にも訳されています。

〜ショーペンハウアーについて〜
1788年生まれ、1869年没。幼少期はポーランドで過ごしていますが、ドイツの哲学者です。西洋思想だけでなく、インド哲学も研究しました。主著に『意志と表象としての世界』がありますが、そのほかに、日本語では『孤独と人生』『幸福について』などのタイトルで出版されているアフォリズム(箴言)集によって広く親しまれています。


高校倫理考証 神戸和佳子(ごうど・わかこ)
哲学・倫理教師。中学校・高等学校・大学等の非常勤講師として、哲学的な対話の手法を用いた授業を行っている。東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。共著書に『子どもの哲学−−考えることをはじめた君へ』(毎日新聞出版、2015年)など。


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投稿者:スタッフ | 投稿時間:00:00 | カテゴリ:ここは今から倫理です。

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