弥七が聞いている

公開:2024年1月1日

昨年の夏,私が配属された用語班にはニュース,一般番組を問わず,放送現場からさまざまな問い合わせが日々寄せられる。その内容は用語の表記,読み,アクセントなど多岐にわたり,電話で問い合わせてくるのもそれぞれ異なる部署である。だから,それらが関連することはないはずなのだが,不思議なことに似たような質問が続くことがある。

例えば「まる天井」の“まる”の表記は「丸」「円」どちらが適切かという問い合わせのあと,ケーキの型の「まる型」の表記を尋ねる案件が続く1)。あるいは,えのきだけの袋の「1/4」の量を「4分のひと袋」と読むかという問い合わせのあと,「1/8」分のキャベツを「8分のひと玉」と読むかという,分数の読み方に関する同様の質問が続く2)

こういうとき,誰というわけでもなく「弥七が聞いてる」と班員がつぶやく。弥七とは,時代劇『水戸黄門』に登場する架空の人物「風車かざぐるまの弥七」のことで,隠密として情勢を探り,うまく事が運ぶよう取り計らう忍びの者である。つまり弥七のような謎めいた存在が潜んでいて,似た問い合わせが続くよう陰で糸を引いているという冗談である。しかし,冗談として済ますのはもったいない何かがこの表現にあるように感じられた。

本来あるはずのない出来事の連関に遭遇すると人間はなんらかの意味をそこに見いだす。しかし客観的に見るとそこになんの意味もなく,先行する情報に影響されて後発の情報に過剰な意味づけをしているだけなのかもしれない。いずれにしても,なぜそういう現象が起こるのか,その理由も仕組みも今のところ人間にはわからない。わからないのだけれど「そういうこともありうる」と,深く考えることなくわれわれは日々過ごしている。

「弥七が聞いてる」という冗談は,似た問い合わせが続く理由の説明にはならないが,天井裏で情報操作に暗躍するイメージが喚起されることで,「弥七ならやりかねない」と私は妙に納得する。そのことで,「人間には複雑な現実すべてを合理的に理解し説明する能力はない」という事実を謙虚に受け入れ,不可解に見える現象を一定程度認める必要を,ユーモラスにそして怪しく感じさせるのである。

注:
1)「 まる天井」は「円天井」がおすすめ。ケーキの型の「まる型」は「丸」「円」どちらもある。
2)分数の読み方は「〇分のいち」がひとまとまり。「〇分のひと袋/玉」とは言わない。

メディア研究部・用語 高橋浩一郎

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