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冒険家・三浦雄一郎90歳 好奇心と目標を持って

執筆者諸冨泰司朗(記者)
2023年01月13日 (金)

冒険家・三浦雄一郎90歳 好奇心と目標を持って

「『トップガン マーヴェリック』を3回見てエキサイトした」

この言葉を発したのは、流行に敏感な20代の若者でも、青春時代にトップガン第1作を見た50代の中高年でもありません。
去年10月に90歳を迎えた冒険家・三浦雄一郎さんです。
数々の偉業を成し遂げてきた三浦さんのいまを取材すると、90歳になっても「冒険」を続けることができる秘けつを聞くことができました。

世界最高齢のエベレスト登頂

三浦さん若いころの顔

三浦さんは、長年プロスキーヤーとして活躍し“エベレストの8000メートル地点からのスキー滑降”や“世界七大陸最高峰のスキー滑降”などの挑戦を成功させ世界的に有名になります。

エベレスト山頂で手を振る

さらに、70歳と75歳、それに80歳でのエベレスト登頂に成功。80歳での登頂は10年たったいまも世界最高齢の記録です。

インタビュー

小学校のころ、テレビで三浦さんの初めてのエベレスト登頂のニュースを見ていた筆者は、今回、青森市出身の三浦さんのインタビュー取材をする機会に恵まれました。

冬のオリンピックに2度出場したプロスキーヤーで息子の豪太さんに付き添われて現れた三浦さん。札幌市内での最近の生活について聞くと出てきたのが冒頭のことばでした。

三浦雄一郎さん
「子どもたちが40年ほど前にアメリカに留学したときに、ホームステイしたのがトップガン(アメリカ海軍パイロット養成機関)で教官をしていた人で、一緒に走ったり勉強を教えてもらったりしていたのでなおさら身近に感じた。トム・クルーズさんは演技もすばらしいけれど、年を重ねても世界のトップとして実際に戦闘機を操縦しながら演技をすることがすばらしく、エキサイトしています。自分もトレーニングを頑張ろうという気持ちになります。」

90歳にしてこの若々しい発言。まさしく「冒険家・三浦雄一郎」でした。

「90歳でエベレスト登頂だ!」

実は三浦さんは2014年と2019年の2回、NHK青森のインタビュー企画で番組に登場しています。

4年前のインタビュー

2019年のインタビューでは前人未踏の目標を掲げていました。

4年前の三浦雄一郎さん
「90歳でもう一回エベレストにチャレンジしてみたい。」

人類にとって、あまりにも偉大な目標でしたが、80歳で登頂した三浦さんなら「不可能じゃない」と思わせるものでした。

しかし、そのインタビューの翌年、3年前の87歳のときに、三浦さんは突然病に襲われます。

突然の病

発症直後

三浦雄一郎さん
「自宅で寝ている時、ちょうど明け方近くですが、だんだん足の方がまひしてきて。それで手も『おかしい、おかしい』と。これまでも骨折やいろいろな病気にかかりましたが、いままでと全く性質が違う。」

三浦さんが襲われたのは、「特発性頸髄硬膜外血腫」という病気でした。

首の部分の脊髄、「頸髄」を守る硬い膜の外に血の塊ができて神経を圧迫、手足のしびれや運動障害が生じました。
エベレスト登頂どころか、1人で生活することも困難になってしまいます。

リハビリ

90歳を前に、それほどの大病をすれば、いろいろなことをあきらめてしまうんじゃないか…と思うのは、あさはかでした。
冒険家は、再び前を向きます。
それは、エベレスト登頂とは違う、別の目標を持てたからでした。

三浦雄一郎さん
「東京オリンピックの聖火ランナーを富士山でやることが決まっていて、『これは絶対やるんだ』ということで一生懸命リハビリをやりました」。

聖火ランナーに選ばれていた三浦さん。退院時点で、本番まで半年を切っていました。
手術した医師には「もう不可能だ」と言われた聖火リレー。
それでも、新たな目標に向けてリハビリを続けました。

ミウラドルフィンズ提供の聖火リレー

2021年6月、発症から1年。三浦さんは聖火リレーを完走します。
みずから掲げた「目標」を実現した瞬間でした。

三浦雄一郎さん
「聖火ランナーをやろうという目標があったのでリハビリに力が入りました。目標を立てて、そのためにいろいろ準備してトレーニングをすることで、目標が実現できると思っています」。

次なる目標

ひとつの目標を達成した三浦さんに、現在の「目標」を聞きました。

三浦雄一郎さん
「ことし3月に八甲田に行って、ロープウエーで上がって酸ヶ湯温泉まで滑り降りてみたい。」

八甲田

故郷・青森市の南側を東西に走る八甲田山系。
スキーの名所として海外の観光客からも近年人気となっていますが、三浦さんにとって思い出の多い場所です。

三浦雄一郎さん
「青森の営林局に勤めていた父は、冬は八甲田に入り込み、『自分の庭』みたいにしていた。僕も小学校のころから八甲田に行っていて、中学2年生くらいには、青森市街地の自宅から八甲田の酸ヶ湯温泉までおよそ30キロ、雪の中をスキーで歩き通したこともある。」

かつて踏破したエベレストは8848メートル。
八甲田山系で最も高い大岳は1585メートル。
その目標のギャップに苦しむことはないのか?
恐れ多くも質問すると、世界中の山々を登ってきた三浦さんらしい答えが返ってきました。

三浦雄一郎さん
「もちろん高い山というのは危険で困難。でも大きい小さいに変わりなく、人間が自分の足で地球の山を登っていくことは人類の行動する原点ですよ。八甲田でも、大岳登ったら、小岳の向こうはどうだろう、高田大岳はどうだろう、と。次から次へと、山の向こうはなんだろうという好奇心が湧く。それを年をとっても続けて持っている。その続きをやっているような気がします。」

八甲田に向けて

三浦さんは八甲田山系でのスキーという次の目標に向けて、今もトレーニングを続けています。

トレーニング

聖火リレー後も、機械を使った筋力トレーニングを繰り返し、最近は左右の足の筋力差が縮まってくるなど、回復は順調です。

リフトに乗り込む

話を聞いた翌日、三浦さんは、50年間通い続けているという札幌市内のスキー場に向かいました。
今シーズンの初滑りです。
昨シーズンのスキーはわずか1回、それも緩い斜面を50メートル滑っただけでした。
まずは昨シーズンも滑った斜面を滑ると、体の動きは順調そのもの。急きょスキー場の「最高峰」へ向かうリフトに乗り込みました。

自分でスキーをはく三浦さん

リフトを降りた三浦さん。
スタッフがサポートする椅子のついたスキーではなく、自分の足でのスキーをすることを選びます。

滑降中

三浦さんの周囲で、息子の豪太さんと、三浦さんのかつての教え子たちが見守ります。

滑り切った三浦さん

高低差450メートル、距離にして4キロのコースを50分かけて滑りきりました。
去年はリフトにも乗らず、わずか50メートルだったのですが、90歳にしてこの復活ぶりです。

スキー直後の三浦雄一郎さん
「きょう、まさかできると思っていなかったです。大きな一歩になりました。八甲田でのスキーを楽しみにしています。」

好奇心を持って目標を立てる

インタビューの最後に、三浦さんが90歳になってもこれだけ前向きに目標に向かって進むことができる理由を伺いました。

三浦雄一郎さん
「50代60代のころと全く変わりない好奇心。自分であそこに行ってみたい、これをやってみたいということがいくつもあります。今回こういう状況になったものですが、それでも生きている楽しみというのはいくつもあります。小さいかもしれないがその楽しみを感じる経験を繰り返しながら、これからも楽しく生きていきたいなと思っています。」

取材後記

自分が生まれる前から世界中で活躍されている「偉人」に対して、緊張しながら臨んだ今回の取材。1時間にも渡るインタビューのなかで、質問ひとつひとつに言葉を飾ることもなく丁寧に答えてくださいました。
90歳の三浦さん、挑戦を後押ししているのは「好奇心」と「目標」でした。それは特別な人しか持つことができないものではなく、誰もがいつでも持つことができます。
明るい兆しが見えない日々の生活の中でも、好奇心と目標を掲げて生きてみる。そういう日々のちょっとした冒険が、新たな世界を切り開いてくれるかも知れない。そう感じた取材でした。

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