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指揮者・沖澤のどかさん インタビュー一問一答 ~追究する音楽、そして地元・青森への思い~

執筆者佐藤裕太(記者)
2023年01月11日 (水)

指揮者・沖澤のどかさん インタビュー一問一答 ~追究する音楽、そして地元・青森への思い~

2023年・ことし注目される人にインタビューする「ことしにかける」。
三沢市生まれ、青森市育ちの指揮者・沖澤のどかさんに話を聞きました。
4年前に若手指揮者の登竜門として世界的に知られる「ブザンソン国際指揮者コンクール」で優勝し、その後、国内外に活躍の場を広げてきた沖澤さん。ことし4月には、青森で初めて凱旋(がいせん)公演を行うとともに、関西の名門・京都市交響楽団の常任指揮者に就任します。
大きなターニング・ポイントになる1年のスタートにあたり、沖澤さんが追究する音楽や地元・青森への思いなどを聞きました。
今回は特別に、放送で紹介しきれなかった部分も含めて一問一答をお届けします。

――あけましておめでとうございます。どんな1年のスタートになりましたか?

ベートーヴェンの「第9」を、年末にミュンヘンとシュツットガルトで、そして元日にミュンヘンでもう1度、ミュンヘン交響楽団とともに演奏しました。「第9」を全楽章振らせてもらうのは初めてだったので、すごく特別な年末年始になりました。それに、去年誕生した娘と迎える初めての正月でもあったので、自分の人生の新しい幕開けというか、新しい段階に入ったなと感慨深いです。

沖澤のどかさん

――ことし4月から京都市交響楽団の常任指揮者に就任しますが、打診を受け入れた最大の理由は?

まだ1度しか共演していないのですが、そのときのリハーサルの過程から演奏会までのすばらしい演奏が決め手でした。それしか判断材料がなかったですし、自分にとってはやっぱり演奏が1番で、それしかないと思っており、演奏の手応えがとてもあったのですぐに決めました。
リハーサルの過程でどんどん音が変わっていくのがおもしろかったですし、皆さんとても積極的で、受け身ではなく自発的に音楽を奏でるのがすばらしいと感じました。やっぱり相性というのもあると思うんですけど、それが本番ですごくいい方向に開いたなと感じ、オーケストラの皆さんもお客さんもそういう風に感じてくれていた。それが決め手になりました。

――京都市交響楽団とどのような経験を積みたいですか?

ゲストではなく常任指揮者という立場でたくさん共演を重ねていくという意味で、やはり1度の演奏を盛り上げることだけではなくて積み重ねていく、基礎を積み重ねていくということですね。そのために、まずどんなオーケストラかをよく知る。そのために、リハーサルを通して彼らの持っている音楽性やアンサンブルの作り方を、まずはよく聴くということをしようと思っています。それから自分のアイデアをどんどん出していって、どういうふうにオーケストラが変化していくか。やっぱり自分の音楽を押しつけるのではなくて、お互いの反応をよくよく聴いて見極めることを意識しようと思っています。

指揮する沖澤のどかさん

――沖澤さんが一躍国内外から注目を集めることになったきっかけは、「ブザンソン国際指揮者コンクール」。このコンクールで昭和34年(1959年)に日本人として初めて優勝した小澤征爾さんの時代には、活躍の場として「世界」を選ぶか「国内」を選ぶかは両立しない選択肢だったとも言えますが、今回、国内のオーケストラの常任指揮者に就任する選択をどう考えていますか?

いつも日本でオーケストラを振って感じるのは、オーケストラのレベルが世界水準であるということです。特に京都で驚いたのは、リハーサルの雰囲気がとてもヨーロッパ的で、指揮者が言うことを黙って聞いているんじゃなくて、質問があったりとかそれぞれの奏者でのコミュニケーションが見えたりとか。
きっと小澤征爾先生の時代は、ドイツから偉い指揮者が来て教えてもらうという姿勢でオーケストラの活動が始まったと思うんですけれども、それからもう50年くらいたって、音楽家も聴衆も育っています。私の少ない経験でも、今まで共演してきたヨーロッパのオーケストラとのレベルは変わりないと感じます。
それから教育もやっぱりすばらしくて、小澤先生が松本で続けておられる小澤塾もそうですし、去年の夏に「セイジ・オザワ 松本フェスティバル」に参加させてもらいましたけれど、世界トップレベルの奏者が集まって後進を育てている。また札幌での「パシフィック・ミュージック・フェスティバル」はヨーロッパでも知られていてよく話題にのぼります。ほかにも「霧島国際音楽祭」や「別府アルゲリッチ音楽祭」といった音楽祭で、学生の頃に日本を訪れてすごくいい経験をしたという学生が世界中にいるんですよね。なので、日本と「本場ヨーロッパ」みたいな違いが、実はそこまではないです。日本の音楽家の皆さんは謙虚で「自分たちはまだまだ」とおっしゃいますけれど、いつか京都市交響楽団とヨーロッパ公演に行ったら、きっとお客さんは大喜びすると思いますね。

――そういう意味では、今回の京都という選択も、単に日本に戻ってくるわけではなく、あくまで世界の中での次のフィールドとして選んだということですか?

もちろんです。拠点が日本になるわけではなくて、京都には年に3、4回、それぞれ2週間くらいずつ帰ります。ミュンヘンをはじめ、ほかのオーケストラもたくさん振るので、今までもベルリンを拠点にしながら日本でもたくさん客演させてもらいましたが、それがある程度絞られて、京都がメインになるということです。なので、日本に戻るという感覚はなく、京都市交響楽団も、あくまで世界中のオーケストラの中の1つとして捉えています。

沖澤のどかさん

――青森で音楽の道を歩み始めた経験を踏まえて、地元・青森にはどんな思いを持っていますか?

青森で生まれ育って音楽ができてよかったと思うのは、プレッシャーが全くなかったことです。ただ音楽が好きで遊びの一環として始めて、コンクールとかも全く受けたことがなかったですし、本当に好きでやってこられたので、ほかの周りと比べることもなく没頭できたし、のびのびとやらせてもらえました。「練習しなさい」と言われたこともないし、それがよかったなと思います。
ただ、やっぱりプロの演奏家の演奏を聴く機会が少なかったので、そういう意味での格差というのは、どうしてもあるのかなと思います。私も子どものころ、プロのオーケストラが青森に来ると必ず連れて行ってもらってすごく興奮しましたし、今でもよく覚えているので、4月の青森での公演が、聴きにきてくださる皆さんにとって何か特別な機会になったらいいなと思います。

――青森での日々は今の沖澤さんの音楽にどのように反映されていると感じますか?

青森で、やっぱり自分の音楽の基盤になっていると思うのは、青森ジュニアオーケストラにいたことです。小学5年生から高校を卒業するまでいたんですけど、毎週末集まって練習して、年に1度定期演奏会を開いていました。自分の生活の一部だったので、改めて親にも感謝していますし、青森の先生方は本当に根気強く見てくださったなと思います。
もちろん基本的な技術もですけれど、やっぱりそれ以上に、ほかの人と演奏する楽しさとか、継続して本気で何かに取り組むことを学びましたし、年に1回の演奏で教えてくださる先生自身が感動しているのを感じていました。プロのオーケストラとは全く違う活動で、学校とは違っていろんな年代の人たちと演奏することもあり、部活みたいなものすごい厳しさもなかったので、それがすごくよかったなと思います。
あとは、青森でいつも思うのは、やっぱり空気がきれいだったりとか騒音が少なかったり、そういうことは出てみないと分からなかったことです。今、うるさい大都市とかにいるとストレスをすごく受けるので、そういう環境に子どもの時にさらされなかったことはとてもよかったと思います。

――4月に予定されている青森県内での「凱旋公演」には、どんな思いで臨みますか?

青森でプロの演奏家として演奏するのは初めてなので、やっと今までお世話になってきた先生方とか、応援してくれていた親とか友人に、演奏という形で恩返しができると思っています。それから今、音楽に夢中になっている子どもたちとか学生とか、もちろん大人の皆さんもそうですけど、そういう人たちにいい刺激になる演奏になったらいいなと思います。演目の1つのベートーヴェンの交響曲第5番「運命」は、特に地方の、プロのオーケストラがないような都市では定番の曲なのですが、全くマンネリ化することがない名作です。さらに、共演する山形交響楽団は、ナチュラルホルンやバロックティンパニを使っているなど、すごく様式観の違いがわかりやすく出るオーケストラだと思うので、そういう意味でも新しいベートーヴェンを楽しんでもらえたらいいなと思います。

オーケストラ

――青森で音楽を志す若者へのメッセージをお願いします。

とにかく自分のペースで続けること、人と比べずにこつこつ続けること。それから、思い切って外に出てみることです。私はいつも青森のことをどこかで考えていますけれど、それでもやっぱり大学進学と同時に県外に出たのはよかったと思いますし、やっぱりふるさとという存在はどこにいても心の中にあるものなので、思い切って外に出ることです。青森にいる間に気付かないような良さに、あらためて気づくと思います。何かを学んだり経験したりしていつか恩返しできるかもしれないし、とにかく音楽を好きで続けたいと思うのなら、どんどん外に出てみること。それから、生の演奏をとにかく聴くことが1番だと思います。

――沖澤さんは、青森から出る前に不安とかはありましたか?

今思うとあったのだと思いますけど、でも、高校生のころはあんまり世の中が見えていなかったので、なんとかなるだろうと思っていましたね。やってみればなんとかなると思っていたし、たぶん、これは自分が親からもらったすごく大事なことだと思うんですけど、根拠のない自信が常にありました。だから、コンクールで優勝したこともないし、何の確証もなかったのですが、それでもどこかで、自分が何かやろうとして努力したらできるはずだという思いが常にありました。それはきっと、もっともっと小さいころ、気付かないうちに親が育ててくれた自己肯定感みたいなものが後押ししてくれたのだろうなと、今になると思います。

沖澤のどかさん

――沖澤さんの音楽や生き方に影響を与えている、座右の銘のようなことばはありますか?

ブラームスの友人のヨーゼフ・ヨアヒムというバイオリニストの言葉で“Frei,aber einsam.”という言葉がドイツ語にあるんですが、“Frei”が英語の“Free”にあたり「自由」を意味し、“aber”はしかし、“einsam”は「孤独」を意味しますから、「自由だけど孤独」という意味です。いつだったか、高校時代に本を読んでいて出会った言葉だと思うんですけれど、自分の生き方や音楽との向き合い方にすごくしっくりくるので、モットーとしてこのことばを借りています。

――どんな音楽を追究していますか?

もちろん楽譜に忠実にというのは大前提です。その上で、楽譜に書いてあることは音そのものではないので、どう解釈するかは、演奏家に委ねられている自由のスペースがすごく広いんですよね。なので、そこをとにかく追究したいです。作曲家がどういうことを感じて考えていたのか、今生きている作曲家と一緒にお仕事することでヒントをもらうこともとても多いですし、ドイツ語やイタリア語の原典を含め、いろんな資料に当たります。その上で、演奏する時にはやっぱり自分の体にしみこませてそこから出す。研究の成果ではなくて、やっぱり最終的に自分の体から出ないと説得力がないと思うので、消化・吸収する過程を、できるだけ長く時間を取ることを大事にしていきたいと思います。本当にどういうタイミングか分からないんですけど、はっとするような発想が出てきたりするので、できるだけ静かな環境で、楽譜を読んだり楽譜がなくても音を想像したりする時間を確保して、忙殺されないように気をつけたいです。

インタビュー風景

――改めて、大きなターニング・ポイントとなることし1年をどんな1年にしたいですか?

何をするにも健康が第1なので、まずは健康に過ごしたいです。それから、すぐに何か結果を求めるのではなくて、10年後に振り返った時にあの1年が自分の音楽活動の大きな礎になっているなと思えるような、いろんなオーケストラとの関係を育てていくための土壌をまずは作る。そうした1年にしたいです。

――そうしたシーズンの幕開けに、青森で時間を過ごせることについてはどう感じますか?

これまで自分が歩んできた道を1度振り返ってもいい時期なのかなと思います。これまでは、とにかくとにかく前に進もうと思ってどんどんどんどん挑戦して進んできました。それが、新型コロナで演奏会がなくなったり、その間に家族が増えたりもして、自分の視点も少し変わってきたので、そういうタイミングで故郷・青森に帰ることは、自分の歩んできた道を振り返って、どういう人たちが関わってくれていたのかというのを今、改めて考えるいい機会になると思います。

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