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山形から能登へ 支援に入った人が見たものは

能登半島地震の支援活動
  • 2024年01月18日

 

能登半島地震の発生から2週間余り。石川県内ではこれまでに亡くなった人が230人を超え(1月19日時点)、いまだ被害の全容が把握できていません。断水や停電も続いていて、被災した人たちは厳しい生活環境におかれています。

こうした中、山形県内からもさまざまな団体が支援に入っています。

被災地で活動した人たちは、何を見て、何を感じたのでしょうか。

「人命救助のその先」

 

米沢市に住む消防士の我妻清和さんです。

消防士として働くかたわら、休みを利用して、消防や土木建設業など専門技術を持ったメンバーでつくる災害支援の団体でも活動してきました。

活動を始めたきっかけは、2022年8月、新潟県関川村や県内の置賜地方を襲った豪雨。

重機の免許などを持っていた我妻さんは、知人から誘われたことをきっかけに団体のメンバーになりました。

これまで消防士として人命救助に携わってきた我妻さんは、関川村での活動を通して「人命救助のその先の支援を初めて見て知った」と話します。

それからおよそ2年、団体で活動する中で、防災や減災への思いを強めていったそうです。

「非常事態だと思った」

1月1日。

我妻さんは、消防署での勤務を終え、昼ごろ自宅に帰宅し、親戚と正月を祝っていました。

午後4時10分ごろ、地震の揺れを感じ、急いでテレビをつけました。

そこに映っていたのは、我妻さんが去年5月、地震の被害を受けて支援活動に入っていた能登半島でした。

家屋が倒壊し、火に包まれたまちを目にして、いてもたってもいられない気持ちになったといいます。

(我妻さん)
「去年5月の能登半島の地震の時とは、はるかに様子が違うと感じて。非常事態だと思った」

地震の発生から2日後の1月3日。

勤務先の消防署から被災地への出動要請がなかったことから、団体の一員として、現地に向かいました。

 

向かった先は、石川県珠洲市。
能登半島に近づくと、道路には多くの亀裂が入り、通れない道もありました。

 

(我妻さん撮影)

う回する道を通って、15時間かけてたどりつきました。

そこで目にしたのは、至るところで家屋が倒壊し、変わり果てたまちの姿でした。
 

(画像提供:DRT JAPAN)

(我妻さん)
「こんなに倒れるんだっていうぐらい。建物が倒壊しているのを目の当たりにした」

「何か困っていることないですか?」

我妻さんが仲間とともにまず取り組んだのが、緊急車両を通れるようにすることでした。

重機を使って、道路に散乱したがれきの撤去作業にあたりました。

そして、道を歩いている人や避難所にいる人たちに声をかけ続けました。

「何か困っていることないですか?」

我妻さんは、自宅で避難生活を送る1人の女性と出会いました。

高齢の女性は、避難所に行ったら周りに迷惑をかけてしまうと、床が傾き、窓ガラスも割れた、冷たい風が入る部屋の中で過ごしていました。

「地震が起きるたび、がちゃがちゃと音がして、眠れない」

女性からこの話を聞き、我妻さんたちは、自宅の隣にある納屋を片付けることにしました。

畳を敷いたり、冷たい風が入らないように壁一面をシートで囲って、少しでも体を休める場所をつくりました。

(我妻さん)
「ゆっくり眠れたと女性からお話いただいて。泣いて喜ばれていました。やってよかったなって思いました」

このあとも、たびたび女性の自宅を訪れ、カイロや水を渡したり、家の前の雪かきをしたりしたといいます。

「郷土の味、お母さん教えてよ」

被災地では雪や雨が降り、厳しい寒さが被災した人たちの体力と気力を奪っていました。

そこで、我妻さんが仲間とともに行ったのが、避難所での炊き出しでした。

食材や道具を用意して、避難している人たちと、野菜たっぷりのスープを一緒に作ることにしたのです。

(画像提供:DRT JAPAN)

(我妻さん)
「『郷土の味、お母さん教えてよ』『どういう味付けするの』って聞いたりしながら。会話の中で、笑顔も垣間見ることができて。気が張り詰め、疲弊している中で、ちょっとでも心の扉を開けられたらなと」

やりとりする中で、いま困っていることを話してくれる人もいました。

「自宅に車を残したまま」
「遺影や位はいを取りに帰りたい」

こうした声を受けて、崩れた家屋の中に埋まった車を運び出したり、遺影や位はいを一緒に探したりもしました。

我妻さんは、こうした活動の日々をSNSに投稿し、支援や活動の輪が広がるように発信し続けました。

 

「復興に向かっていくところまで」

被災地での7日間の活動を終え、山形に戻った我妻さん。

再び、能登地方に向かうことにしています。

(我妻さん)
「被災者の方に元気を出してほしいだとか、前を向いてほしいなんて言っても、なかなかそれが できる材料がないとできないと思うので。被災地の方々が自分たちの力で復興に向かっていく。
その地域力によって、復興に向かっていくというところまで、とにかく支援は続けていきたいなというふうに思ってます」

取材後記

今回の取材を通して、我妻さんたちが、一人ひとりの声に耳を傾け、被災した人たちの心に寄り添う活動をしていたことが強く印象に残りました。我妻さんは「長期化する避難生活で病気が悪化したり、体調を崩したりして亡くなる人を増やさないよう、これ以上失われる命がないようにしたい」と話していました。地震の発生から2週間余りたった今も、厳しい寒さの中、多くの方が避難生活を余儀なくされています。被災地の厳しい現状や被災された方々のこと、山形からも発信し続けていきたいと思います。

義援金の関する情報はこちらです。

 

(R6・1月17日 NHK総合 やままるで放送)。

↓動画はこちらから↓



 

  • 永田哲子

    NHK山形 記者

    永田哲子

    2020年入局
    警察担当や米沢支局勤務を経て、2023年8月から行政担当
    保育士資格を持っています!
    自然・文化・歴史など置賜地方の魅力を深く知って山形がもっと好きになりました。
    おしょうしな~!

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