絵筆に託した広島の記憶
- 2023年08月04日

8月6日で、広島に原爆が投下されてから78年となります。
山形県鶴岡市には、93歳となったいまも、
自らが描く「絵」を通して、核の悲惨さや平和への願いを伝え続ける画家がいます。
描く絵にはどんな思いが込められているのか。取材しました。
(NHK山形 山田真夕アナウンサー)
脳裏から離れぬ、被爆の記憶

山形県鶴岡市に住む洋画家、三浦恒祺(みうら・つねき)さん。
93歳となったいまも、原爆をテーマにした作品を描き続けています。
その原点となっているのは、自身の被爆体験です。

父親の転勤で当時、広島に住んでいた三浦さん。
中学2年生になると、勉強は一切なく、陸軍のために勤労奉仕をする毎日でした。
昭和20年8月6日8時15分。
同級生とともに陸軍の事務用品を郊外に運んでいるときでした。
ピカリと周囲が青白い閃光で覆われ、ドンという地から響くような音が鳴ったといいます。
何が起きたのかも分からず、市内に引き返すことに。
その道中でみた光景は脳裏から離れないといいます。

黒い塊があって、何かと思ったらやけどを負っている人の姿でした。
「水をください」と言われたけれど、なにもしてやることができなかった。
残酷過ぎて、かわいそうで、あのときに一滴でも水をあげることができたら…
と今でも思い出してしまいます。
「たまたまいた場所が偶然、災いを避けることになっただけです。」と話す三浦さん。
爆心地からおよそ4キロ離れた場所にいた三浦さんを含め、家族は全員無事でした。
その後、終戦の日に、両親のふるさと山形県鶴岡市に移り住みました。
絵筆に託し続ける、平和への願い

幼い頃から絵を描くことが大好きだった三浦さん。
銀行員として働くかたわら、自身の被爆体験を絵にしようと、キャンバスに向かいました。
しかし、なかなか描くことができなかったといいます。

自分が見た光景があまりにも残酷で、絵にならないんですよ。
人間の皮膚と布が溶けあって垂れ下がるような人間の姿、
いまでも、とても描けません。
初めて原爆の絵を描いたのは、終戦から16年がたったころ。
葛藤もあるなか、1人の被爆者としての使命感に駆られ、
もともと得意としていた抽象画で、原爆を描くことを決めました。

こちらは、三浦さんがシリーズで描いている「原爆の形象」の初期の作品です。
赤は炎を、黒は黒煙を表現しています。

街が瞬間的に消えてなくなる。ものすごい原爆の破壊力。
それを、できるだけ強烈に、ぶつけるようにして描きました。
当初は、「原爆の悲惨さ」を表現していた三浦さん。
しかし、鶴岡市で暮らすなかで、庄内の景色こそ三浦さんが思い描く平和の姿であり、
そこに暮らす喜びを強調した作品を描きたいと感じるようになりました。

こちらは、去年4月に完成した作品です。
赤や黒など原爆を表現した部分は、キャンバスの4分の1ほどに。
庄内平野や日本海に沈む夕日、そして、中心には、光り輝く太陽が描かれています。

原爆の部分を縮小させて、「こういう世界になって欲しい」という願いを込めています。
太陽というのは、全世界すみずみまでも暖かい光を与えてくださると思うんです。だから、私は平和の象徴としての太陽というふうに表現したかったんです。
平和を願って筆をとり続ける三浦さんの思いは、広島の地へと届きました。
広島に完成した、自分の「分身」

去年、原爆ドーム近くの「おりづるタワー」で、広島にゆかりのあるアーティスト9人が壁画を描くプロジェクトが始動。そのうちの1人に三浦さんが選ばれました。最高齢で、唯一の被爆者です。
しかし、年齢とコロナ禍を考え、直接広島に描きに行くことができませんでした。
「あと10年早かったら、自分で描きに行きたかった。残念、無念。」
この三浦さんの思いを受け継いだのが、広島に住む美術の仲間や学生でした。
三浦さんの原画をもとに、合わせて6人が代筆をすることに。
およそ2か月かけて完成した壁画が、こちら。

縦4メートル、横24メートルにも及ぶ壁画。
その中央には、太陽が描かれました。
壁画の制作にあたった人は…。

三浦さんの筆をなぞるように、
細部から複雑な感情とか気持ちが伝わってきました。

三浦先生から若い世代へと、
平和への願いのバトンが繋がれたような気持ちです。
三浦さんの思いが繋がって完成した、壁画。
今年6月。
三浦さんは自らの足で広島を訪れ、完成した壁画と初めて対面し、
自らのサインを壁画に描き入れました。


想像以上に大きな絵で、本当に感激しました。
絵は、自分の体の一部であって、「分身」です。
広島に半永久的に自分の絵が残るのは、とても感慨深いです。
被爆者の1人として、自分の体験を描き残しておきたい。
筆を持てる限りは、ずっと、描き続けていきます。
動画はこちらから☟
三浦さんがこれまでに描いてきた「原爆の形象」のうち43点を展示する個展が、
8月2日(水)~25日(金)まで、鶴岡市の致道博物館で開かれています。
みなさんは、三浦さんが描いた絵を見て何を感じるのか。
ぜひ、この機会に足を運んでほしいと思います。
個展の様子はこちら☟
▼取材後記
三浦さんが、壁画の制作にあたった広島の学生たちと話しているときの穏やかな笑顔が、とても印象に残っています。それは、いままで1人で自身の記憶と向き合い絵を描いてきた三浦さんの思いが、若い世代にも伝わったことを、三浦さん自身も感じたからなのだと思いました。
93歳となったいまもキャンバスに向かう三浦さんの姿をみて、この思いを受け止めなければと改めて感じた取材でした。