美術の世界③ 掛け小屋からはじまり、
また掛け小屋へ。

  • てん(新井美羽/子供時代)がはじめて“お笑い”に出会ったのは、薬祭りの日に風太(鈴木福/子供時代)とこっそり忍び込んだ「掛け小屋(お祭りなどで簡易的に建てられた小屋)」です。
    寄席の美術セットでは、その「掛け小屋」からはじまり、天満の裏通りにある小さな寄席「天満風鳥亭」、そして大阪の“笑いの殿堂”と言われた「南地風鳥亭」をデザインしてきました。その後、戦争が激化し大阪が焼け野原になり、最終週はまた掛け小屋である「青空寄席」が物語の舞台になりました。そしてそこは、大阪の“お笑い”の火が再びともされた新たなスタート地点でもあります。
    視聴者のみなさんには、明治の後期から昭和にかけての寄席の歴史をお見せする。それが今回の美術セットの縦糸です。そこに横糸であるてんのテーマカラーの“赤”や、キーアイテムである“鳥”を随所に織り込んでいくことで、『わろてんか』美術のタペストリーを織り上げてきました。

  • 風鳥亭の天井は、
どこまでも広がる大空です。
  • 青空寄席をデザインする際には、空襲により焼け野原となった当時の大阪の写真をたくさん見ました。その中の一枚に石段と石垣、鳥居と蔵だけが焼け野原の中に残っている写真があって、「あっ、これだ!」と。
    てん(葵わかな)と藤吉(松坂桃李)がはじめて持った寄席・天満風鳥亭の前には、神社に続く石段があり、石垣もありました。きっとこの場所が空襲で焼けてしまうと、実際の写真にあったように、石段や石垣は残ったはず。そして戦前は木々の緑によって見えなかった鳥居や蔵も見えるはずだとイマジネーションがふくらんでいきました。
    てんと藤吉の出発点である天満風鳥亭の跡地に青空寄席はあります。しかも、かつての舞台と客席、楽屋、事務所の位置関係はそのままにしています。石段に座って青空寄席の高座を見るお客さんもいるはずなので、高低差のある客席代わりにもなっています。楽屋、事務所はてんと風太(濱田岳)が暮らしているバラックを利用しています。
    天井は、どこまでも広がる大空で、舞台が見えるすべての場所が客席です。

  • てんと藤吉の
思い出の場所を再び。
  • 青空寄席の舞台の奥には、空襲で焼け落ちた屋根が見えます。それは、戦争の悲惨さの表現でもありますが、そこにはもう一つ私たちが込めた思いがあります。
    『わろてんか』の第1週で、てんと藤吉が見晴らしのいい屋根の上で話すシーンがありました。藤吉はそこで白文鳥が付いた鈴をてんに渡します。掛け小屋が寄席の出発点であれば、あの屋根の上はてんと藤吉の絆が生まれた場所です。
    青空寄席の舞台にてんと藤吉が腰掛けていると、2人が屋根の上にいるように見えます。最後にもう一度、あのときのように2人を屋根の上に乗せたいと思いデザインしました。
    そして、その屋根の上には慰霊や鎮魂の思いを込めた小さな灯籠が置かれ、吹き渡る風が風車を回しています。

  • この焼け跡のセットに、『わろてんか』の
世界観が凝縮されています。
  • 青空寄席とその周辺には、これまでの風鳥亭の歴史や思い出の品々がたくさん散りばめられています。舞台の正面には、戦火の中、風太が命がけで守った「風鳥亭」看板。“薬”の額・のれん・ちょうちん・のぼりなどは、南地風鳥亭が建物疎開になったときに北村笑店のみんなが大切に持ち帰り、疎開先や実家で戦火を逃れたのできれいなままです。
    また、芸人長屋に置かれていた鳥の置物や弁天様も健在です。弁天様は、空襲で倒れているシーンがありましたが、そのときに体の下敷きになったほうの手に包帯が巻かれています。寺ギンの家にあった布袋様(ミニ寺ギン)もなぜかあります。美術スタッフの遊び心ですね(笑)。
    バラックの事務所兼楽屋には、数は少ないけど芸人たちの名前が書かれた札、藤吉の写真、“始末、才覚、算用、人財”の額が飾られています。
    質素な青空寄席とバラックですが、そこには26週かけて紡いできた美術セットの世界観が隅々にまで凝縮されています。