割り切んなくちゃならない ふるさとへの思い
- 2023年03月15日
あの日、ふるさとを追われてから12年。
年を重ねた自分が戻るのは難しい。
頭では分かっているけれど、それでも隠しきれなくなる。
〝双葉に帰りたい〟
(宇都宮放送局記者 村松美紗)
愛着はある でも〝帰還しない〟
福島県双葉町出身の志賀仁さんです。原発事故のあと、下野市に避難してきました。
1日遅れで福島から届く地元紙を読むのが日課です。
やっぱり愛着があるのかな、まだ
震災当時、妻と母、娘家族の7人で住んでいた双葉町の自宅です。
あの日、着の身着のまま自宅を出て、そのまま帰れなくなりました。
町の全域が帰還困難区域となったためです。
一緒に避難してきた娘夫婦には小学校入学を控えた子どもがいました。福島に引っ越すことで、子どもをすぐに転校させることは避けたいと、双葉町には帰還しないことを決めました。
その意向に沿って、志賀さんも戻らないことにしています。
あんたたち(娘家族)が戻らないならじゃあこちらに住むかって
もう1年以内に決めちゃったんだね、戻らないって
やっぱり〝双葉に戻りたい〟
栃木に住むことを決めた志賀さんですが、年に一度は、栃木に避難してきた仲間とともに福島に足を運んでいます。
先月、すでに福島に帰還した友人たちに会いに行きました。
ふるさとに戻った仲間に、今の暮らしぶりを話してもらいました。
帰還して始めた農業、気合いを入れてがんばりたい
駅前のスーパーで働いています
海を見たとき、心の底からほっとしました
ふるさとで充実した暮らしを送っているようすがうかがえたといいます。
交流会のあとは、今も帰還困難区域となっている双葉町の自宅周辺を見て回りました。
こうしてふるさとを目の前にすると、戻りたい気持ちが湧き上がってくるといいます。
心の片隅にはね、ちょっとあるんですよね
自然豊かなところで生まれ育ったもんですから、そういうところに戻りたいなと
帰還は果たしたけれど…
一方で、福島に戻った人にも喜んでばかりはいられない事情があります。
交流会にも参加していた、浪江町出身の安部正之さんです。
自宅周辺は除染が進んで避難指示が解除されたため、4年前に栃木から帰還して農業を始めました。
仕事は軌道に乗り始めたものの、今困っているのが、生活の不便さです。
浪江町では6年前に住民の帰還が始まりましたが、まちに住んでいるのは、震災前の1割未満。
医療などの生活インフラも震災前に比べて十分とは言えないといいます。
高齢の父親をかかりつけ医のいる栃木に残しているため、福島と栃木の間を頻繁に行き来しています。
浪江とか双葉郡、南相馬市に関しては医療の面でもちょっとまだまだ不安な面もある
そのへんはやっぱりちょっと不自由なところかなと思ってます
〝割り切んなくちゃならない〟
志賀さんは、まもなく74歳。
福島の現状、そして自分の年齢をふまえると、帰還するのは現実的でないと考えています。
4年前、亡くなった父親が眠る墓を下野市に移し、ふるさとに足を運ぶ機会は少なくなりました。
双葉町に残している住民票も、近く移すつもりです。
生まれ育ったとこに戻りたい気持ちはあるんだけど、割り切んなくちゃならないと思うんですよね
10年もこちらで住んでいますから、早く下野住民になったほうがいいのかな
諦めもついたっていうか、そんな感じですね
取材を終えて
志賀さんに話を聞いていくと、12年間過ごしている下野市への親しみもうかがえました。
栃木で成長した孫のこと、趣味のパークゴルフ大会で優勝したこと、近所の細かい道までよく知っていてまるで地元の人のようだねと言われたこと。
栃木で充実した日々を送っているのも確かだとおっしゃっていました。
避難を経験したの気持ちは「帰還したからうれしい」「避難先の暮らしが嫌だ」などと、そんな簡単には表しきれないものなのだと思いました。
避難を経験した方それぞれの事情や考え方によく耳を傾けて、これからも取材を続けていきたいです。