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鹿沼の緑に魅せられた 岡本太郎の『夢の樹』

  • 2023年01月30日

「芸術は爆発だ!」の言葉で知られる世界的芸術家、岡本太郎。
その岡本が作った巨大なパブリックアート『夢の樹』が栃木県鹿沼市にある。
制作背景に迫った。

(宇都宮放送局記者 川上寛尚)

東武鉄道日光線の新鹿沼駅。首都圏と鹿沼市を結ぶのどかな駅で、ひときわ大きな存在感を放っているのが、巨大なモニュメント『夢の樹』だ。

アルミでできた作品は高さ4メートル、重さは1.5トンにおよぶ。
銀色の樹の幹から、いくつもの球体が沸き立つように躍動する『夢の樹』は、「たわわに実った夢が、宇宙に向かって伸び、樹が、人間が、そして生命力が開くこと」を意味している。

制作したのは、1970年に開かれた大阪万博の『太陽の塔』で有名な、世界的芸術家の岡本太郎。
今からちょうど40年前、岡本が72歳のときにおよそ8000万円の制作費をかけて作られたと言う。

しかし鹿沼市と岡本には、ほとんどゆかりがない。
どうしてこの地で『夢の樹』を作ろうとしたのか、当時の関係者に話を聞いた。

鹿沼市の元職員 但木正弘さん

元鹿沼市職員の但木正弘さん (76)。
『夢の樹』の制作について岡本との交渉に立ち会い、作品誕生の瞬間までを目の当たりにしたひとりだ。

但木正弘さん
当時、市の大規模事業として市民文化センターの建設計画が進んでいて、なにかシンボル的なものが作れないかという話が持ち上がった。そこで、岡本さんと知り合いだった当時の県の職員を通して、モニュメントの制作を依頼してみたんです。

 

鹿沼市を訪れた岡本太郎(1980年) 

但木さんによれば、依頼を受けた岡本は「現地を見たい」とすぐに視察に訪れたという。
但木さんたちの案内で市内のあちこちを探索したその夜。
岡本は当時の心境を「鹿沼の緑」と色紙に書いて、同行した職員たちに配った。

岡本太郎の直筆 「鹿沼の緑 岡本太郎」と書かれている

但木正弘さん
岡本さんは鹿沼の緑あふれる街並を、すごく気に入ったようでした。モニュメントどころか、鹿沼に記念館を作ろうという話が一時、持ち上がったくらいで。
その後も何度も取材に訪れたんですが、地元の我々が素通りするような場所でさえ、立ち止まって熱心に写真を撮っている姿が印象に残っています。

 

岡本は鹿沼市内を熱心に取材した

さらに、但木さんは岡本の人柄について、こう振り返る。

但木正弘さん
オーラがあって一見近寄りがたい感じなんですが、おちゃめな面もあって。取材中に突然スキップを始めたり、記念撮影でカメラを向けられるとキッとカメラのレンズを見てポーズを取ったり。考えことをしてるときに、フランス語でぶつぶつとつぶやいていたのも覚えていますね。

 

『夢の樹』に今、コロナ終息の願いを込める

自身とはゆかりのない鹿沼の自然に魅せられ、岡本太郎が制作した『夢の樹』。

長年、鹿沼市民文化センターにあった作品は、「芸術は大衆のもの」という生前の岡本の意向に沿う形で、12年前に、より多くの人々の目にとまる新鹿沼駅に移設された。
今では鹿沼市の玄関口のシンボルとして、多くの市民に愛されている。

東武鉄道日光線の阿久津孝行駅長は、『夢の樹』にこう願いを込めた。

コロナの影響で暗い気分になることが多いなかで、『夢の樹』を見るといつもエネルギーをもらえる。
コロナが終息し、鹿沼市を訪れる人が増えることを『夢の樹』に願いを込めたい。

  • 川上 寛尚

    宇都宮放送局 記者

    川上 寛尚

    2015年入局
    主に文化・芸術分野を取材

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