ページの本文へ

とちぎWEB特集

  1. NHK宇都宮
  2. とちぎWEB特集
  3. とちぎ国体の「レガシー」は

とちぎ国体の「レガシー」は

  • 2022年10月07日

去年の東京オリンピック・パラリンピックで話題になった、スポーツの「レガシー」。
スポーツ大会を一過性のものにするのではなく、その開催地に何を残していくかが重要だという考え方です。今、行われている国民体育大会「いちご一会とちぎ国体」は、栃木県の将来に何を残していけるのか、42年前の大会から考えます。

(宇都宮放送局記者 齋藤貴浩)

地元開催の国体で快挙

10月6日に行われたホッケー成年男子の決勝。
地元の栃木県が岐阜県に3対2で勝って、優勝を決めました。
直前に行われた成年女子の3位決定戦でも栃木県が勝ち、男女そろって表彰台に上りました。

ホッケーの会場となったのは日光市今市。
栃木県のチームは男女とも、この今市を拠点とするクラブチームと実業団チームを中心に構成され、まさに「地元開催」の大会での快挙でした。

始まりは42年前

今市にホッケーが根づいたのは今から42年前、栃木県で初めて行われた「栃の葉(とちのは)国体」に遡ります。今大会の運営に携わる県ホッケー協会理事の関根由美子さんは、当時の国体に少年女子の選手として出場していました。

栃木県ホッケー協会理事 関根由美子さん
今市にホッケーを普及させたいということで、先生からホッケーをやってくれと言われて。まだ何もわからない状態でスタートしました。

「栃の葉国体」でホッケー会場となった当時の今市市は、地域に競技を普及させるとともに、選手の育成を進めようと、大会前から取り組みを始めていました。国体を機に県ホッケー協会が設立され、市内の2つの高校にホッケー部が作られました。

「栃の葉国体」へ強化の日々

後列中央が当時の関根さん

それでも当時のホッケーは、県内でほぼ無名のスポーツでした。選手は全員未経験で、グラウンドには石や砂利が混じった厳しい環境からスタートしたと関根さんは振り返ります。

栃木県ホッケー協会理事 関根由美子さん
3年間練習漬け、合宿漬けの日々。家族といるよりメンバーと過ごしている時間のほうが長かったと思います。地元開催に向けて、常に「優勝」の2文字を背負っていました。

当時は天然芝のグラウンドで行われた 雨が降り「田んぼ状態」だったと言う
前列右から2番目が関根さん 準決勝後

県外から指導者を招くなどした選手強化が実を結び、「栃の葉国体」で、関根さんが出場した少年女子は3位に入りました。さらに成年女子は優勝、少年男子は準優勝と好成績を残します。関係者の長い間の努力が報われた瞬間でした。

「栃の葉国体」のレガシー

そして「栃の葉国体」の後も、ホッケーの取り組みは引き継がれました。
関根さんが青春時代を過ごした今市高校のホッケー部は、やがて全国大会常連の強豪校に成長。
全国高校総体で女子は1回、男子は5回の優勝を果たしています。
それに伴い、市内のほかの小中学校でも徐々にホッケーが盛んになっていきました。

まちには人工芝のホッケー専用グラウンドが整備され、小学校から社会人までの幅広い年代の人たちが利用し、競技に親しむようになりました。
今市を拠点とする実業団やクラブチームも設立され、数々の日本代表選手も輩出しています。
そして合併後の日光市は今、「ホッケーのまち」として知られるようになりました。

「いちご一会とちぎ国体」のその後は

関根さんは、ことしの国体の好成績は42年前の「栃の葉国体」のレガシーのたまものだと言います。その上で「今大会がさらに次の世代に何を残せるか」考えていく必要があると強調します。

栃木県ホッケー協会理事 関根由美子さん
日光市でホッケーが脈々と続いているのは、間違いなく「栃の葉国体」のおかげです。
当時と同じように今大会をきっかけに、競技への憧れを持ってもらい、1人でもホッケーを始める子どもが増えてくれれば嬉しいです。

ことしの「いちご一会とちぎ国体」にあわせて、スポーツクライミングなどの新しいスポーツで、競技の裾野を広げようとする取り組みも行われています。
国民体育大会を開催し、総合優勝の天皇杯を目指すだけではなく、大会に関わった地域、そしてそこに住む人たちに何を残していけるのかが、改めて問われています。

  • 齋藤貴浩  

    宇都宮放送局 記者  

    齋藤貴浩  

    2021年入局。宇都宮局が初任地。
    趣味は旅行と酒場巡り。
    旅先で地酒を飲む瞬間がたまりません。

ページトップに戻る