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鑑賞マニュアル美の壺

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file160 「金沢(前編)」

江戸時代、加賀百万石の城下町として栄えた金沢。能、茶道、美術工芸など、今も文化や伝統芸能が暮らしの中に根ざしています。

城下町・金沢を整備したのは、加賀初代藩主・前田利家。利家によって、金沢にはけんらん豪華な美術工芸や独特の色彩美が生み出されていったのです。

壱のツボ 金沢漆器は日本一の大名道具

石川県は、日本を代表する漆器の産地です。木目を楽しむ「山中」、塗りを味わう「輪島」が有名ですが、金沢にはかつて藩が直接運営にあたった、「金沢漆器」があります。
漆器店を営む岡能久さんです。

岡 「金沢漆器はお重箱の隅は、とても薄作りにできています。縁のところを見ていただくと、こんな薄さで品物が大丈夫なのかと思うくらい、隅までとても精ちな塗りで仕上げてあります」

一般的に漆器の隅は、使い勝手が良いように、丸みを帯びています。
ところが金沢漆器は、四隅が鋭い直角。武家好みの洗練させた美しさです。

ここに、歴代藩主の思いがたくされていると、石川県立美術館長の嶋崎丞さんは言います。

嶋崎 「前田家はなんといっても日本一の大変な高持ち大名なものですから、やっぱり日本一の大名道具を作ろうという一つの考え方があったと思います」

金沢の美鑑賞一つ目のツボは、
「金沢漆器は日本一の大名道具」

金沢漆器が誕生した江戸初期、加賀藩は幕府と緊迫した関係にありました。
幕府が成立した後、加賀藩は家康によって、幾度も取りつぶされそうになりました。この危機から藩を守ったのが、3代・利常(としつね)。愚鈍を装った名君として知られています。

嶋崎 「いろんなエピソードがあります。江戸城でここより中へはおかごに乗って入ってはいけないというのに、堂々と乗って入って、とがめられると鼻毛を引っ張りながら知らなかった振りをしたとかね」

利常は幕府への恭順を示し、百万石の財力を武芸ではなく、美術工芸に費やす方針を打ち出しました。まず京都と江戸から名工を呼び寄せます。京都からは、まき絵師・五十嵐道甫(どうほ)。「秋の草花」など公家好みの「雅(みやび)」なモチーフを、ふんだんに金ぱくを用いて表現しました。

江戸からは、清水九兵衛(くへえ)。
江戸まき絵の特徴は、黒と金の大胆なコントラスト。そして武家好みの豪快なデザインです。

金沢漆器は、京都と江戸、二つの美を融合することで生まれました。海辺に鶴が舞う情景は、万葉集の山部赤人(やまべのあかひと)の歌が題材。京都で培われた繊細な「雅」の世界です。
一方、黒と金の対比をいかした点は、江戸の流儀。殿様の手厚いひごのもと、金沢ならではの漆器が完成したのです。

漆器の技法は、金沢でさらに洗練されていきました。『肉合研出(ししあいとぎだし)』と呼ばれる技法は、盛り上げた金を研ぎ出すことで、微妙な高低差を生み出すのだと、加賀まき絵師の清瀬一光は言います。

清瀬 「例えば山でしたら、向こうの山、次の山、そして手前の山と三段階ぐらいに分けて肉を盛り上げていきます。その遠近感がよくでますので、絵に対する豪華さが増してきます」


奥行きのある情景を生み出す、精ちな手わざ。金沢の職人たちが長い時間をかけて完成させたものです。日本一の大名道具を作りたいという、前田利常の心意気は、今も金沢漆器に受け継がれているのです。

弐のツボ 手まりの幾何学模様に加賀女性の願いあり

金沢には古くから独特の手まりが伝えられてきました。カラフルな色糸でこしらえた“加賀手まり”です。
特徴は連続した幾何学模様。その種類は実に多彩ですが、ここには一つの思いがこめられています。


安産・育児の神様を祭る真成寺(しんじょうじ)の深村敏子さんです。

深村 「やっぱり子どもさんがね、元気で成長するようにっていうので、おかぜひいても困るしね。元気で育って欲しいという願いが一番だと思うんですよね」

独特な幾何学模様、ここにも母の思いが込められているのです。

二つ目のツボは、
「手まりの幾何学模様に加賀女性の願いあり」

こちらは、“麻の葉”模様です。
麻は丈夫で、すくすくと育つ植物。娘の健やかな成長を願う思いが託されています。


こちらは、卍(まんじ)模様。
太陽を表わし、幸福が集まるようにとの願いが込められています。


金沢に手まりが広まったきっかけは、3代・利常の妻・珠姫にあるといいます。珠姫は、徳川家康の孫。加賀藩と幕府との関係を取り持つため、わずか3歳で加賀にこし入れしました。幼い珠姫が花嫁道具に持参したのが、手まりでした。
藩の安泰に尽くした珠姫は人々に慕われ、彼女の愛した手まりは、やがて城下へと広まります。


手まりは母から娘へと受け継がれてきました。金沢に住む坂井松枝さんは、昔を思い出すそうです。

坂井 「花が咲いた模様の手まりが好きでした。どんなつき方をしたのか、糸がボロボロになるまで遊びました」

手まり作りを母に教わるのは、年ごろになったとき。嫁ぎ先での幸せ、やがて生まれる子の健康を祈るため、幾何学模様のかがり方を学んできたのです。加賀手まり作家の高原曄子さんです。

高原 「心の安らぎといいますかね、そういうことをして女性の方が楽しんだのは、やっぱりこの百万石の金沢の伝統だと思いますよ。みなさんが心豊かだったんでしょうね」

藩を守ったお姫様ゆかりの手まりには、加賀女性の幸せへの祈りが込められているのです。

参のツボ 加賀毛針に込められた武士の一分

ここ数年、新たな金沢土産として注目を集めている、カラフルなアクセサリー。
江戸時代、加賀藩の武士たちが作った釣り道具、「加賀毛針」の形と色をまねたものです。

アユの好む「虫」をかたどった毛針。
大きさ8ミリの針に、色とりどりの鳥の羽毛を巻きつけて作ったものです。
幕府への遠慮から武芸の奨励を控えた加賀藩。心身を鍛錬するものとして勧めたのが、アユ釣りでした。

武士たちは各自、縫い針を購入し、それを曲げて釣り針を作ったのです。
アユ釣り歴70年の中川勅さん。毛針に鳥の羽を利用したのも、武士ならではのくふうだったといいます。

中川「その時は戦がないもんですから、弓矢の矢なんかに毛を使ってたでしょ。そういう毛を用いてやったわけなんです」

色彩豊かな毛針には、武士たちの知られざる物語が隠されているのです。

三つ目のツボは、
「加賀毛針に込められた武士の一分」

こちらは毛針の材料となる、鳥の羽。実に多彩な色の毛を用います。
その理由は、アユの習性にありました。アユは好奇心おうせいな魚。派手な色を好みます。しかもその色の好みが毎年変わるため釣るのが難しい魚です。
アユの好みにあわせて毎年色を変えていくうちに、たくさんの色を組み合わせた毛針が生み出されました。

毛針は今も、江戸時代と変わらぬ手作業で作られています。
武芸を控えざろうえなかった加賀の武士たち。
せめて毛針作りに魂を込めようと、ミクロの世界の手仕事に熱中しました。

アユとの限りない知恵比べの果てに、四千種もの毛針が今に伝えられました。江戸時代、武芸のかわりに鍛錬されたわずか8ミリの精ちな美。ここには、加賀藩士たちの武士の魂が宿っています。


古野晶子アナウンサーの今週のコラム

仕事やプライベートで何度も訪れたことがある街、金沢。城下町の華やかさが今も残っていて、いつ行っても“新しい発見”があります。路地や街の照明には金沢独特の伝統を感じることが出来ますし、最近では現代作品を展示している美術館などもあり、古さと新しさが違和感なく共存している珍しいところです。まあ、私は「花よりだんご」タイプなので(苦笑)“金沢の食文化”には特に特に魅力を感じています。地元のお酒を片手に頂く、新鮮な魚介のおすしや加賀野菜料理。甘いものは別腹ということで・・・和菓子も!これらの見た目にも美しい食べ物はそこにあるだけで心が満たされます。
一口食してみると、自分の体の中の神経が研ぎ澄まされていくような感覚に陥ります。いつもより時間をかけてゆっくりと味わうぜいたくなひととき。食べ物はおなかに入ると消えてしまうはかないものですが、あの時間を味わいたくて帰るころには「また訪れたい!」と思う場所の一つになっています。

今週の音楽

楽曲名 アーティスト名
 Bluing Miles Davis
 Toto sexy Antonio Farao
 My romance The Silent Jazz Trio
 Why think about Itzhak perlman, Oscar Peterson
 Used ‘TA could Christian McBride
 Theme for Ernie Hazeltine-Mraz Trio
 3 for three Abercrombie~Gomez~Jackson
 Tea for two Stephane Grappelli
 I've seen your face before in my touch 赤松敏弘
 Come Sunday Richard Davis
 I'm old fashoned Keith Jarrett
 All the things you are 渡辺香津美
 Autumn in New York Bill Charlap Trio
 Sweet pumpkin Blue Mitchell
 二風谷 金澤英明
 This is my beloved Sir Roland Hanna Trio
 Trafic (version2) Charles Dumont
 Poursuit au soleil Michel Magne

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