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アイヌの民族衣装を研究するため世界各地の博物館を訪ね歩いてきた津田命子さんは、着物の生地を組み合わせたアップリケに、アイヌならではの独創性があるといいます。
津田「これはですね、私のお友達が十数年前に作ってくれました。これを着るとね、力がわくんですよね。おもしろいのはですね、この辺とかね、日本手ぬぐい使ってるんですよね、で、この赤い所はちりめんで、縁の所はメイセンなんですね。ですから、手に入ったものをどんな風にしたらより美しくなるか、本当に知恵とくふうの塊なんですね」 |
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アイヌ文様鑑賞、二のツボ、
「組み合わせが個性を引き立てる」 |
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気温の低い北海道では、木綿の栽培ができないため、オヒョウの木などの皮から糸を作り生地を織ってきました。
こちらは木の繊維で織られた19世紀の着物。
一見つつましく見えますが、その装飾にくふうが。 |
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刺しゅうによる模様を際立たせているのは、黒く光るビロード。
こうした素材をどうやって手に入れたのでしょうか? |
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こちらはアイヌの村に伝わっていた清王朝で使われていた服です。
日本が鎖国をしていた江戸時代、アイヌの人々はすでに北方民族と直接交易を行っていたのです。 |
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佐々木「実はアイヌの人たちが北海道で閉じこもってた訳じゃないんですね。実は人間あの当時ですね、しかの肉と魚の肉だけで生活できるわけではなくて、アイヌの人たちも盛んに外の人たち、例えば和人と呼ばれる本州以南の人たちとか、サハリンとか大陸の方に出て行く人たち、千島列島を通じてカムチャッカ半島まで出て行く人たち、積極的に表に出て行って、何をしたかといいますと、盛んに交易を行っていたんですね。だからそういう面ではアイヌの人たちは、われわれ和人と違う、国際性っていうのは非常に豊かに持っていた人たちでもあるんですね」 |
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江戸時代以降、交易で手にした木綿で着物が作られるようになります。
貴重な木綿を手に入れるため、二反の布をラッコ一匹と交換していたといいます。 |
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反物や古着のハギレを利用し模様に沿って縫い付けた着物。
背中で白く輝いているのは日本の婚礼衣装を裁断したもの。
菊をあしらった金糸の刺しゅうが華やかさを醸します。
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津田「交易を通して、入ってきたカラフルなもの、そういうものの組み合わせで、あの、こういう色彩感覚っていうか、磨かれていた。ちょっと普通ではミスマッチだなって思うものも、うまく使うようなそういう技術とか感覚が、つくられてきたんだと思いますね」 |
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個性あふれるアップリケが美しいアイヌの民族衣装。
人々が交易を通して磨き上げてきた組み合わせの美です。 |