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File93 銭湯


東京・目白。
昭和8年に建てられた銭湯です。

 

どこか安らぎを感じさせるレトロな雰囲気。

近年、姿を消しつつある古きよき銭湯の建物は、その文化財的な価値が注目されています。

壁一面に描かれた富士山。
今では描く人もめっきり少なくなりました。

色鮮やかなタイルは、やきものの九谷焼で有名な加賀の職人が絵付けしたもの。
鯉(こい)には、お客が「来い」という願いが込められています。
よく見ると銭湯には、日本人特有の美意識が隠されているのです。

銭湯が庶民の生活に定着したのは江戸時代。
湯につかるだけでなく、サウナのような蒸し風呂も楽しみました。
内風呂が普及した今も、街の社交場として地域の人々に愛されています。


銭湯経営者の山田義雄さん。

山田「のんびりとして家庭のお風呂と違って足が伸ばせる。それから富士山の絵見てね、のんびりと風呂に入れる。近隣の人、いっしょに入ってる人と和気あいあいの世間話をして、一日の憂さを晴らしてかえってもらえる。銭湯は文化なんですよ」

無類の風呂好きといわれる日本人。
長い時をかけて、銭湯という独特の文化を作り上げてきたのです。

壱のツボ 宮造りに風格あり

宮造りは、東京の銭湯を代表する建築様式です。
東京・大田区の住宅街。
煙突の下には、巨大な瓦屋根の銭湯。

昭和32年に建てられ、当時のままの姿を残しています。
正面を見ると、神社やお寺を思わせる重厚な姿。

屋根には、懸魚(げぎょ)と呼ばれる飾り彫刻。
伝統的な日本建築に多く用いられます。
東京の銭湯は、この懸魚にお金をかけ豪華に飾りつけてきました。

全国の銭湯を巡り歩いてきた研究家の町田忍さんです。

町田「軒の下の飾り彫刻、これを懸魚といいますが、これはまさしく銭湯のステイタスですね。
この東京の銭湯の特徴は、神社仏閣のような俗に『宮造り』と呼ばれた銭湯ですね。なぜこの形をしているのかというと、まず誰が見てもギョッとする。まず、ここでお客の心をつかむ。その導入部分として非常に重要な役割を果たしたわけですね」

宮造りの堂々とした建物は、街の中でひときわ異彩を放ちます。

銭湯鑑賞、壱のツボ、
「宮造りに風格あり」

文化財としての価値が認められ保存されている銭湯があります。
東京・千住にあった子宝湯(こだからゆ)です。

宮造りの、この建物の一番の見どころ。
それは、ゆるやかな曲線を描く唐破風(からはふ)です。
唐破風は安土桃山時代、城や寺などに盛んに取り入れられた格式の高い装飾です。
庶民の住まいに用いられることはほとんどありませんでした。

なぜそのような装飾が、銭湯に施されるようになったのでしょうか?

大正12年の関東大震災で、東京の銭湯はそのほとんどが倒壊しました。
震災の復興期に宮造りの銭湯は生まれます。
巨大な建物の建設を手掛けたのは、宮大工でした。

江戸東京博物館助教授の米山勇さんです。

米山「関東大震災で沈みがちな東京の人々の気持ちを少しでも元気づけようという意味が一番大きかったのでは」

地域の社交場である銭湯を豪華に作ることで、街に活気がよみがえることを願ったのです。

訪れる人を驚かせたのは外観だけではありません。
のれんをくぐると、みごとなタイル絵。
そして、戸を開けると・・・

宮造りならではの高い天井。
そしてここにも、伝統の技が・・・

格子状に組まれた木と、それを持ち上げるように伸びる曲線。
折上格天井(おりあげごうてんじょう)と呼ばれます。
これも寺院や大名屋敷などに用いられてきたものです。

昭和30年代まで銭湯の経営者たちは、競って豪華なつくりを取り入れました。

浴室へ一歩踏み出せば、天井はさらに高くなり、窓からは明るい日差しが降り注ぎます。

米山「銭湯っていうのは日常に欠かせない施設ではあるんですけども、関東大震災後に作った人は、そこにハレの場としての非日常性を加えようと思ったと思うんですよ。ですから、玄関から脱衣場に入ったときにまず気持ちが高まって、さらにこの扉を介して浴場で、一気に頂点に達するという演出ですね。言ってみれば劇場的な空間といえるんではないでしょうか。ホワイエから劇場へ、ホールへ、そして浴槽が舞台で、そういう構成のように読めますね」

服を脱ぎ、一歩足を踏み込めばそこは別世界。
巨大な屋根を持つ宮造りならではのダイナミックな空間で、人々は身も心も開放し湯を浴びました。
宮造りの銭湯は、大工たちが最高の技術をつぎ込んで作った、庶民のための建築なのです。

弐のツボ 富士が奥行きを作り出す

東京・世田谷区にある銭湯。
営業前の朝8時、富士山の絵の塗り替え作業が始まりました。
湿気やカビで傷んでしまうため、数年おきに塗り替えます。

銭湯の背景画を専門に描く職人は、今では3人しかいません。
その一人、中島盛夫さんです。

店が開くまでの短い時間に仕上げなければならないため、前の絵を塗りつぶすことなく、じかに下書きをしていきます。
材料のペンキはわずか4色。
それを長年の経験で混ぜ合わせ、色を作り上げていきます。
ハケを縦横に操りながら、色の濃淡を出し描いてゆきます。

中島「大事なところは、お風呂屋さんをいかに広く明るく見せるかってことですので。いつも富士の頭が見えて、いつも日本晴れ。
手前から奥までの色でこう、立体感。距離を出すわけです」

浴室をより広く演出するためのくふうが、この背景画に隠されています。

銭湯鑑賞、二つ目のツボ、
「富士が奥行きを作り出す」

東京・千住にあるしにせの銭湯。
横7メートル以上ある巨大な絵にも関わらず、浴室は広々と感じられます。
その秘密は色づかいです。

手前の岩場や緑は色濃く。
背後の海やふもとの景色は、淡い色彩で。
色の濃淡を使い分けることで、富士の存在感を際立たせると共に、絵に奥行きを与えています。

そもそも、なぜ富士山が描かれるようになったのでしょうか?
大正元年、東京・神田にあった銭湯で富士の背景画は生まれました。
描いたのは川越広四郎という人物。
静岡出身の川越は、広告デザインなどを手がける画家でした。

ただ富士山が描いてあれば良いわけではありません。
遠景と近景の対比も重要です。
例えばこの絵では、手前に砂浜、その向うに海を描くことで奥行きを出しています。

こちらは、珍しい朝焼けの富士山。
手前に二本の松の木を置き、わき出るような雲が雄大な構図を作り出しています。

さらにもうひとつ、職人が必ず描くものがあります。
それは、水です。

中島「水があると落ち着くというか。みんな水のあるとこに生活してるでしょ?川だとか海の上だとか、ましてやお風呂屋さん。この下が水で、湯船で。
水がない絵っていうのは本当にめったに描かないですからね」

霊峰・富士から流れる清らかな水は、やがて川となり、浴槽へと流れ込みます。
聖なる水につかることで、心も体も清められるというわけです。
湯船の向こうに広がる雄大な富士の絵。
それは、人々を癒す理想郷の風景でもあるのです。

参のツボ ワンダーランドの仕掛けを楽しむ

国の登録有形文化財になっている京都の銭湯です。

脱衣場に足を踏み入れると、壁一面に散りばめられた装飾の数々。
ケヤキの一枚板を贅沢(ぜいたく)に使った透かし彫りの欄間(らんま)。
葵祭りの行列が生き生きと描かれています。

天井を見上げると、そこには色鮮やかな彫刻。
鞍馬山の天狗と牛若丸です。

浴室に続く通路は、一変して洋風な空間に。

スペイン風の色彩豊かなタイルで華やかに飾られています。

京都にある近代建築を調査している石川祐一さんです。

石川「町屋とか住宅とか住まいの空間、日常的な空間とは違って、銭湯は非日常な空間で体を癒しに来る遊びにくる空間だと思うんですね。中に入った瞬間にワンダーランドに入ったような印象を感じるといえる」

手焼きで作られたタイルそのものが、今では貴重な文化財。
こうした装飾のひとつひとつは、訪れる人を癒しの空間へといざないます。

銭湯鑑賞、三つ目のツボは、
「ワンダーランドの仕掛けを楽しむ」

70年の歴史をもつ大阪の銭湯。屋根にはなんと2体の自由の女神が。

なぜ、銭湯に自由の女神が飾られているのでしょうか?

じつはこれ、「入浴とニューヨーク」をかけたしゃれです。

脱衣場の天井は、白くに塗り上げられ中央には豪華なシャンデリア。
昭和30年ごろまで、2階はダンスホールやビヤホールとしても使われていました。

銭湯経営者の中島弘さんです。

中島「おそらく下町ですから一般庶民の方と縁のない材料を使うことによって、少しゴージャスな気分に味わっていただきたいという風な思いがあったのかもしれません」

浴室には高級感あふれる御影石が敷き詰められています。
ここで風呂に入れば、至福のひと時が味わえます。

東京の銭湯も負けてはいません。昭和13年に建てられたこの銭湯には、他にはない見どころがあります。

脱衣場のすぐ前には、みごとな日本庭園が広がっています。
庭師だった先々代の主人が作ったものです。

四季折々の木や花が植えられています。
池には、色とりどりの錦鯉(にしきごい)が悠然と泳ぎます。

銭湯経営者の松本康一さんです。

松本「極楽浄土って行ったことないからどういう世界かわからないですけど、げた一つで突っかけ一つで来られる距離で、広い湯船で手足伸ばして庭でも眺めて、しかも低料金で楽しんでいただける。それこそまさに極楽浄土じゃないかと思うんです」

湯につかり夢見心地で庭を眺めれば、湯気の向うに浮かびあがるのは極楽の世界。
贅が尽くされた銭湯は、日々の生活に癒しを求める日本人ならではの特別な場所なのです。

高橋美鈴アナウンサーの今週のコラム

学生時代、下宿に風呂のなかった私は、毎日のように銭湯に通いました。4年間で2か所に住みましたが、どちらの下宿からも歩いていける距離に2軒の銭湯がありました。その中には、まさに番組で紹介したような「宮作り」の銭湯もありました。お寺のような立派な入り口に、磨きこまれた木の床と高い天井、昔ながらのカギのついたげた箱とロッカーのある銭湯は、若い私には十分にインパクトのある建物で、東京という大都会にこうした老舗(しにせ)の銭湯が今もあることを不思議に思ったものでした。
アナウンサーになって、研修中に初めてつくったリポートの舞台も銭湯でした。日中の銭湯を使ってお年寄りの健康診断や体操教室などをするという、デイサービスならぬ「デイセントー」の話題。銭湯といえば地域のお年寄りになじみ深い場所。広々した脱衣場がかっこうの集会場所になっていて、地域の社交場・銭湯の底力をあらためて感じました。
内風呂が普及し、燃料費も高騰する時代、銭湯は貴重でありがたい存在。感謝の気持ちを込めて今も時々自宅近くの銭湯に行ってます。せっけんのにおいに若い日々を思い出します。

今週の音楽

曲名
アーティスト名
Moanin' Art Blakey
Cleopha Piano Rolls
La Vie En Rose Pete Fountain
Swanee River Tommy Dorsey
Monk's Mood Wynton Marsalis
When Johnny Comes Marching Home Jimmy Smith
Times Like These Gary Burton & Makoto Ozone
Sleepy Lagoon Harry James
Way Out West Phineas Newborn Jr.
The Very Thought Of You J.J.Johnson
For Django Joe Pass
Come Sunday Phineas Newborn Jr.
Our Waltz Oacar Perterson
Flamingo The Three Suns
Unforgettable Nat King Cole
I Remember You Paul Smith
Scott Joplin's New Rag Piano Rolls