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続いては、そんな模様に注目しましょう。
東京・神宮前で骨とう店を営む栗原直弘さん。
祖父の代から三代にわたって江戸時代に作られた伊万里焼、「古伊万里」を扱ってきました。 |
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これは、元禄時代以降盛んに焼かれた、豪華な色絵。
金を使って華やいだ色彩を作り上げています。
ところで、日本人の好む焼き物といえば、わびさびのある渋いイメージ。
なぜこのような器が生まれたのでしょうか? |
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栗原「日本人はもともとこういう華やかなものが好きなんです。桃山の文化なんかでも荘厳な、こういう金を使ったような物ですとか、金襴手なんかがでてくるわけです。やはり江戸時代になって伊万里の金襴手とかが出てくる背景は世の中が安定してきたってことでしょうね。それが一つのピークを迎えたのが元禄時代なんです。」
伊万里焼色絵鑑賞、二つめのツボは、
「華麗な模様に元禄の華やぎ」 |
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東京・港区。
元禄時代、商家の跡から、色絵の破片が出土しました。 |
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赤や青に彩られた皿が、食卓のにぎわいを感じさせます。
元禄の終わりころから、伊万里焼の輸出は次第に少なくなり国内向けの生産が増えていきます。
高級品だった色絵はやがて町人たちの手にも届くようになりました。 |
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元禄は、町人が力をつけ、その財力を背景に多様な文化が花開いた時代。
歌舞伎の衣装や浮世絵など、たくさんの色彩を上品に使いこなすのが、はやりでした。
けんらん豪華な金襴手の模様は、そんな時代に生まれたのです。 |
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栗原さんが、お気に入りのコレクションを見せてくれました。
栗原「これが今、私のお気に入りの元禄の色絵の鉢です。」
一面に描かれた複雑で精ちな模様。
どんなモチーフが隠されているのでしょうか?
栗原「基本になるのはやはり日本の美しい自然を映したもの。これなんかは四季草花といって四季の草花をちりばめた形をしていますね。」
元禄時代、色絵は、中国の模倣を脱し、独自の表現を行うようになりました。
絵付けを行う職人たちは、和風の模様を好んで描くようになったのです。 |
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有田にある窯元で、絵付けの様子を拝見しましょう。
川原陽介さんは、10年の経験を積んだ絵付け職人。
「四方(よも)だすき」や「亀甲紋」など、伝統的な模様を組み合わせて描きます。 |
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用いるのは「面相筆(めんそうふで)」。
細い穂先を自在に使いこなすには、鍛錬が必要だといいます。 |
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この、手間のかかる絵付けを、大勢の職人が手分けして行うことで、大量生産が可能になりました。 |
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日本的な色絵の模様には、さまざまな意味が込められています。
いくつかご紹介しましょう。 |
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三果文(さんかもん)。
おめでたいもの尽くしの模様です。 |
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これは、桃。
古くから邪気を払う魔よけの意味をもつ果物です。 |
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こちらは、仏手柑(ぶしゅかん)。
その形が仏の手を連想させることから多福の願いが。 |
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そしてざくろ。たくさん種があることから子孫繁栄の願いが込められています。
活気ある元禄の空気が生み出した日本ならではの模様。
色絵は、幸せへの願いでいっぱいです。 |