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File99 おばけの絵



炭野誠 蔵

日本では、幽霊や妖怪、鬼などの恐ろしいものの姿が、古くから描かれてきました。
そのひとつである地獄絵は、悪人は地獄へ落ちるという仏教の教えを説くためのものです。


悳俊彦 蔵

江戸時代には、おばけの登場する読み物が次々と出版され、奇想天外な挿絵が人気を博しました。
こうした絵が、今日のホラー映画や怪奇漫画の原点になりました。

壱のツボ 見えない足もとに目を凝らせ


炭野誠 蔵

幽霊画はなぜ描かれたのでしょうか?
仏教の教えを説くため。納涼の小道具。亡くなった人の肖像――
諸説ありますが、はっきりした理由はわかっていません。

幽霊画の多くには足が描かれていません。
実は、「幽霊に足がない」というイメージは、幽霊画が作り出したものなのです。

幽霊画コレクターの炭野誠さんです。

炭野「足がないという表現ひとつとっても、いろんなバリエーションがあって、注意してみていくとおもしろいんですよ。」

一つ目のツボ、
「見えない足もとに目を凝らせ」


久渡寺 蔵

弘前市のお寺に伝わる、江戸時代中期を代表する絵師・円山応挙の描いた幽霊画です。
それまで、江戸時代初期ごろの幽霊には足が描かれていましたが、この幽霊画には足がありません。


久渡寺 蔵

とある言い伝えでは――
あるとき応挙の夢に、亡き妻が現れました。妻には足がなく、宙を漂っています。写生画の大家として知られる応挙は、夢で見たこの妻の姿を、忠実に描いたのだといいます。

その後、応挙の幽霊画にならい、足のない幽霊画が数多く描かれていきます。
東京・谷中の全生庵では、毎年8月、50点近い幽霊画を展示します。そのほとんどは、怪談ばなしを得意とした明治の落語家・三遊亭円朝が集めたものです。


全生庵 蔵

円朝コレクションの名品『蚊帳の前に坐る幽霊』。
あんどんの向こうに座る悲しげな表情の女性。かすかな光の中に、座っているはずの足もとが消えています。


全生庵 蔵

円朝コレクションの名品『皿屋敷』。
ふすまの奥で、顔を隠す女性。よく見ると、着物の袖が透き通っています。ふすまの向こうの足も消えているはずです。

怪談ばなしをするとき、幽霊画を飾ることがあったといいます。
その再現を試みます。

立ち会っていただいた美術史家の安村敏信さんです。

安村「今残っている幽霊画を見ると、明治・大正・昭和の名作が多いんです。それは怪談会が続いていたせいだと思います。演出として幽霊画を掛けて、その怪談をさらに怖くするということは十分ありえることですね。」

落語家の林家正雀さんに、三遊亭円朝作「怪談 牡丹燈籠」(お札はがしの場面より)を演じていただきました。


炭野誠 蔵

使用したのは、「怪談 牡丹燈籠」に登場する「お露」の幽霊画です。

安村「幽霊がふわふわ飛んでいく瞬間は、まさに足のない幽霊画と一致して、想像力をさらにかきたてられました。足のない幽霊は世界でも例がないんじゃないでしょうか。」


全生庵 蔵

円朝コレクションの名品『還魂香』。
死者を呼び戻すお香の煙に溶け込む足もと。
幽霊はみな恨みをもって現れるとは限りません。彼女のように、愛する者に呼び戻される幽霊もいるのです。
見えない足もとに、幽霊画の怖さと美しさが秘められています。

弐のツボ 暗い色調に妖気が宿る

浮世絵にも、おばけを描いた作品が数多くあります。
戯画(ぎが)と呼ばれます。


悳俊彦 蔵

幕末の浮世絵師・歌川国芳作『相馬の古内裏』。
浮世絵といえば鮮やかな色彩が特徴ですが、ここに見られるのは、暗くよどんだ色使いです。

戯画を中心とした浮世絵コレクターの悳俊彦さんです。

悳「怪奇的なテーマは、全体を押さえ気味の色で描くことが多いですね。色もあまり使わず、むしろ、混ぜて暗いトーンで描きます。」


悳俊彦 蔵

大海原に現れた魚の怪物。
荒れる海が、暗い色調で表現され、さらに、青黒いうろこが怪物のグロテスクさを強調しています。


悳俊彦 蔵

二つ目のツボ、
「暗い色調に妖気が宿る」

摺師(すりし)として50年以上のキャリアを持つ松崎啓三郎さんに、美人画を戯画風の色使いで摺(す)ってもらいました。

色調の異なる二つの赤や、黄色などを混ぜて、戯画らしい濁った赤をつくります。

背景を青みがかった灰色で塗りつぶし、さらに、上部を墨のぼかしで覆います。戯画でよく使われる技法です。

戯画の色調に置き換えた美人画が摺り上りました。
顔も幽霊のような青で摺ってあります。色を変えただけで、おどろおどろしい絵になってしまいました。


悳俊彦 蔵

歌川国芳の戯画の傑作『源頼光公館土蜘作妖怪図』。
武士たちに化け物の群れが襲いかかります。
国芳が活躍したのは、幕末の動乱期です。押し寄せる不穏な時代の空気を、戯画の独特の色調が伝えていたのです。

参のツボ 妖怪の正体見たり 古道具


悳俊彦 蔵

妖怪とは「異界(いかい)」、つまり、人の世界の外からやってくる存在です。
しかし、この絵の妖怪はあまり恐ろしくなく、こっけいな印象です。


祟福寺 蔵

室町時代の付喪神(つくもがみ)絵巻には、妖怪の誕生をめぐる物語が描かれています。
とある屋敷の大掃除のとき、道端に捨てられた古道具たち。


祟福寺 蔵

捨てられた恨みをはらすべく、霊力を得て妖怪となり、人間に復しゅうしていきます。
このように道具がばけた妖怪のことを「付喪神」といいます。

祟福寺住職の東海康道さんです。

東海「道具は百年を過ぎますと、物の怪(もののけ)が宿って、人間に危害を加えます。物を粗末にするなという仏教の教えが込められていると思います。」


祟福寺 蔵

三つ目のツボ、
「妖怪の正体見たり 古道具」

古道具に不思議な気配を感じる人は多いといいます。
骨とう商の斉藤行雄さんもその一人です。

斉藤「古道具を扱っていると、やっぱり夢をみますよ。道具がいろいろ変化したり、人のアレが出てくるんです。気持ちが悪いときがありますよね、あんまり古いものは。」

妖怪研究家の多田克己さんです。

多田「大切に使ったものは、供養して魂を鎮めるという儀式を日本人は古くから行ってきました。長年使った包丁とか針とかを供養します。そういうことをしなければ、道具の魂が恨んで妖怪になるという付喪神が考えられました。」


湯本豪一 蔵

ところが、江戸時代、妖怪の姿は一変します。
思わず笑いを誘う道具の妖怪たちが、子どものおもちゃに登場します。何でも楽しんでしまおうという江戸の人々が、妖怪を愉快なキャラクターに変えてしまったのです。

多田「江戸時代になると、おばけって、いないけどいたほうが楽しいよねって思われていました。おばけの絵は、大人よりも子どもの楽しみになり、どんどんかわいくなっていきました。」


悳俊彦 蔵

そんな妖怪画の集大成が、幕末から明治にかけて活躍した河鍋暁斎の作品です。
現代の漫画に通じる、ユーモラスな妖怪たちの姿があります。


悳俊彦 蔵

おばけの絵は、怖いものを楽しむ日本人が生んだ独自のアートです。

高橋美鈴アナウンサーの今週のコラム

長い黒髪に恨めしそうな表情、足がなくてふわふわと漂うあの姿・・・いやあ、日本の幽霊は怖いですね。今やハリウッドの映画人をもひきつける「ジャパニーズホラー」の世界は一朝一夕に生み出されたのではないということを実感しました。あの徹底的に怖くて、生き生きとリアルな「おどろおどろしさ」は、やはり、異界の存在を意識しながら生きてきた日本人ならではの感性なのでしょうか。「見返り美人」が、色調を変えただけで「おばけっぽく」なる、そのノウハウには驚きました!
怖がりの私は、とても「おばけの絵」を集める気にはなりません。でも、年を重ねるごとに「おばけでもいいからもう一度会いたい」と思う人が増えてくるのも事実。愛する肉親、もっと話したかった人、謝りたいことがあった人・・・この世で会うことはかなわない人への心残りがさまざまな「おばけ」を生み出したのかもしれません。円山応挙が亡き妻を描いた絵には、怖さというより「悲しみ」や「せつなさ」を感じてしまいます。

今週の音楽

曲名
アーティスト名
Moanin' Art Blakey
Joy 山本邦山・富樫雅彦・山下洋輔
Desert Lady - Fantasy 秋吉敏子ジャズ・オーケストラ
Naima Turtle Ialand String Quartet
Sakura 山下洋輔
Kyoto Paradox 秋吉敏子ジャズ・オーケストラ
Bamboo Holyday 山本邦山・富樫雅彦・山下洋輔
Children In The Temple Ground 秋吉敏子=ルー・タバキン・ビッグバンド
Breath Prologue 山本邦山・富樫雅彦・山下洋輔
Monologue for Two Aldo Romano & Joe Lovano
嵐・風濤 藤舎推峰 & 日野皓正
New Orleans Bump Wynton Marsalis
Crepuscule With Nellie Kronos Quartet
Serene Eric Dolphy
Four In One Wynton Marsalis
It Could Happen To You Bud Powell
The Mooch Duke Ellington