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ここは東京新宿のBAR。
店内を飾る水槽の中で、ゆったりと泳ぐ金魚が、一日の疲れを癒してくれると評判です。渋谷のカフェでは、レトロなインテリアとして、金魚が飼われています。
日本人に昔から親しまれてきた金魚は、長い年月をかけて人が作り上げてきた生きた「芸術品」です。
まず、金魚の歴史をひもといてみましょう。
金魚のルーツは、中国の長江流域に有ります。
この辺りでもっともポピュラーな魚は、銀色のフナ。およそ1600年前、ここで一匹の赤いフナがみつかりました。
村人は赤いフナを神のつかいだと信じ、宮廷に献上しました。それから500年、代々宮廷に受け継がれてきた赤いフナの子孫がさらなる進化を遂げます。尾が二つに分かれ、一層華やかなすがたに変わったのです。人々はこれを、金運をもたらす魚、チンユイと名付けました。 金魚の誕生です。
この絵をご覧下さい。みんながのぞき込んでいるのは、大きなやきものの器です。
今のようにガラスの水槽が無かった時代、人々はつねに金魚を上から鑑賞していました。これを「上見(うわみ)」と言います。
中国で誕生して以来、金魚は「上見」にふさわさしい形に改良されてきました。
おなじみのデメキンも、上から見たときのおもしろさを追求して改良された金魚です。飛び出した目が、中国の皇帝のシンボルである龍を彷彿とさせることから「龍晴(りゅうせい)」とよばれ、珍重されてきました。
こちらは、究極のデメキン頂天眼(ちょうてんがん)。 デメキンの目玉を上から見たいと考えて作られた金魚です。何代にも渡って、小さな穴を開けたかめの中で、育てられてきたため、こうなったと言います。
こぶのついた頭(かしら)と背びれのない背中。横から眺めると、太って不格好にみえます。しかし、上から見ると、その姿は全く異なります。
精悍な頭(かしら)、背びれのない背中からは鱗の美しさが際だちます。
江戸時代からランチュウを作り続けてきた家の4代目石川忠正(ただまさ)さんです。
ランチュウは、もともとはフナのような色をしています。
それを青水と呼ばれる、植物性のプランクトンを含んだ水の中で育てます。プランクトンの中には、赤色の色素が含まれているため、それを食べることで、あざやかに変色するのです。
ランチュウ作りは稚魚の選別から始まります。品評会に出すことができるのは、わずか5000分の一。
背中のラインや、尾の形が美しいものを選び、何代にも渡って掛け合わせていきます。
ランチュウを育てるには、4日に一度は水を入れ替え、さらに水温を保つために、冬はヒーター、夏は扇風機を回します。
美しいランチュウは、こうして人の手をかけて作られてきたのです。
一人の芸術家がつくりあげたランチュウがあります。陶芸家宇野仁松(にんまつ)が生んだ宇野系ランチュウ。その立派なかしら頭から、上見の金魚の傑作といわれています。
宇野仁松は、あのイサムノグチに手ほどきしたこともある陶芸家。焼き物で稼いだお金をつぎ込み、生涯をかけて、宇野系ランチュウを生み出しました。
「いいランチュウを作るには、何百年もかかる」と言っていた宇野。その弟子達の手で、宇野系ランチュウは今も上見の美を磨き続けています。
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このデメキン、本当に優雅ですね。
でも、金魚にはもっと沢山種類があるんですよ。
金魚発祥の地 中国では、大人も子供も金魚が大好き。そのニーズに応えて様々な金魚が売られています。その種類は200種以上。 日本人には、ちょっとグロテスクにみえる金魚も、こちらでは高い人気があります。
一方、日本で生み出された金魚は、わずか20種類ほどにすぎません。日本では、新しい種類を作り出すことよりも、美を極めていくことに、力がそそがれました。
日本で最初に作られた金魚が地金です。まるで蝶の羽のような尾をもつ、可憐な金魚です。
誕生したのは、徳川御三家のひとつ、尾張藩。藩の自慢であった地金は、武士がその養育係に任じられたため、武家の好みが反映されました。清楚で凛とした美しさは、武家の奥方を思わせます。
江戸時代、日本の各地で、こうしたお国自慢の金魚が生まれ、その個性を競い合いました。
まずは南国土佐 高知県。ここで生まれたのが土佐錦(とさきん)です。 最大の魅力は尾びれ。 天女の薄絹が、まるでたなびいているかのようです。その尾は、土佐名物の尾長鶏を模したと伝えられます。 大名行列で掲げる槍の穂先飾りとして珍重された鶏の尾を金魚に再現したのです。
これは土佐錦の幼魚。丸鉢の中で2ヶ月間泳がせ、腰回りの筋肉を鍛えます。
その成果がこちら。 南国にふさわしい華やかな舞姿です。
その綺麗さびを表現しようと作られたのがいづもナンキンです。
特徴は、紅で彩られた口元、 丸みを帯びた体形。そして、輝く白銀のような色合いです。
夏の色変わりの時期。金魚の体を痛めないように、そっと梅の実から作られた梅酢をおいていきます。
すると、次第にその部分だけ赤みがぬけてきます。硬くひきしまった白銀の鱗。洗練された綺麗さびの美です。
金魚お国自慢の旅、最後は東北 津軽です。
有名なねぷた祭りの山車の中に、津軽自慢の金魚の姿があります。それが黄金色に輝く津軽にしき錦です。
このこがね黄金色は、津軽の寒い冬が育んだものです。
金魚は普通、半年で色変わりしますが、寒い津軽では、3年近くもかかるため、独特の金色に変色するのです。
津軽錦は、戦後一時絶滅したましたが、20年ほど前、地元の人の手で復活し、津軽の美を今に伝えています。
最後に江戸時代の暮らしをのぞいてみましょう。こちらは、大阪の豪商 淀屋辰五郎(よどやたつごろう)さんのお宅。
金魚は… なんと天井に。お得意さまを喜ばせるしゃれたインテリアです。
庶民も負けてはいません。江戸時代、大流行したのがこの金魚玉。透明な硝子玉に金魚を入れれば、涼やかさが倍増します。
家が密集する都会のくらし。 金魚は、生活にうるおいを与えてくれる存在でした。
金魚玉を作っていたのは風鈴職人です。
東京の下町に店を構える篠原儀治(よしはる)さんは、戦前まで金魚玉を手がけていました。
華やかでありながら、どこか はかない金魚。
江戸時代の人々は、日常生活の様々な道具に金魚の図柄をあしらいました。金魚は、豪華で雄大なものより、小さくはかないものを愛する、 日本人の心をとらえました。
およそ襖2枚分の屏風。一面に金魚が描かれています。
小さな家の中に、まるでさわやかな風が吹き抜けていくようです。
最後に、とっておきの金魚の飾り方をご紹介しましょう。 「釣りしのぶ」と金魚玉のコンビネーションです。 しのぶ草の淡いみどりと、金魚の赤。江戸の風流の極みです。
当時の川柳を一句。
びいどろに金魚のいのちすき通り
金魚は日本の夏の風物詩。 美しい金魚が手に入れば、素敵な夏が迎えられるかもしれませんね。
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