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File9 明治の洋館

 

壱のツボ 階段の美しさは洋館の命

全国各地に残る、明治の洋館。公開されているものも多く、観光スポットになっています。

幕末、開国と共にやってきた欧米の貿易商たちが、自分たちの住まいとして建てたのが、その始まり。やがて、洋館は、文明開化の象徴になっていきます。 

東京・台東区。ここに、明治の洋館の傑作があります。

国の重要文化財、旧岩崎邸庭園です。設計は、ジョサイア・コンドル。あの鹿鳴館を手がけたことで知られる、イギリス人建築家です。

三菱財閥の3代目当主、岩崎久彌(ひさや)が、来客をもてなすために作りました。いわば、岩崎家の迎賓館。明治29年に完成しました。

 


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5つの客室、食堂、ホールなど、どの部屋にも、暖炉があります。
暖炉は、その部屋の顔。部屋ごとに、デザインが異なっています。日本の建築で言う、床の間に当たります。さらに、壁紙や天井など、部屋全体が、華麗に装飾されています。
ここは、女性用の客間。天井に貼られているのは、刺繍を施した絹です。どこを見ても、優雅で華やかな旧岩崎邸。しかし、決して見逃してはならない見所があります。


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洋館の鑑賞、一のツボ。
「洋館の醍醐味は”階段”にあり」。まず、階段がどこに作られているのか、見てみましょう。

旧岩崎邸の平面図です。階段は、この館の中心に位置しています。玄関を入り、廊下をくの字に曲がった先にあります。館に招かれたつもりで、旧岩崎邸に入ってみましょう。

廊下を渡っていくと、急に、目の前が広けます。ここが、階段室。主人の岩崎家当主は、ここで、来客を迎えたといいます。


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客が主人と出会う、劇的な空間。それは、洋館全体の印象を決定づけるほど、重要な役割を持っています。

太い柱に施された豪華な浮き彫りも、場面をドラマチックにする、演出の1つ。この柱があることで、部屋の奥行きが強調され、広く見えるという効果もあります。
出会いの演出だけでは、ありません。さらに、この折れ曲がった階段が様々な見せ場を作ります。

館の主人との出会いに始まり、様々な見せ場を演出する、階段。今度洋館を訪ねたら、その醍醐味を、存分に味わってください。
 

 

弐のツボ 洋館の中の”和”を楽しむ

東京三田の慶應大学に、ちょっと変わった洋館があります。

三田演説館。明治8年に、福沢諭吉によって建てられました。

外観は、極めて和風。土蔵などに使われる、なまこ壁と呼ばれる壁で、覆われているからです。でも、中に入ると、そこは完全に洋風。アメリカ中西部の教会をモデルにしたと言います。

実はここ、日本の演説発祥の地として、知られています。

英語のスピーチという言葉を「演説」と訳したのは、福澤諭吉でした。
400人の聴衆を前に、福澤の門下生たちがここに立ち、以後、演説という習慣を、日本に根付かせたのです。

写真家の増田彰久(あきひさ)さん。洋館に魅せられ、40年近く撮り続けています。この演説館の和洋折衷こそ、時代の空気を、よく表していると言います。


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今日2つめのツボは「洋館の中の”和”を楽しむ」。
見え隠れする和のテイストを探り出すと、明治という時代が、浮かび上がります。

明治初期、学校や役場、銀行などの施設が、次々と洋館で作られました。しかし、この時代の洋館には、西洋一色には染まらない、独特のスタイルがあります。
長野県・松本市にある、旧開智(かいち)学校もその1つ。

建築の指揮をとったのは、地元の大工の棟梁、立石清重(たていしせいじゅう)。立石は、新しい時代への熱い思いを、この小学校の校舎に込めています。


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校舎中央の、正面玄関。ここを飾る、幾つもの彫刻が、そのメッセージです。

まず、車寄せの上にある竜。この、天に昇ろうとする竜こそ、ここで学ぶ子供たちを表しています。
子供たちよ、今こそ、雲を突き破って、天使の遊ぶ、西洋の天上界を駆けめぐれ。これが、立石の願いでした。

東洋の竜と、西洋の天使という、奇妙な取り合わせの背後には、明治の人たちの教育への理想が、隠されていたのです。

和洋折衷の洋館。その、到達点とも言うべき建築を、紹介しましょう。

 

盛美館(せいびかん)。明治42年、津軽の大地主・清藤(せいとう)家の24代当主・盛美(もりよし)によって建てられました。

立派な洋館に見えますが、よく見ると、1階は純和風です。日本建築の上に洋館を建てた、愕きの構造なのです。


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当時、盛美(もりよし)は、広大な日本庭園を造っているところでした。それを一望する建物には、近代化を象徴する洋館がよい、と考えたのです。

 


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日本庭園は、一階の座敷に座った時の、目の高さで鑑賞するように、設計されています。庭を眺めながらくつろぐ空間は、やはり和風がいい。仕事を請け負った棟梁はそう考え、一階を、純和風にしたのです。


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2階の洋館部分も、内部は洋風と和風の、ユニークな組み合わせで溢れています。
まず、床は畳敷き。そして窓にはカーテン。天井からは、シャンデリアが下がっています。2階の別の部屋にも、ここにしかない、和洋折衷が見られます。

この部屋の床の間。床柱には、なんと、大理石が使われています。一体どうして、こんな不思議な和洋折衷になったのでしょうか。


棟梁から直接、その理由を聞いた人がいます。清藤家の現在の当主、清藤茂夫(しげお)さんです。

欧米の文化を吸収する一方で、日本の良さをなんとか残したい。洋館の中の和洋折衷には、そんな棟梁たちの、心意気が感じられます。

参のツボ 漆喰に不可能なし  

洋館には、ある伝統の技も、隠されているんです。  

 

長野県・佐久(さく)市に、明治8年に建てられた旧中込(なかごみ)学校。この学校も、地元の大工の棟梁が建てたものです。

一見瀟洒な洋館に見えるこの校舎。実は伝統の技が、随所に生かされている。
そう言うのは、全国各地の近代建築の調査・研究で有名な、藤森照信(てるのぶ)さんです。

 

3つ目のツボは、「優れた左官の技を味わう」。日本の、漆喰を使った左官の技術は、世界のトップクラス。それが、洋館に使われています。


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壁など、建物の表面の仕上げをするのが、左官職人です。その技術は、江戸時代、土蔵などが多く作られるようになって、発達します。その技で、職人たちは、洋館に挑んだのです。

 

先ほど紹介した盛美館。ここはまた、左官技術の展覧会のようです。彫刻に見えるこの装飾。実は、漆喰で作ったものです。そして、シャンデリアの上の天井飾り。これも、漆喰です。

 


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欧米では、このような細かい細工は、型を作り、そこに石膏を流し込んで作ります。

左官職人の大久保雅一(まさいち)さん。この道60年。多くの文化財の修復などを手がけてきました。

左官職人が使う漆喰は、石灰に糊と麻を混ぜたものです。

石膏より、固まるのに時間がかかるため、少しずつ漆喰を盛り上げて、形を作っていきます。日本の左官職人は、この技術で、どんな物でも作り上げるのです。

まず、真っ白な漆喰の上に、灰墨を混ぜた黒い漆喰で、線を引くように、模様を描いていきます。ある程度漆喰が乾いたら、鏝で、丁寧に磨きをかけます。この作業を、何時間も続けると言います。

こうして、自然の大理石と見間ごうほどの、つやと質感が生まれるのです。

 

明治の洋館に注ぎ込まれた、左官職人たちの技と情熱。それがこの時代にしか見られない、独特の表現を生み出したのです。

 

 

今週の音楽

曲名
アーティスト名
NUAGES JOE PASS
SHINY STOCKINGS COUNY BASIE
JUST ONE MORE CHANCE COLEMAN HAWKINS
WARM VALLEY DUKE ELLINGTON
LIL’ DARLIN COUNT BASIE
PERDIDO DUKE ELLINGTON
KOTO SONG DAVE BRUBECK
BLUE RONDO A La Turk DAVE BRUBECK
WHY WAS I BORN JIMMY SMITH
YOU AND NIGHT AND MUSIC HAMPTON HAWS
INDIAN SUMMER FRANK SINATRA
REDF HOT PEPPER WYNTON MARSALIS