谷 「きょうはこれを掛けてみましょうか・・・。うーむ・・・よし。
死んだ親父が、好きでよく掛けていた、書の掛け軸なんですけどね。これ、誰の書だったっけ?]
谷 「・・・良寛。良寛さんって・・・あの、子供とまりついて遊んでたお坊さん?書も書いたのか・・・」
谷 「でも、なんかこの文字、あんまり上手くないような・・・。どこがいいんだろうねえ。」
谷さん、この書を味わうためのツボが、ちゃあんとあります。 谷 「ではそのツボ、さっそくご指南いただきましょう。
まずは、良寛さんが、どんな字を書いたのか、見ていきましょう。
天上大風(てんじょうおおかぜ)。良寛といえば、誰でも思い浮かべる代表的な書の一つです。 私たちが普段目にする、書の傑作といわれているものとは、どこか違った趣がありますよね。
特徴は、この線の細さ。そして、素人が書いたような一見、つたない字の形。
良寛さんは江戸時代のお坊さんで、いわゆる書家ではありません。しかし、なぜかこの素朴な文字が、魔力のように、多くの人々を夢中にさせてきました。
日本画家で、文化勲章を受章した安田靫彦(ゆきひこ)も、漱石に負けていません。 これは、安田靫彦が描いた、良寛の肖像。
書にはあまり関心がなかったのですが、なぜか良寛には特別な愛着を持ちました。そして、ほら、ついに良寛そっくりの字で署名するほどになってしまったのです。
では、書道のプロは良寛をどう見ているのでしょうか?石飛博光(いしとびはっこう)さん。現代を代表する書家のひとりです。
書家・石飛博光 「良寛さんのあれを書いちゃったら、あの先が見えてこないのね。究極の、すべてをそぎ落としていったら、きっと残るのはああいう字が残るのかなと。そういう文字の存在として、私は良寛さんの文字を大事にとってあるわけです。だから習わないの。」
多くの文人たちをひきつけ、プロの書道家をも脱帽させてしまう良寛さん。一体、どんな人だったのでしょう。
ここは、良寛のふるさと、 越後の国、出雲崎(いずもざき)。
佐渡で採れる金の荷揚げでにぎわった港町です。 良寛は、江戸時代の中ごろこの町の「名主」の家に生まれました。
しかし、跡取りになるのがいやだったのでしょうか、18歳の時、突然出家してしまいます。
「霞立つ 永き春日を子どもらと手まりつきつつ 今日も暮らしつ」。
托鉢で食べるものを恵んでもらいながら、歌を詠み、漢詩を作る日々。いつしか、その独特の書が注目されるようになり、書の達人という評判が、江戸の文人の間にまで広がっていきました。
「私たちにも読める文字を書いてください」 そんな村人のリクエストに答えて、玄関先でさらさらと書いたのが、この二つ。
まず、「いろは」。これなら誰にでも分かりますよね。 ひらがなの曲線の美しさ、そしてあたたかさが印象的です。
そして、もう一方は、数字の一二三(ひふみ)。 合わせて6本の横棒が引かれているだけ。しかし、どの一本も同じではなく、全体として、見ごたえのある作品になっています。
良寛の書・鑑賞の一のツボ。 「すべてをかなのように書く」。日本独自のかな文字に、ヒントがあるんです。
もちろん、禅宗のお坊さんだった良寛は、漢字の基本もしっかり身につけていました。漢字の本家といえば中国。これは、書聖といわれた王羲之(おうぎし)の書です。
太い線で、がっちりと構築された文字。古代中国で完成された、模範的な漢字の姿です。しかし、良寛には、 もっと大切な書のお手本がありました。
これは良寛が友人に宛てた手紙。あなたの家に「道風(とうふう)の石ズリ」という本を忘れてきた。その冒頭にこんな文字が書かれてある。探してほしい、と頼んでいます。
こちらが、その忘れ物。日本の書の名人・小野道風(おののとうふう)の作品を木版刷りにした冊子です。 書かれているのは、ひらがなの原型「草がな(そうがな)」。 良寛は、このお手本を、出かける時にも、肌身離さず持ち歩いていたんですね。しかも、手紙に書かれた冒頭の文字は、見事なほどお手本にそっくり。良寛が、どれほど熱心にかなを勉強していたかがうかがえます。そして、かな文字の持つ独特の美しさを、漢字を書く際にも生かそうとしたのです。
研究者・加藤僖一 「あの、よく中国の文化は楷の文化で、日本は草の文化とよく言われますけど、中国的な力強さを組みほぐして、日本的なやわらかな、具体的に言いますと線の細みと軽みといいますかね、そういうものを良寛さんが実現した、という点がやっぱり、独自性があって価値があるんじゃないかと思いますけど」
漢字だけれど漢字らしくない、やわらかく、細い、曲線の文字。良寛さんの書が日本人にここちよいのはかなのテイストですべての文字が書かれているからなんです。
谷 「そういえば、この書も、たしかに漢字が多いけど、漢字が持つ強さや厳しさは全然ないよねえ。
そうか、これが良寛の書の秘密かあ。」
谷さん、待ってください。良寛の書には、見る人をひきこむ、 ある仕掛けが隠されているんです。
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40歳になった良寛は、今の燕市にある国上山(くがみやま)に移り住みます。
ここでの暮らしは、30年にも及びました。
托鉢のために山を降りるほかは、草庵でひとり、詩作や書の勉強にふけったといいます。この静かな環境の中で、数々の名品が生み出されていきました。
山のふもとに住む親しい友人のために書かれた作品。良寛の傑作として、重要文化財に指定されています。
右側に自作の和歌、そして、左側が漢詩です。 「この庭にも花々が咲き乱れ、部屋の中までその香りがする。 友と二人、相対して言葉もなく、春の夜は更けていく」。
近づいてよく見ると、あることに気づきませんか? そう、文字の大きさがばらばらで形も少し、ゆがんだり、ずれたりしているようです。さらに、どの一行も曲がったり、左右に揺れたりしています。
谷 「あのー、どうせだったら、 もっときれいに書けばよかったんじゃないですか?」
そんな谷さんの疑問、 もっともですよね。そこで、コンピューターグラフィックスを使って、こうしたずれやゆれを補正してみることにしました。
あまりにも縦に長い、この庭という字、上下を縮めてみます。
この字も、左右のずれを直してみましょう。そして、それぞれの文字の大きさや高さをそろえ、まっすぐに並べてみました。几帳面な良寛さんだったら書いていたであろう作品が、こちらです。 いかがですか?谷さん。
谷 「ううん・・・?なんか物足りないな。ええっと、もう一度、元のほうを見せてくださいよ。」
谷 「あれれ、なんか、このずれにも味わいがあるように見えてきましたよ。」
そうですよね。良寛の書・鑑賞の第二のツボは、 「ずれとゆれを楽しむ」。じつは、微妙なずれやゆれに、見る者をひきこむ、秘密があるのです。
研究者・名児耶 明 「ひとつひとつ一点一画見ると、ちょっとバランスくずれたり、なんかへたくそなんじゃないかと思うけども、全体で見るとものすごく魅力的なもの、他の人にまねできないもの。
やっぱり良寛の良さは細くて、一見緊張感ないような線でありながら、離れてみたときはきわめて微妙な緊張感がじつはあるという。あの絶妙なバランスは、ちょっとふつうの人には真似できないと思いますけど」
たとえば、最初に紹介した 「天上大風」。風という字の虫の部分が下にずれています。しかし、このすきまがあるからこそ、何か風が通っていくような、すがすがしさが感じられませんか?
♪谷さんの演奏♪
谷 「ヘヘッ(照れ笑い)、音楽もね、譜面どおりにきちんと演奏するより、こういうふうにわざとね、拍をずらしたり音程ずらしたりして演奏するのも、いいんですよ。谷書もそれと同じってことですかね。それなら私にも、わかる。」
谷さん、まだつづきがあります。
生涯の最後に、良寛さんとその書は、どのような境地に達したのでしょうか。新潟県長岡市の木村家。良寛の終の棲家になった場所です。
69歳になった良寛は、山での一人暮らしも難しくなり、この家の裏庭にあった小屋に移り住みます。 以前から親交のあった木村家の好意に甘えることにしたのです。ここで73年の生涯を閉じました。
その最晩年の作といわれるのが、この書。 「草庵雪夜作(そうあんせつやのさく)」。 生涯を振り返りつつ詠んだ、自作の漢詩です。
「こうべをめぐらせば七十有余年人間の是非 看破に飽きたり往来の跡はかすかなり」
良寛の書は、いっそう細く、消え入りそうにさえ見えます。
研究者・島谷弘幸 「あのー、良寛の書の、一見細くてふらついた線があります。 けれども、これは必ずしも弱い線ではないと私は思っております。 物理的に見ると、筆の穂先が揺れてふらふらとしたように見えるかもわかりません。けれども、これは良寛が、自分の表現したい線を引くためにそうなったということだと思いますね」
きょう最後のツボ。 「弱さに強さがある」。 禅問答のようですが、良寛の書の真髄は、この言葉で言い表せます。
木村家には、良寛最後の書の数々が残されています。 それらを貼り合わせたのが、この「貼り交ぜ六曲一双屏風」。
細く小さな字で書かれているのは、さまざまな書物や仏教の経典の文章です。良寛は、これらをそらで覚え、繰り返し書いていました。
細い線で、自在な文字を書くためには、筆の柄の高いところを持ち、ひじを自由にしておく必要があります。
また線の一本一本が、一定のスピードで、きわめてゆっくり引かれていることもわかりました。全文を書き終えるのに、1時間。高度な技術と集中力を要する書き方だったのです。
生徒 「こういう、飄々とした雰囲気をずっと1時間続けて保って書くということは、相当の精神力っていうか、気力も充実してなきゃいけないだろうし。」
石飛博光 「自然からいろんなものを学び取る、 月だとか、水だとか、そういう変わらない姿を。そういうものの中に、真実を、また、自分の生きる道を求めていったんじゃないのかな。それがやっぱり文字に反映してるんじゃないですか。」
谷 「ああ、つかれた・・・。
ちょっと書いてみたんですけどね。やっぱり、字の形だけ真似しようったって、そう簡単に良寛にはなれません。
えっ、なにを書いたのかって?そりゃ、もちろん、私らしい言葉を書かなきゃいけませんからねえ。」
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