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File3 アールヌーヴォーのガラス

 

壱のツボ 花や虫より素地が主役

谷 「あー・・・。春の日が暮れていく。

今夜はね、とっておきの楽しみを用意してあるんですよ。

はい、これ、アールヌーヴォーのガラスのランプ。なんともいえないやわらかい光ですよねえ。」

ほんとに 見る人を夢見心地にさせてくれますよね。これがアールヌーヴォーの魅力です。


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鮮やかな色と優美な形。高度な技術を持った職人が観賞用に 制作したガラスの器です。

19世紀の末からおよそ30年間、 欧米で作られたガラスの芸術品をアール・ヌーヴォーのガラスといいます。 時まさにベルエポックの時代。パリなどの都市が繁栄し、人々は豊かさを謳歌していました。

アールヌーヴォーは、こうした時代に生まれた美の様式。 王や貴族でなく、裕福な市民が生活の中で楽しむ、「新しい芸術」という意味です。

アールヌーヴォーを代表する芸術家といえばこの人、フランスのエミール・ガレ。 それまで誰も見たことのないガラスの器を生み出しました。

どうです、この花瓶の神秘的で複雑な色合い。

植物や虫、魚など、小さな命を生き生きと表現するアール・ヌーヴォー。 ガレの手になるガラスは、その最高の表現といわれています。

日本でも、アールヌーヴォーのガラスは大変な人気があります。こちらの専門店でも、お気に入りの逸品を探すお客さんが絶えません。気になるのはそのお値段。いったガレってどのくらいなんでしょう?
店主 「幅が結構広くって おやすいものですと数十万円から、高いものだと億を超えるものまでございます。」

谷 「へえーっ。ちょっと、見せていただけませんか?」


店主の野依さんが持ち出してきたのは二つの花瓶。どちらもガレの作品です。
こちら、写実的なタッチで繊細に表現された赤い薔薇。対するこちら、淡いピンク色はもくれんの花です。
店主「こちらの作品は花の細部や葉の部分がとても細かく描かれたとてもきれいな作品でございます。ただ、お値段的にいいますと、こちらの作品のほうが二十倍ぐらい高くなってしまいますね。」

谷 「ええっ 20倍!どこがそんなに違うの?」
店主 「そうですね、こちらの作品は、特に黄色の素地の部分に模様はいれられておりません。それにくらべてこちらの作品は、素地の部分に紫色ですとか、青い部分、まだらの模様がいれられております。これこそガレの真髄ということがいえると思います。」

 


 

はい、これが最初のツボ、「花や虫より素地が主役」。
花や虫より、その背景の素地の部分が、超一級品を見分るポイントなのです。

 

ヴェネツィアガラスやボヘミアガラスなど、ガレ以前は、透明なガラスをつかうのが一般的でした。透明な素地に、彫刻や模様を施すのです。この常識をひっくり返したのがガレでした。


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ガレの傑作といわれる作品です。

描かれているのは一匹の蜻蛉。 かすかな羽ばたきまで聞こえてきそうな羽の表現。しかし、蜻蛉の周囲、不透明な素地の部分を見てください。大理石を表現したものだといわれています。

大理石の上を飛ぶ蜻蛉・・。詩情豊かなシーンが生まれました。


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素地を不透明にすることで、光をガラスの中に閉じ込め、背景を作り出したガレ。
ここでは、複雑に色を重ね、いくつもの炎がゆらめいています。 炎の中にさくクロッカスの花。 幻想的な光景です。

鈴木 「様々な質感をもった素地を背景に使うことで はなとか虫がどういう空間のなかで生きているか、あるいはどういうふうに活動しているかという、そういう空間の中でのストーリーガ生まれている そこがガレの素地の魅力の重要なポイントだと思いますね。」

超一級品の素地は、どれも複雑な色合いと、独特の質感を持っています。しかしこうした素地を生み出すには驚くほど高度な技術が必要でした。

ガラスは、ケイセキと呼ばれる鉱物を原料として、およそ1400度の熱で溶かし、形をつくっていきます。
本来透明なガラスに色をつけるためには、さまざまな金属や鉱物をガラスといっしょに溶かし込んでいく必要があります。

形を整えたらゆっくりとさましていきます。長い時間をかけて温度を下げていく除冷炉を使います。

 

取り出したガラス。ひびが入っています。冷やしていく過程でガラスも鉱物もちぢみます。そのスピードが微妙に異なるため、われてしまったのです。もっと複雑な色合いを出そうとすれば成功させることは至難の業です。

三浦 「ガレの場合の色数の多さっていうんでしょうか。これはもう厳密にいうと何色あるかわからないんですけど。 それらがすべて割れないでお互いになじんでいる。
まずどうやるとこの色が出るのかが根本的にわからない。万が一その色ができたとしても、それとガラスがあうかどうかっていうのはまた別の話で。
こんな微妙な数字をまぜこぜしてなおかつ割れずに残っているっていうのはすごいなと思います。」


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ガレ晩年の究極の一品です。 夜空にひっそりと咲く花。

 

一体この素地には、どれほどの色が使われているのでしょう。見つめていると、無限の奥行きや広がりさえ感じられます。

谷さん、 ガレの優れた作品では、素地こそが主役だということ、おわかりいただけましたか?

 

弐のツボ 光がつくる いくつもの顔

谷 「この素地が見所なんだね。この素地があるから花や虫が生きる。いや役者もね、いい舞台背景があると演技に熱が入るんですよ。手触りもいいし、素地がずっしりしているから花びらの薄さやはかなさまで 伝わってくる。指先でもドラマを感じますよ。

こりゃあ、眺めるだけじゃなく、手に取る喜びっていうのも、ありそうだねえ。」

 

それでは、手にとって味わう、とっておきの鑑賞法をご紹介しましょう。

 

広島に住む井上さんご夫妻です。15年前、長年の憧れだったガレをはじめて購入。以来、ますますアールヌーヴォーの魅力にひきつけられていきます。
現在コレクションは、30点を越えました。井上さんは、コレクターならではの楽しみ方があるといいます。 見せてくださったのは、ガレの花瓶。いったいどんなふうに楽しむんですか?

井上 「そうですね、これ非常に地味に見えるでしょ。ちょっと、あっちに行って見ましょうか」
井上さん、ガレを持って窓際へ向かいました。
井上 「大分赤みがついてきて感じが変わってきます。美術館では大体上から光線当てて一番いい状態にしてあるんですが、まあ個人が持っている場合は、こんなものはいろんなところでいろんな格好でみることができるのが、個人の まあ楽しみの一つですね。」

これが2つめのツボ「光がつくるいくつもの顔」。光の方向や強さを変えて、表情の変化を楽しみます。

 

ガレの作品が、光の変化によって、どれほど劇的に変わるかをご覧いただきましょう。

正面から当てていた光を消し、花瓶の内側に光をあててみます。緑の森は、 金色の光に包まれました。

真昼の森からたそがれの森へ。ひとつの器に時のうつろいが隠されていました。

 

ガレの原風景が、いまも生まれ故郷に残っています。

 

幼いころから通い続けた森。 ガレはここで、朝夕の光が生み出すドラマを、飽きることなく眺めていました。光と影のなかで輝く小さな命。ガレはその神秘をガラスにこめたのです。

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朝もやのなかの白い蜻蛉。

内側から光をあてると、夕暮れに舞うかげろうの影が浮かび上がります。
       
光の魔術の秘密は、この器が、3つのガラスの層からできていることにありました。アンテルカレールとよばれる技法が巧みに使われているのです。

ガレの制作過程を記録した資料は、いっさい残されていません。
ガラス作家の三浦世津子さんとそのグループは、ガレの高度な技術の解明に取り組んでいます。

 

まず黄色いガラスに、茶色のガラスでつくったかげろうを ゆっくりと溶着していきます。

その上から乳白色のガラスの粉をつけていきます。このあともう一度炉に入れると、厚い乳白色の層ができます。

かたちを整え、3層の器が出来上がりました。


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三層構造にすると、なぜ光の魔術が可能になるのでしょうか。

 

正面から光をあてると、乳白色の層が光を反射し、白く見えます。
ところが内側からの光では、茶色や黄色が乳白色のガラスをを通過します。こうしてかげろうのシルエットが浮かび上がるのです。


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それだけではありません。乳白色の層を、かげろうの部分だけをのこして削りとります。器の内側からの光では、同じように蜻蛉のシルエットが浮かび上がります。

ところが、正面から光をあてると、かげろうは朝の光のなかで生まれ変わったように白く輝くのです。

朝羽化して飛び立ち、そのゆうべにははかなく命を終えてしまうといわれたかげろう。

ガレは、小さな虫たちの生と死のドラマをガラスで作り出したのです。

谷 「なるほどなるほど

舞台もね、照明ひとつで雰囲気ががらっとかわるんです。光の演出ってやつですよね。時の移ろいまでガラスの中に封じ込めてしまう。ガレっていうのはたいしたもんだねえ。」

谷さん、これで終わりではありませんよ。アールヌーヴォーのガラスには、もうひとつ大事な見所があるんです。

谷 「え?」

参のツボ 小品でドームに並ぶものなし

ふたたび、アールヌーヴォーのガラスの専門店。愛らしい小さなサイズの作品を求めるお客さんもよく訪れるそうです。

 

店主 「小さいのっていえば ドームがとてもかわいいんですよ。

これなんかそうなんですけど、色もやさしいですし、こちらのあたりの表現なんかとても細かくて、すごくきれいです。」


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春の野にタンポポが綿毛を散らす、なんとも可憐な作品。制作したのはガレと並んでアールヌーォーを代表するドーム兄弟。ガレと同じ、フランスのナンシーで、ガラスの器を作り始めます。しかしその作風はまったく異なります。


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ここにガレとドームが同じモチーフを描いた作品があります。

こちらはガレ。太い線で存在感あふれる蜻蛉です。

そして・・・・ こちらはドームの蜻蛉。いかにも繊細で、はかなげな風情です。ドームならではの細かく軽やかな筆遣いです。

 

3つめのツボは「小品でドームに並ぶものなし」。


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ドーム兄弟の工房は、ガレと同じナンシーにありました。ふたりは天才ガレに対抗するため、ある作戦をこころみます。
さっそくガレとドームの作品を見てみましょう。

エナメル描きという技法で描かれた蜻蛉。この線に注目してください。ドームのエナメル描きは細くて、繊細。この繊細な表現が ドームの武器でした。

3のツボは。ドームのガラスには手のひらにのる美の王国があるのです。

ドームの小品の緻密さをよく表す例をあげましょう。
春の嵐にゆれる木々。どの器にも、おなじように、表情豊かに描かれています。さてこの3つ、どのくらいの大きさでしょうか?

 

実はこんなに違うんです。

第一級の絵付け職人を集め、その技を徹底的に磨き上げたドーム。

55cmの大きな花瓶から、手のひらに載る5cmの杯まで。職人たちはどんな小さな器にも、奥行きと広がりのある、詩情あふれる世界を描くことができたのです。

鈴木 「肉眼でみえないようなところまで手を抜かずにきちんと描いているっていうのはすごいし、またそれでドームは自分の会社のアイデンテティっていうですかね、ガレというものすごい強力なライバルがいたわけですけど、それに対抗する自分の会社の独自性を打ち出したんじゃないでしょうかね。
エナメル技術などでは、ガレよりもより細やかで緻密な仕事をしていますので、その点はガレも一目置いていたようですよね。」
ドームの小品はこうした香水瓶など、生活のなかの贅沢品としてこよなく愛されてきました。

直径5センチのガラスのなかに、明るい水辺の風景が広がっています。 これまでどれだけの人が この風景を覗き込み、こころ和まされてきたことでしょう。
 
アール・ヌーヴォーのガラス。それは、いまも私たちを豊かな時間にいざなう、暮らしのなかの芸術です。 

 

谷 「見える・・見える。静かな湖のほとりに城がある。

いやー なんとも贅沢なひとときでした。今夜はいい夢が みられそうです。」

作品は北澤美術館所蔵

今週の音楽

曲名
アーティスト名
Come Sunday リチャード・デイビス
Points Roses ジャンゴ・ラインハルト
Invierno Porteno リシャール・ガリアーノ
Smoke Rings ジャンゴ・ラインハルト
Someday My Prince Will come マイルス・デイビス
平均率クラヴィーア曲集 第一巻 フーガ第一番 モダンジャズ・カルテット
Go Down Moses リチャード・デイビス
A Night in Barcelona ボビー・ハッチャーソン
Flamingo ステファン・グラッペリ
None Shall Wonder ミルト・ジャクソン
Guacira シブーカ
Look Out スタンリー・タレンタイン
My Funny Valentine チェット・ベイカー
Don't Be That Way ジャンゴ・ラインハルト
Deep in a Dream ソニー・クラーク
Mimosa ハービー・ハンコック
Plus Je T'embrasse Blossom Dearie