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大砲も作っていた! 津の「お台場」って何?

知られざる幕末の津に迫る
  • 2024年02月13日

「お台場」といえば、みなさん何を思い浮かべますか?東京の観光スポットが頭に浮かんだ人も多いのではないでしょうか。でも、三重県内にも「お台場」があったというのです。
(津放送局 鈴村亜希子)

津市に「お台場」があった!?

「津市港町にあったお台場が子どもの頃の遊び場でした。
 その存在が忘れられようとしているのでぜひ取材してほしい」

まるみえニュースポストに、鈴鹿市の稲垣宗夫さんから届いた投稿です。

稲垣さんに連絡を取ると、子どもの頃は津市に住んでいて、近くに「お台場」があったのですが、今はもうなくなってしまった。当時を知る人もあまりいないので、ぜひ調べて取り上げてほしい、とのこと。

「お台場」というと・・。

憧れの「お台場」

こちらですよね。実は私は行ったことがないのですが、ショッピングモールやテレビ局があって、自由の女神やガンダムもいて…。そんな東京にある観光スポットが思い浮かびます。(たぶん)おしゃれな男女が集い、語らい合う場所。それが津市にあった??

津の「お台場」に行ってみた

津市港町 ここにお台場があったとのことですが・・・

「お台場」があったという津市港町に行くと、漁船が並ぶ港が。これはこれで、趣のある風景ですが、思い描いた「お台場」とは違うようです。
津市の歴史に詳しい津市教育委員会の学芸員の中村光司さんに聞いてみると…。

津市教育委員会の学芸員 中村光司さん

「お台場というと、いまは東京の観光スポットが代表的な存在になりましたが、元はといえば、幕末に外国の船が来たり、ペリー来航があったりしたあと、日本を守るために大砲を据えた『台場』、ということで『お台場』なんです」

「開国してくださ~い」でおなじみのペリー来航

1853年、黒船に乗ったペリーが浦賀に来港。それをきっかけに、外国船の脅威に備えるため整備された砲台が、「お台場」です。

東京の「お台場」の砲台跡

東京の「お台場」も砲台が設けられた場所です。こうしたお台場は、全国各地に作られたんだそうです。

津市の場合は岩田川河口付近に津藩が砲台を設置しました。「贄崎台場」と呼ばれ、おもに津城と城下町を守っていたということです。

大正13年に作られた地図

大正13年に津市が作った地図には、港の西側に小山が描かれ、「台場趾」の文字。ここが「お台場」の跡ということで、こんもりとした山になっていたそうです。この津市の「お台場」にはなんと大小11基の大砲が設置されていたそうです。

昭和11年ごろの写真

こちらは昭和11年ごろに撮影された写真です。このときすでに大砲は撤去され、役目を終えた「お台場」は木が生い茂る小山となっていました。

いまでも当時のものが残っていないか、中村さんと探してみましたが…。

途中、堀のような水路と石垣を発見!もしかして…

思わせぶりな石垣 手前に堀のような水路もありました

中村さん!なんだかそれっぽい石垣がありますよ!

あれは明治以降のもので新しいですね

残念。小山も今はなく、整地されて問屋さんや斎場になっていました。

贄崎台場の石碑 

ここに「お台場」があったことをうかがわせるのは「贄崎台場」と書かれた石碑のみ。この石碑、12年ほど前に建てられたそうです。

ここはどんな場所だったのか。

「実際にこの台場から大砲が外国の船に向かって発射されたという記録は残っていないです。ただ、試し打ちはされたという記録が残っていますし、この場所に据えるために津で大砲が作られたという記録や図面なんかも残ってます」(中村さん)

幕末の津市で大砲を製造??

津市では幕末に大砲を製造していた!。
そのことを示す資料を見せてもらいに、市の埋蔵文化財センターに向かいました。

貴重な資料を慎重に広げて見せてくれました
カノン砲の設計図

見せてくれたのは、今の津市にいた鋳物師の阿保家(あぼけ)に伝わる大砲の実物大の設計図。これはカノン砲という大砲だそうです。

復元されたカノン砲

カノン砲、実物はこんな形の大砲です。去年、佐賀県で復元された幕末のカノン砲で祝砲を打つという催しで披露されました。

こうした大砲。多くは藩が直営の工場を作って製造するのが一般的でした。しかし津藩はちょっと事情が違ったそうです。

阿保家の文書 左側の3名が津藩の藩士の名前です

それが分かるのがこの文書です。カノン砲を鋳造するための金額が書かれているのですが、宛先には津藩の藩士3人の名前。そして文書を送ったのは、阿保家の当主でした。

「鋳物師といういわゆる鋳造技術を持ったおうちがあって、技術力の高さを生かして大砲を作ったんですね。これはほかのところにあまり見られない形かと思います」(中村さん)

調査の結果をまとめます。

▼津市にも「お台場」があった
▼津藩では民間の鋳物師の技術で大砲を鋳造、これは全国的に見ても珍しい  

「お台場」そりで遊んだ思い出も

メッセージを送ってくれた稲垣さん ご投稿ありがとうございます

メッセージを送ってくださった稲垣さんにも現場に来てもらいました。稲垣さんは高校生のころまで「お台場」の近くに住んでいたそうです。

「このお台場でよく遊びました。父が船大工だったので、木の切れ端をもらって作ったそりで、斜面を滑り降りるのが一番楽しかったですね。夕方になるとたくさんのトンボが飛んでいて、捕まえたりしました。近所の子どもだけでなく、遠方からも子どもが集まってにぎやかでした」(稲垣さん)

調査結果を伝えると…。

「大砲の話はあまり知らなかったです。外国の黒船を追っ払うために、砲台まで作って、大砲も作っていたのはすごい。びっくりしました。こういう場所が津にあったということを、津の人にも、三重県の方にも知ってほしいなと思います」(稲垣さん)

ちなみに三重県内のお台場はほかの場所にも。津藩が伊勢神宮を警護するため、伊勢市の一色町に設置した場所には砲台をのせたとみられる盛り土の跡が残っているそうです。また、鳥羽藩が鳥羽市の離島、坂手島などに築きましたが、こちらは祈念碑が残る程度だということです。

歴史の教科書でしか知らなかった、ペリーの黒船来港。私たちが住んでいる三重県内にも残っていると知って、なんだかぐっと身近な存在に思えるようになりました。
 

  • 鈴村 亜希子

    津放送局 記者

    鈴村 亜希子

    2014年入局。
    三重県尾鷲市出身。硬軟あらゆるニュースに「立ちリポ」をつけるのが得意。地域職員として三重県の身近な話題を取材。

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