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“あかりに込めた思い”阪神・淡路大震災から29年

  • 2024年01月29日

    6434人が犠牲となった阪神・淡路大震災から29年。
    神戸市の公園で「追悼のつどい」が開かれ、「1.17」の文字の形に灯ろうが並べられました。
    このろうそくを三重県桑名市の川瀬みち代さんのグループが作りました。
    川瀬さんは、みずから作ったろうそくに火をともし防災への思いも込めて犠牲者を悼みました。
    (津放送局 伊藤憲哉)

    “あかり”で神戸とつながる

    「ろうそくにあかりがともって神戸とつながった気がしました。阪神・淡路大震災は絶対忘れてはいけないということを改めて思いました。」
    こう話すのは三重県桑名市に住む川瀬みち代さんです。

    1995年1月17日午前5時46分に、兵庫県南部を震源とする大地震が発生。建物の倒壊や火災が相次ぎ、避難生活の長期化で体調を崩すなどして亡くなる「災害関連死」も含めて6434人が亡くなりました。
    地震の発生から29年となった令和6年1月17日、神戸市の公園「東遊園地」で開かれた犠牲者を追悼するつどいで「1.17」や「ともに」という文字の形に並べられた灯ろう。

    このろうそくのうち3000本を川瀬さんたちのグループが作りました。

    川瀬さんのグループが作ったろうそくがともされた灯ろう

    川瀬みち代さん
    ひとつでも多くろうそくに火をつけてほしいよね。たくさんの人が亡くなっていて、ひとごとではないです。わがごとのようにみんなが大切な命について考えていかないといけないし、しっかりと語り継いでいかないといけない。

    “ろうそくの炎は人の気持ちの中をともす”

    桑名市に住む川瀬さんは、昭和34年に東海地方を直撃した伊勢湾台風の語り部の団体の代表を務めています。防災活動の縁で、阪神・淡路大震災の追悼のつどいの実行委員会から依頼を受け、12年前からグループでろうそくを作っています。
    ろうそくを製作するのは初めてだったため、当初は戸惑いを感じたということですが、「犠牲者やその家族に寄り添いたい」という思いから何度も神戸市まで足を運んで、一から作り方を学んだそうです。そして、「あかりプロジェクト桑名」という団体を立ち上げて、愛知県の豊川稲荷から毎年、使用済みのろうそくを譲り受けて製作を続けています。

    いまでは、この活動をきっかけに伊勢湾台風の追悼式典のためにもろうそくを作るようになり、式典では地元の子どもたちと一緒にろうそくに火をともして「9.26」の文字を作って犠牲者に祈りをささげています。また、ここ最近では、東日本大震災でも同様の取り組みを行い、活動の幅を広げています。ろうそくの炎には特別な思いが込められていると言います。

    川瀬みち代さん
    ろうそくの炎はただの炎ではなく、人の気持ちの中にもあかりをともしてくれる。これから頑張ろうと前を向くようなものだと思っています。このあかりを通していろいろな立場の人どうしが寄り添って犠牲になった人やその家族への追悼の思いとしてつながっていけばうれしいです。

    “ろうそくのあかりは人の心をつなぐ”

    「ろうそくのあかりで犠牲になった人たちに寄り添いたい。」
    こうした川瀬さんの思いは実際に阪神・淡路大震災に限らず東日本大震災の被災者などさまざまな人の心をつないでいました。

    東日本大震災で被災 福島県から来た男性
    ろうそくの炎は温かみがあるしほっとします。東日本大震災で自分も被災していますが、時間がたつと忘れてくることがあるんですよね。追悼のつどいにきて、改めていかに日々の暮らしが大事かを実感していますし、これからも毎日を大事に生きていきます。
    阪神・淡路大震災を経験した兵庫県の女性
    毎年、忘れないように追悼のつどいにはきています。阪神・淡路大震災は絶対に忘れたらいけない。それだけです。
    阪神・淡路大震災を経験した兵庫県の男性
    石川県輪島市に住む知り合いが地震のあとに、連絡がとれなくなっていて、来たくなかったけど、なぜかわからないが初めてこの追悼のつどいに来ました。人間はすぐに忘れてしまうのでろうそくのあかりは、忘れないためにありがたいです。

    川瀬みち代さん
    私たちが作ったろうそくが皆さんの気持ちの中にすっと入っていって、なんとかお手伝いができたかなという思いでいっぱいです。この地震を絶対に忘れてはいけないということが、ろうそくのあかりとともに伝わっていたらいいなと思います。そして、きょうで29年ですが、これから30年40年、その先もずっとつないでいけたらいいなと思っています。

    川瀬さんは防災の活動を30年以上、続けています。そんな川瀬さんだからこそ、能登半島地震で被災した人たちに対して、複雑な思いを持っています。そして、被災した人たちが望むタイミングで協力したいと考えています。

    川瀬みち代さん
    阪神・淡路大震災や東日本大震災など、いろいろな窮地を見てきたので、能登半島地震で被災された人に簡単に『寄り添いたい』ということは言えないというのが正直なところです。何かしないといけないとずっと考えていますが、白紙の状態です。でも、もし能登の方と何かの縁やつながりができたら神戸と同じようにつながらせてもらえたらと思います。そのために1日も早く復興に向けて私たちが入り込めるような態勢作りをしてほしいです。

    取材を終えて

     

    灯ろうには「石川のみんな がんばろう」のメッセージも

    私は今回の取材を通して、川瀬さんに能登半島地震で被災した人たちに対しての思いを聞いたところ「白紙」という答えに最も驚きました。恥ずかしながら、『寄り添いたい』という内容のことばが返ってくるのかなと想像していました。ことばの真意について伺うと「ことばで『寄り添いたい』というのは簡単だけど、実際に私たちが現地で被災した人たちの隣に行くことや、何かお手伝いができる状況かと言われればそうではないと思います。そうなると結果的に寄り添えないことになるので、それは被災した人たちを裏切ることになります。だから、簡単に『寄り添いたい』といまは言えません」と話していました。長年に渡って防災活動を行っている川瀬さんならではの思いで、重みのあることばだと感じました。川瀬さんの言うように、能登半島地震で被災した人たちが望むタイミングがきたときに、川瀬さんたちのろうそくで皆さんの気持ちをつなぐ“あかり”をともしてほしいなと思いました。

      • 伊藤憲哉

        津放送局 記者

        伊藤憲哉

        2019年入局。
        得意の英語・中国語を駆使し、サッカージュニアユース全国大会出場の健脚で、地方行政から国際ニュースまで幅広く取材。

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