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ワニって尾鷲におったん?紀州藩“謎”の通達を追う

  • 2023年12月27日

先日、三重県尾鷲市で展示されていた江戸時代の、とある古文書がSNS上で話題になりました。文書は今の和歌山県から三重県南部などを治めていた紀州藩が、地元の人に「ワニと申す魚」を捕まえたら送ってほしいとする通達。歴史や神話に詳しい人は「ワニってサメのことでしょ?」と思うかもしれませんが、ことはそう単純ではないようで…。ワニをめぐる謎の通達について取材しました。
(津放送局 中野七海)

“ワニと申す魚”とは

三重県南部、海と山に囲まれたまち・尾鷲市。その中心部にある尾鷲市立中央公民館で開かれた企画展で、くだんの古文書は公開されました。

展示を守っているのは施設のアイドル「たぬかわ ひろし」(タヌキの剥製)

文書の名前は「尾鷲組大庄屋文書」。江戸時代の明和7年、現在の尾鷲市など藩内にあった4つの地域に対して出された「ワニ」という魚に関する通達について記されています。

「わにと申す、形別紙のとおりの魚御用に候あいだ/取り次第損し申さざるよう、よく入念塩〆致し指し出し申すべき旨、浦々洩らさぬよう御申し付けあらるべく候」
(読み下し:脇田大輔さん)

簡単に言うと、「『ワニ』という魚を捕まえ次第、塩漬けにして差し出すように」という内容です。

古文書を調べたのは尾鷲市教育委員会の学芸員、脇田大輔さん。企画展に向けて江戸時代の文書を読み解いていたところ、この「ワニ」の文字を見つけたといいます。

脇田大輔さん

「ワニと書いてあって『まさかそんな』と思ってびっくりして。そこに書かれている特徴も、どう考えてもあのワニにしか思えないもので。それで展示に踏み切ったって感じでした」(脇田大輔さん)

古文書に書かれたワニの特徴は…

古文書に書かれていたというワニの特徴は以下の通り。

  • 形は「いもり」に似ていて、尻尾は丸い。
  • 背中は「さめはだ」の様で、腹は「蛇腹」。
  • 4足で、それぞれの足には鷹の爪のような4本の爪がある。
  • ノコギリのような歯がある。
  • ヒレは無く、目のふちは骨が立ち上がっており、目は落ちくぼんでいる。

実際のワニは指の数は前足が5本で後ろ足が4本だということですが、確かにこれを読んだら誰でも は虫類の「ワニ」を思い浮かべます。

さらに紀州藩は「ワニ」という魚について、「特定の時期に獲れるのか。姿かたちを見て覚えている者はいるのだろうか。漁網や釣り竿などにかかったり釣り上げたりできる魚なのか。そもそも海中に生息するのか」とも質問もしています。

「ワニを捜索せよ」との紀州藩からの通達は2回にわたって出されましたが、地元の人たちはどう応えたのでしょうか?

1回目、尾鷲の人たちは「『ワニ』という魚は見たことがなく、網にかかったり吊り上げたりしたこともない」と回答。ところが…。「『ワニ』を献上したら銀を支払うので再度入念に調査せよ」と指示した2回目の通達には1回目とは異なる回答が。

1770年「尾鷲組大庄屋文書」

「わにと申す魚、漁師共沖合にて稀に見及び候えども、右魚と見及び候えば、万事差し置き逃げ去り申すにつき、形見極め候者ござなく、右の品にござ候えば、捕り候者かつてござなく候。勿論、右の筋の儀につき、白干等に貯え候者、心当たりござなく候」
(読み下し:脇田大輔さん)

つまり、「漁師たちは沖合でまれにワニを見かけることがあるものの、逃げ去るのでしっかり見た者はだれもいない。捕まえた者もいない」というのです。

「1回目はそんな魚は知らないって回答しているのに、2回目になって実は漁師は見たことがあって、しかもなにごとに差し置いて逃げるなんていう回答になっています。その情景も想像すると非常におもしろいなと思いますね」と脇田さん。

尾鷲にワニがいるのか聞いてみた

尾鷲港にワニ襲来?

では、尾鷲の海に本当にワニはいたのか?そして今もいるのか?
ワニを探し求めて尾鷲港で漁師などに聞きこみをすることにしました。

尾鷲の海にワニはいますか?

…いない(苦笑)

尾鷲の海でワニ見たことありますか?

ワニは川とかにおって、海にはおらんやろ

ワニって尾鷲にいますかね

見たことないわっ!(笑)

質問するたび笑われて、ちょびっと怒られてしまいました。さすがにいなかったか。では江戸時代、尾鷲の人たちが答えた「ワニ」とはいったい何だったのか。

通達からおよそ50年後、紀州藩の本草学者・畔田翠山が書いた魚に関する本「水族志」に「イラギザメ」というサメを「鰐」と呼んでいたとする記述を脇田さんが見つけました。

1827年成立・1884年刊 畔田翠山執筆「水族志」

脇田大輔さん
「そういう方言が当時残っていたのであれば、同じ紀州藩領であった尾鷲でもサメのことをワニと呼んでいた可能性もあるんじゃないかなと考えました」

脇田さんによると、広島県三次市など一部の地域ではサメのことを方言で「ワニ」と呼んでいる地域があり、現在でも郷土料理として「ワニ(=サメ)の刺身」が販売されているとのこと。ただ、尾鷲でワニをサメと呼んでいたとする文献は今のところ見つかっていないそうです。

今回、三重県南部にある漁業協同組合や県内の水族館、水産研究所などにも取材しましたが、いずれも「サメをワニと呼ぶのは聞いたことがない」という回答でした。

日本の歴史に“ワニ”あり

「ワニ=サメ」というと、あの日本神話が浮かぶという人も多いかもしれません。

そう、「古事記」に載っている「因幡の白うさぎ」です。隠岐の島から海を渡ろうとしたウサギが「ワニ」をだましたものの、それに怒った「ワニ」がウサギの皮を剥いでしまったというあの神話です。

子どものころに読んだ絵本では、ウサギがワニではなく、サメの背中の上をぴょんぴょん飛んで海を渡っていた記憶があります。やっぱり、ワニ=サメなのでしょうか。

ヒントを求めて訪ねたのは、日本神話について詳しい帝塚山学院大学の及川智早教授。

及川智早教授

「因幡の白うさぎ」のほかにも、ワニは「古事記」と「日本書紀」の両方に載っている「海幸彦・山幸彦」の神話にも登場するといいます。

及川教授は「その正体が は虫類のワニである説や魚類のサメである説など解釈が諸説あって定まっていないんです」と言います。

「古事記」では一字一音で「和邇」と表記しているのに対し、「日本書紀」では は虫類のワニを表す「鰐」という字を使っています。字面から見ると、「日本書紀」では は虫類的なものを考えているとも捉えられると及川教授は話します。

そして我らが三重県松阪市出身、「古事記」の研究で知られる江戸時代の国学者・本居宣長は、「日本書紀」では は虫類を表す「鰐」で表記されていることなどから、ワニを四足で口が長く鋭い歯を持つものと認識していたとみられるそうです。

時代は下り、大正時代あたりから「因幡の白うさぎ」は東南アジアなど南方から日本に入ってきた説話であり、そうした地域に生息する は虫類のワニが登場してもおかしくないという説が唱えられるようになったと及川教授は言います。確かにルーツが南方というのなら納得できます。やっぱり は虫類のワニが有力なのでしょうか?

1935年翻刻発行「小学国語読本 尋常科用」

その一方で、大きな影響を与えたのが明治時代から文科省が統一して作った国定教科書です。この中で、ワニは「わにざめ」と表記され、挿絵には魚類のサメが使われるようになったのです。
子どもたちが教科書を通して学んだことで、ワニ=魚類のサメという説が一般には広まっていきます。そのため現在、絵本などではサメで描かれることが多いと及川教授は指摘します。

1946年発行 藤澤龍雄画 絵本「イナバノウサギ」

「日本でそこら辺の川を歩いてワニが突然出てきて食べられちゃうっていうことはありえないですし、動物園に行かないと は虫類のワニを見ることはできません。は虫類のワニがいないので、日本に実在する生き物に置き換えてサメだと言う人がたくさん出てきたのだと思います」(及川教授)

ワニは“海の恐ろしいもの”

そのうえで、及川教授は日本では間口の広い言葉として「ワニ」が使われ、書き手それぞれに自分の「ワニ」がいたのではないかと考えています。

「古事記」や「日本書紀」と同じ奈良時代の文献として、中央からの命令を受け各地方で書かれた文書「風土記」。「出雲国風土記」にはワニとサメと両方が出てくるので、2つは別物して扱われています

また、平安時代に編纂された漢和辞典「和名類聚鈔」。ワニの項目は「鰐」の字が使われ、四つ足でくちばしの長さ3尺、鋭い歯が生えている、虎や大きな鹿が水を渡る時にワニがそれを攻撃して真っ二つにしてしまうなどとされています。この本では は虫類のワニを考えているとわかります。

江戸時代に書かれた百科事典「和漢三才図絵」。ワニの項目にはちゃんと私たちがよく知っている「ワニ」っぽい、愛きょうのある絵も描かれています。実はこの本ではワニとサメが見開きを挟んで隣り合ったページに配置されていて、ワニとサメが別物として描かれています。

1712年序 寺島良安執筆「和漢三才図絵」

「ワニは は虫類、サメは魚類だって今は言いますけどこれは近代になってその西洋的な考え方で分類していったもの。そうした事実を知らない時に、見開きの隣同士で載せているということは、両方とも海の中や水の中にいる似たようなものとして考えているのではないでしょうか」(及川智早教授)

及川教授が見せてくれたワニが登場する資料の中には三重県に関するものもありました。
明治7年に東京日日新聞発行の記事を元にして制作された新聞錦絵。度会県志摩の国の海に「鰐」がいて、船で火事が起きて海に逃げ込んだ人たちを食べてしまう!というショッキングな内容で、うろこや鋭い歯、長い顎といった は虫類のワニっぽいものが描かれています。

1874年発行「東京日日新聞」の記事を元にした新聞錦絵 怪獣にも見える

また、中世に書かれた歌論書「俊頼髄脳」には「わに」が野原の古井戸のような穴の中に生息していて、大きな口を開けて待っているという形で登場。金属製のおわんのように光る大きな目や剣のような歯を持つと特徴が書かれています。これだと魚類のサメとも、は虫類のワニとも異なっていて、もはやツチノコみたいなUMA(未確認生物)では…。

及川智早教授
「文献をみると、全部が魚類のサメで説明できるかっていうとできないし、全部が は虫類のワニで説明できるかって言われるとできない。そうするとやっぱり『ワニ』いう入れ物の中にその場その場で“水の中の恐ろしいもの”を当てはめていくっていうそういうことなんじゃないのかなって思うわけです」

なぜワニを探していた?

話は戻って、最初に紹介した紀州藩のワニ騒動について及川教授に伝えると「いやー、おもしろいですね」とにんまり。

「この時代になると、オランダとか西洋の知識も色々入ってくるわけですよね。もしかするとそのワニが日本に居るのか、地元の漁師たちに聞いてみるとか、日本にそういう は虫類的なワニがいるのかどうかを探ってみるっていうか、紀州藩はそういうことを考えたのかもしれませんね」(及川智早教授)

一方、企画展を主催した脇田さんは、真相が分からない古文書だからこそ、想像することを楽しんでほしいと考えています。

脇田大輔さん
「ワニって本当におったんかな。紀州藩はそれをもらって何をしたかったんやっていうこともそれぞれいろいろ考えて思考を巡らせてもらって楽しんでもらえたらと思います」

ちなみに脇田さんは紀州藩がワニを求めていた理由について食べるためだったのではと想像しています。

と、いうわけで、ワニをめぐる長い旅の締めくくりに、国内で流通している食用のワニを買ってきて焼いて食べてみることにしました。

これがワニの肉だ!
ジュージュー焼く

味付けは塩こしょうで、シンプルに。これを紀州藩が食べたかったのだとしたらおもしろいですよね。どんな味がしたかって?

ワニ肉を食す中野記者

はい。ほぼ鶏肉でした。みなさんもワニとサメに思いをはせながらお試しあれ。

  • 中野 七海

    津放送局 記者

    中野 七海

    2021年入局。静岡県出身。
    尾鷲支局で行政や災害など三重県南部の話題を取材。自作小道具やだじゃれで「おもしろ立ちリポ」を模索中。

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