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徳島市のビル放火事件
詳報

「一生自分の罪と向き合っていくしかない」。

岡田茂被告は接見で語った。
去年、徳島市のビルが放火された事件。
ことし1月25日、徳島地方裁判所は、殺人未遂などの罪に問われた岡田茂被告に懲役11年を言い渡した。

私たちは4日間にわたる裁判を取材し、被告の言葉をつぶさに聞くと共に、判決前後に2回、あわせて1時間にわたって接見した。

「一生自分の罪と向き合っていくしかない」。

岡田茂被告は接見で語った。
去年、徳島市のビルが放火された事件。
ことし1月25日、徳島地方裁判所は、殺人未遂などの罪に問われた岡田茂被告に懲役11年を言い渡した。

私たちは4日間にわたる裁判を取材し、被告の言葉をつぶさに聞くと共に、判決前後に2回、あわせて1時間にわたって接見した。

画像:取材メモ

解 説

被告が生まれたのは徳島県南部の牟岐町。徳島市から車で1時間半離れた、周辺を山に囲まれたのどかな地域だ。
 弁護士などによると、被告は公立高校を卒業後、就職するも、工場や高齢者施設などさまざまな職場を転々とした。1年ほど働くと「無理かもしれないという気持ち」が生まれて仕事を辞めた。それを繰り返すうち、「自分は仕事とかができない無能な人間かもしれないと思った」という。
 そして、12年前から家にひきこもる状態に。母親からは「ちゃんとハローワークに行ったら」などと言われていた。
 家族や周囲から社会復帰を促す声がなぜ届かなかったのか。
被告は趣味のライブには1人で行っていたため、「そこまで重度のひきこもりではない」と思っていたという。
 その後、自分の貯金がなくなると、同居する父親の年金を頼りに生活してきた。
画像:岡田被告のスケッチ 【画像:岡田被告のスケッチ】
動機について、被告は記者に「趣味のライブに行っても声が出せず、全く違う状況になった。友人もコロナの影響で病気になったし、影響はありました」と語った。裁判でも、おととし4月以降、新型コロナで友達と疎遠になり、ストレスを感じるようになったと主張した。
 コロナ禍で、被告は自殺願望を募らせるようになったのか。

 その後、被告の感情はエスカレートする。
「去年3月上旬には常に死にたいという思いになった」「常にポケットに包丁を入れ、気持ちが決まったらいつでも自殺しようと」。
 事件の前日、被告は、自殺したいという思いが少しでも晴れないかと思い、神戸まで日帰りでロックバンドのライブを見に行った。しかし、気分は晴れず、自宅に戻った時には、死にたいという気持ちが残っていたという。
 そして、「何か犯罪をすれば自殺する強い決意ができる」と思い、3月14日の朝、犯行を思いついたと主張した。
一方で、アイドルへの屈折した感情もあった。
 現場は、過去に応援していた県内で活動するアイドルのライブ会場のビルだった。 裁判で明らかにされた調書によると、アイドルの所属事務所の専務は、「被告はAという子のファン。Aの写真を10枚くらい買って、サインをしてもらうと再び列に並んだりしていた。ほかのファンがやらないことをして目立っていた」と被告の様子を語った。
 Aさんに恋人がいることを知った被告は、SNSを使って、恋人とAさんの画像を送ったり、恋人になった経緯を聞きだそうとし、事務所が注意すると、イベントに姿を見せなくなったという。
 それから4年後に起きた事件。
 被告は裁判で「以前からAさんの卒業ライブがあるのは知っていた。犯行を思い立った日がちょうどその日だった。4年前運営に出禁にされていて運営に多少不満はあった。困らせてやろうと思った」「自分が自殺できなくて苦しんでいるのに、彼氏がいるのにそれを隠して卒業するのがふに落ちなかった」と話した。
 一方で殺そうと思ったのかと問われるとはっきりと「違います」と返答した。
画像:岡田被告のスケッチ 【写真:京都アニメーションの現場】
被告が「参考にした」と述べたのが、3年前、京都アニメーションが放火され36人が亡くなった事件だ。
 被告は、事件当日、朝8時ごろ、携帯電話でガソリンの購入方法などを調べ、セルフ式のガソリンスタンドで、ガソリン14リットルを購入。京都アニメーションでまかれたとされるガソリンよりも多い量だ。
 裁判では、「京都アニメーションの犯人は40リットルを持って行ったと思っていた。それより少ない量ならあのような被害にはならないという気持ちだった」と述べた。

 しかし、裁判では、一歩間違えば、大惨事になりかねなかったと指摘された。
 被告は現場のビルの下見を繰り返したあと、3階のエレベーターホールにガソリンを流し、すぐ逃げられるようエレベーターに乗った状態で火を放ったという。
 科学警察研究所の職員は、エレベーターホールの空気が少なかったため、燃えたのは3階だけだったが、窓ガラスが割れるなどして空気が供給された場合、4階に炎や煙が勢いよく流れ、ライブの観客が一酸化炭素中毒で死亡する可能性があったと指摘した。

 一方で、被告は、「人との対面を避けるため、人けのない2階と3階に火をつけるつもりだったが、直前になって2階に人がいることに気づき、3階を選んだ」と述べた。
 その後、大阪へ逃走。お笑いや映画を見たり、風俗店にも行った。裁判では、「警察には絶対捕まりたくなかった」「高いビルの屋上に行ったり、特急電車が通るような駅に行ったりして、死ねるかどうかを考えた」と話した。

 被告は、「本当に身勝手でばかげた行動。申し訳ございませんでした」などと、ことばを詰まらせながら被害者への謝罪のことばを重ねた。また、「両親からの愛情に甘えすぎた」「父と母を否定するような犯罪をしてしまったので、2人を肯定できるような生き方をしていきたい」と、顔を腕の中にうずめて声を上げて泣いた。
画像:岡田被告のスケッチ 【写真:接見取材メモ画像】
拘置施設で会った被告は、黒のフリースを着て、眼鏡はかけず、落ち着いた様子で会話に応じた。
「今回の事件は京都の事件(京都アニメーション放火事件)を模倣してやりましたが、去年12月の大阪の事件(大阪クリニック放火事件)で僕の事件の記事を持ってたことで、さらに自分の事件が注目されたと思う。徳島でこんな大きな事件は38年間生きてて、見たことも聞いたこともない/向こうの方(=被害者)が納得してもらえる判決であれば(量刑は)何年でもいい」。
接見の終了間際には、被告から、「自分も少し聞いていいですか」と聞かれた。大阪の事件についてだった。
どれくらいの方が亡くなったのか、エレベーターはなかったのかなど細かく聞いてきて、最初はいぶかしく思ったが、結局、真意はわからなかった。
判決の直後も、被告の様子は前日と変わらず、問いに淡々と答えを返した。

画像:接見取材メモ画像
 そして、反省のことばを繰り返し、「裁判は、自分の犯罪の大きさというのを改めて反省するきっかけになった。今回やったことは、本当にたくさんの人が亡くなってもおかしくない。自分のやった罪の大きさを見つめ直すじゃないけど、考えたり感じたりした。今回の犯行が全部間違いだった」「被害者の方が亡くなっていないのは唯一の救いですけど、いろんな方の心を傷つけ、その人がうつ病になって自殺してしまう可能性もある。直接的に人を殺してはいないけれど、間接的には人を殺したことになる。一生償っても償いきれない罪をしたと思う」「一生自分の罪と向き合っていくしかないと思う」と述べた。
被告は時々言いよどみながら話していて、自分なりに事件や与えた影響について考えているようにも見えた。
だが、罪を犯してからどれほど自分の罪を反省しても、遅い。なぜ事前に、過ちに気づけなかったのか。 「控訴する予定は?」と聞く私たちに、被告は「考えてないです」「(弁護士にも)控訴はしませんと伝えました」と答えた。
控訴期限だった2月8日までに被告側と検察がいずれも控訴せず、懲役11年の判決が確定した。   

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