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● 流産や死産を経験したみなさんの声 ●
周囲の言動で傷ついたことや悲しかったこと
前に進もう。いつまでも泣いてたらだめ。(三重県 20代女性)
泣いてばかりじゃ赤ちゃんも心配するよ。泣く事も許されないのかと思いました。(神奈川県 30代女性)
「まだ若いから次が…」というような、一見悪気がなく慰めに思えるような言葉が傷付いた。 家族が、他の親戚や友人の子供の話題を普通にしてくるのが辛かった。(もちろん出産や成長はおめでたいことではあるものの、そういった話を聞いたり目にするだけでも傷付くため)(東京都 20代女性)
まだこどもつくらないのか またこどもできないのかと周囲に言われるのはつらかった(香川県 30代女性)
実の親にも最近まで言えず、逆に誰にも言えない事がつらかった。何も知らない周りの人達から、お子さんは?と聞かれる事がつらい?(東京都 30代女性)
泣くしかないのに、泣いたって仕方ない。 と言われることが辛かった。(神奈川県 30代女性)
1人子供がいるからよかったじゃない、卵が悪いから(体外受精でやっとできた胚盤胞だった)(滋賀県 30代女性)
同年にいとこの子供が産まれて「おめでとう」と言わなければいけなかったとき。その時に祖母から「この赤ちゃんにあやかりなさい」と言われた時。悪意がないのがわかっていても辛いです。お客様に私と同じくらいの妊婦さんがいたとき。外食中に自分の子供の愚痴を言っているママグループの声が耳に入った時。生きて笑ってくれている他に何を望むのだろうと思いました。(静岡県 30代女性)
義母から「無理したからかな、元気じゃなかったら産まれてもね」と言われ、責められているような気持ちになった。火葬前夜に、義両親に子どもの顔も見ずお経を読まれた。子どもというよりも、仏として扱われたことに怒りが込み上げた。子どもを亡くしたことを伝えたのに、何事もなかったかのように友人から妊娠報告を伝えられた。(滋賀県 30代女性)
第二子を死産したのですが、「第1子がいてよかったじゃない」と母に言われました。それ以来、母とも距離を取るようになってしまいました。(東京都 30代女性)
「いつまでメソメソしてるの?」 「やっぱり忙しい仕事がいけないんじゃない?」(香川県 40代女性)
男性の友達に、流産ってよくあることらしいなって、笑顔で言われたときに、人に言ってはいけないんだとさとりました。優しい友達なので、悪気はないのも当時からわかっていて、男性には理解してもらえないと思っていましたし、夫も自分の悲しみよりは軽いなと感じていました。それを夫に言っていません。(広島県 40代女性)
偶然とはいえ、私が流産の手術をした日に友人が出産し、報告してくれた。自分の妊娠を伝えていなかったので仕方ないが、おめでとうを言うのがつらかった。また、その二日後にこれまた偶然に妊娠中の地元の友達(妊娠8ヶ月)と会う予定があった。もともと約束していたし、数ヶ月ぶりに会うし、体調もよかったので会ったが、やはり大きなお腹をしている子を見るのはつらかった。その子は「私は子どもできにくい体質だと思っていたから、まさか授かり婚するとは思わなかった」という話をしてくれた。その子には流産していたことだけでなく不妊治療していたことも言っていないので仕方ないけど、帰りの車を運転しながら涙が止まらなかった。(香川県 30代女性)
胎児の無脳症を指摘された後、死産の前、事情を知らない人に「今の人達はパソコンを使うから子供に異常が出る」と言われた。(偶然の発言でしたが、今でも忘れれません) 実母に言われた「いつまでも泣いてたら(赤ちゃん)が成仏できない」「いい加減、乗り越えなさい」 私は乗り越えるという表現が、忘れるような感覚で嫌いです。一生懸命生んだ我が子を忘れろと言われても、忘れられるわけがありません。陣痛も経験して生んでるんです。(高知県 30代女性)
〇〇(私の名前)の強さを尊敬する。いつまでも泣いてたら赤ちゃん悲しむよ。人間になりきれなかったんだよ。 早く忘れられるといいね。何も言われない。(へー。ビックリしたでしょ。それより…と別の話題)(島根県 30代女性)
私は初期の流産だったため、ごく数人にしか妊娠自体知らせていませんでした。そのため気持ちを打ち明ける場がなくとても苦しかったです。子どものいる友人や妊娠中の友人が、子育てやつわりの愚痴を溢していると、子どもが健康なだけ幸せじゃない、と思ってしまいそんな自分が嫌でした。また、私が通っている病院は産婦人科のため、流産診断後は病院で幸せそうな妊婦さんや赤ちゃん連れの方の姿を見るだけでとても辛いです。 (香川県 30代女性)
流産をきっかけに不妊治療を本格的に行い、やっと再び授かった時に姑に「今度は自然にできたの?」と親族の前で言われたことが震えるくらい嫌だった。なんて無神経なんだと言葉も出なかった。 (兵庫県 30代女性)
職場で職員達に息子のことを知ってほしくて写真を見せていたら後日上司から「他にも子どもを亡くした人がいるかもしれない、あなたの息子さんの話しをしたらその人が当時のことを思い出して辛くなるかもしれない、見せる時は配慮して」、「あなたの息子さんの話しが辛すぎて聞くに耐えがたい人もいるかもしれない、あまり積極的には話さない方がいい」と言われたこと(新潟県 20代女性)
初期流産をした人に「私も初期流産したことある」と言われると「一緒にしないで」と思ったので、言われるのが嫌でした。人にもよるみたいですが、私は名前を聞かれるのが嫌でした。簡単に子供ができた友人、同級生が苦手で、SNSでのかかわりを全部切ったので、友人がかなり少なくなりました。(大阪府 30代女性)
なんで?(流産したの?)→こっちが知りたい。(沖縄県 30代女性)
不妊治療(顕微授精)で授かったのですが、体調に異変を感じて受診した病院の医者から 「卵(受精卵)残ってるんやろ?今回あかんかっても次があるやろ」 と言われました。その時はまだ流産が確定していたわけではなく、その時に大きな病院に搬送されていたら助かってた可能性があったのに 次のことを言われて辛かったです。 義母からは 「いつまで悲しんでるん?ずっと落ち込んでたら子どもも来てくれへんよ?」 と言われました。(大阪府 40代女性)
流産は誰でも可能性があると言われたが、周りを見渡せば順調に妊娠して子育てをしている人ばかりだったので、なぜ私だけと思いました。(福岡県 30代女性)
産後2ヶ月で身内の不幸があった時、火葬場が一緒で本当はフラッシュバックが怖くて行きたくなかったけど 母「明日(の火葬場)大丈夫?」 私「大丈夫ではない」 母「でもこの人はこの人だから、しっかり送ってあげないとね」 結果、火葬場で私はフラッシュバックして泣いて過呼吸になって立てなくなりました。また、義母からは娘が夢に出てこないことを言うと「きっともう生まれ変わってるんだよ」と言われ、勝手に人の子にしないでもらえますか?生まれ変わったなら一生夢に出てこないんですか??とキレそうになりました。(福岡県 20代女性)
〈悲しかったこと〉 ・実母に無理したんじゃないか?上の子が2歳だったのでイヤイヤ期で、もう少し間を開けた方が良かったのではないかって言われたとき〈嬉しかったこと〉 大変だったね。 泣きたい時は泣いた方がいい(北海道 30代女性)
産後休暇は取得していたが、その後の復職は気持ちが追いつかず、難しかったため上司に休暇の相談をしたら 「毎日泣いてばかりいるのは病気だ。あなたが友人ならゆっくりでいいと声をかけるが、1職員なのでそうは言ってられない。いつか復職したいと思うなら、何故病気を治さないんだ。精神科に行くべきだ」と言われた。(神奈川県 30代女性)
子宮内胎児死亡の原因がへその緒の巻き付きでした。なので、産後すぐはいろんな方に元気すぎたんだねって言われました。慰めの言葉だと言うことは分かりますが、私としては元気過ぎたくらい元気にお腹のなかで成長してくれて過ごしていてくれたことが嬉しかったので、元気過ぎたくらい元気だった息子が自慢です。ですので、元気過ぎたくらい元気だったんだねって言われるといつも内心引っかかっていました。(新潟県 20代女性)
流産したあとは子宮がきれいになって妊娠しやすくなるって声かけ。プレッシャーにしかならないし…流産経験者じゃ無い人は妊娠できただけマシとか、妊娠できるってわかったから良かったとか、謎の励ましをくれる。全然良く無い。妊娠したって出産できないと意味ないのに、赤ちゃんをこの手に抱けない苦しみ絶対分かってない。 一生授かれないかも、授かってもまた流れてしまって産まれてきてくれないかもという恐怖はずっとあるのに気の持ちようみたいな話しは妊娠してからもされる。不育症になったことないだろ? 子供がちゃんと育たない恐怖や絶望感、苦しみ知らないのに気の持ちようでなんとかなるようなこと言わないでほしい。(岐阜県 30代女性)
妊娠と死産を知った周囲の人は総じて余計なことを一切聞かないで「体調はどう?」とだけ心配してくれたが、妊娠していたことも知らない相手から不躾に「子ども出来た?」と訊かれたときが一番不愉快だった。死産と同時期に友人の子の出産報告が相次いだのにはダメージを受けたが、こればかりはどうしようもない。(北海道 30代女性)
若いからまだ大丈夫だよ と医者から言われた時は嫌だった。私が流産した直後にSNSで「妊娠しました」って発信してる友人がいた。悔しくて、悲しくて、憎くて、旦那や実母に泣きながら死にたいと言った。みんな流産とは無縁だからそんな楽しそうなんだね。流産して絶望してる私がいるなんて、思ってないし考えてもないから自慢のようにSNSで発信するんだね。 最低なのはわかってるけど、そいつも流産か死産を経験したらいいのに。 そう思わずにはいられなかった。(埼玉県 20代女性)
「流産」「流れた」という言葉を使いたくなかった。近い時期に流産された方がいて、他の人がそのことについて「流れた」ということば言葉を使って話しているのを耳にすると、悲しい気持ちになった。(大分県 40代女性)
職場で上司に流産のことを伝えたら「たかが流産くらいで落ち込まないで。誰でもあることよ。この経験を仕事にいかしてちょうだい」と、言われました。私の仕事は助産師です。(大阪府 30代女性)
2回目3回目は長女の産後でしたが、そのこともあり、妊娠自体が怖くなりました。結果第一子と第二子が8年あいたのですが、その年の差を言われるたびに、実はね…と話せる人には話すようになりました。また、妊娠をおめでとうと言われることにも相変わらず素直に喜べず、生まれるまでおめでとうじゃない、と心の中で呟いてました。(兵庫県 40代女性)
『◯◯ちゃん(上の子)がいるんだから頑張らないと』と言われた。娘を亡くして頑張るってこれ以上何をどう頑張ればいいのかと悲しみより怒りが沸いた。(兵庫県 40代女性)
『こうなる前にあれ(中絶)した方が親も子も幸せだったんじゃないかと思う』 『まるで生きてるかのように写真を撮るってちょっとね~?』 火葬の前日、最後の夜遅くに、小さく生まれたわが子と私を目の前にして自分の子どもに『〇〇ちゃんは3,000gで生まれてよかったね!』 それらの言葉が辛かったと言えば 『みんな悪気はないと思う、言葉は捉え方、みんな赤ちゃんのために来てくれた、笑顔でいた方が赤ちゃんは嬉しいと思うよ』 『処置しなかったのは親の選択の間違いで罪、責任』 『まだ若いから早く次の子を産みなさい』(熊本県 30代女性)
仕事復帰した時に上司から思ったより元気そうでよかった。と言われ凄く辛かったです。 次の妊娠や不妊治療するならラストチャンスですと先生から言われたこと(神奈川県 40代女性)
そういう言葉が辛くて人に、相談できない。(東京都 30代女性)
「時間が解決するよ」と言われたこと。 流産は時間が経つほど悲しみが強くなります。流産後も中々妊娠しなければ、さらに不安が増し、流産については「時間が解決する」は当てはまりません。 また何気なく子供が〇月に産まれる、などの話も辛い。自分の子供と同じ予定日だと心がナイフで刺される気分。何気ない子供や出産の話でも、当事者としてはまた地獄に突き落とされた気分。(佐賀県 30代女性)
産後、元気な赤ちゃんがいないのに里帰りするよりも自宅でゆっくり過ごしたかったのに、義母から「次の赤ちゃんに影響があるから、ちゃんと里帰りして身体休めて」って言われたのは傷つきました。今は次とか考えられないのに…と。 あとは産院の先生から「若いし次頑張って」って言われたのも、傷つきました。(愛知県 30代女性)
励ましは流せましたが 「あら可哀想に」が1番傷つきました。(千葉県 20代女性)
お産をした病院で、医療者からは最低限の関わりしかなく、遠巻きにされているように感じ、孤立、無縁感を強く感じました。周囲の人もどう声をかけたら良いか悩むだろうし、的外れの励ましをかけられるのもしんどいと思ったので、自分から短いメールで赤ちゃんが亡くなったことを知らせ、自分から連絡をできるようになるまではそっとしておいてほしい、赤ちゃんのことには触れずに今まで通り付き合ってほしいということを伝えました。(北海道 40代女性)
かけてくれた言葉は全てありがたかった。どんな言葉でも励みになった。気を遣って何も聞かれない方が、なかったことになるみたいで嫌だった。(香川県 30代女性)
育たない命だったのだから仕方ないと思っていい、と言われたのが、私のことわかってない!と怒れてきた(愛知県 40代女性)
若いから大丈夫(一番無責任な言葉に感じます) 医者を変えてみたら?どんな治療してるの?(東京都 20代女性)
「忘れなさい」「次がある」「神様は乗り越えられない試練は与えない」などの無責任な発言(励ましだとは思うけど…)。勇気を出して打ち明けた友人が、他の友人達に言いふらしていた。無事に出産した友人から子供の話をされたり、子供が写った年賀状を送られた。自分ではなく親戚や友達の話を引き合いに出して分かった風な事を言われた。(山形県 20代女性)
神様は、乗り越えられる試練しか与えない (そんな、試練いらない) 泣いてばかりいたら息子がかわいそう (泣かないほうが無理)私なら子供亡くしたら生きていけない (なら死んでない私はおかしいのか?) 火葬の前にみんなが来てくれたとき ママばかりなのもわかるけれど 保育園や学校、子供の話をされるのが辛かったです。息子には、もうそんな未来は来ない 火葬が待ってるのに…と。 私の子供は生きてて良かった、と言われたこともあります。 悪気がない言葉だとわかっていても辛く、引きこもるしかできなくなりました。また、白い花=死 香典=死 と死につながる全てのものが苦しくてたまりませんでした。 (神奈川県 30代女性)
友人や知人に「子供は?」この4文字がとても悲しかったです。世の中の流れとして、結婚→子供という流れがありますが、子供になかなか恵まれない方や、私たちのように原因があり苦しんでいる方がたくさんいる中で、この4文字はものすごく先が尖った刃物でメンタルを刺される感覚でした。私が言われなくてもSNSで「妊娠しました~」などの投稿を見るのも辛く、妻はSNSを辞めるほど苦しめられました。(静岡県 20代男性)
① 初期流産 ・また次があるよ
② 双子を一児死産 ・一人生きててよかったじゃない ・双子だったら育児は大変よ
③ 人工死産 ・まぁ今回の経験も何かの糧になると思って  ・休みの間何してたの?俺なら旅行に行きたいな (東京都 30代女性)
次の子がすぐにくるから大丈夫と言われたり、友人自身の子の話をされるのが辛かったです。(東京都 30代女性)
「赤ちゃん産まれた?」、「大丈夫、次があるから」、「悲しい思いをしているのはあなただけじゃない。たくさんいるから」と声をかけられることがつらかったです。(沖縄県 40代女性)
・母に流産の事を報告したら「お母さんは3人ボコボコ産んだから、悲しさが分からない」と言われた。
・看護師に「そんだけ泣いてもらって、赤ちゃんも幸せもの」言われた。
・友人に「すぐできるよ!知ってる知ってる!」と言われた。(大阪府 30代女性)
妊婦検診のエコーで「あー動いてない、動いてないわこれ。心臓とまってるわ。流産の手術の説明するから診察室きてね~」とバサッといわれた。(東京都 30代女性)
・子供のいる方から言われた「養子じゃダメなの?」
・子供が居ないから夫婦仲良しなんだね ・まだ不妊治療続けるの?(埼玉県 30代女性)
流産した事実を知らない会社の同僚が「◯◯さん二人目妊娠だって。妊娠のコツ聞いたら?」と冗談で言ってきたこと。本人に悪気がないのは分かっているものの、辛かった。(神奈川県 30代女性)
「上の子がいるから、しっかりしなさい」と言われた。 死産して2週間位で「もう、働いてるの?」と言われた。(茨城県 30代女性)
言われて辛かった言葉 「元気? 」「まだ若いから次があるよ 」「くよくよしていないで 」「元気そうでよかった 」「知らないだけでそういう経験してる人多いんだから、元気出しなよ」(埼玉県 30代女性)
次頑張ればよい、 弱い子だったんだよ 腫れ物を扱うような対応がつらかった。(宮崎県 50代女性)
次頑張ろう。流産は周りにもいるよ。といわれました。つらかったです。(北海道 30代女性)
娘が可愛かった、妊婦生活楽しいこともあった。など、とにかく娘の存在を肯定したい気持ちが一番強く、色々聞いてほしいきもちでいっぱいでした。ただ、周囲の人は『辛かったね』『がんばったね』『まだ若いから次があるよ』と、声をかけてくれるけど深くは聞こうとはせず…わたしもそれ以上自分で深掘りする勇気もでず。 帰宅後に『私の妊娠出産は、悲しいことだけじゃなかったのに。娘の可愛い面白エピソードがあったのに話せなかった。』と、悔し泣きすることも多々ありました。じっくり話を聞いてくれる友人がいた時泣きながらになってしまうこともありましたが、悲しかったこと、楽しかったことをひとしきり話せた日にはとても清々しいものでした。 傷ついた言葉等はあらかじめ『悲しみの向こうに』と言う冊子で『こんな言葉をかけられることもあるかもしれない、けど相手に悪意はない』と書いてあったので、大丈夫でした。(埼玉県 20代女性)
「次は大丈夫だよ」その言葉がとてもつらかった。他人のあなたが次は大丈夫って言葉に責任を持てるの?この子を産みたかったのに…と悲しくてたまらなかった。生きた子どもたちを持つ人には、「気持ちわかるよ」と言われた。生きてるのにどうして気持ちがわかるのか疑問に思った。(新潟県 30代女性)
不妊治療自体正社員との両立が難しく、ギリギリのスケジュールで行っていた。 流産後、上司から本当に子供が欲しいなら会社とのスケジュール交渉だってできるはずと言われ辛かった。(東京都 30代女性)
実親が産後、亡くなった子のことに殆ど触れてこないこと。死産のことが話題に上ることもなければ亡くなった子の名前を口にすることもなく無かったことのようにされていること。(三重県 30代女性)
「妻を支えてやれ」との言葉。まるで父親は死産とは関係ないとでも言うような言葉に受け取ってしまう。仕事場で「早く切り替えて仕事をしよう」との言葉。自分の落ちた気持ちとは関係なく仕事は進んでいき、それについていかなければならない苦痛(北海道 20代男性)
特に妊娠を報告していなかった仕事関係の人からわざわざ「残念だったね」と言われたこと。 匿名の場で、「いつか戻ってきて欲しい」とかいたら、「戻ってくる、というのは間違い。次に妊娠したとしてもそれぞれ違う子」とコメントをされたこと。(捉え方は人それぞれでいいと思う) 流産の手術の日、夫は元々あった飲み会の予定を変更することなく行ってしまったこと。(東京都 30代女性)
流産の報告をした友達から、「気持ち分かるよ。私も実は妊娠が分かったんだ」と言われたこと。子供を失った気持ちがあなたに分かってたまるかと悔しかった。産休明けの仕事先で、上司から「元気な赤ちゃんの出産を終えたばかりのお客様の体調を労うように」と言われた。自分と比較してしまい、思わず職場で泣いてしまった。(富山県 20代女性)
実母は妊娠出産で大きなトラブルもなく「流産ってよくあるみたいねー」「何で流産するんだろう」等能天気な発言を以前からしていた。流産を報告したら私が傷つく発言をしそうな気がして流産した事は伝えていない。今さら知っても母が落ち込むので今後も話すつもりはない。ずっと上記の発言はあって聞く度に胸が締め付けられる。 妊娠中の悪阻や流産後の体調不良で数ヶ月引きこもっていたが、近居の両親は流産を知らないので「引きこもっていないで外に出た方がいい」と何度も言われて辛かった。(栃木県 40代女性)
上の子の小学校の保護者会に行った時に「また産めば良いじゃん」と笑いながら肩を叩かれて、驚きすぎて何も言い返せませんでした。家に帰ってから悔しくて泣きました。(東京都 50代女性)
しばらくして、職場に復帰した際、事情を知っているはずの上司から「痩せたね!」って言われたことが一番心に刺さりました。(そりゃ痩せますよって思った)(兵庫県 30代女性)
流産した時20歳だったので、若いから次がすぐできる。若すぎるから流産したのではないか。そんなことで泣くなんていい加減にしろ。普通の人は1度で子供を産めるのに、おかしいのではないか。(東京都 40代女性)
義母からうちの家系はみんな安産だから絶対お嫁さんの方の家系の血のせいと言われた事。事情を知らない職場の人に子供を作らないのはなぜか?可愛いのにね。と言われた事。(三重県 20代女性)
仕事をやめたことで、「もったいない」と言われたこと。 主治医から「若いからまた妊娠できる。子宮筋腫とればいい。」と積極的に検査をしてもらえなかった。夫は「お子さんはまだ?」と職場で言われていたようです。(岡山県 30代女性)
まだ1ヶ月しか経ってないのに、「もう前向きなよ、いつまでも泣いてても娘が悲しむよ」と言われたこと。私と夫や周りの家族と時間の流れが違うことが悲しかったです。1ヶ月を過ぎたら親も誰も娘の事に触れないこと。私は4番目の子供を産んだのに無かったことにされているのがツラいです。「4人目なんだからいいじゃん」って言われたこと。何人いても子供はみんなそれぞれ大事です。望んで4人産もうと思ってたのに。「私も初期の流産したからわかる!」と言われた事。初期の流産も辛いのはわかります。私も昔経験しました。でも35週、あと一歩だったんです。2000gを超えて、呼吸の整う34週も超えていたんです。もし当日の朝、帝王切開してたら間に合った生きてたと思える状態だったんです。周りの人もみんな妊娠してたことを知ってるから、死産したことを事情を話さないといけないんです。無理やり陣痛を起こして産声のないお産をするんです。そして、自分より先に火葬して、骨を拾うんです。我が子の骨を。「病気だったのかもよ、親孝行だね。」そんな親孝行はいりません、辛くとも一緒に闘病したかった。 励ましの言葉かもしれませんが、全て傷つきました。(福岡県 30代女性)
「まだ若いから」高齢出産が近づく中、年齢に焦りや不安があり、励ましになりません。「次があるよ」今抱いてる悲しみを無視されたくない。次を考えるのではなく、失った我が子を偲びたいのです。「子どもに学ぶ・助けられることがたくさんあるから今は辛くてもやっぱり子どもがいる方が良いよ」そう私達も思って望んで授かった我が子が亡くなってしまったのです。次の事などすぐには考えられない。悲しみを助長しこそすれ、慰めにはなりません。亡くなった我が子の話をなかなかできる場がなく(友人や、家族でさえも悲しい話題なので話しづらく)確かに生きていた子なのに存在しなかったかのように感じてしまうのが辛い。SNSで同じような経験をした方と繋がってみたが、私には良い方にあまり働かなかった。他の方の辛い気持ちやネガティブな気持ちを吐露する投稿に感情移入してしまい、自分まで落ち込むことが多かったので見る回数を減らした。(広島県 30代女性)
働きすぎたせいじゃないか と言われて傷つきました。(東京都 40代女性)
医師からは ・初期流産は良くあること ・言い方悪いけど数打ちゃ当たる など。かなり高額な治療費を払い時間もかかっていたので何も残らない事がすごく辛かった。 (東京都 30代女性)
妊娠を知っていた友達に死産の報告し、その時は気を遣ってくれるような言葉もあったり気にかけてくれるような言葉もあったがそれはその場しのぎで誰一人からもその後一切連絡がなかった。まだ日が浅い時同じ時期に出産した兄夫婦が赤ちゃんを連れてきて、その声を聞きたくなく実母に離れたところにいてもいいかと打診したがダメだと言われ、泣き声を聞かせられるハメになり苦しかった。(京都府 30代女性)
「辛い思いしてるのはあなただけじゃない」分かってはいますが、悲しみの大きさは当事者でない他人が比較するものではないと感じました。(香川県 30代女性)
妊婦にも関わらずかなりハードな仕事体制で、死産後、職場の方から色々な言葉をかけられたり、泣かれたり、謝られたりした。初めは仕事が全ての原因な訳ではないのに気を遣わせてしまったと思っていたが、次第に、そんなこと後から言うのなら、どうして体制を見直してくれなかったのか、自分たちが責任を感じて謝ったところで私の子供は帰ってこないのに、と怒りが湧き、そのように怒りを覚える自分にも情けなくなった。(大阪府 20代女性)
何もなかったみたいに、なにもふれられない(千葉県 30代女性)
病院に対して許せない事が2つあります。大きな病院だったので器具を入れる時と分娩時にたくさんの研修医の方が見学に来て本当に嫌でした。こちらに許可を取ることもなく、がやがやどかどか入ってきて、事が終わると挨拶もなく出ていくのが毎回でした。それから娘を連れて帰る時、棺を持って従業員用の廊下を歩いていた時です。"ご家族をお見送り中です。お静かに願います"と立て看板がありました。ですがどこからか話し声がし、振り返ると私と娘がまだ目の前にいるのに後ろで従業員の方が壁にもたれて笑いながら談笑していました。こちらの視線に気がつくと声をひそめましたが話をやめることはなく、ずっとこそこそ笑いながら話していました。私は心が弱っていて「嫌だ」と言う気力もなかったのでそのまま通り過ぎましたが、今でも思い出すとはらわたが煮えくり返ります。(兵庫県 30代女性)
「妊娠できることがわかってよかったね(不妊治療をしていたため)」同僚より 「思ったより元気そうだね」 同僚より 「事故だと思いなさい」 家族より 「遺伝子が弱かった」 家族、同僚より 「 泣いていたら赤ちゃんが可哀想」 家族より 「仕方がない」 医者より 「よくあること」 医者より 「また戻ってきてくれるよ(同じ子はいないと思っているため傷ついた)」友人より 「 忘れ物を取りにいったんだよ」 友人より 「みんなに迷惑かけて、十分に休んだのになんで仕事にいけないんだ」 夫より 「 体外受精したからじゃないか」 夫より 言われて絶望しました。 励ましのつもりでも、無神経な言葉でしかありませんでした。他にも何もなかったように、赤ちゃんの存在について話はせず、お供えしたい、お線香をあげたいなど、家族として認めてもらえない感じが辛い。友人の妊娠、出産報告が辛い。死産届けを出しているにもかかわらず、市役所の各課で紐付けがされておらず、亡くなってから保健所や福祉課から赤ちゃんの様子を聞く連絡がきたこと。(茨城県 30代女性)
・若いんだから次があるよ ・忘れ物をとりに還ったんだね ・元気そうで良かった ・自分の身近にも(死産・流産をした人が)いたよ ・(父から孫の話は)もうやめよう →励まそうとしてくれてるのはわかったが、励ましの言葉が、落ち込んでいる自分がいけないのか、もとの自分に戻らなきゃいけないのかと悲しくて辛いです。 死産を知らない人から ・次は子どもだね →妊娠中に結婚式をあげる予定でしたが、結婚式前に死産になりました。結婚式は親族のみで行いましたが、招待客の中には妊娠していた事を知らない人もいて、「次は子どもだね。」「子どもが生まれる前に遊びにおいで。」等と言われるのが、自分の娘の存在を否定されているようで辛かった。(神奈川県 20代女性)
息子の話題を避ける。もう将来子供を持たないものとして話をされる。(東京都 30代女性)
心のケアのために助産師との面談があったが いっぱい泣いたと思うけどこれからは泣かなくて良いからね。若いからまたすぐに妊娠できるよ。また赤ちゃん来てくれるから。って言われて不快だった。患者がいつ泣こうが関係ない。悲しかったらいつでも泣いて良いと思うのに、泣かなくて良いからねって何でそっちに決められなきゃいけないのかと思う。また第一子の時に2年不妊治療していた為若いからといってすぐに妊娠できる保証がない事も知ってる。助産師なのに不妊症を知らないのかと思った。なくても良い面談だった。(福岡県 30代女性)
今回は弱かった子だったと思えばいい! また、次が来てくれるよ! 一人っ子は可哀想だよ! と言われました。(愛知県 30代女性)
1か月検診の際に産婦人科の医師に「今回のことはこれで終わりです。」と言われたこと。 →搬送先の病院で検診だったので外来自体が初めて、搬送先の産婦人科は担当医制ではないので状況はわかってはいるはずだが配慮もなかった。確かに産婦人科的には終わりかもしれないが、息子のことがなかったことにされたような気持ちになりました。第二子を亡くしたこともあってか、よく「長女ちゃんがいて良かったね」「長女ちゃんのためにもしっかりしないと」など言われることが本当に嫌だった。もちろん、長女がいて救われていたことは確かだけど長女は長女、亡くなった長男は長男、なのに…と悲しむことも許されないのか、という気持ちだった。(愛知県 40代女性)
流産経験者によくある事と言われた。初期流産と同じにしないでほしかった。確率も全然違う。実母に早すぎたのよ。と言われたこと。年齢的にも結婚2年目で夫婦で話し合って決めた事だし早い事は無いはずなのに、全く理解がないことにガッカリした。実母にも皆言わないだけで結構居る等言われた。正直そんな事どうでもいいし、慰めにもならない。大抵流産。友人の結婚式で同じテーブルに亡くなった息子と同じくらいの赤ちゃん連れの人がいた。お祝いしたいのに赤ちゃんを視界に入れないようにするので精一杯だった。難しいかもしれないが配慮してほしかった。(神奈川県 30代女性)
まるで何も起きなかったかのように振る舞われたり、私たちと縁がなかった、みたいな発言は辛かった。(東京都 40代女性)
流産、死産を経験し、もう二度とこんな思いはしたくないと思い、年齢のことも考え、もう妊娠しないようにしたが、「まだいける(産める)って」と言う人には、それ以上何も言えないが、辛かった。(京都府 40代女性)
「元気になったし乗り換えたんかな?」と上司に言われた →乗り越えてなんてない悲しみを携えで生きていくしかないねんと思いました 「前見て生きていって」と父に言われた →前ばっかり見てたらしんどいわ 下くらい見させてくれと言い返した(京都府 40代女性)
実母、祖母に「この世に縁がなかったのかもね」と言われました。世代的な考え方なのかも知れません。でも息子は生を持って、私のお腹の中に来てくれました。生きていました。これまでの9ヶ月を否定されたようで辛かったです。他にも「忘れ物を取りに帰った」という表現を言われた事があり、モヤモヤしました。 流産死産をした方への励ましでこの表現を伝える方が度々いますが、あまりオススメしません。なんならやめてください。産声のない出産をし、火葬しています。「忘れ物を取りに帰った」なんて表現で納得できるものではありません。 「若いから大丈夫」 子供を失っています。若さは関係ありませんし、若くても不妊治療してる方もいます。若くても何も大丈夫じゃありません。(北海道 20代女性)
よくあることみたいに言われるのが辛かった。主に上司に私も流産したことあるから、と言われたが、だから何?という気持ちになった。しかも、不妊治療中であり次の治療の予定などを聞かれて更に傷付いた。まだお腹に赤ちゃんがいるのに。心拍が止まっていても大事な子供なのに、治療で仕事のスケジュールに穴が空く方が気になるんだなと思った。その上、稽留流産を診断されたと報告した日の夕方に翌日の休日出勤を打診され、私の子供は死んでしまったかも知れないからどうでもいいんだな、と思い辛かった。更に、数ヵ月後に他部署の産休の欠員補充で部署異動になり、本当なら自分も産休だったのにと思うと悲しかった。バスでマタニティーマークを付けた女性に席を譲ったとき、私も妊婦なのにという気持ちになった。辛かった。 術後に子供を見せて貰ったとき検体入れに入っていた、本当ならベビーカーに乗せてあげたかったのになぜ私の子供だけそんな小さい容器に入れられてしまうの?と思って今でも泣くことがある。(奈良県 30代女性)
「若いんだからまだ次があるよ」と言われましたが、娘を蔑ろにされたと感じました。亡くなった娘と次に生まれてくる子はまったく別の命なのに、次という表現は娘の命が軽んじられている気がして悲しくて仕方がありませんでした。(埼玉県 20代女性)
赤ちゃんの写真を残しておきたかったのに、義母や夫に反対されたことは悲しかったです。忘れ物取りに帰ったとか、わたしたちなら乗り越えられると思ったから試練を与えたとかは良くわからなかったし、励みにもならなかったです。(神奈川県 30代女性)
「元気そうだね」「今不妊の人も多いから、できるって分かっただけよかったね、またすぐよ」「早く次の妊娠するといいね」とか、本人に悪意のない励ましがつらかったです。でも、そう思う自分自身も嫌でした。(愛知県 30代女性)
赤ちゃんがかわいそう。どうして?何があったの?何が原因なの? という言葉は辛かったです。自分の命よりも守りたい我が子を守れず、自分のおなかで亡くなった子をかわいそうと言われると、自分を責められているような気がして。 亡くなった原因は私だって知りたいです。後日たくさん検査しましたが不明のままです。全て正常範囲内でした。(海外在住 30代女性)
・無事に出産した直後の友達に死産を伝えたら「私も妊娠中は不安だった」と言われた ・「お空に忘れ物をとりに行ったんだよ」と言われた ・起こってしまったことは仕方ない、と他人から言われたこと ・前を向くしかないと言われたこと ・残念でしたね、ご愁傷様という言葉 ・自分より後に妊娠した友人が皆無事に出産していくこと(愛知県 30代女性)
親族や遺伝カウンセラーの、「中絶したとしても自分を責める必要はない」の言葉。夫婦を勇気づけるための言葉だったかもしれないが、産みたいと思っていた私にとっては大事な赤ちゃんを蔑ろにされたような気持ちになった。(千葉県 20代女性)
手術日を決める際に「早くしないと大量出血するだけだ。」と奥で大きな声で話す医師の声が聞こえました。手術後に妊婦さんと同じ部屋に帰ってきた時、自分のお腹には何もなくなぜ同じ部屋にいるのに自分は流産なのかと思い辛かったです。(香川県 30代女性)
死産児の写真をSNSにアップしたら、「消してほしい」と言われたこと。1番辛かったです・・・。 占い師から言われた「忘れろとは言わんけど思うな」も辛かったです。どうして大切な我が子のことを思ってはいけないんですかね。存在が認められてないようで、とても辛かった。(福井県 30代女性)
流産のタイミングで夫はコロナになり、一人で大量の出血と腹痛に向き合った。流産宣告も一人で受けた。なんでも一人でしないといけないのがとても辛かった。(広島県 30代女性)
「次また産めばいいじゃない」「亡くなった子の事ばかり考えてたら今生きてる上の子が可哀想」などが辛かった(香川県 30代女性)
辛くてしばらく実母に言い出せなかった。伝えた時に「うそでしょ」と冗談だと思われたことが辛かった。そんな冗談を言うわけない。(北海道 40代女性)
親世代の人だからかもしれないが、まだ若いから(次がある)、と言われたときは困惑した。不妊治療で授かった子だったのと、年齢的に高齢出産に差し掛かる時だったので、励ましのつもりだったのだと思うけど逆に悲しい気持ちになった。(神奈川県 30代女性)
ショックが大きくて、その時の記憶があまりないが、流産したことに対して触れないようにされていたのが逆に悲しかった。(大阪府 40代女性)
実の母に「いつまでもくよくよしても仕方ないよ」と言われたのが辛かった。また妹が出産した時も母に「祝ってあげてね」とお願いされた。めでたい人には放っておいてもお祝いメッセージが行き、辛い人への励ましなんて自分から辛いと言わない限り誰も助けてはくれないのに…。(広島県 30代女性)
産院の先生からの、"運がなかった。仕方なかった。誰が悪いわけでも無い。"その言葉は、分かってはいても、心でモヤモヤしてしまいました。また、私が退院後食事をしている時に味を感じる事が出来なくなってしまった際、実母に"心が死んでるんだよ。"と言われ、久しぶりに口にした実家の漬物を口にした時には、"もう塩分気にしなくていいんだろうから"と。何気ない言葉が、苦しくて、苦しくて。心が死んでるのは当たり前。息子を亡くしたのだから。食事に気を付けなくても良くなったのは、私が妊婦ではなくなったからです。それも、相手には悪気がなくとも、辛かったです。(東京都 20代女性)
死産半年後ぐらいに、友だちとのグループLINE内で他の子の出産報告があった際、産んだ子以外の子が「"みんなで"その子どもにプレゼント買おうな!」みたいな文を見た瞬間、あー私の子は生きてないから貢げないもんな、と私の子は無かったことにされている事が悲しくなった。すぐグループLINEを抜け、今、そのグループ内の人たちとはもう関わりを持ってない。(山口県 30代女性)
流産したことを話すと「何したの?」と言われました。私が何かしたから流産したと言われているみたいで悲しかったです。「若いから大丈夫」と言われ、時間もあるし次があるからという意味で励ましてくれたのかもしれませんが、若くても流産したら悲しいし辛いし、若いからって我が子を必ず妊娠出産できるとは限らないので何を根拠に言ってるのかと、何の励ましにもなりませんでした。 「不妊症よりマシ、不妊症じゃなくてよかったね」や不妊症の方から「妊娠できるだけいいですね」と言われました。私は不育症なのですがこのように言われてとても悲しかったです。我が子に会うというゴールを目指しているのは不妊症も不育症も一緒なのに…と思いました。辛さは当事者にしかわからないので本当に比べることではないと思いました。 「まだ全然わからない早いうちでよかったね」と、初期流産でよかったねという意味合いだと思われることを言われました。初期流産だとしても心拍も見えて徐々に人の形になってきていて、私にとっては我が子を亡くしたことに変わりないのにどうしてそんな酷いこと、我が子を否定するようなことを言うんだろうと本当に悲しかったです。励ますつもりだったのかもしれませんが、何の励ましにもならずただただ傷つけられました。(静岡県 20代女性)
前向きな考えを伝えた時に、あーあなただからそんなことがおこったんやわ。私を励ますつもりの言葉だとは思うが、タイミングによるかと。俺やったら耐えられへん。立ち直ったんやなあ…(京都府 40代女性)
職場が医療機関なので上司に部署変えの相談したところ 「臨月でお子さん失くしたママだっている」 「あなたは一人子供生めてるんだから」といわれた SNSで流死産経験のある方たちのコミュニティに入ったところ、わたしが一人生めているのがわかった途端に態度が変わり 天使ママと呼ばれてる人たちは一人目で経験した人たちだけのことだったんだなと落胆した(岩手県 30代女性)
大丈夫だよ、お母さんは悪くないから。(愛知県 20代女性)
よくあること←最初のころずっと言われていたが、全く慰めにもならないし、何度も経験していると軽く言うなと思う 流産とかしたくないから←私が流産経験者だと知っているのに、たわいもない会話で本人にも悪気はないとは思うが、コロナワクチンを打つか打たないかの話になった時、打たない、流産とかしたくないからと言われて、悲しくなった 女子社員だけの研修等でのひとこまで、日常について話す機会があると、子育ての苦労話や子供との日常について話が盛り上がると、孤立した感じになる(心の中で勝手に) 流産後に行政から妊婦へのコロナワクチン優先接種のお知らせが届いた時は、ありがたい事ではあるが、複雑な気持ちになった(福岡県 40代女性)
よくあることよ。早く忘れたらいい。という言葉、私の経験や息子が認められないと思った発言に傷ついた。(高知県 40代女性)
親族、特に年配の方は、死産をなかったことにする雰囲気でした。励ましのつもりで言われる言葉に傷つけられるので、誰とも関わらないようにしています。(未だに会うと、腫れ物扱いなので、会う機会をなくしています。)(東京都 30代女性)
状況を知らない人からですが 「子供はいるんですか?」 と聞かれるのが辛かった。(神奈川県 30代女性)
死産後、病院に入院中私のお腹を見てもうすぐ産まれるの?と話しかけられ絶望で死にたいと感じた。(静岡県 40代女性)
実母に無かったことにされたこと。泣くなと言われた。お腹の中で赤ちゃんを殺すことってあるんですねと言われたこと。 虐待ですか?赤ちゃんはどこにやったんですか?妊婦でしたよね?と言われた(三重県 40代女性)
出産の報告に「母子ともに健康」が言えなかった(神奈川県 40代女性)
流産して処置を受けた後、看護師さんから「若いんだからまた出来るわよ」と言われて無責任だと思った。1ヶ月も経たない頃に義父から孫を待ってると言われてショックだった。早い時に流れてまだ良かったと言ってきた友達がいて、びっくりした。(愛媛県 50代女性)
兄弟がいるから大丈夫(香川県 30代女性)
ご近所で火事によりお子さんを亡くされた方がいました。その方と比べて、産まれてくる前でよかったじゃないと言われ傷つきました。(東京都 50代女性)
妊娠中だった人から「流産ってよくあることだよね!」「6月までに妊娠したら(自分の子と)同い年だね!(予定日が年度内になるため)」と言われた。(埼玉県 40代女性)
回復してから社会復帰した時にお子さんがいる人を見て、自分は子供産んでいないからダメなんだと責め、そのお子さんがいる方に対して嫉妬深くなったことが本当にしんどかったです。(神奈川県 40代女性)
病院の先生に流産癖がついていますねと言われたこと。4人目が欲しかったから。(香川県 60代女性)
31歳くらいだったから、若いからまた次と言われた。医師からよくあることと言われた。(山形県 40代女性)
仕方がないよと言われたけど、全然仕方がないでは片付けきれない。祖母に昔はこんな事なかった、あなたの食生活が悪いとか、上の子おるとやけん、良かったよ。って言われた。友達にはなんであなただけそんなに神様に苦しめられるんやろうね。って言われたこと。病院で手術の前に手術台の上で目が覚めたら終わってるからって言われて、もう虚しかったし悲しかった。(福岡県 30代女性)
流産はよくあることだから。初期流産は確かによくあることだと思います。そのなかで我が子を火葬した経験がある人はどれだけいるのでしょう。また両親からある絵本をもらいましたがすぐに捨てました。全く共感できずスピリチュアルで私を救えると思っていることに腹立たしかったです。(兵庫県 30代女性)
親が自分たち以上にショックを受け、憔悴していたこと。(東京都 30代女性)
二回目の流産後、原因をしらべるため、生殖医療科に紹介をしてくれた。そこの先生から、高齢だから、一人こどもがいるから、赤ちゃんをあきらめたらみたいなことをいわれた。原因をしらべても意味ないと言われた(高知県 40代女性)
当事者である私に『泣くな』と言い全くこちらの気持ちに寄り添う事をしなかった父親の態度や言動に大変傷ついた(静岡県 40代男性)
流産の確率が高くなる高齢出産の現状を医師から淡々と説明され、気持ちが追い付かないまま手術の話をされるなど、心の整理がつかなかった。(岡山県 40代女性)
義母「なぜその病院にしたの」夫「保育士なのに自己管理がなってない!仕事辞めて寝てばっかり!」通院時の医師「まだ若い次があるから!」悔しかった…インスリン療法開始。(青森県 50代女性)
娘を産んだ病院の対応が酷かった。娘が亡くなっているからなのか、陣痛が進んでいきみたくなり、ナースコールを鳴らしてもなかなか来てもらえず、分娩室からだいぶ離れた病室から、車椅子で移動中に我慢できずいきんでしまいました。座ったままでいきんだので挟まれた状態です。生きている赤ちゃんの出産では考えられないでしょう。その後、娘は膿盆に乗せられ連れて来られました。それも酷い。思い出すと胸が苦しいです。今、文章にしていても。出産後、しばらく休む部屋に隣で出産する妊婦の声、赤ちゃんの産声が聞こえてきました。この人達は何も配慮できないのか。もう諦めしかありませんでした。愛知県では死産した人に対するケアは全くありません。こんな状況に置かれた私は、よく鬱にならなかったと思います。私のような思いをする人が少しでも減る事を願います。(愛知県 40代女性)
娘について触れてこない、触れてはいけないものとしての扱い方が悲しかったし、今もある。「コロナ禍のストレスもあったんかな」など原因を憶測でしゃべられるのもとても嫌だった。相手にそんな気はなくても、自分のせいだと言われている気がした。(京都府 30代女性)
長男ともっと長く過ごしたほうがいいっていうことなんじゃない? お母さんのために、赤ちゃんはお別れを選んだんだよ。忘れなさい。原因はなんだったの?(東京都 30代女性)
また、ドクター、看護師の配慮の無さに傷ついた。言葉かけが欲しかった。そして待合室では幸せそうな妊婦、小さな子供がオモチャコーナーで遊んでる、赤ちゃんの心音が響いてくるという、残酷な環境で流産を告げられた私も同じ空間、お会計に呼ばれるまでが辛すぎて、そこも配慮して欲しかった。 職場へ流産報告をすると、同じ時期に妊娠報告してたママから、辛いね。でも次大丈夫だよと…不育症なのに次は大丈夫とかないからと。(福岡県 30代女性)
「次があるよ」「まだ若いんだから」「もっと辛い境遇の人もいる」(群馬県 30代女性)
特になかった。周囲の励ましの言葉(流産経験がある自分の母親以外)を聞いても、「当事者にしかわからない」という気持ちが強かった。(東京都 40代女性)
1番悲しかったのは、出産時に誰からも『おめでとう』と言われなかったことです。死産とはいえ陣痛があり出産したので、人によるかもしれませんが私はおめでとうと言われたかった。 また出産当日に、知人からもたまたま同日に出産したと連絡があり…私の状況は知らないのでお祝いLINEを返したのですが、文面をいつものテンションで返信するのも辛かったです。(東京都 40代女性)
けい流流産の日帰り手術のため入院していた病院で助産師さんに「赤ちゃんまた帰ってきますよ」と言われました。当時は赤ちゃんが次いつ来てくれるのか、亡くなった子は帰ってこないと思い辛かったです。(大阪府 30代女性)
退院後の日々は心が孤立。 精神科を一度だけ受診。その時に、担当の女医さんが自身の話を聴き、医療職ではなく、一人の人として、私のことを想って、感情的になり憤りをもってくださり、ここに1つ救われました。(滋賀県 50代女性)
若いんだから子どもを持ちなさい。と近所のおばさんに言われた。(長崎県 30代女性)
親族に赤ちゃんを見る事を拒まれた事が、子の存在を否定された様で悲しかったです。 後に聞くと、あなたを支えないといけないのに、見ると自分まで号泣してしまいそうで遠慮した...との事でしたが、一緒に号泣して欲しかったです。(兵庫県 40代女性)
「そんなことあるんだ」「子どもいるの?」「忘れなさい」 私も実際に自分が経験するまでは他人事で、流産などを打ち明けられた時に何か原因となる状況(例えば仕事をしすぎたのではないか、体に問題があるのかなど)があったのではと思ってしまったことがあるので経験して当事者にならないと難しいかもしれません。不育症で対策できることがわかる場合もあるが、染色体異常は仕方なく、原因がないこともある。経験して初めて知った。順調と言われていたのに、ある日突然心拍が止まって目の前が真っ暗になる。「そんなことあるんだ」は、流産や死産は一定数起こることなのに特別な悲劇として捉えられるのが辛かった。「子どもいるの?」は、いないとしか答えられず、3人います!1人産んだけど死産で、2人は流産でしたが小さな姿が可愛かったです!と答えられたらどんなにいいか、と思った。順調で何も知らず、そのような経験がない人もいる。でも、本当にいつ当事者になるかわからないんです。私は産休をとって、死産がオープンになってしまったから後から「自分も実は流産してて…」と打ち明けてくれた人もいました。もっと流産や死産、新生児死などそのような現実があることを知ってもらえたら、むやみな質問に傷つく人が減ると思う。「忘れなさい」は、見える形で命を見てないから仕方ないのかもしれないけど、赤ちゃんと一緒にいた時間を否定された気がして辛かった。(愛知県 30代女性)
職場や友人からは そんなふうにさ(泣か)れても、こちらはなんもできない。乗り越えられる人にしか起こらない。お空の子も泣いちゃうから泣かないで。手のひらに乗るような子でも今は生きられる時代だから次頑張りなさい。 実母からは強くなれ、いつまで亡くなった子のことを話に出してくるの。 グリーフケアをしてる人から、みんな同じだよ。と言われるのもキツかったし、意味がわからなかった。夫が名前の漢字を間違えたこと。(兵庫県 30代女性)
んー一人ではいけない、わがままになる など(高知県 50代女性)
いちいち傷つかなくていい、自分の人生にとっては外野のいうこと、と思っていたのでさほど何も思いませんでした。そら、辛いことあったってわかってるからこそ、みんななんか言いたいんやろなとは思い、むしろありがたく思いました。(滋賀県 40代女性)
本人にまったく悪気がないのは分かっているのですが、母と一緒に出かけた先で赤ちゃん連れのご夫婦を見かけたら私よりも先に母が泣いてしまい… 母親を悲しませるなんて私はなんてひどいことをしてしまったんだろうとつらかったのを覚えています。(宮城県 40代女性)
病院の相部屋で周りを気にして、泣くことも出来ず辛い思いをしました 一番傷ついたのは、知り合いで同時期に出産予定だった夫婦が家に来て目の前で幸せそうに生まれてくる子の名前とか話し合っていた事。実母にこの事を打ち明けたら「普通に接してくれてるのよ」と心無い言葉を言われました。また更に亡くなった子の納骨する場所を巡って義実家から横やりが入り、私の意志が通らなかった事です、(神奈川県 60代女性)
初期流産は、よくあること。仕方がなかったこと。 次があるよ。(奈良県 40代女性)
他人には到底理解できるものではないので、何を言われても、他人の発言は気にならなかった。(和歌山県 40代男性)
死産から1年が経とうとしていた時、母や弟から「1年経つのだからもうそろそろ社会復帰しないでどうするの」と言われ、勝手に“1年”という区切りが立ち直る基準のように言われたのが辛く悲しかった。1年を迎えようとしていた時は昨年のことが思い出され、また気持ちが深い苦しみに襲われていた時だったので、自分の気持ちを解ってくれていないことが本当に悲しかった。(和歌山県 40代女性)
人工死産を決めた日に「また、次の妊娠に向けて頑張ったらいいじゃない」「次の妊娠ではきっと大丈夫だよ」と言われたことです。まだ、自分の中で今回の妊娠は終わっていなくて期限いっぱい可愛がりたい気持ちだったのに、もう次の話をされて辛かったです。次のことなんてまだ考える余裕はないし、次は大丈夫だなんて根拠の無い励ましは心が追いつきませんでした。「私もそうだったから分かる!」と安易に同情されたことも辛かったです。その方は妊娠初期の流産を経験されていました。分娩・火葬・死産届が必要な時期になる死産とはまた違ったものだと思います。私も逆の立場で、初期流産は体験していないのでその方の本当の辛さは分かってあげられないと思います。似たような週数で死産された方でも、私の経緯とは大きく違う場合もあるので安易な同情はできません。それぞれバックグラウンドが違うことを理解しないといけないと思いました。流産・死産とは違う視点になりますが、1番傷ついたのは「障害ある子も可愛いよ。私だったら育てられるのに。」といった言葉でした。 授かった命を大切にすることは当たり前だと百も承知で選択した答えなのに。どんな病気かも、私たち夫婦がどんな葛藤を抱えているかも知らず、頭から否定されたことに無性に腹が立ってしまいました。色んな価値観倫理観があるので安易な言葉では述べられませんが、出生前診断の意味を考えさせられました。(香川県 20代女性)
「まだ若いんだから、何度でもチャレンジしたらいいよ」「まだ3回でしょ、あなたはもっと強くならないと。」と医師に言われた。「それは辛かったね」と言ってくれたらそれで充分だと思う。他にはどんな言葉をかけられたとしても、きっと傷ついたと思うから。何も知らない人に励まされたりするのが、一番堪えた。特に、元気な子どもが3人とかいる人に慰められると、ひどく惨めな気持ちになった。(香川県 40代女性)
母から「何がだめだったのかしらね、妊娠ができるってわかってよかったね、前を向いてね」といった内容の励ましがありましたが、どれもわたしには悲しい言葉でした。また、同時期の友人からの出産報告もつらかったです。心から祝いたかったのに、気持ちがついていきませんでした。(神奈川県 30代女性)
大丈夫よ(岡山県 40代女性)
「大丈夫?」と言われるのが辛かった。このような壮絶な経験をして大丈夫な人なんてひとりもいない。(奈良県 30代女性)
産婦人科外来の看護師さん?助産師さん?が、口々に、「わたしも流産経験がある、気持ちはわかるよ」と慰めてくれたが、その次に「今は子供に恵まれて、この子に会うためにあの流産はあったと思えたよ」、と励まされたこと。ただ、最後の一言はいらんと思いつつ、なんとか気持ちを伝えようとしてくれたことには感謝しています。(大阪府 50代女性)
流産癖がついてますねと病院の先生に言われた。(香川県 60代女性)
まだ若いんだから、次があるから大丈夫。友達は、流産したけど、また赤ちゃん産めたから、あなたも大丈夫。 などという言葉は、長年不妊治療をして、やっと授かった私には、そう簡単に授かるものではないと思っているので、人は人。私の場合、この先どうなるかなんて何も分からないのに、無責任な事言わないで、と思いました。 他には、両親が、亡くなった我が子に対して、「可哀相に。もっと長く生きたかっただろうに。」と言いました。娘は、短い人生だったけど、私のお腹の中で、充分楽しめたから、お空に帰ったと、信じている私にとっては、辛い気持ちを抱えたまま亡くなったと思いたくないし、そのようにも周りの人に思ってほしくなかったので、とても傷付きました。(神奈川県 30代女性)
誰のせいでもない、寿命だったと励まされることが辛かった 妊娠から流産まで赤ちゃんがいたことを聞いてほしいのに相づちがなかったり話を切り上げられて悲しかった(宮城県 30代女性)
次があるよ。ご愁傷さまでした。など(東京都 50代女性)
死産後1ヶ月で「まだ泣いてるん」と言われたこと 「次があるよ」と言われたこと 心拍停止発覚直後に「火葬骨も残らんしな」と言われてまだ、お腹の中にまだいるのにも関わらず、何も残らないとあっさり言われたこと。(大阪府 30代女性)
義理の家族から「早く次の子を」 夫から「早くもとに戻って欲しい」と言われた。 夫の態度や気持ちに、亡くなった娘に対する温度差を感じ分かり合えない悲しさを感じた。 知り合いから「子どもが亡くなった話をしないで欲しかったと言われた。」 友人から距離を取られ、後から「あなたに、どのように接したら良いか分からなかった」と言われた。(神奈川県 60代女性)
友人から「きっとお菓子忘れて取りに帰ったんだよ」と言われた 当時テレビ番組で話題になっていたそう。産まれてきた子が流産したときの記憶を語ったとかで。正直、ただのお菓子で私たち夫婦はこんな辛い思いしてるの?毎日泣いていつでもベランダから飛び降りることもできるけどギリギリで耐えて生きているのに?お菓子?って思った。職場復帰したとき同僚に「思ったより元気そうでよかった」と言われた 元気なわけない。いつでも涙出てくるけど職場だから、必死に堪えている。心配かけないように笑顔絞り出してる。SNSで「〇〇ちゃん(私)よく頑張ってるよ。わたし(相手)だったら耐えられない」とメッセージが来たこと 私も耐えられていない。頑張ってもいない。けど生きるしかないから生きてるだけ。大切な人を失う辛さは誰よりも分かっているから、周りのことを考えると死にたいけど死ねないだけ。すべて私を慰めよう励まそうとしてくれているのは理解できるが本当に辛かった。(東京都 40代女性)
職場の人が入院中見舞いに来てくれたが、自分がガンになって辛かった話やら、旦那さんを若くして亡くされた話などをしてきたが、全く心に響かず、恨みそうになった。この人全然人の気持ちが分からない人だなぁと思ってしまった。退院してまだ心の整理もついていないのに、祖母にお墓の話をされた。鬱陶しかった。(愛知県 40代女性)
死産してすぐに「いつまでも悲しんでいると次の子に響くよ」と言われたこと。 いつまでもアパートで泣いていてはダメだと思い、頑張って主人の実家に行ったとき「元気そうだね」と言われたこと。外見はそう見えるのかもしれないけど、心はボロボロなんだけどなあって傷ついて家に帰ってまた泣いた。(静岡県 40代女性)
祖母に今回は縁がなかったと思って諦めなさいと言われたことに、本当に傷つきました。縁があって来てくれたと今でも思っています。 死産した次の日の夜中、涙が出てしまって眠れなくて、ナースコールをしたのですが、その時の助産師さんが全く寄り添ってくれませんでした。忙しかったのかもしれませんが...辛かったです。(岡山県 30代女性)
まだ若いから次があるよ また戻ってきてくれるよ(流産死産した子も唯一無二の1人と考えているので、流産死産した子が戻ってくるという考えは理解ができませんでした)(東京都 30代女性)
入院先に見舞いに来た義父に「まぁ失敗は仕方ないから」と言われたこと。 悪気がないのは理解していてもこの失敗という二文字は辛かった。今でも墓前に花をたむけることを義母に「もうそろそろいんじゃない」と言われたこと。こちらも理解はできるが亡くなった子の存在が全く無しになるように気がして切なかった。(静岡県 40代女性)
最初の流産の後、子どもを授かった時に実母から「今度は気をつけるのよ」と言われたのはとても嫌でした。気をつけてもどうしようもなかったのに、自分のせいで流産したかのような言葉に、経験していない人には絶対理解してもらえないのだと感じました。 また、2回目の流産のとき、悪気がないのはわかっていますが、義母から元気を出してと言われたのはとても嫌でした。元気が出るわけがないからです。やはり理解されない苦しみだと感じました。(神奈川県 30代女性)
両親から ・娘の病気を伝え、産まれるまでお腹にいてもらうと伝えた時 「早く出てくるといいね」 「他の兄弟は普通に産んだのになんであんたは普通にできないのかね」 「うちの娘がこんなのでごめんね」(夫に向かって) ・娘が亡くなった後 「かわいそうに足が曲がったんだね」(羊水が少なく足が曲がっている娘を見て、出産直後) 「火葬の時間は長かった?どれくらいかかった?」(火葬直後) 友人からは家に来て、お骨を見ても何も言わずに普段通り接されることが辛かったです。 娘のことはなかったことのように扱われることが辛いです。 (広島県 30代女性)
人工死産の処置をする病棟が、健康な赤ちゃんを出産する方たちと一緒だったので入院から退院までずっと悲しかった。退院時、病棟の廊下で、元気に生まれてきた赤ちゃん連れのお母さん達とすれ違う中、私は小さな箱の棺を抱っこして会計などに向かわなければならなかった。もっともっと配慮が欲しかった。人工死産の処置をする病棟が、健康な赤ちゃんを出産する方たちと一緒だったので入院から退院までずっと悲しかった。退院時、病棟の廊下で、元気に生まれてきた赤ちゃん連れのお母さん達とすれ違う中、私は小さな箱の棺を抱っこして会計などに向かわなければならなかった。もっともっと配慮が欲しかった。(静岡県 30代女性)
2目流産の時、1回目の流産の時と同じ上司から、泣いていても仕方ないから、もう忘れて切り替えて前に進もうと言われた。 そんなこと言わないで。 泣いていたら、赤ちゃんが悲しむし、○○くん(息子)も心配するから、明るくて元気な○○(私)に戻ってね。 母は強しだよ!泣いてばかりいると、赤ちゃんも悲しむから、笑顔で見送ってあげようね。今じゃなかったんだよ。(熊本県 30代女性)
会いに行きたいと言ってくれるが やはり言葉だけになる。会った時に何て言葉をかけていいのか分からないと思うので妊娠、出産について 避けられて何もなかったようにしまう行動に傷ついた。(大阪府 40代女性)
『また次があるから。』 もし。また次がなかったら、私はどうしたらいいのか。 その場ではそうですね、などと返答しましたが、心では不安で締め付けられそうでした。(北海道 30代女性)
亡くなって間がないのに、次はまだなの?と言われたこと。(岐阜県 50代女性)
・不妊治療クリニックの先生の「次は無事に産んで自信をつけましょう」という言葉。当時は頭が働いておらずそのまま聞いてしまったが、今思うと不適切ではと感じる。 ・友人からの「赤ちゃんは忘れ物を取りに帰った」といういわゆる胎内記憶的な言葉掛け。私の場合は、母体要因(子宮内感染)であったので、赤ちゃんが忘れ物を取りに帰ったという表現は適切でないと思う。初期流産と同じに捉えている、私の状態も知らないのに、ファンタジーにすり替えて軽く扱われている、というような気持ちになった。(神奈川県 30代女性)
泣いても亡くなった子は帰ってこないよ、というニュアンスの言葉をかけられた時、心に引っかかりました。前を向いて欲しいという気持ちだったとは理解できますが、ただ単純に辛かったねと悲しみに寄り添って欲しかったです。娘をなくして6年経ちますが、いまでも涙を流す事があります。(北海道 40代女性)
医師から 「羊水検査というのはありますが、今回の場合はするまでもないかと…」 周りの身内から 「次また頑張ればいい」 「時間が解決する」 「偶然起きたことなんだから」 「よくあることらしいね」 夫からは 「そんなに悲しんだら、亡くなった赤ちゃんが悲しむ」 などなどの声かけをされ、誰にも心の中の悲しみや、マタニティマークをつけた人への妬みの気持ちなど、吐き出せる場所が無かった。親や義理親から、我が子が完全に存在しないかのように振る舞われるのも寂しい。ちゃんと産んだのに、と思ってしまう。赤ちゃんを産んだら、写真や名前の話などが自然と出てくるのに、流死産だと聞かれない。ちゃんと産んで、ちゃんと我が子で、ちゃんと生きていたのに。(京都府 30代女性)
いつまでも泣いていると成仏できないよ こうなると思っていた 「時薬」という言葉があります…などと格言を書いてくるのは本当につらかった  香典の黒い袋は見たくなかった  面会に来てくれた先輩が「以外に元気じゃない」といったこと 傷ついた じゃあどうすればいいの?(新潟県 50代女性)
祖母(80代)に相手(主人の家族)に失礼だから黙っておきなさいと言われて、怒りと憤りを感じた。高齢のひとからすると流産とか情けないこと?良くないことなどの考えがあるようだけどこんな言葉は言うべきでない。これがきっかけで祖母との関わりを持ちたくなくなった。(東京都 30代女性)
さぬきドキっ!
NHKのサイトを離れます。