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流産死産“特有の悲しみ”とは?

( 高松放送局・奥村 春香 )

画像 2022年11月11日放送
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死産を経験した秋山さん夫婦

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高松市に住む住職、秋山和信(あきやま・わしん)さん、美智子(みちこ)さん。 2年前に死産を経験しました。2人は毎朝、息子の骨つぼに手を合わせます。 骨つぼのそばには子ども代わりの人形が飾ってあります。
和信さん
和信さん

長男で智信(ちしん)というんですけど、お骨であります。
出かけていったりするときとか一緒に行ったりしています。(人形は)子ども同然ですね。

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美智子さんが妊娠したのは42歳のとき。
美智子さん
美智子さん

これが本当に最初、「これがそうだよ」って丸をしてくれたんです。

和信さん
和信さん

人生バラ色になった感じです。

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不妊治療の末での待望の第一子。日に日に小さなわが子の姿が見えるようになり、19週目には男の子だと分かりました。
美智子さん
美智子さん

手足がずいぶんと、足とか手とかよく見えてきて。
「男の子ですよ」っていうのをこのあたりで言われていたので、すごいうれしかったよね。
寝ていると心臓がもうひとつあるような感じがして。「それが胎動だよ」って言われて。
「ああ生きている」っていう感情がすごく湧いてきて。
「元気に育ってね」と思って、おなかをさすったりしていましたね。

2人は、美智子と和信から1文字ずつとって「智信(ちしん)」と名付け、生まれてくることを心待ちにしていました。
ところが、1週間後。健診で、智信くんの心臓に異常が発覚。死産となってしまったのです。
美智子さん
美智子さん

何かそこは記憶がちょっと飛んでいるんですよ、私。
泣いたことは覚えていますけど、ショックが大きすぎて。

和信さん
和信さん

悔しかったり。悲しかったり。辛かったり…。もう感情の入り乱れで。

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「智信くんを忘れない」。2人は、形見として手形と足形を残しました。
美智子さん
美智子さん

なかなかもう(体が)硬直しているので手形もあんまり上手にとれてはいないんですけど。
これを見るたびに息子を感じますよね。「生きていたんだな」って思いますね。
とってもちっちゃいですけど。

死産後、自分を責め続けた

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智信くんの葬儀のあと、美智子さんを襲ったのは「自責の念」でした。
死産の原因は自分にあったのではないか…。
美智子さんは、妊娠中の行動を振り返っては、自分を責め続けました。
美智子さん
美智子さん

仕事を続けるものだと思っていたので、産休に入るまでは頑張ろうって思っていて。
会社の方は理解してくれていて、あまりにひどいときは休ませてくれていたりとかもあったんですが、でも本当はそこまで無理して仕事をせずに、体を休めながらいたら、この子は無事だったのかなとか。私が無理し過ぎた…。だからこうなったんかなとか。
もう、いろんな思いが頭のなかを巡りました。

和信さん
和信さん

妻もそういうつらい思いをしているのでね。一緒にいる時間をできるだけ増やそうとは…。 それしか私にはできなかったですけど。

心を閉ざした 周囲からのことば

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そんな美智子さんに追い打ちをかけたのが、周囲からの言葉でした。
美智子さん
美智子さん

「頑張りなさい」とか「次すぐ(子どもが)できるから大丈夫よ」。
とか言ってくださるんですよね。けど、なんか「次」って言われると代わりみたいな…。
智信の代わりの子みたいに言われている気がして。そうじゃなくて、智信は智信として認めてほしかった。ひとりの人間として。

周囲の人は、死産を「わが子の死」とは思っていない。
自分の悲しみは理解してもらえないと、美智子さんは周囲に心を閉ざし、家で泣き続ける日々が2か月ほど続きました。
美智子さん
美智子さん

「私、ずっとこのままかもしれない」。「毎日泣いて暮らす。そんな日が続くんだ」。
と思っていました。本当に先が見えないっていうそういう気持ちでしたね。

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美智子さんはその後、県外の当事者支援団体に出会えたことで、死産と向きあい、穏やかな日常を迎えることができるようになりました。今では、「ほかの当事者を支えたい」と、香川県で、 夫婦で個別相談を行ったり、当事者どうしが集まることができる場づくりも行っています。
<連絡先>
◆慈照寺 TEL:087-848-0881
HP: https://kagawa-jisyoji.com/
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※なお掲載している情報は放送当時のものです。
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