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とち知り2
坂出市 かつて海だった“塩のまち”

(高松放送局記者 内野匡)

画像 2022年5月9日放送

瀬戸大橋がかかる四国の玄関口・坂出市は、かつて海沿いに塩田が広がる塩の一大産地でした。江戸時代から昭和にかけて“塩のまち”として栄えた土地の成り立ちに、災害リスクを知る手がかりがありました。

資料館にある1枚の絵図

坂出市のかつての姿を今に伝える1枚の絵図、その名も「坂出墾田図」。
塩作りの歴史や文献を展示している坂出市塩業資料館で見ることができます。
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この絵図を香川大学・長谷川修一特任教授に見てもらいました。地質工学が専門の長谷川さんが注目したのは、絵図の下側に見える住宅が建ち並んだ小高い地形です。
絵図の上側に広がる塩田よりも、何の変哲も無い小高い地形が坂出市の成り立ちの鍵を握るという長谷川さん。小高い地形と塩田の間に建てられた石碑を目印に、現在の坂出市を歩いてみることにしました。
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絵図に描かれたのと同じ坂出市中心部の商店街からほど近い場所で、道路が途中から小高くなっているのを発見しました。
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その小高い道路に沿って海へと歩くと、たどり着いたのが菅原神社。絵図に描かれた石碑が境内に残されていました。長谷川さんは江戸時代の絵図に描かれ、現在もその形を残す小高い地形は海沿いに砂が堆積してできた「砂州」(さす)だと指摘します。

かつては海だった坂出市中心部

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江戸時代以前は現在の坂出高校付近に海岸線があり、JR坂出駅など市の中心部は海だったと考えられています。
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江戸時代後期になると干拓が行われ、菅原神社の石碑の北側までが海から畑や塩田へと姿を変えました。
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市街地が形成された現在も、標高図を見ると土地の成り立ちを見て取ることができます。 坂出市の中心部は土地の標高が低いことを示す青色です。
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このため低い土地では津波などによる浸水リスクに注意が必要です。香川県が発表している津波の浸水想定を見ると、比較的海から離れているJR坂出駅周辺などの中心部でも1メートル近い浸水が想定されています。
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長谷川さん 「海からの距離ではなくて、地盤の高さによって浸水深(地面から水面までの深さ)が異なる。自分の住んでいる地盤の高さとハザードマップの浸水深を確認してほしい」

沿岸部では液状化のリスク

一方、沿岸部ではどのようなリスクが考えられるのでしょうか。
工場や住宅地が広がる沿岸部は、海に向かって標高が高くなる地形になっています。
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江戸時代後期に大規模な開発が行われた坂出市では、砂州の北側の広い範囲に塩田が作られました。
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その後、昭和40年代に塩田を使わない製塩技術が発達すると、廃止された塩田に盛り土が行われ工業地帯へと姿を変えていきます。かさ上げされた沿岸部は内陸より標高が高く、高潮や津波のリスクが小さい一方、塩田があった地域も、砂でできた地盤のため液状化リスクが高いといいます。
実際に昭和21年の昭和南海地震では、塩作りのため地中に埋められていた壺が浮き出るなどの液状化の被害が確認されています。長谷川さんは地震で液状化が起きれば、水道やガス、下水などのライフラインが長期間、被害を受ける恐れがあると警鐘を鳴らします。
長谷川さん 「坂出の市街地というのはもともと海だった土地に広がっている。昔海だったところに住んでいることを自覚して、津波などのハザードマップと比較してなぜ被害が起きるかということを考えてほしい」
五味アナウンサーのひとこと

坂出市で塩作りが盛んだったことは知られていますが、かつては海岸線がずっと内陸側で現在の中心市街地が海だったことは意外でした。いまは住宅や道路に覆われ感じにくくなっている昔からの地形も、よく見るとわずかな起伏や道の曲がり具合、石碑や灯籠にあらわれていました。住む街をより深く知ることが、いざというときの備えになる。改めてそう実感しました。

五味アナウンサー
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