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県民が知らない「香川県独立の父」

( 高松放送局 記者 黒川あゆみ )

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※動画配信は終了しました。

2022年12月2日放送

この夏、出身地の香川に転勤してきた私。
取材先との会話の中で、「香川県独立の父」がいると耳にした。

「え、誰?」
名前を聞いても、正直、知らない。

その人物像、香川県民にも、ほとんど知られていないらしい。
ベールに包まれた「謎の人物」に迫るため取材を始めた。

「香川県独立の父」って誰?

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まず驚いたのは、その功績のすごさ。

・四国電力
・JR四国
・百十四銀行
・四国新聞社

香川県だけじゃない。

・明治神宮
・みずほ銀行
・東京ステーションホテル
・理化学研究所      まで…

あらゆる企業や施設などの設立や運営に携わったという。
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その人物とは中野武営。(なかの・ぶえい)
「渋沢栄一の右腕」とも言われ、明治や大正の時代、政界と経済界の両方で活躍した。

江戸時代末期に高松藩士の長男として生まれた武営。
中央官庁などで働いた後、政治家としての道を歩み、第一回の帝国議会から高松選出の衆議院議員をつとめた。

さらに、当時の「経済界のリーダー」ともいえる存在でもあり、東京株式取引所(現在の東京証券取引所)の理事長のほかに、東京商業会議所(現在の東京商工会議所)の会頭を13年間、務めた。

また、香川県は、今から134年前、1888年の12月3日に愛媛県から独立。
これによって47都道府県で最後に設置された。
武営は、中央政府に働きかけるなどして独立に尽力。
専門家の間では「香川県独立の父」として知られている。

武営がいなければ、今の香川県はなかったかもしれない。

県民に知られていない独立の父

しかし、これだけの功績を残した武営の知名度は低い。

香川県の人たちはどのくらい中野武営を知っているのか。
高松市の中心部で100人に聞いてみた。
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70代女性「まったく知らない。学校でも教わりませんでした」
20代男性「知らないし、名前も聞いたことありません」
60代男性「名前を聞いたことはあるが、何をした人かは知りません」
100人のうち、「知らない」と答えた人は76人に上った。
また、「知っている」と答えた人も何をした人かは知らないという人がほとんどだった。

なぜ、武営の知名度は低いのか。 香川の歴史に詳しい佐伯勉さんに話を聞いた。
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松平公益会 佐伯勉 理事長 「いろいろやりすぎたというのが、ひとつあると思う。 香川県が独立し、拠点となるような企業をどんどんつくったと思ったらほかの人に任せて自分は次の仕事に入っていった。次々に気になるものをやっていったら結果として手広くやりすぎ、どれが本職かよく分かず、歴史に埋もれたという面があると思う」
ほかにも、武営の性格として、武士気質で自分の功績を鼻にかけるような人物でなく、表に立つより裏でいろいろと動いていたという点を理由としてあげる歴史研究家もいる。

知られざる功績 現代技術で…

武営の功績を多くの人に伝えたい。
いま、彼の写真を集めて保存する「アーカイブ化」の計画が動き出している。
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これは大正2年に大隈重信が初めて香川に来た際、撮影された写真。
数年前に、佐伯さんが高松松平家にまつわる資料を整理していた際、武営が写っているのを見つけた。

しかし戦災や震災などの影響で、武営が写っている写真は少なく貴重だという。

そのため、佐伯さんは、武営が写る可能性がある写真を手当たり次第に集め始めた。
その結果、集めた膨大な写真の中から、武営を識別するという「大きな壁」が立ちはだかることになった。
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松平公益会 佐伯勉さん 「こんな写真がたくさんあるんですよ。これは一体誰なのかと言いだしたら、簡単には識別できない」
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集めた写真をどう整理して識別するか、佐伯さんは香川大学に協力を仰いだ。
タッグを組むのは画像の管理や活用の技術を専門とする國枝孝之准教授だ。

武営も関わった明治神宮の造営を記録したアルバム。
「もしかするとこの中に武営が写っているかもしれない」
國枝准教授らは佐伯さんからアルバムを預かり、研究所に持ち帰った。

アルバムは研究所で1枚ずつ接写してデジタル化。
学生の手を借りながら膨大な作業を進めていく。
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さらに画像に「メタデータ」と呼ばれる情報を付けていく。
どこでいつ撮影され、誰が写っているのか、あらゆる情報を写真にひも付けて蓄積していくのだ。

データが蓄積していけば、今後、AIの画像認識などによって、武営の写真を探し出すことも可能になるかもしれないという。

武営の功績 スマホ世代に

アーカイブ化した写真を誰もが活用できるようにする計画も進んでいる。
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「スマホコンテンツ」をつくり、当時、武営はなにをしていたのか、そのころ高松はどんな街だったのか。
時系列や場所ごとに気軽に見られるようにするのだ。
プロジェクトにかかわる大学院生 「デジタルのデバイスを使う若者にとっても、ちょっととっかかりやすくなるというか、閲覧しやすくなるのかなと思う」
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國枝准教授はスマホ世代にこそ中野武営を知ってもらいたいと考えている。
香川大学創造工学部
國枝孝之准教授
「若い世代の人たちに武営さんのことに関心をもってもらうきっかけになればと思う。
例えば武営さんの生きざまみたいなものを知ったうえで新しいことに挑戦するときの役に立ったり勇気をもらえたりするような仕組みになるといいなと思っています」

武営が一大ムーブメントに?

いま武営を知ってもらおうという動きがますます加速している。
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・去年(2021年)、武営の名前を冠したお菓子が発売

・来年(2023年)には小中学生向けにまとめた武営の伝記が県内の学校に配布

・再来年(2024年)には銅像設置の計画も進んでいる。

謎の人物だった武営がいま、香川県で一大ムーブメントになろうとしている。

明治や大正の時代に、地元、そして日本に大きく貢献した人の功績や生きざまを知る動き、今後も追いかけていきたい。
 
取材した人

高松放送局 記者 黒川あゆみ
2009年入局。
東京・社会部で事件や医療の現場を取材。 ことしの夏から地元・高松で経済や文化の取材にあたる。
地元にこんな知られざる偉人がいたとはびっくり!

高松放送局 記者 黒川あゆみ
※なお掲載している情報は放送当時のものです。
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