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ことでんレトロ電車“第二の人生”

( 高松放送局・楠谷遼 )

画像 2022年10月13日放送

古い電車が現役で走り“動く鉄道博物館”とも呼ばれることでん。中でも100年近くも前に作られたレトロ電車の人気は高く、讃岐路をコトコト走る姿を一目見ようと、全国から鉄道ファンが集結していました。去年までに旅客輸送から引退しましたが、“第二の人生”を送っていました。

住宅街の一角に「23号」

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はじめにうかがったのは、高松市牟礼町。住宅街の一角に、ありました!赤く塗られた車体が懐かしいレトロ電車23号です。いまから100年近く前の大正14年に製造され、大阪鉄道(現・近鉄南大阪線)で走った後、おととしまで志度線などで走りました。引退時は御年94歳!まさに老体にむちを打つようにして、お客さんを乗せていたんですね。
案内してくれたのは、NPO法人88の代表理事、笹尾正福さん。そう、88の名前通り、いまはお遍路さんの休憩施設として使われているんです。
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車内を見せてもらいました。柱の装飾や木製の窓枠などにレトロな雰囲気を感じられます。外から電線を引いているので、照明をつけたり扇風機を動かすこともできます。
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そして、運転席の横にはこんなものも。車掌さんが使っていたマイクです。今でも使うことができるんです。

レトロ電車でお遍路さんに癒やしを

車内ではお遍路さんのお接待を受けることもできます。レトロ電車の雰囲気の中で、暖かいお茶などをいただくと、疲れ切った体も癒やされそうですね。
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お遍路さんのノートも置かれていました。そこにはお接待への感謝やこの電車への思いもつづられていました。
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お遍路にレトロ電車というのも不思議な組み合わせです。
笹尾さん、どうして始めることにしたんですか?
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NPO法人88代表理事 笹尾正福さん まずはお遍路さんが休憩できる場所を作りたいというのがスタートでした。そんなときに、レトロ電車が引退して引取先を探しているというニュースを聞いたので、これはぜひにと思ってすぐに連絡しました。みなさん、自分の若かりしころ、通勤、通学のころに乗った電車によく似たものの中に入ると、その時間に戻れるんじゃないかな。お遍路さんをしながら疲れきった体が癒やされると思うんですよ。癒やされる姿を見て私も癒やされる。

ライブイベントの場としても

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そして、このレトロ電車、休憩所としてだけでない別の使い方も模索しているといいます。9月には、この中でライブイベントを開催。通常では考えられない電車の中でのライブとあって話題性は抜群です。笹尾さんはアーティスト側も観客側も楽しいと思える場を作りたかったと話します。
NPO法人88代表理事 笹尾正福さん 今後もレトロ電車の魅力を知っていただけるイベントを考え、地域の方など多くの方が気軽に来ることのできる場所になれば。11月にもライブイベントの開催を目指しています。

仏生山工場に潜入!「120号」の姿が

続いてやってきたのは、ことでんの仏生山工場です。現役でお客さんを乗せて走る車両の点検や整備などを行っている場所です。
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その一角にはあったのは120号。これも作られたのは大正時代。他の鉄道会社の中古車両を譲り受けることが多いことでんの中では、数少ないオリジナル車両として去年までお客さんを乗せていました。
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そして、この車両、なんといまも動いて活躍しているんです。点検を受けるために工場に入った現役の車両を、工場内で移動させる作業車として“第二の人生”を送っていました。一線から退いたあとは、縁の下の力持ちとして後輩をサポートしているんですね。
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ことでん運輸サービス部
増原浩史さん
レトロ電車は両側に運転席がついているので、作業車としてはとても使い勝手がいいんです。最近の車両は2両以上の編成でセットになって、運転席が片側にしかないものがほとんどですから。
ちなみにこの増原さんは、レトロ車両に関わりたくてことでんに転職してきたとか。なかなかのつわものですね。

「デカ1」にもレトロ車両の一部が

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そして、仏生山工場には、少し変わった形をした作業車も留置されていました。これは「デカ1」と呼ばれる作業車で、これも工場内で現役の車両を移動させる役割を担っています。
注目すべきは、その台車。そう、これはかつてお客さんを乗せて運転し、2007年に80歳で引退したレトロ車両の315号の台車が使われているんです。ことでんが誇る改造技術のたまものです。

当時を知る運転士や整備士は

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お客さんを乗せていた当時、レトロ車両に関わった人たちは、いまどんな思いでみつめているのでしょうか。今回特別に当時をよく知るお2人に来ていただきました。
運転士歴21年6か月の川染政規さん(現在は別の部署に異動)と、整備士歴35年の林浩二さんです。
お話をうかがおうと、一緒に120号の車内に入ると・・・。
「いやー懐かしいなー」。こうつぶやいたのは運転士の川染さん。去年11月に行われたさよなら運転でも運転士を務めたといいます。車内に入るのは1年ぶりだとか。
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運転士だった川染政規さん さよなら運転のときに沿線や駅から手を振るお客様がたくさんいらっしゃいまして、レトロ電車が愛されていたんだなあと改めて感じました。今の電車は自動で加速するんですが、マスコンのギアを一段、一段、刻んでいくような感じで運転していますので、呼吸を合わせていかないと電車の方が不具合が起きたりしますので大事だと思います。
取材にうかがった日は、しとしとと雨が降っていました。お話を伺う最中にも天井からポツポツと雨漏りが・・・。これもまた古い電車ならでのことですね。

整備士の林さんはレトロ電車の整備をするときのポイントを教えてくれました。
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整備士の林浩二さん ちょっと動かしたとき音とかで「あれっ?変な音しよるぞ」とかありましたね。機嫌の悪い時には「キーン」っていう音に「ギギギ」って音も出るんですよ。時々「カリカリ、カリカリ」ってする時があって、「あれっおかしいな」ってなりますね。日頃の音の状態を聞いていないと、それもわからないので。
 キャスター
 

レトロ電車は林さんにとってどういう存在ですか?

林浩二さん
林さん

家族に近い存在ですね.いや、家族以上になるかな。入社したときからこの電車もいたわけで、生きていく中でかなりの同じ時間を一緒にすごしたなと思っています。

県民の足として多くの人たちに愛されたレトロ電車。
電車の旅は、今日も家族や友人たちとたくさんの思い出を作り出していきます。
ことでん運輸サービス部
増原浩史さん
いろいろな歴史、時代の流れを見てきた生き証人だと思いますので、レトロ電車を見ることをきっかけに昔のことを振り返ったりとか、老若男女年代を問わずに地域の方々が、いろいろなお話をして振り返っていただけることが一番いいことだと思います。
取材後記

高松放送局 楠谷遼
2008年入局 鳥取局、経済部を経て、2021年秋から故郷の香川県で勤務。現在はニュースデスクのかたわら、地域活性化の取り組みなどを取材。

高松放送局 楠谷遼
●楠谷遼

レトロ電車で通学していた私。120号とは高校に通うときに乗って以来、おそらく数十年ぶりの再会だったのではないでしょうか。
レトロ車両に冷房はなく、夏場は暑くて大変でしたが、窓から入る風で季節の移り変わりを感じられたのは思い出の1つです。
当時は正直そこまでありがたみを感じていなかったのですが、進学、就職で香川を離れたあと、帰省の際にことでんに乗っても、古い車両に出くわすことがだんだんと減り、とうとう引退したと知ったときは、寂しさを感じたものです。
今回、旅客輸送の引退後も元気に活躍する姿を見ることができて、私もまだまだ頑張らなくちゃと元気づけられました!

※なお掲載している情報は放送当時のものです。
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