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“高松空襲„を半世紀伝え続けて 香川県高松市・浄土卓也さん

堀越アナウンサーが聞く戦争の記憶
  • 2023年08月16日

市街地のおよそ8割が焼け、多くの命が失われた高松空襲を、半世紀にわたって語り続けている男性が高松市にいます。
活動の原動力や戦争の記録を後世に残す意味を聞きました。

▼動画でもご覧いただけます。

高松市香川町のコミュニティセンターで8月6日に開かれた「平和のための戦争展」。 高松空襲がテーマの1日限りの企画展で、体験者が描いた絵や市民の声が展示されました。

太平洋戦争末期の昭和20年7月4日未明の高松空襲では、 市街地のおよそ8割が焼失し、1359人の尊い命が犠牲になりました。

会場で、ひときわ大きな声で講話をする男性がいました。浄土卓也さん、85歳です。
半世紀にわたって空襲の実態を伝え続けています。

浄土さん

高松空襲は高松の歴史の中で、一番悲惨な歴史です。空襲後の生活や空襲を抜きにして、現代の高松市、あるいは香川県の歴史はないので、皆さんにそれを知ってもらいたいんです。

浄土さんは学校に出向いて「語り部」活動もしています。 小学校から高校まで、年間15校ほどの若者たちに直接言葉を届けてきました。 どうすれば自分のこととして戦争を捉えてもらうことができるのか。今でも毎週図書館に通って、身近な話題から世界情勢まで調べて講話に盛り込んでいます。

浄土さん

20世紀と21世紀の戦争では「子ども」が犠牲になってしまうんですよ。そのことを子どもたち自身に知ってもらいたいからね。

元世界史の高校教員だった浄土さん。戦争への関心が薄らいでいく中で、自分たちの暮らす場所で実際に起きた出来事を、市民の視点から記録する必要性を感じるようになりました。

浄土さん

高松市はきちっと資料は作っていたんです。ところがね、一般庶民がどういう苦しみを空襲で受けたか、その記録が全くなかったんです。だから分かったんです。「名もない民衆の歴史っていうのは、名もない民衆で紡いでいくよりしかたがないんだ」って。

昭和47年に「高松空襲を記録する会」を発足。集めた手記や資料をまとめて3冊出版しました。

定年退職後も、現在の高松市平和記念館で働きながら調査を継続した浄土さん。 空襲による高松市中心部の被害を、住宅地図に落とし込み、 一軒ごとの犠牲者をつぶさに把握することに奔走しました。 少しでも残された情報を拾い集めようと、市内をくまなく歩きまり、 4年間で訪ねた人数は500人に上ります。 かつて存在していた「街」と「生活」を書き留めることで、空襲で失ったものの大きさを、次世代に伝えようと考えていたからです。

 

堀越

戦争の悲惨さを伝え続けて50年。これだけ長い間活動できた原動力は?

浄土さん

それはもうね、子どもたちの反応が私を勇気づけてくれたから。「初めて知った」とか「もっと学びたい」という言葉や手紙が励みになっています。香川で教師をして、香川で生涯を終えることになりますから、生きているかぎり、今やっていることを、できる範囲でやり続けていきたいなって思っているんです。そういう形で香川のみなさんに、少しでも恩返しできたらいいなってね。

浄土さんの講話は、いつも、この言葉で締めくくられます。 

「何があっても、戦争をしないってことです。戦争すれば必ず、どちらにも被害が起こるんだ。だから戦争しない以外にないんです。」

 

取材後記
浄土さんは、学校での「語り部」活動とは別に、毎年8月15日に「戦争体験を語り継ぐ会」を主宰しています。終戦の日に、少しでも戦争について考えてもらう機会を設けることで、若い人たちが、ほかの誰かに語り始めてゆく「未来の語り部」を期待してのことだそうです。「今を生きる人たちに少しでも届く内容にするんだ」と、勉強し、考え続ける、浄土さんの姿が印象的でした。
取材を通じて、半世紀という活動の年月の長さ、重みに圧倒されました。そして、「生きている限りは語り続けたい」と笑顔で話す、その眼差しの力強さ。彼が人生をかけて語り継いできたことを、しっかりと受け止めていきたいと思います。

  • 堀越葉月

    NHK高松放送局 アナウンサー

    堀越葉月

    香川にきて1年目。
     ” コシ ”のあるアナウンサーを目指して鍛錬中!

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