ホログラムメモリーのための位相信号検出技術

信川 輝吉 片野 祐太郎 室井 哲彦 木下 延博 石井 紀彦

アーカイブ用ホログラムメモリーのさらなる大容量化,転送速度の高速化を目指し,位相情報を多値化した光信号を記録・再生する,位相多値ホログラムメモリーの研究を進めている。このメモリーは,光の振幅に加え,光の位相も多値化することにより,現状のホログラムメモリーの記録性能の限界を超えることが期待できる。一方,位相多値情報を検出するためには,位相-振幅変換光学系の導入と複数回の撮影が必要となるため,高速かつ簡易な検出技術を開発する必要がある。本稿では,高速な位相多値ホログラムメモリーの実現に向けて開発した,市松状回折格子を用いた位相検出技術について報告する。

1.まえがき

大容量・高データ転送速度のアーカイブストレージの実現を目的として,ホログラムメモリーの研究を進めている。ホログラムメモリーの記録容量を向上させる方法の1つとして,信号の多値化が有望視されている。従来のホログラムメモリーでは,光の振幅値(もしくは強度値)を0と1の2階調として,デジタルデータの符号化を行うものが多く提案されていた。これに対して,0と1の中間の階調も信号として扱うことができれば,データの符号化率を向上させ,結果的にデータの記録容量および転送速度を向上させることが可能となる1)

しかしながら,振幅の多値化と信号対雑音比*1の間にはトレードオフの関係があり,多値数の増加に伴って,信号対雑音比が低下し,データの復号が困難となる。検出器へのガード領域*2の導入やロールオフフィルターの適用2),あるいはデータ符号化方式および復号方法の工夫3)4)*3によって,信号対雑音比の低下に対するロバスト性を向上させることができるが,振幅の多値化には必ず限界が存在する。

一方,光には,振幅だけでなく,位相*4,偏光*5,波長,コヒーレンス*6,角運動量*7などの多様な物理パラメーターが存在する。仮に,振幅だけでなく,別の物理パラメーターも情報のキャリアとして用いることができれば,振幅の多値化と信号対雑音比の低下とのトレードオフの問題を避けることができ,大容量化・高速化への新たな道を切り開ける可能性がある。

これらの物理パラメーターの中でも,位相は情報として利用することが比較的容易な物理パラメーターである。本来,ホログラフィーの技術は,光の振幅だけでなく位相の情報も感光材料内に保存し,それらを再構成する技術である5)。ホログラムメモリーの動作原理はホログラフィーに基づいているため,意図せずとも,ホログラムメモリーにおいては記録媒体内に光の振幅と位相の情報が保存され,再生時にはそれらが復元される。したがって,原理的には,位相も情報のキャリアとして用いることができる。このことは,振幅情報のみを記録・再生する従来型のホログラムメモリーシステムでは引き出せていなかった,ホログラムメモリー本来の潜在能力を最大限に活用することに相当し,位相情報の活用によって,さらなる大容量化・高速化が可能となる。

しかし,位相を利用する場合の技術的な難しさは,記録媒体からデータを読み出すときに再生される光の位相を,どのように検出するかにある。光の振動数は非常に高く,その振動に追従可能な検出器は存在しないため,位相を直接検出することはできない。そこで,光の回折や干渉など,光の波としての性質を利用して,位相情報を観測可能な強度情報に変換して間接的に検出する。

これまで,ホログラムメモリーにおいて位相情報を検出するために,フーリエ反復法6)*8や強度輸送方程式7)8)*9に基づく回折計測技術*10や,時間分割位相シフト法9)10)(後述)やフーリエ縞解析11)*11などの干渉計測技術*12を応用することが提案されてきた。中でも,「時間分割位相シフト法」は,計測分野ではすでに成熟した技術であり,高精度な位相検出を実現できることが知られている。しかし,この技術では,検出用の光の位相を複数回シフトさせて,複数枚の干渉縞を撮影する必要があり,データ転送速度の低下が懸念される。

以上のような背景を踏まえ,当所では,ホログラムメモリーを用いたアーカイブシステムの実現に向けて高速かつ簡易な位相検出技術を実現するために,市松状回折格子を用いた「空間分割位相シフト法」を開発した。本稿では,この技術による位相多値データの検出方法について報告する。まず,位相情報を記録可能なホログラムメモリーである「位相多値ホログラムメモリー」 の概略について述べる。次に,従来技術である時間分割位相シフト法と,提案技術である市松状回折格子を用いた空間分割位相シフト法の原理について述べ,最後に,提案技術による位相検出実験の結果について報告する。

2.位相多値ホログラムメモリー

光の振幅を情報として扱う従来型のホログラムメモリーでは,1図(a)に示すページデータをホログラムとして記録する12)。このページデータでは,光の振幅にデジタル情報を割り当てている。一方,位相多値ホログラムメモリーでは,1図(a)の振幅のページデータに加えて,1図(b)に示す位相のページデータも重畳し,記録・再生する。なお,振幅が0の箇所は光が存在しないため,光の位相を定義できず,情報を符号化することはできない。このように位相値が不定である領域を,1図(b)では黒色で示している。データを記録する際は,これらのページデータを重畳した光と参照光とを干渉させることで,ホログラムとして記録媒体内に記録する。

1図 ホログラムメモリーに用いるページデータ

3.時間分割位相シフト法による位相検出

時間分割位相シフト法の概念図を2図に示す。本手法では,記録媒体から再生された再生光と,位相検出用のプローブ光を撮像素子面上で重ね合わせ(2図では合波と表記),干渉縞を形成させる。合波させる方法として,具体的には,ビームスプリッター*13を用いて,2つの光を同一の方向に伝搬させることが挙げられる。さらに,位相変調素子を用いて,プローブ光の位相値を0,π/2,π,3π/2と変化させて,位相シフト量が異なる4枚の干渉縞を撮影する。これらの位相シフト量が導入された干渉縞の強度分布をそれぞれI0Iπ/2IπI3π/2とすると,4ステップの位相シフト法13)のアルゴリズム

数式(1)

を適用することによって,再生光の複素振幅分布*14 ux, y)が得られる。複素振幅分布の絶対値を算出することにより,再生光の振幅分布が得られ,複素振幅分布の偏角を算出することにより,再生光の位相分布が得られる。検出した振幅および位相に復号処理を適用することにより,記録されたデータを読み出すことができる。

しかしながら,時間分割位相シフト法では,位相を検出するために,複数回の撮影が必要となる。また,プローブ光の位相を変化させるごとに,位相変調素子の過渡現象が収まるまで時間を要するため,データ転送速度の向上が制限されることが考えられる。さらに,複数回の撮影を行う時刻が異なるため,空気の揺らぎや振動の影響を受けやすく,外乱が多い環境では,検出精度が低くなるという課題がある。

2図 時間分割位相シフト法

4.市松状回折格子を用いた空間分割位相シフト法による位相検出

3図は,市松状回折格子を用いた空間分割位相シフト法の概念図である。本手法では,4図に示すように,光の位相が0とπとなるような位相物体*15が市松模様状に配置された2枚の市松状回折格子を用いる。1枚は,データ再生時に,記録媒体内に保存されたホログラムから再生された再生光を変調するために用い,もう1枚は,位相検出用のプローブ光を変調するために用いる。市松状回折格子は,上下方向,左右方向のそれぞれで,位相が0またはπとなる周期的な構造となっている。

一般的に,光は,自分自身の波長よりも大きな間隔の周期構造物に入射すると,回折の現象により,その間隔に応じて,特定の方向の光の強度が強くなる。上述の市松状位相格子を用いる場合には,その周期的な構造から,上下左右の4方向に光を回折させることができる。これにより,入射光と同質の光を4方向に伝搬させる作用がある。したがって,再生光とプローブ光のそれぞれを,市松状回折格子により4方向に伝搬させ,撮像素子面上で干渉させることにより,位相検出に必要な4枚の干渉縞を同時に得ることができる。

また,2枚の市松状回折格子は,4図に示すように,面内で相対的に位置をずらして配置している。この格子の垂直方向および水平方向の周期をそれぞれdとすると,水平方向にd/4,垂直方向にd/2ずらしたときに,フーリエ変換のシフト則に従い,4枚の干渉縞のそれぞれに,位相シフト量,0,π/2,π,3π/2を付与することができる。したがって,時間分割位相シフト法と同じように4ステップの位相シフト法13)のアルゴリズムを適用することにより,再生光の振幅分布・位相分布が得られ,保存していたデータを読み出すことができる。本技術では,1回の撮影で位相を検出することができるため,時間分割位相シフト法よりもデータ転送速度の向上に有利である。

3図 市松状回折格子を用いた空間分割位相シフト法
4図 市松状回折格子の配置

5.位相多値データの検出実験

市松状回折格子を用いた空間分割位相シフト法の有効性を検証するために,時間分割位相シフト法との比較実験を行った。実験に用いた光学系を5図に示す。本実験では,記録媒体へのデータの記録・再生を行わずに,空間光変調器(SLM:Spatial Light Modular)により生成した光波を,記録媒体から再生された再生光と見なして,位相検出を行った。

5図の光学系は,再生光生成部と位相検出部により構成されている。本実験では,5図に示すような振幅が0か1の2値,位相が0,π/2,π,3π/2の4値のページデータを用いた。このページデータは,8×8個のシンボルで構成されており,各シンボルで送る情報はランダムに生成している。

まず,再生光生成部について述べる。光源として,波長が532nmの半導体励起固体レーザー*16を用いた。レーザー光の水平直線偏光成分を再生光,垂直直線偏光成分をプローブ光として用いるために,半波長板*17と偏光子*18によりレーザー光の偏光状態を約45°の直線偏光とした(図中に偏光方向を記載)。スペーシャルフィルター*19により,レーザー光の空間的な不均一性を低減した後,レンズを透過させることにより平行ビームを得た。その後,ビームスプリッターにより2つの光に分割し,一方の光を,ページデータを表示したSLM1に照射した。SLM1には,反射型液晶パネルを用いた。SLM1を含む主要な光学機器の仕様を1表に示す。SLM1は水平偏光成分の光のみを変調することができ,これを再生光として用いた。また,ビームスプリッターで分割した他方の光は,偏光子を通過させて垂直直線偏光とし,これをプローブ光として用いた。SLM1から発生する不要な回折光成分を除去するために,2枚のレンズと開口によって構成される空間周波数フィルタリング*20を適用した。開口の形状は矩形としており,その大きさは2倍のナイキストサイズ*21に設定した。

次に,位相検出部の光学系において,偏光ビームスプリッターによって,プローブ光と再生光をそれぞれSLM2とSLM3に入射させた。SLM2とSLM3の仕様を1表に示す。各SLMの2×2画素で,4図に示す位相値の0とπをそれぞれ実現した。SLM2とSLM3には,それぞれ市松状回折格子のパターンを表示した。また,SLM2とSLM3の相対位置は,4枚の干渉縞に異なる位相シフト量を付与するために,水平方向に5.2µm(=10.4×2/4),垂直方向に10.4µm(=10.4×2/2)ずらして配置した。これらのパターンにより変調した光を偏光ビームスプリッターにより合波し,2枚のレンズと開口によって構成される空間周波数フィルタリングによって,SLM2とSLM3から発生する不要な回折光成分を除去した。その後,偏光子によって45°の直線偏光成分のみを切り出すことで,水平直線偏光の再生光と垂直直線偏光のプローブ光を撮像素子面上で干渉させた。なお,撮像素子には,CMOS(Complementary Metal-Oxide Semiconductor)カメラを用いた。CMOSカメラの仕様を1表に示す。

CMOSカメラにより取得した画像を6図に示す。この強度画像から,4枚の干渉縞が同時に形成されているとともに,それぞれ明暗の位置が異なっており,位相シフト量が異なっていることが分かる。これらの干渉縞を切り出し,4ステップの位相シフト法を適用した結果を7図に示す。この結果では,元のページデータと同様の光を検出できているが,ページデータの高周波成分が失われ,エッジがなまっている。これは,再生光生成部の開口による空間周波数フィルタリングの効果に起因する。

時間分割位相シフト法についても,空間分割位相シフト法と同じ実験条件で検出精度を評価するために,5図に示す光学系を用いてデータ検出実験を行った。光波の生成・変調の手順は,前述のものと同一であり,干渉縞を取得する際に,SLM3で4値の位相0,π/2,π,3π/2を時分割で順次与えて,4枚の強度画像を撮影した。なお,本実験では,光強度,露光時間,光学素子の位置ずれ等の実験条件を固定し,ノイズの影響を同等にして比較実験を行うために,市松状位相格子を用いた状態で,時分割位相シフト法の実験も行った。以上の手順により撮影した強度画像を8図に示す。各強度画像のうち,左上の画像をそれぞれ切り出し,4ステップの位相シフト法を適用した結果を9図に示す。空間分割位相シフト法と同様に,元のページデータと同様の光の強度と位相が検出できていることが分かる。

それぞれの手法のデータ検出精度を定量的に比較するために,7図および9図の検出信号のデータ誤り率を以下の手順により評価した。7図9図それぞれの分布を8×8画素に対応した領域に分割し,各領域で複素振幅値の平均値を算出した。平均後の8×8個の複素振幅値を複素平面にプロットしたものを10図に〇で示す。また,記録点の複素振幅値をで示す。ここで,検出した8×8個の信号は,最もユークリッド距離が近い記録点を再生点として復号した。その結果,空間分割位相シフト法,時間分割位相シフト法のそれぞれで,元のページデータを誤りなく読み出すことができた。

さらに,検出信号のばらつき度合いの評価指標であるMER (Modulation Error Ratio)を用いて,検出精度を比較した。MERは,

数式(2)

で定義される。ここで,Ik^Qk^は,それぞれ記録点の複素振幅値の実部と虚部を表し,IkQkは,それぞれ検出信号の複素振幅値の実部と虚部を表す。検出信号のばらつきが小さく,真値と近くなるほど,MERは高い値をとる。両手法のMERを評価した結果,それぞれ9.46,9.28であり,空間分割位相シフト法の方が,僅かにMERが高いことが分かった。この理由として,空間分割位相シフト法では1回の撮影で位相を検出できるため,時間分割位相シフト法と比較して検出時間が短く,空気の揺らぎや振動の影響が軽微であったことが考えられる。

以上の実験により,空間分割位相シフト法は,時間分割位相シフト法と同等の検出精度で位相を読み出すことが可能であることを確認し,空間分割位相シフト法の有効性を実証できた。

5図 実験に用いた光学系
1表 光学機器の仕様
光学機器 画素数(pixels) 画素ピッチ(µm)
SLM1 1,920×1,080 8.0
SLM2,SLM3 1,408×1,058 10.4
CMOSカメラ 10,000×7,096 3.1
6図 空間分割位相シフト法により取得した強度画像
7図 空間分割位相シフト法により取得した再生光の振幅分布および位相分布
8図 時間分割位相シフト法により取得した4枚の強度画像
9図 時間分割位相シフト法により取得した再生光の振幅分布および位相分布
10図 複素平面上での検出信号

6.むすび

位相多値ホログラムメモリーの位相情報の検出を目的として,市松状回折格子を用いた空間分割位相シフト法の技術を開発した。2枚の市松状回折格子の周期性を利用することで,光を4つに分割して4枚のホログラムを形成するとともに,2枚の素子間の配置位置の差を利用することで,4枚のホログラムの間に,位相シフト法に必要な位相シフト量を付与することができた。この手法を用いることで,1回の撮影により,再生光の振幅・位相の両方を検出することができた。また,時間分割位相シフト法との比較実験から,時間的な位相の揺らぎが抑えられたことで,精度良く位相を検出可能であることが分かった。以上の結果から,本技術は,位相多値ホログラムメモリーの実現に貢献することが期待される。

今後は,位相多値ページデータの多重記録*22の検討等も進め,大容量・高転送速度のホログラムメモリーの実用化を目指す。

本稿は,The Optical Societyの国際論文誌Optics Lettersおよび映像情報メディア学会技術報告に掲載された以下の論文を元に加筆・修正したものである。

T. Nobukawa, T. Muroi, Y. Katano, N. Kinoshita and N. Ishii:“Single-shot Phase-shifting Incoherent Digital Holography with Multiplexed Checkerboard Phase Gratings,” Opt. Lett.,Vol.43,pp.1698-1701(2018)

信川,片野,室井,木下,石井:“空間分割位相シフト法を用いた位相多値記録ホログラフィックメモリーのデータの読み出し手法,” 映情学技報,Vol.42,No.33,MMS2018-49,pp.35-40(2018)