磁性細線メモリーにおける磁区形成・駆動と磁気光学検出

宮本 泰敬 堀 洋祐 遠藤 充泰 石井 紀彦

空間像再生型3次元テレビなど,転送速度の極めて高い映像データを記録できるメモリーの実現を目指して,磁性細線メモリーの研究を進めている。今回,記録素子を一体化形成した磁性細線メモリー素子において,磁区の形成と駆動を行い,メモリー動作の原理を検証した。磁性細線の長さ方向にパルス電流を印加し,記録素子直下の領域に形成した複数の磁区を駆動させ,磁気光学顕微鏡でその動きを検出することに初めて成功した。これにより,磁性細線における磁区の形成(記録)・駆動・検出(再生)の一連の動作を実証し,メモリー応用の可能性を示したので報告する。

1.はじめに

将来の空間像再生型3次元テレビなどの映像を記録するストレージデバイスには,膨大かつ超高速な情報を取り扱うために,大容量性と超高速性が要求される。例えば非圧縮のフルスペック8Kスーパーハイビジョン映像を取り扱うには,ストレージデバイスに必要とされる転送速度は約144Gbpsに達する。しかし,現在市販されている最も高速な記録デバイスである半導体メモリーを用いたSSD(Solid State Drive)でも,単体での転送速度は10~20Gbps程度であり,並列動作をさせなければ,これを記録することはできない。また,将来の映像技術として当所で研究を進めている空間像再生型の3次元テレビに至っては,現在多用されている各種メモリーデバイスでは,どれを用いた場合でも,大容量性・高速性において大きく性能が不足している。すなわち,記録原理や記録方式を抜本的に見直さなければ,空間像再生型3次元映像を記録できる小型かつ高速のストレージデバイスの実現は困難である。

当所では,この課題を解決するために,速い転送速度の映像記録に適した特長を持つ磁性細線メモリーの実現を目指して研究開発を進めている。本稿では,磁性細線メモリーの動作原理を紹介した後,ハードディスクドライブ(HDD:Hard Disk Drive)の記録ヘッドに相当する記録素子を一体化形成した,原理実証用の磁性細線メモリー素子の試作に関する概要を紹介する。さらに,情報の記録ビットに相当する磁区*1の形成・駆動・検出を通して,本メモリー素子の記録再生動作の原理実証に成功したことを報告する。

2.磁性細線メモリーの特徴と動作原理

2.1 超高速記録を実現できる磁気メモリー技術

HDDに代表される磁性材料を情報の記録媒体とした磁気メモリーでは,記録ヘッドにより磁石のN極・S極の向きがそろった微小領域(磁区)を記録ビットとして形成し,そのN極・S極の向きで2値情報を記録する。しかしながら,これまでの磁気メモリーは,フラッシュメモリーなどの半導体メモリーと比べて格段に遅く,故障が多い。これは,例えばHDDでは,情報の記録・再生の際には,モーターなどの機構を使って記録媒体である磁気ディスクを回転させ,一対の記録ヘッドと再生ヘッドが搭載されている磁気ヘッドをデータ保存領域まで機械的に動かし,記録・再生動作を行っているためである。しかも,1つの磁気ヘッドで磁気ディスク1面の記録再生を行うため,磁気ディスク1面にある数百万データトラックのうち,同時にアクセスできるのはただ1つのデータトラックだけであり,そのとき他のデータトラックは,記録再生に全く寄与しない状態となっている。

一方で,磁気メモリー自体は,本質的には数十ピコ秒*2以内の短時間での記録が実現可能で,純粋な記録時間に限れば,半導体メモリーに比べて10~20倍高速であることが報告されている1)。これは,半導体メモリーでは,情報の0と1をそれぞれ記録する一対のメモリーセル*3において,どちらのセルに電子が存在するかで情報を記録するため,電気的・空間的に隔離された2つのセル間を,物理的に電子を移動させる時間が必要となるのに対し,磁気メモリーでは,磁区を構成する微小磁石の向きをN極あるいはS極に変え,磁化反転させることによって記録を実現しているためである。磁化反転は,微小磁石を構成する無数の電子が一斉にその自転方向(スピン)をその場で反転することによってなされている。つまり半導体メモリーのように電子の位置を物理的に動かす必要がないため,ごく僅かな時間で磁化反転,すなわち情報の記録を行うことができる。HDDなどの磁気メモリーが低速であるのは,機械的可動部の動作速度に律速されているためである。

また,半導体メモリーでは,電子がメモリーセルから次第に抜け出して情報が消失する現象が生じるため,長期保存性や放射線耐性については担保されない。これに対し,磁気メモリーでは,キュリー温度*4以下の温度で使用されるのであれば,一度記録された磁気情報は半永久に失われることはなく,機構的な故障がなければ,記録媒体として長期保存性に優れている。さらに,放射線や紫外線に対しても高い耐性を示すという長所がある。

そこで,機械的可動部のない磁気メモリーを何らかの手段で実現できれば,磁性体が本質的に持つ超高速な記録性能を備え,故障がなく長期保存性に優れた,映像記録用のメモリーが実現できる可能性がある。

2.2 磁性細線と磁壁電流駆動現象

磁気メモリーの本質的な高速記録性能を活かすためには,モーター等の機構による磁気記録再生に代わる新しい手段で,媒体上の磁気情報にアクセスすることが必要となる。この手段に適用できる技術として「磁壁電流駆動現象」が見いだされ1)2) 3)4)5)6),これを用いて電気的に磁気情報へアクセスすることが試みられるようになった。この現象は,磁性材料を数百nm*5幅の直線状に加工した,磁性細線と呼ばれる1次元的な構造において,その長さ方向に電流を印加すると,あらかじめ磁性細線の内部に形成された磁壁が移動する現象である。この現象について,1図を用いて模式的に説明する。磁性細線は,ハードディスクの媒体上に同心円状に幾重にも設けられたデータトラック数百万本のうち,1本を抜き出して直線状に伸ばしたような構造を持っており,磁性材料であるので,ハードディスク媒体と同様に磁区の記録が可能である。ここで,互いに異なる磁化方向(磁気モーメント*6)を持つ磁区と磁区との間には,磁気モーメントが逆方向へと緩やかに回転していく幅数nm~20nm程度の遷移領域が存在し,これを磁壁と呼んでいる。この磁性細線の長さ方向に,ある臨界値以上の電流をパルス状に印加すると,磁性細線中の磁区をその形状や大きさを保ったまま一方向(正確には注入電子の移動方向)に,その印加した電流量に応じた距離だけ移動させることが可能であり,これを磁壁電流駆動現象と呼んでいる。この現象は,机上に静止している物体に対して横から静止摩擦力を超えた力を加えると,その物体が机上をスライドするように運動を始める現象に例えることができる。本現象の発見以来,磁区や磁壁が動くという現象の物理的解明に研究の主眼が置かれてきた7)が,最近の報告では,この磁壁が移動する速度は秒速3km(音速の約9倍)に達し,ロケット並みの超高速度を実現できることが分かってきた8)

1図 磁性細線における磁壁電流駆動現象の模式図

2.3 磁性細線メモリーの動作原理

当所では,前節で述べた磁壁電流駆動現象を利用した,機械的可動部のない磁性細線メモリーを提案している9) 10)

磁性細線メモリーの概念図を2図に示す。本メモリーにおいては,1本の磁性細線の両端部に,記録ヘッドと再生ヘッドを一対設置した単位記録素子が複数並列に配置される。ここで磁性細線には,その膜厚方向に磁化方向が向きやすい垂直磁化*7膜を採用し,磁性細線はあらかじめ一方向(この場合は上方向)に磁化して初期化しておく。

この単位記録素子当たりの記録・再生手順について,3図で説明する。データを記録するには,記録したい2値情報に対応させて,上向きもしくは下向きの十分な強度の磁界を,左端の記録ヘッドにより発生させる。例えば記録ヘッドから下向きの磁界を発生させた場合,記録ヘッド直下にある磁性細線の微小な領域が下向きに磁化され,1ビット分の情報を下向き磁区として記録できる。次に,磁性細線の長さ方向にパルス電流を印加することで,磁壁電流駆動現象により,この磁区を1ビット分の長さだけ右方向へ高速に移動(ビットシフト)させる。これにより記録ヘッド直下には,次の情報を記録できるスペースが生じるため,以後は同様に記録および駆動を繰り返すことによって,磁性細線の長さ方向にシーケンシャルな磁区列として情報を蓄積していくことができる。

一方,情報を再生するには,まず,磁性細線に連続的にパルス電流を印加して,情報が記録された磁区列を,右端に固定した再生ヘッドの直下まで移動させる(頭出し)。再生ヘッドは,直下の磁区から生じた漏えい磁束の方向を検出し,磁化の向きに対応した信号を出力する。以後は,同様に駆動,および再生ヘッドによる磁区の検出を繰り返すことにより,元の2値情報を順次再生することが可能となる。

このような単位記録素子をウェハー基板*8上に多数配置し,それらに対して情報を分散してパラレルに記録するとともに,それらを同期させて駆動することにより,磁性細線メモリーの速度と容量を増加させることができる。この構造は,いわば,HDDのすべてのデータトラックに一対の記録ヘッドおよび再生ヘッドを搭載し,それらをすべて同期させて同時に動作させているような状態である。この磁性細線メモリーは,情報を順次蓄積するFirst-in-first-out型メモリー構成であることから,映像情報のようなシーケンシャルデータとの親和性が高い。磁区の駆動速度を高速化すること,および,磁性細線を配置した複数のウェハーを貼り合わせてメモリーパック化し,体積で大容量性を確保することによって,立体映像などのストレージデバイスに適用できるものと考えている。なお,パルス電流によって駆動された磁区は右端の再生ヘッドを通過すると情報として失われることになるため,書き戻し回路等を採用することによって,左端の記録ヘッドから情報を再度蓄積できるようなストレージ制御を予定している。

2図 磁性細線メモリーの概念図
3図 磁性細線メモリーの記録・再生手順

3.記録素子を一体化形成した磁性細線メモリー素子における磁区の形成(記録)・駆動・検出(再生)実験

3.1 HDD用磁気ヘッドを用いた磁性細線における磁区の形成・駆動・検出

これまでに,当所では,磁性細線メモリーの単位記録素子を磁性細線とHDD用磁気ヘッドを用いて仮想的に形成し,その素子において磁区の形成・駆動・検出実験を行い,本メモリーの動作原理を検証してきた11)。具体的には,4図に示すように,パラジウム(Pd)/コバルト(Co)多層膜から成る垂直磁化膜を幅150nm,長さ20µm*9の細線形状に形成し,記録媒体となる磁性細線を作製した。この試料を精密な位置制御が可能なX-Yリニアーステージ(モーター等によりX-Yの2方向に精密駆動されるステージ)に搭載し,上からHDD用磁気ヘッドをサスペンションによって押し付け,磁性細線と磁気ヘッドを接触させた。このとき,磁気ヘッドの内部にある一対の記録ヘッドと再生ヘッドが,ともに磁性細線の直上となるようにX-Yリニアーステージで精密に位置制御を行い,仮想的な磁性細線メモリーの単位記録素子を構成した。記録ヘッドと再生ヘッドの距離が物理的に4.5µm離れた磁気ヘッドを実験に使用したため,磁性細線上に磁気ヘッドを平行に接触させて設置した場合,この区間長4.5µmに相当する部分の磁性細線が記録媒体として動作することになる。

この単位記録素子に対して,5図のような評価系を構築し,磁区の記録駆動再生実験を行った。まず測定前に,磁性細線の全域に対して十分に大きな垂直上向きの磁界を印加して,細線の磁区を一様に上向き(“0”)に磁化させた。次に,磁性細線の一端に接触させた記録ヘッドに任意波形発生器を接続し,6図のようにトリガー信号に同期させて,2秒ごとに100ミリ秒のパルス幅で記録電流Iwriteを印加して下向き磁区(“1”)の形成(記録)を行った。一方,トリガー信号に同期させて,磁性細線に接続した高速パルス電源より,1ミリ秒ごとにパルス幅10.7ナノ秒*10で電流密度1.3×108A/cm2の駆動電流Idriveを磁性細線の長さ方向に印加して,記録した磁区を駆動した。同時に,4.5µm離れた磁性細線の他端に接触させた再生ヘッド出力の変化を測定することにより,電流駆動によって磁性細線中を移動してきた磁区から発生する磁束方向の変化を検出した。

このときの再生ヘッド出力の時間変化を7図に示す。再生ヘッド出力の単位はmT(ミリテスラ)*11である。磁区形成および駆動を開始して約9秒で,最初に記録した下向き磁区が再生ヘッド直下へ到達したことが分かる。その後も,記録電流の印加条件に対応した約2秒間隔のピッチで,再生ヘッド直下を上向きおよび下向きの磁区が規則的に通過していく様子を観測することができた。ここでピッチが2秒から若干ずれているのは,磁性細線に多数存在する磁壁の移動速度が一定ではなく,ばらつきが生じていることに起因すると考えられる。これらの結果から,仮想的に構成した磁性細線メモリーの単位記録素子において,磁区の形成(記録)・駆動・検出(再生)の一連の動作が可能であることを実証できた。

4図 HDD用磁気ヘッドを用いた磁性細線メモリーの単位記録素子の模式図
5図 磁区の記録駆動再生実験の評価系の構成
6図 記録電流・駆動電流のタイミングチャート
7図 HDD用磁気ヘッドを用いた磁性細線メモリーの単位記録素子における再生ヘッド出力の時間変化

3.2 実用的な原理検証を目指した磁性細線メモリー素子の構造検討

前節で述べたHDD用磁気ヘッドによる仮想的な磁性細線メモリー素子の原理実証において,7図で得られた再生ヘッド出力の絶対値は,時間経過とともに徐々に小さくなる傾向がある。これは,磁気ヘッドをサスペンションで磁性細線に押し付けて接触させているため,8図のように徐々にその位置がドリフトしてオフトラック状態となり,再生感度が低下したものと考えられる。このように,磁気ヘッドと磁性細線の接触状態によって両者の相対位置関係が変化してしまうため,記録精度と再生の再現性に問題があった。この問題を解決し,より実用的な磁性細線メモリーの検証を進めるためには,記録ヘッドおよび再生ヘッドに相当する機能を磁性細線上に一体化形成し,それらと磁性細線の位置関係を固定することが必要不可欠となる。ただし,HDDで用いられている記録ヘッドや再生ヘッドは,コイルや磁気シールドなどが集積されており,構造が非常に複雑であるため,そのまま磁性細線と一体化形成して試作することは,技術的に難しい。

そこで9図のように,記録ヘッドは,磁性細線と直交かつ“ねじれの位置*12”に配置した単純な金属ワイヤー状の構造とし,そこに電流を流すことによって生じる右回りの電流磁界を用いて磁性細線の磁区形成を行うこととした。以降,記録ヘッドに相当する磁区形成機能を担う構造を「記録素子」と表記する。磁性細線と記録素子の間には,それぞれに流す駆動電流と記録電流がお互いに影響を与えないように,層間絶縁膜層を設けた。この構造であれば,層間絶縁膜層を介して記録素子を磁性細線と一体化形成することが可能となる。

このように記録素子を一体化形成した場合,磁性細線で磁区形成が可能か,Landau-Lifshitz-Gilbert(LLG)方程式*13を用いたシミュレーションにより検証を進めた。計算時間を短縮するために,記録素子は断面40×40nm,長さ1.6µm,磁性細線は幅120nm,長さ1.6µm,膜厚12nmとし,実際の試作で使用する予定の材料パラメーターを用いて計算を行った。記録素子に電流密度2.6×107A/cm2の記録電流を印加した場合の,0.1ナノ秒後の磁性細線の磁化状態のシミュレーション結果を10図に示す。磁性細線は垂直磁気記録材料であるので,上向きもしくは下向きの2方向の磁区のみが安定して存在でき,互いに反対向きの磁区と磁区との間は磁気モーメントが緩やかに反転していく磁壁となる。初期状態では磁性細線はすべて赤色,すなわち上向きに磁化された状態であったが,記録電流を印加した結果,記録素子の右側部分に,青色の下向きに磁化された磁区が,僅か0.1ナノ秒後には既に形成できていることが分かる。記録素子に十分な記録電流を流した場合,右回りの強い電流磁界が発生し,その法線成分の方向に磁気モーメントが傾けられることが知られており,青色の下向きに磁化された磁区が形成されたシミュレーション結果はこれと矛盾しない。なお,青色領域の右端部にある磁壁(緑色~黄色の領域)の形状が揺らいでいるように見えるが,時間経過とともに安定し,1ナノ秒以内には直線状に収まるため,記録エラー等の問題とはならない。以上の結果から,記録素子を一体化形成した磁性細線メモリー素子において,電流磁界によって磁区形成が可能であると考えられる。

一方,再生ヘッドに相当する磁区の検出機能には,磁気光学顕微鏡を用いることとした。磁気光学顕微鏡の動作原理を11図に示す。磁性材料に対して偏光面をそろえた光を入射させると,磁性材料から反射する際に,その局所表面の磁性材料の磁化方向に対応して,偏光面が異なる方向に僅かに回転する現象が知られており,これを磁気光学カー効果(Magneto-optical Kerr Effect)と呼んでいる。この反射光の経路に偏光フィルターを挿入することによって,ある方向の偏光面の光のみを透過させ,それ以外の光は透過させないようにすれば,磁性材料の表面の磁化方向を反映した明暗像を,形状情報とともに顕微鏡的に観察することができる。そのため,磁気光学顕微鏡では,観察視野の範囲にある磁性細線表面のすべての磁化状態を,リアルタイムに面で捉えることができる。

8図 磁性細線メモリーの単位記録素子におけるHDD用磁気ヘッド位置の経時変化
9図 記録素子を一体化形成した磁性細線メモリー素子の構造概念図
10図 記録素子による磁区形成のシミュレーション結果
11図 磁気光学顕微鏡の動作原理

3.3 記録素子を一体化形成した磁性細線メモリー素子の試作プロセス

記録素子を一体化形成した磁性細線メモリー素子を試作するために,12図(a)に示すように,①位置合わせマーカー埋込層,②磁性細線層,③層間絶縁膜層,④記録素子層,⑤上部電極層から成る5層構造で試作プロセスを構築した。各層を形成・積層するごとに光学顕微鏡により撮影し,試作プロセスを確認した。そのうち②~⑤の積層後の様子,および②~④の中心部拡大図を,それぞれ12図(b)および(c)に示す。

層構造が複雑なため,それぞれの層の相対位置がずれないように,位置合わせのための位置基準マーカーの形成が必要である。まず表面熱酸化シリコンウェハー*14上に,フォトレジスト*15パターンをレーザーリソグラフィー法*16により形成した後,リアクティブイオンエッチング法*17でシリコンウェハーをパターン形状に削り込み,金(Au)薄膜をイオンビームスパッター法*18により埋め込み堆積し,リフトオフ法*19で所望の位置基準マーカー形状に加工して,①位置合わせマーカー埋込層とした。なお,この位置基準マーカーを適切に利用することにより,上部に形成する各層の位置ずれはおよそ40nm程度の誤差範囲に抑えることが可能となっている。

磁性細線層②には,高速に磁区を駆動できるとともに磁気光学カー効果が大きく,表面磁化状態を検出しやすい材料であるコバルト(Co)/テルビウム(Tb)多層膜を採用することとした。テルビウムは酸化耐性が非常に弱いため,酸化防止層として表面に白金(Pt)を堆積した。①上に電子線レジスト*20パターンを電子線リソグラフィー法*21により形成した後,Pt(3nm)/[Co(0.3nm)/Tb(0.6nm)]×5周期から成る多層膜をイオンビームスパッター法で堆積し,リフトオフ法により幅3~5µm,長さ40µmの磁性細線を形成した。

層間絶縁膜層③は,磁性細線と記録素子を互いに絶縁するために必要となる。磁性細線を構成するテルビウムが酸化に弱いことから,通常使用される酸化シリコン(SiO2)絶縁膜ではなく,窒化シリコン(Si3N4)絶縁膜を採用し,レーザーリソグラフィー法・イオンビームスパッター法およびリフトオフ法により形成した。層間絶縁膜層の厚さが薄すぎると記録素子と磁性細線が電気的にショートすることとなり,厚すぎると記録素子から発生した電流磁界の強度が磁性細線位置で弱くなるため,試作を繰り返して,両者のバランスが取れる厚みである18nmとした。

記録素子層④には,電気伝導性が高く,かつ,磁気光学顕微鏡で使用する観察光の波長領域における反射率が低く,磁性細線の磁化状態を観察しやすい材料として,金(Au)を採用した。電子線リソグラフィー法,イオンビームスパッター法およびリフトオフ法により,磁性細線をまたぐように幅3µm,膜厚100nmの“コの字”状に形成した。このような形状としたのは,磁区の様子を観察する磁気光学顕微鏡の対物レンズのワーキングディスタンス*22が約1mmと短いためである。対物レンズと評価系の探針が接触通電することを避けるため,評価系と接続する磁区記録用と磁区駆動用のすべての電極パッドを,メモリー素子の片側一列となるようにデバイス形状を設計した。

上部電極層⑤は,磁区の形成や駆動の際に電流を印加するために必要となる導線と電極パッドであり,電気伝導性が極めて高い銀(Ag)を採用した。レーザーリソグラフィー法・イオンビームスパッター法およびリフトオフ法により,膜厚50nmの上部電極を形成した。

12図 記録素子を一体化形成した磁性細線メモリー素子の試作プロセス

3.4 記録素子を一体化形成した磁性細線メモリー素子の試作

13図は,磁性細線メモリー素子を形成したウェハーの様子と,その素子中心部の表面光学顕微鏡像を示す。2インチの表面熱酸化シリコンウェハー上に8個の磁性細線メモリー素子を形成した。評価系と接続するために,磁性細線メモリー素子から約12mmの長さの電極回路をウェハー端部まで引き出し,プローブカードに搭載されたプローブ針をこの電極パッド部へ接触させて評価系と接続した。

13図の表面光学顕微鏡像から,磁性細線とコの字状の記録素子が,層間絶縁膜層を介して位置ずれなく一体化形成できていることが分かる。なお,磁区駆動に支障がでないように,磁区駆動電極経由で印加された駆動電流が突入電流となることを防ぎつつ一様に磁性細線へ導入するために,磁性細線の両端部には台形状の電流集中構造を設けている。磁性細線自体は,全長40µm,幅3µmとした。磁性細線のほぼ中央に形成したコの字状の記録素子の左端部で磁区形成を行い,そこから右端に向けて磁区を駆動することとした。コの字状の記録素子の右端部は,磁性細線への磁区形成には寄与せず,電極パッドへの電気的なリターンパスとして機能する。

14図は,試作した磁性細線メモリー素子における磁区の記録駆動再生実験の評価系の構成を示す。試作ウェハー上に設けられた電極パッドに対して,1メモリー素子当たり4本のプローブ針が装着されたプローブカードを用いて,プロービングを実施した。磁性細線には駆動電流Idrive,記録素子には記録電流Iwriteをそれぞれ印加できるように,2式の高速パルス電源を接続し,トリガー信号で同期して動作するように構成した。また磁性細線中の磁区の挙動を観察するために,磁気光学顕微鏡を磁性細線メモリー素子の直上に設置した。

試作した磁性細線メモリー素子において,記録素子に500 ナノ秒幅のパルス電流を印加したときの磁性細線中に形成される磁区の様子,および磁性細線の長さ方向にも500 ナノ秒幅のパルス電流を印加したときの磁区が駆動される様子を,磁気光学顕微鏡により連続的に観察した。2式の高速パルス電源から試作メモリー素子に印加した記録電流および駆動電流のパルスダイアグラムを15図に示す。印加した記録電流の電流密度は±2.6×107A/cm2,駆動電流の電流密度は+2.5×107A/cm2に設定した。今回使用したそれぞれの電流密度は,LLG方程式によって十分に磁区の形成および駆動が可能であることが判明している値に設定しており,磁性細線メモリーの記録・駆動の省電力化を図るために必要な最適化は考慮していない。16図は磁気光学顕微鏡により観察した磁性細線中の磁区挙動を示したものである。今回使用した磁性細線はコバルト/テルビウム多層膜から成る垂直磁気記録媒体であるので,紙面上向き,もしくは下向きのいずれかの方向のみに磁化された磁区が存在できる。実験の開始前に,紙面上向き方向に十分な強度の外部磁界を印加して,磁性細線の磁化方向をすべて紙面上向き方向にそろえた。15図16図において,状態A~Fは,経過時間に応じた磁区位置の変化に対応し,それぞれ,

  • A:初期状態(磁性細線をすべて紙面上向き方向に磁化させた状態),
  • B:正の記録電流を記録素子に印加後に駆動電流を磁性細線に3パルス印加した状態,
  • C:負の記録電流を記録素子に印加後に駆動電流を磁性細線に2パルス印加した状態,
  • D,E,F:B~Cの手順を同様に繰り返した状態,

を示している。それぞれの記録・駆動条件において,磁性細線中を移動する複数の磁区の磁化方向に対応して,磁気光学顕微鏡像では明暗像として観察できていることが分かる。状態Bにおいては,正の記録電流により記録素子近傍に右回りの磁界が発生し,紙面下向きの磁区が形成された後,駆動電流によって磁性細線の右方向へこの磁区が移動している。また状態Cでは,負の記録電流により記録素子近傍に状態Bとは逆向きの磁界が発生し,紙面上向きの磁区が形成された後,駆動電流によって紙面下向きおよび上向きの2つの磁区列が形状を保ったまま右方向へ移動している。同様にD,E,Fの各状態においては,すでに形成された磁区列を,まとめて一様に磁性細線中を移動させることが可能であることが分かった。

以上により,試作した記録素子を一体化形成した磁性細線メモリー素子において,磁化方向が紙面上向き/下向きの交互の磁区列として,磁性細線中に情報を蓄積できること,および磁気光学顕微鏡により,蓄積された情報を面で捉えて再生できることを実証した。

13図 磁性細線メモリー素子を形成したウェハーの様子と素子中心部の光学顕微鏡像
14図 試作した磁性細線メモリー素子における磁区の記録駆動再生実験の評価系の構成
15図 試作した磁性細線メモリー素子に印加した記録・駆動電流のパルスダイアグラム
16図 試作した磁性細線メモリー素子における磁区駆動の磁気光学顕微鏡による観察結果

4.むすび

本稿では,転送速度の極めて高い映像データを記録するメモリーの実現へ向けて,当所で研究を進めている磁性細線メモリーについて,その動作原理を紹介した。また,コバルトとテルビウムを交互に積層した垂直磁化磁性細線と記録素子とを一体化形成した本メモリーの単位記録素子を試作し,磁区の記録駆動再生実験を実施した結果について報告した。

試作した磁性細線メモリー素子において,電流磁界による磁区形成(記録)・パルス電流による磁区駆動・磁気光学顕微鏡による磁区の磁化方向の検出(再生)が一連の動作として実現可能であることを示し,本メモリーの動作原理が成立することを実証した。

今後は,磁性細線の複数並列化と再生系の一体化形成を進めるほか,磁区駆動の高速化や駆動電流の低減などのメモリー動作の改善を図ることによって,超高速・長期保存が可能な磁性細線メモリーの実現を目指す。

本稿は,映像情報メディア学会技術報告,映像情報メディア学会年次大会講演予稿集および日本磁気学会学術講演会概要集に掲載された以下の論文を元に加筆・再構成したものである。

奥田,川那,宮本:“磁性細線メモリーにおける磁気光学効果による駆動磁区のリアルタイム観察,” 映情学技報,Vol.41,No.17,MMS2017-45,pp.11-15(2017)

奥田,川那,宮本,石井:“磁気光学効果を利用した[Co/Tb]磁性細線の磁区駆動評価,” 映情学技報,Vol.42,No.15,MMS2018-45,pp.63-67(2018)

川那,奥田,石井,宮本:“様々な記録素子形状における磁性細線中への磁区形成シミュレーション,” 磁気学術講演,12aPS-47(2018)

堀,遠藤,石井,宮本:“記録素子を一体化形成した磁性細線メモリー素子の試作,” 映情学年次大,34D-1(2019)

堀,遠藤,石井,宮本:“記録素子を一体化形成した磁性細線メモリー素子の試作と磁気光学評価,” 磁気学術講演,26aPS-21(2019)