HDR-TVの映像方式とITU-Rにおける標準化動向

日下部 裕一

放送衛星を用いた4K・8K試験放送「NHKスーパーハイビジョン」が2016年8月1日から開始された。試験放送では,一部の番組がHDR(High Dynamic Range:高ダイナミックレンジ)で放送されている。HDRは,広いダイナミックレンジ(明暗の幅)を持つ映像を撮影し,表示装置上に再現することで,これまでのテレビでは表現の難しかった明暗の差が大きいシーン(日陰とひなたの同時再現)や,鏡面反射・光沢感等のハイライトの再現を可能とし,高解像度や広色域と相まって視聴者により高い臨場感を提供する。HDR-TV(高ダイナミックレンジテレビ)の映像方式としては,ITU-R勧告BT.2100にHLG(Hybrid Log-Gamma)とPQ(Perceptual Quantization)の2つの方式が規定されており,これに基づいてHDR放送のための国内放送方式が策定されている。本稿では,HDR-TVの2つの映像方式について,その特徴やコンセプトを述べるとともに,ITU-RにおけるHDR-TVの標準化動向について解説する。

1.まえがき

NHKでは,フレーム周波数120 Hz,広色域,HDR(High Dynamic Range:高ダイナミックレンジ)を有し,画素数が7,680×4,320の超高精細映像と,22.2マルチチャンネル音響から成るフルペック8Kスーパーハイビジョンの実現を目指して研究開発を進めている1)2)。これらの規格は,ITU-R(International Telecommunication Union — Radiocommunication Sector:国際電気通信連合無線通信部門)において国際標準化され,それぞれUHDTV(Ultra-High Definition Television:超高精細度テレビ)のITU-R勧告BT.20203),HDR-TV(高ダイナミックレンジテレビ)のITU-R勧告BT.21004),先進的音響システムのITU-R勧告BS.2051に規定されている5)

NHKは,研究開発とともに実用化に向けた機器開発や伝送実験,2012年のロンドンオリンピック等の国際的なイベントにおけるパブリックビューイング6) などの実績を積み重ね,超高精細度テレビの国内放送方式の策定を経て,2016年8月1日から放送衛星による試験放送を開始した。試験放送の放送方式は,ITU-R勧告BT.2020に基づく4K・8Kの映像パラメーターを採用しつつ,ITU-R勧告BT.2100に基づくHDRも取り入れている。試験放送の一部の番組はHDR方式で放送されており,4K・8KのHDR放送は世界初である7)

本稿では,HDR-TVの映像方式およびITU-R勧告BT.2100の成立過程や内容を紹介する。

2.HDR-TVの映像方式

2.1 HDR-TVの背景

人間が知覚できる現実光景の輝度レンジは,目の絞り機能により,月明かりの夜の明るさ(10-3cd/m2程度*1)から太陽の直接光(106cd/m2程度)まで10の9乗を超える範囲であり,同時に知覚できる輝度範囲は10の5乗程度と言われている。一方,これまでのハイビジョン番組制作用の表示装置が実現していた輝度レンジは,CRT(Cathode Ray Tube:ブラウン管)やLCD(Liquid Crystal Display:液晶ディスプレー)ではピーク輝度が100から数百cd/m2程度,黒輝度が0.1cd/m2程度であり,ダイナミックレンジとしては数千:1程度であった。そのため,これまでの映像制作では,現実の光景の高輝度部は表示装置の特性に合わせて圧縮する必要があり,階調が失われる結果となっていた。一方,近年の表示装置技術,具体的にはLCDのバックライトにLED(Light Emitting Diode:発光ダイオード)を用いたローカルディミング方式*2 や,有機EL(Electro Luminescence)などの自発光デバイスの進展により,黒輝度を0.01cd/m2程度以下に抑える一方でピーク輝度が1,000cd/m2を超えるような,10万:1以上のダイナミックレンジを持つ表示装置が入手できるようになってきた。また,撮像素子の高感度化に伴い,カメラの高ダイナミックレンジ化も進んできている。

このような背景のもとで,HDR-TVの映像方式が開発された。HDR-TVの利点は,現実光景により近い明暗の幅を映像信号として取得し,それを表示装置上に再現することで,これまで表現の難しかった明暗の差が大きい光景や,鏡面反射・光沢感等のハイライト部の階調再現を可能とすることである。例として1図に,スタジアムでのひなたと日陰のような明暗の差が大きい光景の,SDR-TV(Standard Dynamic Range Television:標準ダイナミックレンジテレビ)とHDR-TVによる表現の違いを示す。選手やボールなどの注目点が日陰にある場合,その情報を確実に取得するようカメラのアイリス(絞り)を調整して映像を取得するが,この場合,SDR-TVでは観客席や空などのひなたの部分においては白つぶれが生じてしまう。一方,HDR-TVでは広いダイナミックレンジによって日陰とひなたの同時再現が可能となる。このように,HDR-TVの映像方式により,表示装置の高輝度・高ダイナミックレンジ表示性能を生かすことができる。

1図 明暗の差が大きい光景の表現の違い

2.2 HDR-TVの映像方式

HDR-TVの映像方式には,シーン参照型とディスプレー参照型の2つの考え方がある。シーン参照型の概念を2図に,ディスプレー参照型の概念を3図に示す。シーン参照型は,従来のハイビジョン等におけるSDR-TVの規定と同様に,撮像側すなわちカメラで捉えた現実光景の光をビデオ信号に変換する伝達関数OETF(Opto-Electronic Transfer Function:光電気伝達関数)で映像信号生成を規定する方式である。一方,ディスプレー参照型は,表示側すなわちビデオ信号をディスプレーの光に変換する伝達関数EOTF(Electro-Optical Transfer Function:電気光伝達関数)で映像信号生成を規定する方式である。前者の方式としてHybrid Log-Gamma(HLG)方式があり,後者の方式としてPerceptual Quantization(PQ)方式がある。

また,OETFとEOTFのほかに,撮像素子上の現実光景の光強度と表示装置で再現される光強度との関係を示す伝達関数として,OOTF(Opto-Optical Transfer Function:光光伝達関数)がある。OOTFは,撮影環境と表示環境の違いによる見えの違いの補正や,制作意図に基づく調整を表す伝達関数である。ハイビジョンの場合にはOOTFは明示的には規定されていなかったが,ITU-R勧告BT.7098) に規定されるOETFとITU-R勧告BT.18869) に規定されるEOTFの積で表現される総合特性は約1.2乗のべき関数で近似され,これがハイビジョンのOOTFに相当する。シーン参照型ではOOTFは表示側に含まれ,OETFの逆関数(Inverse OETF)とOOTFの積でEOTFが規定され(2図),ディスプレー参照型ではOOTFは撮像側に含まれ,OOTFとEOTFの逆関数(Inverse EOTF)の積でOETFが規定される(3図)。

HLG方式のOETFとPQ方式のEOTFのそれぞれの定義式を1表に示す。

HLG方式は,NHKがBBC(British Broadcasting Corporation:英国放送協会)と共同で開発した方式である2)10)。ハイビジョンと同じく輝度値を相対的に扱う相対輝度方式であり,ディスプレーのピーク輝度によらず「ピーク」に対応する映像信号から「黒」に対応する映像信号までの全範囲を表示する方式である。HLG方式のOETFは,映像信号レベルE′=0.5(相対輝度E=1/12)まではハイビジョンのOETFと同等の関数(ガンマ補正関数)を持ち,映像信号レベル0.5~1.0では対数関数を持つことでハイライトを圧縮する特性を持つ。この特性により,SDR信号やSDR表示装置との互換性を保ちながらHDR制作を行うことができる。本方式のOETFは2015年に電波産業会(ARIB:Association of Radio Industries and Businesses)の標準規格STD-B6711) に規定された。

PQ方式は,最大10,000cd/m2までのディスプレー輝度を絶対値で扱う絶対輝度方式で,広い輝度範囲をカバーすべく人間の視覚特性に基づき効率的にビット割り当てを行う新たな伝達関数を導入している。絶対輝度方式であるため,映像信号とディスプレーで再現される輝度値とは一意に対応し,表示装置のピーク輝度に応じて表示可能な映像信号範囲が変わる。本方式のEOTFは2014年に米国映画テレビ技術者協会(SMPTE:Society of Motion Picture and Television Engineers)において,HDR制作用基準ディスプレーの規格としてST 208412) に規定された。

これら2方式の特徴の比較を2表に示す。また,両方式の伝達関数特性を同じ軸で比較するために,HLG方式のOETFとPQ方式のEOTFの逆関数とを比較したグラフを4図に示す。4図より,PQ方式は HLG方式に比べて非線形性が強く,暗部により多くの映像信号を割り当て,明部を大きく圧縮する方式であることが分かる。なお,HLG方式とPQ方式の映像信号は相互に変換可能であり,ITU-RレポートBT.2390にその枠組みが記載されている13)

NHKではシャープ(株)と共同で,HLG方式に対応した8KHDR液晶表示装置を開発した。その外観を5図に,仕様を3表に示す14)。この液晶表示装置は,スーパーハイビジョン試験放送の受信機としてNHKの各放送局に設置され,受信公開に利用されている。

2図 シーン参照型(HLG方式)の概念
3図 ディスプレー参照型(PQ方式)の概念
1表 HLG方式のOETFとPQ方式のEOTF
2表 HLG方式とPQ方式の比較
HLG方式 PQ方式
コンセプト ・輝度値を相対的に扱う(従来の考え方)
・従来のテレビと互換性のある伝達関数
・ 表示装置上で最大10,000cd/m2の輝度
を絶対輝度として扱う
・ 人間の視覚特性に基づく新たな伝達関数
映像信号 ・「黒」と「ピーク」の間の相対表現
(例:コード64(10bit)が「黒」,
コード940(10bit)が「ピーク」)
・ コード値と絶対輝度値の関係を一意に規定
(例:コード64(10bit)が0cd/m2
コード940(10bit)が10,000cd/m2
信号規定 OETF側(撮像側) EOTF側(表示側)
表示装置の
ピーク輝度との関係
ピーク輝度によらず,「黒」から「ピーク」
の全範囲を表示
ピーク輝度に応じて再現される映像信号
範囲が異なる
4図 HLG方式とPQ方式の伝達関数の比較
5図 HLG方式対応8KHDR液晶表示装置
3表 8KHDR液晶表示装置の仕様
画面サイズ 85型
画素数 7,680×4,320
フレーム周波数 60 Hz
階調 12 bit相当
最大輝度 1,000 cd/m2以上
ダイナミックレンジ 200,000:1(測定値)
色域包含率(BT.2020色域比) 77%

3.ITU-RにおけるHDR-TVの標準化動向

3.1 ITU-R勧告BT.2100成立の経緯

ITU-RにおけるHDR-TVに関する議論は,SG 6(Study Group 6:放送業務を所掌する研究委員会)傘下のWP 6C(Working Party 6C:番組制作および品質評価に関する作業部会)で行われた。HDR-TVの議論は,UHDTVの映像パラメーター(現在のITU-R勧告BT.2020)の標準化作業が進められていた2012年に,米国が高ダイナミックレンジを扱うための新たな伝達関数を提案したことに端を発する。米国の当初の提案は,映像信号が,10,000cd/m2までの現実光景の輝度の絶対値を表現するものであり,テレビジョンの方式としては受け入れられないという反対意見が支配的であった。その後,米国提案は,現実光景の輝度ではなくディスプレーに表示される輝度を絶対値で表現するものに修正されるとともに,実験結果の寄与やデモが行われ,映像のダイナミックレンジを拡大したテレビ方式に関する検討が進むことになった。

米国提案のPQ方式は,相対的な明るさを表す映像信号を撮像側で規定するこれまでのテレビ方式の考え方とは異なることや,ライブ制作への適用方法が不明なことなどへの懸念から,NHKはSDR方式と親和性の高いHDR方式が必要であると考えていた。BBCも同様の考えを持っていたことから,NHKとBBCは共同でHLG方式を開発し,ITU-Rに提案した。一方,米国はHDR制作にはマスタリング*3 のための基準表示装置の規定が必要であるとして,EOTFを規定するPQ方式の採用を主張した。また,各提案者によるデモも行われ,それぞれの提案者がHLG方式あるいはPQ方式の優位性を主張した。

コンセプトと伝達関数の異なる両方式を1つの方式に統合することが難しくなる中,2015年7月会合では,両方式に共通のOOTFを規定することによって両方式を統一的に扱うことを目標とすることが合意された。しかし,OOTFの共通化も容易ではなく,2016年1月会合では,両方式のそれぞれについてOETF/EOTF/OOTFのセットを規定した新勧告案が合意され,その後ITU-R加盟国による採択・承認手続きを経て,2016年7月にITU-R勧告BT.2100が成立した。当初の米国提案からおよそ4年の議論を経た結果である。

3.2 ITU-R勧告BT.2100の内容

HDR-TVのシステムパラメーターを規定するITU-R勧告BT.2100は,主要な映像パラメーター値に関してはUHDTVのITU-R勧告BT.2020を引き継いでおり,フレーム周波数,三原色点と基準白色,画素構造,ビット数はBT.2020と同等である。

伝達関数については,PQ方式とHLG方式それぞれのOETF,EOTF,OOTFが規定された。PQ方式では,SMPTE ST2084と同等のEOTFが規定され,OOTFはITU-R勧告BT.709のOETFとITU-R勧告BT.1886のEOTFの積による総合特性をHDR用にスケーリングしたものが規定された。HLG方式では,ARIB STD-B67と同等のOETFが規定され,OOTFはディスプレーのピーク輝度が1,000cd/m2の場合に1.2乗のべき関数(システムガンマ)を輝度成分にかけることが規定された。システムガンマを輝度成分へ適用する理由は,撮影した現実光景の色の成分(彩度や色相)を表示時に変化させないためである。また,システムガンマの設定値はディスプレーのピーク輝度に応じて設定される。これは,映像信号を表示する際に,ディスプレーのピーク輝度によらず知覚的に同様の見え方を再現するためであり,設定値の計算式は実験結果に基づいている10)15)

画素数は,4K/8K以外にハイビジョンと同じ2K(順次走査のみ)も規定されている。輝度・色差信号については,従来のY'C'BC'Rに加えて新たにICTCP(Constant Intensity:定輝度方式)が規定された16)。映像信号のデジタル表現に関しては,従来のnarrow range(10bit表現の場合,黒を64,ピークを940のコード値*4 に割り当てる方式)に併記してfull range(10bit表現の場合,黒を0,ピークを1,023のコード値に割り当てる方式)が規定された。また,番組制作用の標準観視条件に関しては,ディスプレーのピーク輝度は1,000cd/m2以上,黒輝度は0.005cd/m2以下と規定されている。

3.3 今後の課題

HDR-TVの映像パラメーターに関する勧告は成立したが,HDR-TVの番組制作や放送は始まったばかりであり,番組制作手法の確立には,今後多くの経験を積む必要がある。一方で,表現できる明るさの幅が広がったことでより多彩な映像表現が可能になったが,番組間や放送局間の明るさの違いが視聴者に不快感を与えることのないように配慮も必要である。また,過去の膨大なSDR素材をHDR番組内で有効に活用できることも必要である。ITU-Rでは,このような番組間の明るさの一貫性や快適視聴を確保するための参照レベルの規定,SDR信号をHDR信号内にマッピングする手法に関する規定など,運用手法に関する研究が始まっている。

4.あとがき

本稿ではHDR-TVの映像方式とITU-Rにおける標準化動向について解説した。HDR-TVは表現できる明るさの範囲を拡大することで,よりリアルな映像表現を可能とする技術であり,画質向上に対して極めて高い効果がある。一方で,表現できる明るさの範囲が拡大したことによる生体への影響や,番組間の明るさの一貫性については,人間の知覚的な特性を踏まえた研究が今後必要になるであろう。

2016年8月に試験放送が始まった8Kスーパーハイビジョンは,2018年には実用放送の開始が予定され,東京オリンピック・パラリンピックが開催される2020年には本格的な普及が期待されている。HDRの特性を生かしたより臨場感のある8Kスーパーハイビジョン放送を目指して,今後も研究を推進していく。