ヒトの視覚機能と新たな映像技術・映像表現

「人間科学に基づいた映像評価技術」特集号に寄せて

安藤 広志
 情報通信研究機構 脳情報通信融合研究センター 脳機能解析研究室 副室長

写真:安藤 広志 情報通信研究機構 脳情報通信融合研究センター 脳機能解析研究室 副室長

ヒトは視覚動物と呼ばれている。他の哺乳類と比較すると,ヒトは視覚情報を処理する大脳皮質を極度に発達させており,外界を把握するのに多くの場合,ヒトは視覚情報に頼っている。夜行性の動物が聴覚や嗅覚の機能を発達させたのに対し,昼行性のヒトやサルの祖先は,視覚機能を発達させることで生活空間を拡大してきたと考えられている。

視覚動物たるヒトは,情報伝達の手段として,さまざまな視覚媒体(映像メディア)を発達させてきた。この歴史を少しひもといてみたい。15世紀半ばに発明された活版印刷は,活字による情報の大量伝達を可能にした。しかし,既に15世紀末までには,文字のみならず,版画を挿絵にした印刷物が西欧諸国において数多く出回ることとなる。当時の人々が文字による情報伝達に限界を感じ,画像を用いてより豊かに情報を伝えたいと考えたのは容易に理解できる。さらに,19世紀半ばになると,英国において挿絵入りの新聞が創刊され,20世紀に入る前後から,写真が新聞紙面に多用されるようになる。

一方,動画に関しても,20世紀に入るとニュースのフィルム映像が映画館で上演されるようになるが,20世紀半ばには,電子媒体のテレビ放送がこれに取って代わった。テレビの一般家庭への普及により,映像が人々の日常生活の一部になったという意味で,20世紀はまさに映像の世紀であったと言えるだろう。さらに,21世紀になりインターネットの普及が進むと,誰もが映像の受け手としてだけでなく,送り手としての役割も有するようになった。映像は,今や正確な情報の伝達のみならず,多様な自己表現にとっても欠かせないものとなったと言える。

膨大な映像情報が生み出される現代社会において,人々は現状の映像技術・映像表現で満足するであろうか。私は,今後も人々は映像にさらなる発展を求めるだろうと考える。なぜなら,ヒトはあくまでも視覚動物であり,実世界と映像世界に差が存在する限り,その差を少しでも縮めたいという,本能的とも言える欲求を持っていると考えるからである。8Kスーパーハイビジョンの映像技術は,ヒトの視覚の時空間解像度の限界にまで迫りたいという,ヒトの本然的な欲求の現れとも言える。ヒトは,また映像の外枠の限界も打破したいと無意識に感じているに違いない。ヘッドマウント型の没入型映像システムに引き付けられるのは,周りを見渡せば,そこに視覚情報があるという,実世界では当たり前の事実が,映像世界でも実現されようとしているからである。立体映像に関しても,流行と停滞を何度も繰り返しながらも,自然な立体映像に対する欲求が消えることはないだろう。なぜなら,ヒトには本来,両眼立体視の機能が備わっており,ヒトは映像世界にもそれを潜在的に求めるからである。また,ヒトが暗部でも明部でも細かな濃淡を見分けられる視覚機能を有する限り,ダイナミックレンジの広い豊かな階調表現も追い続けるであろう。

新しい映像技術と多様な映像表現の追求には,ヒトの視覚機能が常にその基盤にある。よって,映像文化のさらなる発展を願うならば,映像がヒトに与える影響をヒトの視覚機能に基づき正確に理解することが重要と考える。つまり,映像の「評価」である。映像の評価により,その映像がヒトに対して与える効果・意味,さらには未来の映像技術も見えてくる。その映像の何がすごいのか。逆に,何が不足しているのか,冷静な目を持って分析すれば,その本質が分かってくる。新しい映像技術・映像表現に対しては,極端な意見が横行しがちである。例えば,「立体映像を見ると目を悪くする」,あるいは「高精細映像があれば十分な立体感が得られる」といった類いだ。いずれの主張も物事の本質を断片的にしか捉えていない。科学的な知見や信頼性のあるデータに基づかない主張は,人々を単に扇動したり,むやみに不安がらせたりするだけである。その映像がヒトに悪影響を与える可能性が本当にあるならば,評価データに基づいた正当なガイドラインの策定が必要になる。一方,ヒトへの好影響が評価データにより示されるのであれば,その映像を自信を持って世に出すことが可能になる。

ヒトが映像をどう感じているかを捉えるには,映像の「評価技術」が必要になる。ヒトの感覚を正確に知ることは,実は容易ではない。自分が感じているものは自分が一番よく分かっていると思われるかもしれないが,これは単なる思い込みである。なぜ自分がそのように見えていて,実際どのように感じているかは,いくら自らの感覚を内観してみても正確には分からないのである。ヒトの感覚という曖昧なものを解き明かすのは,科学的な分析手法である。ヒトの感覚をサイエンスの対象に持ち込んだのは,19世紀末の物理学者であった。熱力学第1法則の提唱で著名なHelmholtzは,光や音の物理情報と感覚量の関係を分析し,心理物理学の基礎 を切り開いた。それから100年がたち,刺激(物理情報)の制御・提示技術,およびヒトの反応データの統計的解析技術の進歩に伴い,ヒトの感覚を定量化する技術は着実な進展を遂げてきている。また,ヒトの無意識かつ自然な反応を解析するために,身体動作や生体情報(眼球運動・心拍・皮膚電位等)を計測・分析する技術も進んだ。

一方,感覚情報は末梢神経系で検出された後,脳の中枢神経系において精緻な情報処理が行われている。脳内の情報表現を直接測定できれば,より客観的な評価が可能になるのではとの期待は高い。1990年代初頭に発明された機能的磁気共鳴撮像法(fMRI:functional Magnetic Resonance Imaging)等,非侵襲の脳活動計測法の分野では,ここ10年,多変量統計解析による脳情報のデコーディング手法等,その解析技術が進歩し続けている。今後は,感覚と注意・情動・記憶の関係等,高次脳機能の解析がさらに進展すると見込まれる。ただし,脳活動を計測すれば,客観的な評価がすぐにでも可能になるといった過度の期待は禁物である。脳の機能メカニズムは,現時点ではその多くが未知であり,今後も脳機能解明への地道な努力を続ける必要があるからだ。

人間科学に基づいた評価技術により映像の未来を築きたい,そのような果敢な挑戦が続いている。本特集号でも,先進的な映像評価技術の成果が示されている。眼球運動の分析によるインテグラル立体映像の評価や,脳情報による映像コンテンツの注意・心理状態の解析等,いずれも意欲的な取り組みである。ヒトの視覚機能にしっかりと根を下ろした映像技術・映像表現の追求により,映像文化の着実な進展と新たな歴史が生まれてくることを期待したい。