トンネル効果を利用したスピン注入型空間光変調器

金城 秀和 青島 賢一 加藤 大典 町田 賢司 久我 淳 菊池 宏

ホログラム表示用デバイスとしてスピン注入型空間光変調器(スピンSLM:Spin-Spatial Light Modulator)の研究を進めている。今回,Co-Fe/MgO/Co-Fe磁気トンネル接合と,ガドリニウム鉄(Gd-Fe)合金から成る光変調層を用いたトンネル磁気抵抗効果(TMR:Tunnel Magnetoresistance)型の垂直磁化光変調素子を作製し,その電気的特性と磁気的特性を評価した。TMR比(トンネル電流の方向によって変化する抵抗値の割合)は7.0%と低い値であったものの,スピン注入磁化反転に必要な電流密度を1.0MA(106A)/cm2に低減することができ,低電流での磁化反転動作に成功した。この要因としては,高い抵抗値を有するTMR光変調素子に電流を注入(スピン注入)すると素子にジュール熱が発生し,温度に影響されやすい材料であるGd-Fe合金の磁化が揺らぐことによって,低電流での磁化反転が生じたことが考えられる。

1.はじめに

物体から反射してくる光の波面を忠実に再生できるホログラフィーは,メガネが不要で,輻輳*1 と焦点調節*2 に矛盾が無く*3,自然な立体像を再生することのできる理想的な空間像再生型表示技術である。立体テレビを実現する手法の1つとして,ホログラフィーには大きな期待が寄せられている。ホログラフィーで立体映像を表示するためには,光の振幅,位相,偏光などの空間的な分布を高速に変調することが可能な空間光変調器(SLM:Spatial Light Modulator)が必要である。また,広い視域で立体像を再生するためには,超高精細なSLMを開発する必要がある。

当所では,画素ピッチ1µm以下の超微細な画素を電気的に駆動するスピン注入型空間光変調器(スピンSLM)を提案し,研究を進めている1)2)3)4)5)。スピンSLMは,1図に示すように,磁化固定層(強磁性薄膜),中間層(非磁性薄膜),光変調層(強磁性薄膜)の3層から成る積層膜で形成され,スピン注入磁化反転*4 と磁気光学カー効果*5 を利用することで,電気的に光を変調することができる。スピンSLMには,中間層に非磁性の金属層を用いた巨大磁気抵抗(GMR:Giant Magneto-Resistance)型と,極薄の絶縁層を用いたトンネル磁気抵抗(TMR:Tunnel Magneto-Resistance)型の2種類がある。

GMR型では,中間層に銅(Cu)や銀(Ag)などの金属薄膜を用いており,作製は容易である。当所では,これまでに光変調層に希土類遷移金属合金のガドリニウム鉄(Gd-Fe)を用いた磁性多層膜の画素を1µmピッチで1次元に並べたGMR型スピンSLMを開発した6)。また,GMR構造の磁性多層膜を2次元配置した静止画ホログラム用固定パターン(画素ピッチ1µm)を作製し,広い視域で立体像を得ることに成功した7)

一方,TMR型では,中間層に数原子の層厚の酸化マグネシウム(MgO)を用いることにより,トンネル電流によるスピン偏極電子*6 を光変調層へ効率よく注入することが可能である。そのため,TMR型スピンSLMでは,低電流で画素を駆動できることが期待され,画素の大規模アレー化に有効である。しかしながら,TMR型スピンSLMを低電流で動作させるためには,MgO絶縁層の結晶配向性*7 を制御することが重要となる。磁化固定層/MgO絶縁層(中間層)/光変調層の磁気トンネル接合*8 において,MgOの結晶面を(001)面(2章および3図を参照)にそろえて形成することで,MgO絶縁層内でスピン偏極した電子の浸み出し確率*9 を高めることができ,高効率のスピン注入を実現することができる。また,MgO絶縁層を挟む2つの強磁性薄膜(磁化固定層,光変調層)における接合界面(トンネル接合界面)のスピン偏極率*10 を高めるためには,その界面にそれぞれ,体心立方格子*11 の鉄(Fe)やコバルト(Co)あるいはそれらの合金(Co-Fe)から成る磁性結晶材料を用いることが有効である。

本稿では,低電流駆動を可能とするTMR型スピンSLMの開発を目指し,Co-Fe/MgO/Co-Fe磁気トンネル接合を用いた光変調素子を作製し,その電気特性と磁気特性を評価した結果について報告する。

1図 スピン注入型空間光変調器の概要

2.TMR光変調素子の基本構造と動作原理

TMR光変調素子の基本構造と動作原理を2図に示す。基本構造は磁化固定層,中間層(MgO絶縁層),光変調層の3層から成り,素子1個で1画素が形成される。磁化固定層には大きな保磁力*12 を持つ磁性材料を用いる。磁化固定層の磁化の向きは,外部から注入される電流には影響されず,通常の印加磁界の大きさでは変化しない。なお,磁化固定層を通過できる電子は,磁化固定層の磁化の向きと同じ向きのスピンを持つ電子だけである。中間層には,数原子の層厚のMgO絶縁層を用いる。また,光変調層には,注入された電子スピンの向きと同じ方向に磁化する性質と,磁化の向きによって入射光の偏光面が回転する磁気光学カー効果が大きいという性質を,ともに持つ磁性材料を用いる。各層に対して垂直な方向にパルス電圧を印加すると,その電圧の極性によって,磁化固定層と光変調層との間に上向きまたは下向きの電子スピンがトンネル電流として流れることにより,光変調層の磁化の向きを上向きまたは下向きに制御することができる8)2図(a)は光変調層側から電流を流した場合で,電子は下から上へ流れる。2図(a)の磁化固定層は下向きに磁化しているので,磁化固定層に入ろうとする上向きのスピンの電子は磁化固定層で反射され,下向きの電子だけが磁化固定層に入り,中間層を通過して,光変調層へ注入される。従って,光変調層の磁化は下向きに反転(スピン注入磁化反転)する。2図(b)は磁化固定層側から電流を流した場合で,電子は上から下へ流れる。光変調層と中間層を通過した電子のうち,磁化固定層の磁化の向きと反対の上向きスピンを持つ電子は反射される。従って,光変調層には上向きスピンを持つ電子が多く存在することになり,光変調層の磁化を上向きに反転させる。この光変調層に直線偏光の光を照射すると,その反射光の偏光面が光変調層の磁化の向きに対応して回転するため,2値の偏光状態が出力される。

3図にMgO絶縁層の結晶構造を示す。一般的に,MgO絶縁層はスパッター法*13 や分子線エピタキシー(MBE:Molecular Beam Epitaxy)法*14 などの製膜技術を用いて形成される。トンネル電流を利用するためには,MgOを原子数個程度の厚さの非常に薄い膜で形成し,その結晶配向性を制御する必要がある。MgOはNaClと同じ岩塩型の結晶構造を示し,Mg原子とO原子がそれぞれ面心立方格子*15 を形成する。3図(a)に示すように,z軸に直交する平面(これをMgO(001)面と呼ぶ)がトンネル接合界面に対して平行に形成されると,スピン偏極した電子が強磁性薄膜からMgOへ浸み出す確率が高くなる。一方,3図(b)に示すように,(x,y,z)=(100),(010),(001)の各点によって切り出される平面(これをMgO(111)面と呼ぶ)が前述の界面と平行に形成されると,スピン偏極電子の浸み出す確率が低くなる。

スピン注入磁化反転を効率よく行うためには,MgO(001)面の絶縁層を用いて,スピン偏極電子の浸み出し確率を高める必要がある。そのため,MgOを挟む2枚の強磁性薄膜には,鉄(Fe)あるいは鉄とコバルト(Co)の合金(Co-Fe)から成る体心立方格子の磁性材料が用いられる。これら磁性材料の結晶構造は,MgO(001)面との整合性もよく,強磁性薄膜/MgO絶縁層/強磁性薄膜の3層すべてを(001)面に配向させることで,理論上,トンネル接合界面のスピン偏極率を最大の1にすることができ,位相のそろったコヒーレントトンネル電流を流すことができる。すなわち,スピン注入効率が大幅に増大し,スピンSLMを低電流で動作させることが可能となる。

2図 TMR光変調素子の基本構造と電気的動作
3図 MgO絶縁層の結晶構造

3.TMR光変調素子の作製と評価

低電流駆動のTMR型スピンSLMを開発するためには,スピン偏極した電子を高効率に注入することができる高い結晶性のMgO薄膜,トンネル接合に適した磁性材料,および高い磁気光学カー効果を示す光変調材料が必要である。そこで,面内磁化膜*16 において高い結晶配向性を示す磁気トンネル接合膜であるCo-Fe/MgO/Co-Feの上に,GMR型スピンSLMに適用したGd-Fe光変調層を積層して垂直磁化TMR光変調素子を試作した9)

製膜したTMR構造の磁性多層膜(TMR磁性多層膜)を4図に示す。Cu系の下部電極上にRu(2.0nm)/Tb-Fe-Co(20nm)/Co-Fe(0.5nm)磁化固定層,MgO(1.0nm)絶縁層,Co-Fe(0.3nm)/Gd(0.2nm)/Gd-Fe(9.0nm)光変調層およびRu(3.0nm)保護層を熱酸化膜付Si基板上に堆積した。( )内の数字は各層の膜厚である。MgO絶縁層はRFイオンビームスパッター法*17,その他の層はDCイオンビームスパッター法*18 を用いて形成した。なお,光変調層のGd(0.2nm)は,Gd-Fe合金の垂直磁気異方性*19 を保持するバッファー層として挿入した。

このTMR磁性多層膜に対し,膜厚方向に垂直な磁界を印加し,波長780nmのレーザー光を垂直に照射して光変調層のカー回転角の変化を測定した結果を5図に示す。5図は,光変調層におけるカー回転角の外部磁界依存性を示すものであり,Gdバッファー層を挿入していない場合を比較としてプロットした。Gdバッファー層が無い場合は,カー回転角が,磁界の印加に応じて単調に増加する特性を示すのに対し,Gdバッファー層を挿入した場合は,印加磁界が0のときにカー回転角が2値を示す良好な垂直磁化膜の特性が得られた。この結果から,Gdバッファー層を挿入することにより,磁気トンネル接合のCo-Fe/MgO/Co-Fe膜上にGd-Fe光変調層を積層したTMR構造の垂直磁化膜を作製することに成功した。

作製した垂直磁化膜に対し,電子線リソグラフィー*20,リフトオフ法*21 などによる微細加工を行って560nm×560nmサイズのTMR素子を形成した。通常の光変調素子では上部電極に透明電極を用いるが(1図参照),ここでは電気特性の測定を行うのみであるため,上部電極にCu系材料を用いた。6図に光変調層におけるTMR比*22 の外部磁界依存性を示す。光変調層の磁化の向きに応じて電気抵抗が変化する理想的なTMR曲線*23 が得られたが,TMR比はおよそ7.0%とCo-Fe/MgO/Co-Feを適用したTMR素子としては,かなり低い値であった。この原因としては,MgO絶縁層や接合材料のCo-Fe層の結晶配向性が不十分であったことなどが考えられる。

7図に,素子に流した電流の密度に対する素子の電気抵抗を測定した結果を示す。なお,7図には,Cu系の下部電極上にTb-Fe-Co(20nm)/Co-Fe(0.5nm)磁化固定層,Ag(6.0nm)中間層,Gd-Fe(8.9nm)光変調層,Ru(3.0nm)保護層を用いたGMR素子の場合を比較として図示した(7図の黒線)10)。TMR素子の電気抵抗値(7図の赤線)は,電流密度の値に応じて変化し,その変化量(TMR比)は外部磁界を印加した場合と同じ値であった。すなわち,作製したTMR素子の光変調層は,GMR素子の場合と同様に,電流を流すことによって磁化反転が可能であることを確認できた。TMR素子の磁化反転電流密度は1.0MA/cm2であり,GMR素子に比べて1桁低減させることに成功した。TMR比が低い値を示したにもかかわらず,低電流で磁化反転が起こった要因は,電流注入の際に発生したジュール熱が磁化反転に寄与するためと考えられる。一般にGd-Feのような希土類遷移金属合金の磁気特性は温度の影響を受けやすい11)。GMR素子に比べてTMR素子では素子の抵抗値が高いために,電流注入の際に発生するジュール熱も大きいと考えられる。ジュール熱の効果を検証するため,光変調層の磁化の熱安定性を解析した。その結果,TMR素子の熱安定性指標(Δ)*24 は,電流注入前ではおよそ4,000であったのに対し,電流注入時には80となり,50分の1にまで減少することが分かった。このことから,電流注入時にはジュール熱の影響により光変調層の磁化が揺らぎやすくなり,微小な電流を印加するだけで磁化反転が起きたと考えられる。

以上の結果,TMR素子の高い抵抗値によって発生するジュール熱により,スピン注入磁化反転電流密度を大幅に低減できることが確認された。さらに,本研究のTMR素子を用いたアクティブマトリクス駆動方式*25 の2次元スピンSLMを作製し,その基本的な光変調動作にも成功した12)

4図 Co-Fe/MgO/Co-Fe 磁気トンネル接合を用いた
TMR光変調素子の膜構成 (TMR 磁性多層膜)
5図 Co-Fe/MgO/Co-Fe磁気トンネル接合を用いた
TMR光変調素子の外部磁界によるカー回転角変化
6図 TMR光変調素子の外部磁界による電気抵抗変化
7図 TMR光変調素子とGMR光変調素子のスピン注入による電気抵抗変化

4.むすび

スピンSLMの低電流化を目指して,電子のトンネル効果を利用したスピン注入型光変調素子を作製した。Co-Fe/MgO/Co-Fe磁気トンネル接合と,Gd-Fe光変調層との間にGdバッファー層を挿入することで,印加磁界が0のときに2値を示す良好なTMR構造の垂直磁化膜が得られた。この膜を用いて微細加工により形成した素子のTMR比は7.0 %と低い値であったものの,磁化反転電流密度として1.0MA/cm2が得られ,GMR素子に比べて約1桁低減することができた。この要因は,Gd-Feの磁化がジュール熱により揺らぎ,磁化反転が起こりやすくなったためと考えられる。このジュール熱を利用したTMR素子の磁化反転は,光変調素子のような大面積の素子を低電流で動作させる手法として有益である。今回得られた成果を基に,立体ホログラフィー用スピンSLMの実現に向けて,引き続き研究開発を進める予定である。

なお,本研究の一部は,(独)情報通信研究機構の委託研究「革新的な三次元映像技術による超臨場感コミュニケーション技術の研究開発」の中で実施した。

本稿は,Journal of Applied Physics誌に掲載された以下の論文を元に加筆・修正したものである。
H. Kinjo, K. Machida, K. Matsui, K. Aoshima, D. Kato, K. Kuga, H. Kikuchi and N. Shimidzu:“Low-current-density Spin-transfer Switching in Gd22Fe78-MgO Magnetic Tunnel Junction,” J. Appl. Phys.,Vol.115,pp203903.1-203903.3(2014)