無線伝送技術の理解に向けての努力

髙畑 文雄
早稲田大学理工学術院 教授

写真:髙畑 文雄 早稲田大学理工学術院 教授

本特集号に目を通される方々の多くは,地上テレビ放送の伝送技術に程度の差はあれ精通されていると判断される。しかし,その内容はあまりにも高度で最新のものであり,正確に理解するためには,相当な知識が必要である。

私の研究室に所属する学生は,主に無線通信における物理層に関する研究を進め,研究成果を修士論文や卒業論文の形でまとめることになっている。研究室の学生を観察していると,研究室に配属される学部4年当時には,修士の大学院生が発表する内容はチンプンカンプンで,難しい外国語を聞いている心境であるように思われる。1つには,十数年前からの無線通信の急速な発展により,新たに生まれた多くの難解な技術用語が日常的に使用されるようになったことが挙げられる。研究室において,そのような専門用語を何回となく耳にし,さまざまな発表に興味を持ち,自分で調査するようになると,おのずから知識が増える。その結果,3年間の研究室生活を終え,修士課程を修了するころには,無線の専門家のような顔をするようになる。確かに,いくつかの修士論文には立派な内容が記載され,努力の跡がうかがえる。論文の性格上,特定の目的に焦点を絞るため,狭いトピックに関する知識は深いが,本当に無線通信技術の本質を理解しているかは別問題である。例えば,この特集号の内容をどの程度理解できるかは甚だ疑問である。

研究室の学生について長々と記述したが,無線伝送技術を正確に理解するために,通信・放送分野を専攻する学部生,更には大学院生がどのような講義や演習を受け,知識を修得するかを,私の所属する学科の教育課程を例にとって述べてみたいと思う。当該分野の専門家の方々には釈迦に説法となるが,ひょっとして初心に帰り,大学時代の講義を思い出す契機になれば幸いである。

まず,電波または無線周波数に関する知識が必要となる。最近,地上デジタル放送やスマートホンなどに関する報道が多く流されるようになったので,通信・放送サービスごとに異なる無線周波数が使用されていることを学生は知っている様子である。しかし,無線周波数のサービスごとの具体的な割り当てや,周波数に依存した電波の性質までは理解していないと思われる。国際電気通信連合(ITU)においてサービスごとの無線周波数の配分がなされていることなどを勉強する必要がある。総務省が中心となってITUに対して国際的な周波数配分を提案するとともに,日本国内における周波数割り当てを行っている事実も常識として知るべきである。話は脱線するが,先日タクシーで総務省に向かうとき,運転手の方から「総務省は会社でいう総務部のように,国の事務作業をしているのでしょうか?」と聞かれた。返事に窮したが,無線通信関連の授業を受けなければ,大学生も同じように感じていることだろう。

無線周波数の後に「帯」を付けた無線周波数帯という語句は,無線周波数に設定された上限と下限の周波数に挟まれた部分を意味する。周波数として,直流から無限大の周波数まで想定できるが,電波の性質上,実際に使い勝手の良い無線周波数は限られている。従って,それぞれのサービスに広い無線周波数帯を割り当てていては,無線周波数が不足する。無線周波数帯は有限であり,国民の財産でもある。国民の財産である無線周波数帯を非効率に使用することは避けなければならない。そのため,無線の専門家にとって,限られた周波数帯をいかにして有効利用するかは永遠の課題である。本特集号でも,無線周波数帯の有効利用を少なくとも1つの研究テーマとしているはずである。

次に,限られた無線周波数帯を使用した,デジタル信号の効率的な伝送を学ぶ必要がある。そのための基礎知識として,時間波形と周波数スペクトルを関係付けるフーリエ解析,周波数帯域を制限するフィルタリング,デジタル信号に対する変復調技術などがある。これらを学ぶことによって,無線周波数帯の有効利用の尺度の1つであるbps/Hz(周波数幅1Hzで,1秒間に伝送できるビット数)を導出することができる。大学の授業では,デジタル信号の伝送の前段階において必要となる知識として,信号とシステム,アナログ-デジタル変換,ラプラス変換,z変換などを講義している。その他,電磁波の発生と伝搬の基礎となるマクスウエルの方程式を基に,偏波,アンテナ技術を教える電磁気学,情報源符号化,通信路符号化,シャノンの定理,誤り訂正技術などを講義する情報理論や符号理論などを受講する必要がある。

本特集号には,SFN,FPU,MIMO,OFDM,QAM,LDPC,MLDなどの略語を含む多数の技術用語が登場すると思われるが,それらは授業で学んだ基礎知識を基に,研究室における研究と演習を通して理解しなければならない。なお,無線伝搬路の推定と補償には数学的素養も要求される。卒業論文や修士論文では,各種技術をコンピューターシミュレーションによって評価することが通常であるが,そのためには,ツールとしてのプログラミング手法を講義において修得しておく必要がある。更には,私の所属する学科では,FPGA(Field Programmable Gate Array)などを用いて,ソフトウエアをデバイスに書き込むSoC(System on Chip)設計技術と呼ばれる授業が用意されている。

研究室の学生を例にとって,無線伝送技術を真に理解するために,いかにたくさんの知識が必要であるかを述べた。本特集号は,NHK放送技術研究所の放送ネットワーク研究部における研究成果の一部から構成されるが,定期的に研究開発に関して意見交換をさせていただいており,日頃から優秀な研究者による地に根を張った素晴らしい研究であると感じている。物理層の研究開発を海外に依存する風潮を強く感じる現状において,放送ネットワーク研究部のスタッフには,当該分野の研究開発を引き続き積極的にリードしてもらいたいと思う。地上放送の他に,IMT-Advanced(第4世代携帯電話),無線LAN,ITS(高度道路交通システム),RF-ID(電波を利用した個体識別),衛星通信・放送,GPSなど,電波を利用したシステムは限りない。研究室の学生を叱咤(しった)激励したいのは山々であるが,筆者自身が最近の無線通信技術についていけないというのが最近の状況である。通信と放送にはそれぞれ異なる境界条件や制約条件が存在するが,両システムに共通して適用可能な技術も多数存在すると思われるので,研究者に対しては,アンテナを高くして情報収集に努めることも期待したい。