レート制御型ハイビジョンIP伝送装置

小田 周平

近年,放送局ではIP(Internet Protocol)ネットワークを活用した番組制作の高度化・効率化の試みが積極的に行われている。例えば,簡単な機材と街中に整備されているインターネットアクセスポイントを活用した生中継が行われている。IPネットワークは,放送局が映像伝送に利用している従来の専用回線とは異なり帯域が保証されていない。従って,IPネットワークでリアルタイムの映像・音声を安定して伝送するためには克服すべき課題がある。本稿では,複数の利用者が帯域を共有するというIPネットワークの特性を説明し,放送局がIPネットワークを番組中継に利用する際の課題を明らかにするとともに,IPネットワークで安定して映像を伝送する手法およびその手法に基づいて開発したレート制御型ハイビジョンIP伝送装置を紹介する。

1. はじめに

放送局が取材現場から映像を伝送するテレビ番組の中継には,従来,FPU(Field Pickup Unit)*1 回線やSNG(Satellite News Gathering)*2 回線といった映像伝送のための専用回線が用いられている。これらの回線では,一定の帯域が確保されており,遅延はあるが確実に映像を伝送することができる。

近年の番組制作用の機器ではデジタル信号が用いられており,映像・音声のベースバンドデジタル信号をそのまま伝送するためには非常に広い帯域を必要とする。そこで,通常は圧縮符号化処理(エンコード)を行いデータ量を削減してから伝送する。この符号化処理の圧縮率が高いほどデータ量は小さくなるが,映像・音声の品質は劣化する。特に,映像データのエンコード処理では,人間が検知しにくい高解像度成分を削減するので,圧縮率が高いと細かい絵柄が失われ,全体的にぼやけた映像になる。

FPU回線やSNG回線のような専用回線では固定の帯域が常時割り当てられているので,帯域に応じたエンコードレートを事前に設定して,一定の画質を保って伝送することが可能である。

このような専用回線による伝送方法のほかに,一般に広く普及しているIPネットワークを活用して,映像伝送を行うためのさまざまな試みが行われている1)。しかし,一般のIPネットワークでは,各伝送に対して固定の帯域が割り当てられないので,専用回線のように固定のエンコードレートで常時伝送することはできない。

2. IPネットワークの特徴

IPネットワークでは,データをパケットと呼ばれる可変長の固まりに分割して伝送する。送信装置からネットワークに送信されたパケットはルーターやハブといったパケットを中継する装置を通り,次々に転送され,最終的に受信装置に届けられる。IPネットワークはこの転送の経路を複数の利用者で共有していることが大きな特徴である。

IPネットワーク上の中継装置はパケットの先頭に記述されている宛先アドレスに基づいて次の中継装置へとパケットを転送し,最終的な受信装置へパケットを届ける。宛先アドレスに基づいて転送が行われるので,送信元や宛先を異にするパケットであっても,1つの伝送路を共用することができる。

利用する経路の帯域が空いていれば,一度に多くのデータを伝送できるが,多くの利用者が同時に伝送を行い混雑してくると,各利用者が単位時間あたりに伝送できるデータ量は少なくなる。このように,一定の伝送帯域や遅延は保証できないが,その時に提供できる最大の伝送品質を提供するネットワークはBest Effortネットワークと呼ばれる。

1図を用いてIPネットワークでパケットが転送される様子を説明し,Best Effortネットワークによるデータ伝送の特徴を具体的に示す。送信装置A,B,Cはルーターa,bを経由して,それぞれ対応する受信装置A,B,Cにパケットを送信する。ルーターaとルーターbの間は1本の経路で結ばれており,送受信装置A,B,Cは,この経路を共有している。

まず,送信装置A,B,Cは均一の間隔でそれぞれパケット1,2,3を送信する(①)。各送信装置からのパケットがルーターaに同時に到着した場合には,これらのパケットは次の経路が空いて転送できるようになるまでルーターa内のバッファーに一時的に保持される(②)。なお,バッファーからあふれるほど大量のパケットが一度に到着した場合には,あふれたパケットは廃棄される(③)。

ルーターaからルーターbに中継するパケットは経路が空いて転送できるようになるまで送信を待たされることがあり,この待たされた時間だけルーターbへの到着が遅れる(④)。ルーターbではパケットはそのままそれぞれの受信装置に転送されるので,受信装置でのパケットの到着タイミングは送信装置が送信したタイミングとは異なり,パケットごとに遅延時間が変動する(⑤)。

また,ルーターaでバッファーからあふれた送信装置Cからのパケット3は受信装置Cには到着せず,パケットロスとなる(⑥)。

1図 IPネットワークでパケットが転送される様子

3. IPネットワークを用いて映像を伝送するための技術

IPネットワークには2章で述べたような特徴があるので,IPネットワークでリアルタイムの映像・音声を伝送するためには,以下のことを考慮する必要がある。

(1) パケット到着タイミングの補正

リアルタイムで映像・音声データを受信・再生するためには,それぞれのデコード時刻までに必ずデータが到着していなければならない。しかし,前述のように,IPネットワークによる伝送では,中継装置でパケットが保持されることがあるので,到着タイミングがずれてしまう。そこで,受信側で一定時間データをバッファーして,IPネットワークで発生するパケットの到着タイミングの揺らぎを吸収し,タイミングをそろえてから再生する。この時間を長くするほど,より大きなパケット到着タイミングの揺らぎを吸収できるが,再生までの遅延時間が大きくなり,リアルタイム性が損なわれることに留意する必要がある。

(2) パケットロスの回復

IPネットワークのルーターは原則としてパケットロスに対する回復措置を行わないので,必要に応じて送受信装置で対処する必要がある。

パケットロスの発生に対して,受信装置が送信装置に再度同一のパケットを送信するように要求する方式をARQ(Automatic Repeat Request)方式と呼ぶ。ARQ方式では,送信装置に再送要求を行い,再度同一のパケットが送られて来るのを待つためのバッファーが必要である。このため,ライブ映像をARQ方式で伝送する際には,受信側で再送待ち時間のための一定の遅延が必要となることに留意する必要がある。バッファー量が大きいほど,すなわち,許容できる遅延量が大きいほど,再送パケットを何回も要求できるので,より多くのパケットロスを回復することができる。

遅延の発生を抑えてパケットロスを回復させる方法として,あらかじめ誤り訂正パケットを付加するFEC(Forward Error Correction)方式と呼ばれる方式がある。ただし,誤り訂正によるパケットロス回復では,付加する誤り訂正パケット量によって定まる訂正能力を超えたパケットロスを回復することはできない。また,ネットワークの混雑状態の変化を事前に予測して,常に適切な冗長量を設定することは困難である。

(3) 既存のIPネットワーク用の映像伝送装置

既存のIPネットワーク用の映像伝送装置では固定のエンコードレートを設定して伝送を開始し,ARQ方式とFEC方式を組み合わせてパケットロスを回復している。現状の運用では,事前に回線測定を行い,伝送可能な帯域を見込んでエンコードレートを決定するとともに,パケットロスに対する余裕を持たせてARQ方式とFEC方式のパラメーターを設定している。しかし,想定外にネットワークが混雑すると,パケットの到着タイミングが遅れたり,回復できないパケットロスが発生したりして映像・音声が途切れてしまうことがある。また,取材現場とスタジオ間の会話をスムーズに行うために低遅延の伝送が求められている。

4. 動的なエンコードレートの制御

3章で述べた課題を解決するために,ネットワークの混雑状況に応じて,動的に映像の圧縮率を変化させながら映像・音声を伝送するハイビジョンIP伝送装置を開発した。まず,映像符号化方式にMPEG-2方式2) を用いたプロトタイプ装置を試作し3),2008年1月から1年間,NHKの放送局で実環境での動作検証を行い,年間を通じて安定した運用ができることを確認した。その後,検証実験の良好な結果を受け,メーカーの協力を得て,より低い伝送レートまで制御可能なハイビジョンIP伝送装置を開発した。映像符号化方式には,より符号化効率の高いH.264方式4) を採用し,高画質化を図るとともに,より遅延時間の短い伝送を行うための符号化パラメーターの調整を行った。装置の外観を2図に,装置の機能と諸元を1表に示す。

開発したハイビジョンIP伝送装置の構成を3図に示す。まず,送信装置は映像信号と音声信号を圧縮し,TS(Transport Stream)8) に多重する。次に,TSにRTP(Realtime Transport Protocol)9) ヘッダーを付けてIPパケット化する。RTPヘッダーにはパケットの順番を識別するためのシーケンス番号が記述されている。受信装置はこのシーケンス番号を見てパケットロスを検出し,誤り訂正や再送要求を行うとともに伝送可能なエンコードレートの算出を行う。算出したエンコードレートは再送要求と併せて送信装置に通知され,送信装置は指定されたエンコードレートとなるようにエンコーダーを制御する。パケットロスの発生量からエンコードレートを逐一算出してフィードバックする処理を繰り返すことで,時々刻々変化するネットワークの混雑状況に応じた制御が可能となる。

本装置の特徴は,映像エンコードレートの可変範囲が128kbps~60Mbpsと従来の固定レートで伝送するIP伝送装置と比較して非常に幅広いことである。低いエンコードレートではハイビジョン画質を確保することは困難で,高解像度成分が失われてぼやけた映像になるが,突発的なネットワークの混雑が発生しても急激にエンコードレートを下げて,映像・音声が途切れないように伝送を継続できることが最大の特徴である。

2図 開発したIPハイビジョン伝送装置の外観 (ノートPCの利用はオプション)
1表 開発したハイビジョンIP伝送装置の機能と諸元
機能 諸元
映像入力・出力 HD-SDI SMPTE 292M5) (BNCコネクター)
音声入力・出力 (2ch) SMPTE 299M6) (SDIエンベデッド)
またはアナログ(XLRコネクター)
映像圧縮方式およびレート可変範囲 ITU-T H.264 (128kbps~60Mbps)
音声圧縮方式およびレート可変範囲 MPEG1-L2Audio7) (64kbps~384kbps)
伝送インターフェース Ethernet 10/100/1000 Base-T
電源 AC100V~240V
サイズ 350×210×44mm
(送信装置・受信装置共通,突起含まず)

※映像ベースバンド信号の帰線区間(空き時間)に音声信号を多重する方式。

3図 開発したハイビジョンIP伝送装置の構成

5. レート制御方法

2表に伝送装置の設定パラメーターの一覧を示す。伝送装置は設定した送信レート初期値Rsで送信を開始する。パケットロスの発生やRTT(Round Trip Time)*3 の増加が検知されなければ,全体の送信レートを送信レート増加値Raだけ増加させる。制御をする度にRaだけ増加させるが,パケットロスが発生したりRTTが増大したりすると減少させる。なお,帯域が空いている場合でも,設定した最大送信レートRm以上は送信レートを増加させない。これは,画質が十分確保できるレートを超えて送信し,無用に帯域を消費することを防ぐためである。

受信装置はデータを受信してもすぐにはデコードを開始せず,再送待ち時間Twだけ受信データをバッファーに保持する。パケットロスが発生した場合には,このバッファーで保持する間に繰り返し再送要求を行い,再送データの到着を待ち,パケットロスを回復した後にデコーダーにデータを渡す。再送待ち時間Twが長いほど,より多くのパケットロスを回復できるが,全体の伝送遅延が増える。そこで,伝送開始前にパケットロス発生率の変化と許容できる遅延量を考慮して,再送待ち時間Twを決定する。

再送要求間隔Trは受信装置が送信装置に再送要求を行う時間間隔であり,最適値は送受信装置間のRTTである。開発したハイビジョンIP伝送装置には,伝送開始時にRTTを測定し,自動的にTwTrの値を設定する機能がある。

レート余裕値RƒはFECパケットの付加量であり,パケットロスがない場合でも指定量のFECパケットを送信するので,エンコードレートはその値だけ低い値に制御される。ただし,Rƒを大きくすることで,急激にパケットロス発生率が増大するような回線で,再送に先駆けて誤り訂正を行い,パケットロス耐性を高くすることができる。

パケットロスの発生状況とRTTの変化によって決まる全体の送信レート,再送データレートおよび固定のFECデータレートから,確実に伝送できるエンコードレートを算出し,途切れることのない映像・音声の伝送が可能となる。

2表 開発したハイビジョンIP伝送装置の設定パラメーターの一覧
パラメーター名 説明
送信レート初期値:Rs (kbps) 伝送開始時の送信レート
送信レート増加値:Ra (kbps) 1回の制御あたりの送信レートの増加値
最大送信レート:Rm (kbps) 送信レートの最大値
レート余裕値:Rƒ (kbps) 付加するFECパケットの量
再送待ち時間:Tw (ms) エンコードデータ受信後,デコーダーにデータを
渡すまでの,再送パケット到着待ち時間
再送要求間隔:Tr (ms) 受信装置が送信装置に対し再送を要求する間隔

6. 伝送結果

開発したハイビジョンIP伝送装置では,外部のPC画面で,パケットロスの発生状況とレート制御の様子をリアルタイムで確認することができる。

レート制御監視画面を4図に示す。パケットロスの発生に対するエンコードレートの制御動作は以下のとおりである。

軽微なパケットロスが発生している場合(①)には,まず,FEC方式で回復し,回復できなかったパケットがある場合には再送要求を行う。再送パケットによってネットワークの混雑が更に悪化することを防ぐために,再送パケットの送信量だけエンコードレートを下げ,全体の送信レートを増加させないように制御していることが確認できる。

パケットロスが大きく,送信レートに対して明らかに受信レートが低下している場合(②)には,エンコード処理を制御し,送信レートを減少させて,ネットワークの混雑を解消するように動作している。これにより,複数台の伝送装置が同一の経路を共有して伝送する際にも,それぞれの装置が帯域を譲り合って均等に帯域を利用するように動作する10)

ネットワークの混雑が解消し,パケットロスが発生しなくなる(③)と,エンコードレートを増加させて,できるだけ高画質な映像を伝送している。

4図 開発したハイビジョンIP伝送装置のレート制御監視画面

7. 運用事例

ハイビジョンIP伝送装置はNHK釧路放送局で,取材拠点である根室報道室からの映像素材伝送用装置として導入されている(5図)。

従来,根室報道室からの映像伝送にはFPU回線が用いられてきたが,海上伝播(でんぱ)区間のフェージング現象により,伝送エラーがまれに発生することがあった。このような状況を補うために,釧路放送局では独自にIP-VPN(Virtual Private Network)による映像伝送システムを構築してきた。このネットワークでライブ映像を伝送するための装置として,特に,ネットワークの状態が変化しても途切れることなく伝送できる点が重視され,本装置が採用された。

5図 開発したハイビジョンIP伝送装置の釧路放送局での設置状況

8. むすび

従来の専用回線とは異なるIPネットワークの特徴と映像伝送に対する課題を述べ,帯域が保証されないBest Effortネットワーク上で,映像・音声の途切れることのないリアルタイム伝送を可能とするレート制御型ハイビジョンIP伝送装置を紹介し,その動作を説明した。

ハイビジョンIP伝送装置はネットワークが混雑している場合でも,画質は劣化するが,映像・音声の伝送が途切れないようにすることを目的として開発されたものである。専用回線を用いて,一定の品質を確保して伝送する従来の映像伝送とは性質を異にするものであり,専用回線を置き換えるものではない。しかし,IPネットワークの高速化が進み一般に広く普及する中,例えば,災害時や緊急報道など突発的な事態が発生した場合や,海外などで従来の伝送手段を確保するまでに時間を要する場合に,近くに利用できるIPネットワークがあれば,本装置を利用して映像の伝送が可能となる。

今後,現場での運用事例を基に更に改良を重ね,装置の高機能化を図る予定である。