放送通信連携技術への期待

亀山 渉
早稲田大学 理工学術院 教授

写真:亀山 渉 早稲田大学 理工学術院 教授

本誌を読んでいらっしゃる方々はよくご存じと思うが,1999年に設立され,2005年まで標準化活動を行ったTV-Anytime Forumという業界標準化団体があった。大容量のハードディスクドライブが搭載されたPDR(Personal Disk Recorder)がテレビに接続あるいは内蔵されるのを前提として,いつでも,どこでも,どんな方法でも,好きなテレビ番組を視聴できるサービスの実現を目指し,それに必要な技術標準を策定した団体である。日本では,このようなサービスは「サーバー型放送」と呼ばれていた。今日のデジタル放送やIPTV(Internet Protocol TV)で使用されているメタデータ規格等には,基本的にこのTV-Anytime Forum標準が採用されている。NHK技研からも多くの技術者の方がこの標準化活動に参加され,私自身が2001年から副議長を務めたこともあり,関係の方々には大変お世話になったのを懐かしく思い出す。

ところで,このTV-Anytime Forumの設立から解散まで,長年議長を務めたNDS*1 のSimon Parnallが,ある時,おもしろいウンチクを私に教えてくれた。それは「Broadcast」の語源である。Simonいわく,「Broadcast」は「広く種をまく」の意味で元々使われてきた言葉で,それが転じて,いわゆる「放送」の意味で使われるようになったということである。確か,2003年か2004年にこの話を聞いたと思うのであるが,さすが言葉にセンシティブなイギリス人だと感心したことを覚えている。実際,ODE(Oxford Dictionary of English)を引いてみると,確かに2番目にその意味が載っている。また,ジーニアス英和大辞典を引いてみると,「放送するの意味では1921年が初出」とまで書いてある。

ということは,1920年頃に起こったある出来事がきっかけで,「Broadcast」が放送という意味で使われるようになったのではないかと容易に想像できるのであるが,実際,「それ」と思われる出来事が1920年にアメリカで起こっている。「それ」は1920年11月2日のことであり,KDKAという世界で初めての商用ラジオ局が,この日,ピッツバーグで開局したのである。もっとも,これより前,1900年代後半から,アマチュア無線家よるアマチュア無線を使った放送的な情報発信が世界的に行われており,地方ニュース番組のようなものや,レコード再生による音楽番組のようなものが流されていたようである。その意味では,KDKAは世界で初めての「放送」をした訳ではないが,世界で初めて正式に認可された放送局であり,実際に商用放送を行った最初のラジオ局であるのはまちがいない。想像するに,ピッツバーグ周辺の豊かな農園地帯でKDKAを聞いていた誰かがこの「放送」を聞いて,一見何の関係もない「Broadcast」という単語との結びつきをひらめいたのだろうか。語源とは,かくもおもしろい。

技術的な立場から考えてみると,この時,「放送」と「通信」は分岐したのだと言えるだろう。つまり,無線を使ったコミュニケーション手段として発達してきた通信が,一般的に電波発信源から同心円状に電波伝播(でんぱ)は行われるという特性から,不特定多数への情報発信手段として使われるようになり,ついに,商用サービスの誕生によって,その位置づけを確定させたのだ。もちろん,このようなサービスの誕生で,その後,混信を避けるための周波数割り当てシステムの必要性,内容の公平性や公共性の担保,放送における著作権の扱いなど,今日の放送の枠組みが自然と決まっていったことは容易に想像できる。何しろ,大人数に対する同報サービスは,技術的にも経済的にも,電波を使ってのみ可能だったのだ。

さて,この出来事から約1世紀が経過した現在,我々は,また,新しい「出来事」の渦中にあると言えよう。すなわち,放送のデジタル化のひとまずの完成と,それに伴う放送通信連携技術の誕生である。放送通信融合技術については,10年ほど前から盛んに議論され,研究されてきた。冒頭に述べたTV-Anytime Forumも,放送通信融合を目指した標準化活動の1つであった。ただ,ここ数年,このようなサービスが現実味を帯びてきたのは,いわゆるブロードバンドネットワークの進展によるところが大きい。NGN(Next Generation Network:次世代ネットワーク)も現実のものとなり,電波でしか行えなかった大規模で不特定多数への放送も,ブロードバンドネットワークでの実現が夢ではなくなってきつつある。もちろん,現段階では,「マスの放送」と「個の通信」を利用した「連携サービス」の実現が当面の目標ではあるが,近い将来,更に融合が進み,放送通信融合技術の本格的な実用化と,それを利用した新しい融合サービスの誕生も期待される。その意味で,約1世紀前に分岐した放送と通信が再び1つになる日が訪れようとしているのかもしれず,放送と通信の再融合とも呼べる出来事を,そう遠くない未来に,我々は目撃するのかもしれない。本特集号の「放送通信連携技術」は正にその先駆けであり,NHK技研による最先端の研究が網羅的に紹介されるということで,非常に興味深く,大変期待をしている。

ところで,NHK技研では,本特集号で紹介されている放送通信連携技術を基にしたサービスを「HybridcastTM*2」と名付けて研究開発に取り組まれている。将来の辞書には,「Hypbridcastの初出は2010年」と記載されるのかもしれないと考えると,我々は正に新しい言葉の誕生場面に立ち会っているのかもしれない。大げさかもしれないが,このような形で人類の進歩は連綿と続いているのだということを改めて認識し,それを本誌の読者の方々と共有できるのを幸せに思う。