超高精細空間光変調素子

町田 賢司

1. まえがき

当所では,専用の眼鏡が不要で臨場感豊かな立体像表示を目指して,特殊なレンズアレイを用いたインテグラル・フォトグラフィー(IP)やホログラフィーによる立体映像技術の研究を進めている1)2)。また,立体像の表示もできる高精細で高速な表示デバイスの研究開発も行っている。デバイスイメージを1図に示す。回折条件を電流の向きによって変化させることができる動的回折格子*1 を用いた反射型の表示デバイスであり,電極の中心に配置した画素アレイ上に偏光を入射し,その回折光を結像させて,立体像を再生するものである。

このようなデバイスを実現するためには,光の波長オーダーの画素サイズを用いた空間光変調器*2 が必要となる。回折光には入射光の方向と対称な方向に反射する0次光と,0次光の方向を基準として角度Φで回折する1次回折光などの高次の回折光がある。立体像は1次回折光による干渉を用いる。回折角Φが小さい場合には立体像が0次光と重なり視域*3 が狭くなるが,回折角が大きい場合には広い視域で立体像を見ることができる。立体ホログラフィーの解決すべき第1の課題はこの回折角を大きくすることである。波長λの入射光に対する回折角Φは画素ピッチをpとすると,

で表される3)。波長λの光に対して,画素ピッチpが狭くなるほどΦが大きくなる。さまざまな空間光変調器の特徴を1表に示す。従来の変調器の画素サイズはµmオーダーであり,例えば,λ=530nmの入射光を5µm画素ピッチの空間光変調器に入射した場合にはΦは6°程度になる。一方,1µm以下の画素ピッチではΦ≧30°となり,十分な視域を確保できると期待される。また,高解像度の立体像を表示するためには,多数の画素が必要であり,画素の応答速度も高速化する必要がある。そこで,1µm以下の画素サイズと10ns(0.01µs)程度の応答速度を共に実現するデバイスとしてスピン注入型光変調素子を提案し,試作・評価を行っている4)5)6)

本稿では,光変調度を大幅に改善した垂直磁化膜を用いた光変調動作の検証と低電流駆動に向けた垂直磁化トンネル接合の開発状況および基礎的な光回折実験の結果について述べる。

1図 超高精細空間光変調器による立体像表示
1表 さまざまな空間光変調器の特徴
従来の技術 技研独自
強誘電液晶 デジタル
マイクロミラー
磁気光学 スピン注入
光変調方法
(駆動)
液晶
(電圧)
小型ミラー
(デジタル)
磁気光学
(磁界)
磁気光学
(スピン)
画素サイズ 4.8µm 10.8µm 10µm 0.5µm
応答時間 100µs 10µs 0.015µs ~0.015µs

2. スピン注入型光変調素子

電子は電荷のほかにスピン*4 と呼ばれる性質を持っている。スピンには上向きと下向きの2つの向きがある。2図に示すように,下部電極,磁化固定層(磁性膜),中間層(非磁性膜),光変調層(磁性膜),透明電極の5層から成る微細な素子で1画素を形成し,下部電極と透明電極間にパルス電流を流す。2図(a)では,磁化固定層から注入された下向きスピンが,光変調層の磁化と相互作用し,光変調層の磁化を下向きに反転させる。2図(b)では,透明電極から注入されたスピンのうち,磁化固定層の磁化の向きと反対の上向きスピンが光変調層の磁化と相互作用し,光変調層の磁化を上向きに反転させる。このように,注入されたスピンの向きに応じて光変調層の磁化の向きが反転(スピン注入磁化反転7))するので,流す電流の向きによって磁化を制御することができる。この素子に偏光した光を照射すると,光変調層の磁化の向きによって反射する光の偏光方向が変化(磁気光学カー効果)する。反射光の偏光を画素ごとに制御することが可能で,画素サイズ0.5µm以下,応答時間10ns程度の超高精細・高速応答の光変調素子を実現することができる。また,一度電流を流すと光変調層の磁化は1方向に安定した状態を保持するメモリー機能も併せて持っている。

2図 スピン注入型光変調素子の断面構造 (1画素)

3. 垂直磁化膜を用いた素子によるスピン注入光変調

これまで,光変調層と磁化固定層の磁化の向きが膜面に平行な方向となる面内磁化膜を用いて,光変調動作の実証を行ってきた。しかし,本デバイスの実用化に向けた最大の課題は光変調度を増大させることである。そこで,ここでは,光変調層にGd-Fe(ガドリニウム-鉄)合金を用い,光変調度を30倍に増大させた垂直磁化膜8) の光変調動作の検証実験について述べる。

3図に1画素分の素子作製プロセスを示す。光変調層には[Co/Ni]4/Gd-Fe積層膜,中間層にはCu,磁化固定層にはTb-Fe-Co/Co-Fe(テルビウム-鉄-コバルト/コバルト-鉄)積層膜を用いた。[Co/Ni]4/Gd-Fe積層膜における光変調度の指標となる磁気光学カー回転角*5λ=780nmにおいて0.12°である。基板上に下部電極から光変調層までの膜をたい積した後,下部電極のパターンを形成する。その後,電子線リソグラフィー*6,Ar(アルゴン)イオンミリング*7,リフトオフ*8 などを繰り返し行い,3図(i)の原子間力顕微鏡像のような長方形の素子を形成した。素子サイズは100nm×280nmである。最後に,上部電極としてIZO(Indium Zinc Oxide)の透明電極を形成した。

光変調動作の測定システムを4図に示す。スピン注入磁化反転の測定では,上下の電極間にパルス電流を印加し,ロックインアンプ*9 を用いて高感度に抵抗測定を行った。また,光学応答の測定では,対物レンズで直径1µm程度に絞ったλ=408nmレーザーの直線偏光を素子に照射し,反射光の偏光状態を測定した。スピン注入磁化反転による電気抵抗の変化を5図(a)に示す。横軸はパルス電流の電流密度である。光変調層と磁化固定層の磁化の向きが反平行のときに抵抗は最大,平行のときに最小となる。2段階の抵抗変化が見られるが,中間抵抗状態では,光変調層において上向きと下向きの両方の磁化が混在する中間状態になっていると考えられる。反射光のカー楕円(だえん)率を測定した結果を5図(b)に示す。カー楕円率は直線偏光の各成分である右回り円偏光と左回り円偏光の吸収率差によって生じる反射光の楕円率であり,光変調層の磁化方向に応じて変化する磁気光学応答である。磁気光学応答においても2段階の抵抗変化に対応する2段階遷移が見られ,中間状態の光学応答が存在することを初めて観測した。この現象は多階調表示の可能性を示唆するものである。

3図 スピン注入型光変調素子の作製プロセス (1画素)
4図 スピン注入光変調の測定システム
5図 垂直磁化Gd-Fe光変調層によるスピン注入光変調測定

4. 垂直磁化トンネル接合

4.1 MgO障壁層

スピン注入型光変調素子の実現に向けた第2の課題は駆動電流の低減である。当所では,駆動電流を低減するために,トンネル電流の適用を図った。トンネル電流を利用するためには,2図に示す中間層をMgOで数原子程度の厚さの障壁層とするトンネル接合構造の素子を開発する必要がある。MgO障壁層には十分な界面平坦性と高配向*10 の結晶性が要求される。6図(a)に示すようにMgO障壁層が非晶質でランダムに配向するときは,この層をトンネルする電子は散乱され,スピン注入効率が劣化する。一方,6図(b)に示すようにMgとOが整然と並んで膜厚方向と垂直にMgO(001)面が形成されると,電子は散乱されることなくトンネルすることができ,スピン注入効率も飛躍的に改善されると期待できる。6図(c)にMgO(001)結晶のイメージ図を示す。MgOはNaClと同じ岩塩型構造であり,MgとOがそれぞれ面心立方格子を形成する。今回,MgO(001)結晶を形成するために,磁化固定層および下部電極材料を適切に選択した。

6図 MgO障壁層によるトンネル接合

4.2 垂直磁化トンネル接合の結晶性の改善と評価

MgO障壁層の結晶性を改善するために,7図(a)に示すようにTa(タンタル)ベースの下部電極上に非晶質のTb-Fe-CoおよびCo-Fe-B(コバルト-鉄-ホウ素)の積層膜を磁化固定層に用いた。下部電極層の算術平均粗さ*11 Raは0.4nm以下であり,トンネル接合として十分平坦な界面である。また,固定層の磁化特性は保磁力10kOe以上の垂直磁化であることを確認した。7図(b)に固定層上にMgO障壁層を形成し,X線回折測定を行った結果を示す。MgO結晶に関するピークは回折角50°付近のMgO(002)以外にはない。MgO(001)面は消滅則*12 により測定できないが,これと平行なMgO(002)面が観測されたので,低電流駆動に適したMgO障壁層の形成に成功していることがわかる。また,このピークは325℃の熱処理で10%程度高くなり,耐熱性も良好である。以上の結果,非晶質のTb-Fe-Co/Co-Fe-B積層膜上にMgO(001)面が垂直に配向できていることが確認された。

7図 MgO障壁層の結晶性評価

4.3 高MO材料を光変調層に用いた接合

8図(a)に示すように,MgO障壁層の上にCo-Fe-B/[Pt/Co]3多層膜から成る積層膜を光変調層として形成した。[Pt/Co]多層膜は高い垂直磁気異方性*13 と短波長の光に対して大きな磁気光学効果を持つことで知られている9)。今回,スピン注入磁化反転による完全な反転が可能な3回積層の[Pt/Co]多層膜を用いた。8図(b)に磁化反転特性を示す。Co-Fe-B/[Pt/Co]3は磁気的に結合し,単層的な垂直磁化特性*14 を持つことが確認された。また,熱処理耐性も高く,磁気特性および磁気光学特性の劣化は認められなかった。更に,磁気光学カー回転角は0.23°であり,Gd-Fe系光変調層の約2倍であった。今後,接合膜の素子化を行い,磁気抵抗特性やスピン注入特性などを測定する予定である。

8図 垂直磁化トンネル接合の磁気特性

5. 基礎的な光回折実験

磁気光学効果を利用したホログラフィーを実現するためには,2次元周期構造からの回折光の偏光状態の解析が不可欠である。そこで,長岡科学技術大学と共同で2次元周期構造の基礎的な光回折実験10) と,高感度磁気光学顕微鏡を用いた磁気イメージング技術の開発11) を進めている。

磁性ガーネットを用いた光回折実験の結果を9図に示す。9図(a)に示すように,ガラス基板上に磁気光学効果の大きな磁性ガーネット(50µm×50µm)を100µmピッチで並べた2次元周期構造を形成した。磁性ガーネットにはBi・Ga置換Y3Fe5O12(ビスマス・ガリウム置換イットリウム鉄ガーネット)を用い,磁化方向は膜面に垂直とした。λ=532nmのレーザー光を照射し,9図(b)に示す回折像が得られた。左図は測定結果,右図は計算で求めた回折像であり,両者の回折パターンはよく一致している。中央付近の光スポットが0次光であり,その周辺部が1次回折光,外周部が3次回折光である。この回折特性を満たす条件を用いて理論計算を行い,磁性ガーネットの磁気光学回転角を算出した結果,実測値に一致することが確認された。今後,多画素空間光変調器の設計に向けて,偏光解析技術の適用を図っていく。

9図 磁性ガーネットによる光回折実験

6. むすび

スピン注入磁化反転と磁気光学効果を利用した超高精細光変調素子の実現に向けて,光変調度を大幅に改善した垂直磁化Gd-Fe系材料を光変調層とする素子を試作し,スピン注入光変調動作を実証した。また,2段階抵抗変化に対応した光学応答の2段階遷移を確認し,多階調表現の可能性を見いだした。

低電流駆動に向けて垂直磁化トンネル接合構造の試作を行い,高配向のMgO(001)結晶を得ることに成功した。また,光変調層に[Pt/Co]多層膜系材料を用いることで,光変調度をGd-Fe系材料の約2倍に改善した。

更に,磁性ガーネットを用いた2次元周期構造を用いて回折光の測定と理論計算を行い,両者の偏光特性が一致することを確認した。

7. 謝辞

本研究の一部は独立行政法人情報通信研究機構(NICT)の委託研究「革新的三次元映像表示のためのデバイス技術」である。