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2020年6月22日(月)

逆境を越えて、強くなる。短距離のエース・山縣亮太の流儀

2012年のロンドン、2016年のリオデジャネイロと、2大会連続で100mでの日本選手のオリンピック記録を更新してきた山縣亮太(やまがた・りょうた)選手。陸上短距離のエースです。未熟児として生まれ、その後も数々の困難に見舞われながらも、逆境を乗り越えるたびに力をつけ、強くなっていきました。
いったい山縣選手はどのように逆境を克服していったのか。“ミスター逆境”の流儀を追います。

日本のエース“ミスター逆境”

リオ大会でも記録を更新した山縣選手

オリンピック2大会連続で日本選手の100m記録を更新した山縣選手。さらにリオ大会では400mリレーの第一走者を任され、トップの走りでチームを銀メダルに導く活躍を見せました。

一見、順調に結果を残しているように思える山縣選手ですが、その過程は一筋縄ではありません。前に進もうとすると逆境にぶつかるということの繰り返しでした。しかしその逆境を乗り越えるたびに強くなっていく。それが山縣選手の真骨頂です。

2020年に開催が予定されていた東京オリンピックの延期が余儀なくされ、多くのアスリートがとまどう中でも、“ミスター逆境”山縣選手は前向きです。

山縣選手

「捉え方によっては準備期間がより長く取れる」

逆境によって強くなる

山縣選手は逆境にあうたびにそれを乗り越え、大きなレースで記録を残してきました。

2013年、日本選手権 100m決勝での山縣選手

2013年の日本選手権では、肉離れから復活して優勝。

2017年、全日本実業団の100mは10秒00の記録を出して優勝

2017年の全日本実業団では、足首痛を克服して優勝。タイムは日本歴代2位となる10秒00を記録。

そして2019年、東京オリンピックに向けた勝負のシーズンも気胸や靭帯断裂など、相次ぐ逆境に見舞われることに。

それでも山縣選手は前を向き、自分の流儀で逆境を乗り越えようとしていました。

【流儀1】コーチはつけない 練習はあくまで自分流

山縣選手の練習に付き添うのはトレーナーとマネージャーだけ。コーチはいません。

オリンピックの花形である100m走は、100分の1秒を争う、超人が集う世界です。フォームやバランスのわずかな乱れでタイムが落ちる、極めて繊細な種目です。

このような種目のトップ選手でコーチをつけないのは常識はずれと言われています。

山縣選手の練習にはコーチはいない

しかし山縣選手は10年以上、自分流を貫いてハイレベルな記録を出し続けてきました。すべての動作を撮影し、コーチではなく自分でチェックし、自分で動きを修正していきます。

山縣選手

「場合によっては自分が正しいと思ってることも、考えてみるとまた改善の余地がある」

自分を客観的に見つめ、自分と対話し続ける山縣選手は「走る哲学者」と評されます。

その山縣流が真価を発揮したのが、2018年の日本選手権。準決勝でのタイムが伸びず、決勝をどう走るか考えていたときに、過去の練習の映像を見て、修正のヒントに気がついたのです。その結果、見事に圧勝。

過去の練習の映像を見る山縣選手

自分の理想に頑固だからこそ、山縣選手は自分流にこだわります。

自分が積み上げてきたものを大切にする

山縣選手

「(一流コーチのところに行ったら)自分が積み上げてきたものがなくなって、誰かが作りあげてきた理論を僕の体で実践してるだけで、それで走って出た結果は自分のものなのか。これをぶらしちゃったら自分じゃなくなる」

【流儀2】リスクを恐れない

肺気胸のために調整が遅れていた山縣選手は、東京オリンピックの試金石となる日本選手権に向けて、パワーとスピードを兼ね備えた筋力をつけるトレーニングを開始しました。

100m走は、スタートから60mまでの加速が勝敗を左右します。その加速スピードを世界のトップレベルまで上げようと考えたのです。

60mまでの加速が後半に影響する

取り入れたのは、重いバーベルを素早く上げる特訓と、5kgの重りをつけて走ること。

重りをつけて走る山縣選手

繊細な100m走では、大きく練習法を変えることはバランスを崩すことと紙一重。しかし山縣選手は躊躇なく攻めていきます。

山縣選手

「何かを変えることに対して、恐れたくない。守りに入りたくない」

この“ミスター逆境”の生き方は、どのように培われたのでしょうか。

【流儀3】改善点を考え続ける

山縣選手は、予定日よりも2か月早く誕生した未熟児で、肺の機能も万全ではありませんでした。

小学生になっても背が低く、ひ弱だった山縣選手ですが、小学4年生のときに変化が訪れます。学校の代表に選ばれて出場した100m走の大会で、陸上クラブの選手たちをやぶって優勝したのです。

小学校4年生当時の山縣選手

そしてその才能を、広島ジュニアオリンピアクラブのコーチに見いだされました。

日山コーチ

「この子すごいって。こういう子めったにいないねって」

ここなら自分でも輝ける。そう感じた山縣選手は陸上に夢中になっていきます。

中学生になった山縣選手は、さらに速く走るために、自分で考え、工夫するようになりました。良いときと悪いときの走りは何が違うのか。自分が走っているビデオを見て、走りを修正。理想のフォームを追求していきます。

そして20歳で挑んだロンドンオリンピックでは、10秒07というタイムで日本選手の記録を塗り替えました。

ロンドン大会では記録も更新

しかしその後、山縣選手には大きな逆境が待っていました。ギリギリの闘いを続けてきた体が悲鳴をあげ、自己ベストを更新できなくなったのです。

山縣選手

「このあたりが自分の体の限界なんじゃないか」

そんな思いが変わったのが、不安定なポールの上での腹筋という新しいトレーニングに取り組んだときでした。

新たな可能性に気づかせてくれた腹筋トレーニング

山縣選手

「すごく自信があったはずなのに(体幹が)ぐらぐらで全然姿勢を維持できなくて」

そのとき、山縣選手が思ったのは「自分の中には、まだ眠っている可能性がある」ということ。

山縣選手

「今ここで自分を変えるときだと思いました」

自分の体や走りを一から変え始め、細かな筋肉も鍛え抜く。ひとつずつ新たな挑戦を乗り越えるうちに、またタイムが伸び始めました。

山縣選手

「どんどんチャレンジする。失敗とかも恐れずにやって、次にまたチャレンジしていつか成功する」

そして4年ぶりの大舞台、2016年のリオデジャネイロオリンピックで、山縣選手は10秒05というタイムで自分の記録を塗り替え、再び日本選手のオリンピック記録を更新したのです。

常に「改善」を考える

山縣選手

「何かを成し遂げたら次の課題が出てきて、それがけがとして現れて、またそれをクリアして。(改善点を)『もっともっと考えられるよ』みたいな」

【流儀4】ひたすら自分と向き合う

2020年3月。前年末に「靭帯断裂」というケガに見舞われた山縣選手でしたが、順調に回復。復帰戦に向けてアメリカ合宿を行っていました。日ごとに新型コロナウイルスの影響が強まるなか、それでも前向きに練習に取り組みます。

アメリカ合宿中の山縣選手

山縣選手

「今すごく走りも変えようとしてて、去年のシーズンの走りから変えようとしていて、まだまだだなとは思うんですけど、すごく変わってきてます」

できることを一つずつ、積み重ねていきます。

ところが、新型コロナウイルスの感染拡大のために、アメリカではすべてのスポーツの試合が中止に。山縣選手が目指していた復帰戦もなくなりました。

そして6月。緊急事態宣言が解除され、山縣選手が練習場に姿を見せました。走ることができなかった間、山縣選手は「なぜ自分はこの競技をしているのか」と、自分と向き合ってきました。

練習を再開

山縣選手

「(緊急事態宣言中は)ひたすら自分と向き合ってました。自分がなんで競技をしているのかって。ピンチのときは、目的に立ち返って、自分が走っている目的を思い出せたら、ほかのことが気にならなくなる」

そして、2021年の東京オリンピックでは自己ベスト更新を目指しています。

山縣選手

「自己ベスト出したいです。前の自分よりも、もっと深く100m走について知ることができたと思っているので、(自己ベストを出せる)そういう自分でありたいです」

なぜこの競技をしているのか、なぜ好きなのか。山縣選手は自分と向き合い、100mを走り続けます。

練習中の山縣選手

山縣選手

「(100m走は)嘘をつかないからじゃないですか。100mが僕を裏切ったことはないと思います」

理想を追い求め、リスクを恐れずにチャレンジと改善を積み重ね、過去の自分を超えていく山縣選手。東京オリンピックに向け、さらなる高みに挑み続けます。

                   
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