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2020年3月11日(水)

オリンピックトリビア①「歴史の扉を開けた選手たち」

メダル総数は441個

1912年のストックホルム大会開会式

日本が夏のオリンピックに初めて参加したのは1912年のストックホルム大会です。以来100年余り、前回2016年リオデジャネイロ大会まで、日本はのべ4293人の選手が世界に挑み、142個の金メダル、136個の銀メダル、163個の銅メダルを獲得しました。このうち、金メダルを取った競技は11競技、メダルを取った競技は24競技です。これらの競技で誰が最初にメダルをつかみ、誰が最初に金メダルを手にしたのでしょうか。歴史に残る「1番」という栄冠に輝く選手達をご紹介しましょう。

①テニス編

歴史はテニスから始まった

1920年アントワープ大会 日本選手団の入場行進

1920年のアントワープ大会。オリンピック2回目の参加になった日本は陸上、水泳、テニスの3競技に代表選手を派遣しました。このうち陸上と水泳はメダルに届かず、テニスで日本史上初のメダリストが誕生しました。

熊谷一弥

当時29歳の熊谷一弥です。熊谷はシングルス決勝で雨でぬかるんだコートに苦戦し、南アフリカの選手にセットカウント1-3で逆転負けしましたが、日本に初のメダルになる銀メダルをもたらしました。

1920年アントワープ大会 男子シングルスを戦う熊谷一弥

熊谷は柏尾誠一郎と組んだダブルスも翌日の決勝でイギリスのペアに惜敗して銀メダル。後年、金を逃した悔しさを述べていますが、「日本のメダリスト第1号」という記念すべき第一歩を歴史に刻みました。

錦織が快挙 96年ぶりのメダル

錦織圭

テニスは1924年のパリ大会を最後にオリンピックから姿を消し、1988年ソウル大会で復帰するまで64年もの空白が続きました。男子のエース錦織圭は2012年ロンドン大会のシングルスでベスト8に進出。日本男子の白星と8強はともに88年ぶりでした。錦織は続く2016年のリオデジャネイロ大会では3位決定戦でスペインの強豪ナダルを接戦の末に破り銅メダルを獲得。日本勢にとって熊谷以来、実に96年ぶりのメダルでした。

②レスリング編

戦後初の金はレスリング

1924年のパリ大会。日本はこの大会でレスリングに初参加し、いきなりフリースタイル61キロ級で内藤克俊が銅メダルを取り、レスリンクで初のメダリストになりました。日本にとっても初の銅メダルは、この大会で日本が獲得した唯一つのメダルでした。

石井庄八

レスリング初の金メダルは戦後オリンピックに復帰した1952年ヘルシンキ大会です。フリースタイルのバンタム級で石井庄八が戦後初の金メダルを獲得。この大会、日本唯一の金メダルをスタートラインにして、レスリングは日本の得意競技に成長していきます。

女子は世界最強

伊調千春

女子は2004年アテネ大会から正式種目になりました。最初のメダルは最軽量の48キロ級で伊調姉妹の姉の千春が獲得した銀メダル。目標の金を逃し表彰台で笑顔はありませんでした。

吉田沙保里

同じ日に55キロ級で吉田沙保里が日本女子初の金メダル。さらに伊調の妹の馨も63キロ級で優勝しました。

伊調馨

伊調馨はこの大会からリオ大会まで女子個人種目では前人未到の4連覇を達成。3連覇した吉田と合わせて2人で7個の金メダルを量産しました。

③陸上編

初の金メダルはわずか4センチ差

織田幹雄

1928年アムステルダム大会。陸上で歴史の扉を開けたのは三段跳びの織田幹雄です。織田は前回のバリ大会で日本初の6位入賞。23歳で迎えたアムステルダム大会は15m21をマークし、2位とわずか4センチの僅差で優勝。陸上日本初のメダルが日本初の金メダルでした。

南部忠平(左)田島直人(右)

三段跳びは織田から南部忠平、田島直人とオリンピック3連覇を飾り、日本のお家芸と呼ばれました。

決死の銀と笑顔の金

アムステルダム五輪で日本人女性初の銀メダルを獲得した人見絹枝(左)

日本の女子で最初にオリンピックに参加したのは陸上の人見絹枝です。1928年のアムステルダム大会。金メダルが期待された得意の100mで惨敗し、走ったことがない800mに強行出場。決死の激走でドイツの選手に次いで2位になり、日本女子初のメダルになる銀メダルを獲得しました。ゴール後、人見ら出場した9人の選手の大半がバタバタと倒れ、女子には過酷すぎるとして、以降この種目は1960年のローマ大会まで実施されませんでした。

人見から72年後の2000年シドニー大会。マラソンの高橋尚子が軽やかにコースを駆け抜け、陸上女子日本初の金メダル。「とても楽しい42キロでした」と笑顔を振りまきました。

④柔道編

重圧背負い最初のメダルが金

中谷雄英

オリンピックの公式競技の中で唯一日本生まれの競技が柔道です。初めて実施された1964年東京大会。日本中の期待が集まる中、柔道初日の軽量級に中谷雄英がトップバッターとして登場しました。負けは許されない重圧。23歳の大学4年生はこれを見事に跳ね返し、スイスの選手を合わせ技一本。柔道の金メダル第1号に輝きました。

日本は東京大会の4階級中、3階級を制しましたが、最後の無差別決勝でヘーシンクに敗れ、オランダの巨漢に目標の全階級制覇を阻まれました。

女子は最重量級で初メダル

坂上洋子(右)

女子は1992年バルセロナ大会から正式種目に加わりました。初めてのメダルは72キロ超級の坂上洋子です。3位決定戦でポーランドの選手を破り、銅メダルを獲得しました。

惠本裕子

日本女子最初の金メダルは1996年アトランタ大会の惠本裕子です。61キロ級に出場し、前回大会の金メダリスト、銀メダリストら強豪を次々に破り、決勝はベルギーの元世界女王に開始わずか56秒の内股で一本勝ちする圧倒的な強さで頂点に駆け上がりました。

記録と記憶 そして名言も

田村亮子

柔道女子で時代を築いたのは田村亮子です。1992年バルセロナ大会に高校2年で初出場。決勝でフランスの選手に敗れましたが、16歳331日の柔道史上最年少メダリストになりました。国民的な人気を集めたヤワラちゃんは日本女子初の2連覇を含む世界最多の5大会連続メダル。記録と記憶、そして「最高でも金、最低でも金」「ママでも金」などの名言も残しました。

最多金は本家の誇り

日本は柔道本家の誇りをかけてオリンピックで金メダルを量産してきました。男子28個、女子11個の金メダル合計39個はレスリングの32個を大きく引き離し、全競技を通じて断然トップです。

⑤体操編

怖いものなし「小野に鉄棒」

前列右から2人目が竹本正男

日本のお家芸のひとつが体操です。1932年のロサンゼルス大会から参加していますが、最初のメダルは1952年ヘルシンキ大会です。体操の神様と呼ばれた竹本正男ら3人が種目別で銀2個と銅2個を初めて獲得。

1956年メルボルン五輪体操の男子種目別鉄棒で金メダルを獲得した小野喬

ここから体操ニッポンの快進撃が始まりました。1956年メルボルン大会では小野喬が種目別の鉄棒で、日本勢初の金メダル。「鬼に金棒、小野に鉄棒」という言葉まで生まれた鉄棒の名手は1964年東京大会で選手宣誓の大役を果たし、団体総合2連覇で有終の美を飾りました。

世界をあっと言わせた月面宙返り

1972年ミュンヘン五輪体操の鉄棒で"月面宙返り"を決めた塚原光男

1972年のミュンヘン大会。塚原光男が鉄棒の降り技で初めて披露したムーンサルト・月面宙返りは世界を驚かせました。

白井健三(左)内村航平(右)

古くは跳馬のやました跳びや最近はひねり王子と呼ばれる白井健三の跳馬とゆかのひねり技など独創的な技を次々に編み出した体操ニッポン。内村航平が個人総合2連覇を果たした2016年のリオデジャネイロ大会まで、男子が積み上げた金メダルは31個に達します。

女子は1964年東京大会の銅メダルが唯一のメダル。リオ大会で団体4位と表彰台に肉薄し、2回目の東京大会で56年ぶりのメダル獲得に挑みます。

                   
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