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2020年3月4日(水)

パラは「人間の可能性の祭典」 河合純一選手団団長が語る

東京パラリンピック開催まで半年を切りました。

サンデースポーツ2020では、2月23日の放送で、日本のパラリンピック界を率いるリーダーに話を聞きました。「全盲のスイマー」としてパラリンピック6大会に出場、21個のメダルを獲得してきた河合純一さん。東京大会では日本選手団の団長を務めます。

「人間の可能性」を自ら広げ続ける、河合さんの軌跡を振り返り、東京大会に向けての思いに迫ります。

人間の可能性の祭典

東京パラリンピック日本選手団団長、日本パラリンピック委員会委員長を務める河合さん。
パラリンピックを半年後に控え多忙なスケジュールの中、続けているのが「皇居ラン」。週に2回から3回、伴走者と共に皇居の周りの1周5キロのコースを走っています。取材に訪れた日は、朝7時からコースを2周、10キロを走ってから仕事に向かいました。現役を離れても体力は十分です。

パラリンピックの魅力を伝える講演会に招かれることも多い河合さん。いつも使うこだわりの表現があります。

河合純一さん

「オリンピックは平和の祭典とよく言われますが、そうであればパラリンピックは“人間の可能性の祭典”です」。

見えなくなってからの方が面白い

河合さんはこれまでの人生を通して、「人間の可能性」を広げ続けてきました。

河合さんは生まれながらの病気で、右目だけわずかに視力がありました。中学3年生で失明しますが、その後も5歳から始めた水泳を続けます。むしろ、競技の魅力をさらに感じるようになったといいます。

河合さん

「見えなくなってからの水泳の方が、非常に面白いですね。見えなくて曲がってしまうこと、壁にぶつかってしまうことも含めて、やりがいのあるスポーツになった気がします。」


17歳の時、バルセロナパラリンピックに初出場。その後ロンドン大会まで6大会に出場し、金メダル5個を含む21のメダルを獲得しました。


その半生は後に映画化。俳優の演技では伝えきれないものがあると、河合さん自身が主演を務めました。

夢だった教員へ

1998年に早稲田大学を卒業後、夢だった中学校の教員になります。これまで全盲の人が普通学校で採用されたことは、ほとんどありませんでした。
地元静岡で、社会科の教師として母校に着任。このとき、県の教育委員会も河合さんを後押しし、教員を1人増員します。河合さんの話す内容を、別の教員が黒板に書いて授業をすすめました。

さらに、生徒一人一人を覚えるため、河合さんはある工夫をします。1学年150人の生徒たちに自己紹介をしてもらい、それをカセットテープに録音して河合さんは何度も聞きました。

名前や誕生日、今生徒が興味ある事を覚え、コミュニケーションをとったのです。

河合さんが教師1年目の時の教え子、八木田昇一さんは今も河合さんと最初に交わしたあいさつが忘れられないといいます。

八木田昇一さん

「自己紹介した次の日や次の授業の時、先生おはようと言ったら、名前を入れて答えたのが一番の衝撃でした。繰り返しものすごく聞かれたんだなあ、と。」


河合さんは教師として水泳部の指導をする傍ら、自らは選手としてパラリンピック2大会で3つの金メダルを獲得。その姿から、教え子たちに伝わるものがありました。

八木田さん

「(先生は)人が1やったら自分は2をやる、人より上のレベルで努力されたと感じました。自分も仕事の中で壁にぶち当たっても、更に工夫して自分はどうすべきなのか考えて、努力していかなきゃいけないと、純一先生から学んだと思います。」

河合さんは自身の経験を次のように語っています。

河合さん

「全く目が見えない状態で、泳いで走って、できるんだろうか。難しいんじゃないか。でもそれを越えていくような瞬間に、人間の可能性に出会うのです。」

河合団長に聞く!

スタジオでは河合さんに「人間の可能性」について、深掘りして聞いていきました。


――河合さん、よろしくお願いします。

河合さん
よろしくお願いします。

――河合さんからは、目の見えない怖さよりも、挑戦してみたいという気持ちの強さを感じます。河合さんは新しい挑戦をする時、どんな気持ちで臨まれているんですか。

河合さん
特別な意気込みがあるわけではなくて、自分がこうなりたいという気持ちのままにやって来たと思います。その時に、目が見えないからできないんじゃないか、という発想ではなくて、どうすればできるか、と考えるのが習慣になっていたと思います。やってみないと分からないじゃないですか。できるかできないかはね。できなかったら、次またどうすればできるのか考えればいいのかなと。


――そう考えるようになったきっかけは何かあったんですか。

河合さん
きっかけかはわかりませんが、僕の場合は水泳をやって来ましたから自己記録を目指す、今まで超えた事のない記録を目指す以外に目的はないという、種目特性みたいものはあったのかなと思いますね。

――「見えなくなってからの水泳の方が面白い」という言葉ですが、障害のあるなしに関わらず、なかなか言えない言葉ですよね。

河合さん
本当にいい仲間、いい指導者、環境にも支えられたと思っています。でも本当に、見えなくなってからの方が水泳が面白いんです。水をかいている時にどの指に水が重たく感じるのかとか、キックを打つ時にどの足の指先に水が引っ掛かってくるのかとか。逆にそういうものは見えている時には、何気なく全体の動きの中で捉えがちでした。それが、もっと自分の感覚に意識がいくようになって、そこからフィードバックされたものとコーチのアドバイスを組み合わせて、自分の頭の中でイメージを再構成していく。その中で記録につながってきました。そういう経験があるので、考えながらスポーツすると面白いなと思っています。

パラリンピックが見せる可能性

――「パラリンピックは人間の可能性の祭典」とおっしゃっていますが、それはパラリンピアンたちがこれまでにない可能性を広げてくれる、新しい発見を見せてくれるということでしょうか。

河合さん
例えばみなさんも歩いたり走ったりする時に、目隠しをしてやってみたら曲がりやすい癖があったりしますよね。それって実は、視覚を使ってあえて癖を補正しているはずなんですよね。それが無意識にまっすぐ歩ける、泳げるというような体の使い方を身につけていたら、無駄な力を使わなくてもできるんじゃないか、と以前から思っていて。だから逆にパラリンピックに出ている選手から、オリンピック選手も学べることはあると思っています。そういう意味でも、可能性って誰もが秘めているのでね。そうしたものに出会う場として、パラリンピックを見てもらえるといいなと思います。

――パラリンピックを見る事によって、自分の可能性をかけてみたいと感じるかもしれませんよね。

河合さん
パラリンピックのアスリートを見て、自分たちが無意識に持っていた偏見に気づき、可能性を再認識する事もあると思います。あともうひとつ、自分で限界だと思っている、自分自身が作っている限界の壁に気づいてそれを超えていこうという、新たな成長へ一歩踏み出す力になったらいいなと思っています。

「フルーツポンチ」のような社会に

――河合さんは日本パラリンピック委員会の委員長として、東京大会日本選手団の金メダル数の目標を20以上と掲げていらっしゃいます。あえてその数字をあげられたのはなぜでしょう。

河合さん
根拠がなく言っていることではなくて、本当に多くの選手やコーチ、競技団体が頑張っていますからね。リオ大会では金メダルがゼロだったので、「次こそ金メダルを取りたい」という選手たちの声もたくさん聞きますし、世界の動向を総合的に考えて、この目標設定に至っています。
私自身が常に申し上げているのは、選手たちが最高のパフォーマンスを発揮でき環境、選手団、チームでありたいということです。自分たちが積み上げてきた4年間の成果を出しきり、満足できるパフォーマンスだったと言えた時、金メダル20個という目標を超えていくことになるんじゃないかなと。やっぱり選手たちは当然、金メダルをとりたいと思っていますよね。私自身バルセロナで銀しか取れず、アトランタでは絶対金を取ると思っていました。自分が選手団の団長と言う立場になって思うのは、選手、スタッフたちがこの夏やりきったと言えるような環境にしたいなと思います。

――最後に、パラリンピックの盛り上がりのあとに残したいものは何でしょうか。

河合さん
「真の共生社会」ですね。個性をお互いに生かしあえる社会。例えるなら、ミックスジュースみたいにフルーツを混ぜ合わせていくのではなくて、フルーツポンチのようにひとつずつの個性を生かし合って、混ざり合う。お互いの良さを生かし合える社会をつくっていけたらいいなと。そんな風に思っています。


                   
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