読み込み中です...

2020年1月28日(火)

クレー射撃・中山由起枝「ママアスリートの先駆者として」

東京オリンピックのクレー射撃に出場が内定している中山由起枝選手。今回が5度目のオリンピックで、競技を長年続けてこられたのは、精神的な支えとなっている娘の存在があります。

オリンピックに向けた意気込みや競技と子育てを両立してきたママアスリートとしての思いなどを聞きました。

5度目のオリンピック "集大成の場"

東京オリンピックのクレー射撃日本代表に内定した中山由起枝選手。5度目のオリンピックとなる今回の大会を「集大成の場」と位置づけ、トレーニングに集中しています。

クレー射撃は空中に発射された「クレー」という皿を撃ち落とす競技です。中山選手は、動体視力の良さや視野の広さが強みで、オリンピックに向けてさらに精神力に磨きをかけています。

中山 由起枝選手

試合を想定して、あまり自分のペースでできない環境をわざと作ってトレーニングをしています。


通常の平常心では撃てないと思っているので、その中でどうやってクリアしていけるかを考えています。

競技人生と子育ての両立が "活躍の原動力"

中山選手は、高校3年生の一人娘、芽生(めい)さんをシングルマザーとして育ててきました。競技人生と子育ての両立が活躍の原動力だといいます。

シドニーオリンピック(2000年)

中山選手が初めてオリンピックに出場したのは、20年前のシドニー大会でした。その後、出産を経て競技に復帰しました。

2度目となった2008年の北京大会では、当時6歳の芽生さんも応援に駆けつけました。メダルには届きませんでしたが、見事4位に入賞。しかし、その直後に芽生さんの口から出たのは、思いがけないひと言でした。

北京オリンピック(2008年)

芽生さん

次のロンドンオリンピックで辞めて。

中山 由起枝選手

小さいときは、後追いもするし、さみしい思いをしながら娘自身も生活を送ってきたと思います。


あの場で間髪なしで放った言葉だったので、本当にいないことがつらいんだなと痛感しました。

それでも中山選手が選んだのは、競技を続ける道でした。

ロンドンオリンピック(2012年)

中山 由起枝選手

娘があのときに、『ロンドンまではやっていいよ』という許可を与えてくれたので、その4年間で私は頑張るしかないと思ってやっていました。


いざロンドンが決まったときもすごく喜んでくれて、4年前を振り返ってあんなこと言ったけど、今は全然、ずっと続けてほしいと思うと言ってくれたりとか、自慢のお母さんだと言ってくれたりしているので、本当に成長したことを実感した時期でしたね。

中山 由起枝選手

私もまだまだ頑張れるという励みになればいいなと思ってやっているので、私の見せるべき背中は見せてきたと思っています。

ママアスリートの先駆者として

そして今、中山選手は、競技と子育ての両立を模索する女性アスリートたちの先駆者として、自分の経験を伝えています。

中山 由起枝選手

女性の可能性、アスリートの可能性というものは結婚や出産で奪われることなく、本人がやりたいという気持ちがあれば続けてもらいたいです。もちろん周りのサポートがなければできなかったんですけど、私でもできたので、みなさんの力になれればと思っています。

中山選手が試合前に必ず見るという動画を見せてもらいました。芽生さんが高校の文化祭で歌う姿です。

中山由起枝選手

試合前はいつもこれを聞いています。本当に目の前に娘がいるような感覚になって、いつも通りの感じになります。頭の中でもやもや考えなくて済むというか、聞いて、娘のことを考えます。

東京オリンピックの切符を手にしたときも、すぐに芽生さんに報告しました。

中山由起枝選手

『5回は普通じゃないよ、お母さんは本当にすごいね』って言葉が返ってきたので、『やっただろう』と思いました。

そして大学受験の真っ最中だった芽生さんから返ってきたのは、2人の思い出の言葉でした。

中山由起枝選手

娘からは『次は私の番だね』って返ってきたので、小さなころからお互いに掛け合ってきた言葉がふと戻ってきた感じでした。


『私が頑張っているときには芽生が頑張る、芽生が頑張っているときにはママも頑張る』というのを合言葉に、昔から励まし合ってきたのですけど、ふとその合言葉がよみがえって、じんわりときました。

集大成として臨む東京は"運命"

東京オリンピックまであと半年あまり。中山選手に改めて決意を聞きました。

中山 由起枝選手

最後の集大成として臨むのが東京オリンピックになる可能性が高いので、これはやはり運命なのかなと思っています。これほど長く競技を続けてきた中で、東京オリンピックというものが目の前に来るのはやっぱり運命と感じています。この運命をどう生かせるのか、それは自分次第だと思っているので、その運命をどう受け止めるかがカギだと考えています。


メダルというのは最終的な目標として、自分の心の中には絶対に取りたいという気持ちがあるからこそ、こんなにしぶとく、5回も続けてくることができたので、もちろん狙っています。

飯田暁子

2000年入局、初任地は新潟局。岐阜局、横浜局、ネットワーク報道部などを経て現在は地元の水戸局で取材。

                   
※NHKサイトを離れます

関連記事

    人気の記事ランキング

      記事ランキングをもっと見る

      最新の記事