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2019年11月15日(金)

為末大コラム「選手たちが2020を終えたとき」

元陸上選手の為末大さんのコラム記事です。第3回は「選手たちが2020を終えたとき」です。

東京五輪に向けて、選手たちにいい結果を出してもらおうと、選手へのサポートが非常に手厚くなっています。私の知る限りでは、現在スポーツにこれまでの間で最も大きな支援が集まっていて、選手にとってはとても良い競技環境が出来つつあります。頑張る人を応援するのは誰にとっても素晴らしいことをしていると感じられますし、実際に周囲のサポートによって素晴らしい成果をあげる選手もいるでしょう。

一方で、今の状況は本来であれば引退するはずだった選手たちの競技人生を伸ばしていることにもなります。引退していく選手を見てきた身としては、競技者として人生をいたずらに長くすることが必ずしもいいことだとは言い切れません。日本の文化では、二つのキャリアを同時進行することが一般的ではないので、どうしても一つのキャリアに時間が集中してしまうからです。長い間競技だけに人生を捧げた場合、引退した後に社会に適応することが難しくなる可能性があります。

アメリカで人気のスポーツ紙、スポーツ・イラストレイテッドの調査で、引退したNFL選手が2年以内に経済的に困窮する確率が7割を超えているという衝撃的な記事が載りました。生涯の確率を調査するともっと確率は高まるでしょう。現役時代にあまりにも多くの金銭を手にし、日々の生活コストが上がってしまうことや、スポーツに染まった人生を送っているので社会常識を身につけることができず、金融教育が行き届かないことなどが原因として挙げられています。日本のスポーツではそこまでの巨万の富を得ることはできませんが、引退後の人生で苦しむ選手は同じようにいます。

五輪という舞台が人生に与える影響の功罪

五輪の十字架という本があります。1964年の東京五輪の参加選手中数名を1990年代に追跡取材したものです。

本の内容から浮かび上がるのは、五輪という舞台が人生に与える影響の功罪です。五輪選手というプライドを捨てられなくて苦しむ選手。勝利が全てという価値観に染まってしまい最終的に自ら死を選んでしまう選手。五輪に出場し、メダルを獲得するまでの道のりには興味を持たれますが、その後を知る機会は多くありません。この本には五輪選手のその後の人生が描かれています。あの辛い練習に耐え五輪に出場した五輪選手なんだというプライドと、社会にうまく適応できずに悩む現状の間で、元選手たちの心が揺れ動く様子が描かれています。

私自身、今現役時代を振り返るととても不思議な夢を見ていたような気持ちになります。なぜあれほどに五輪に焦がれて勝利を欲しがったのか。何もかも捨てても構わないという気持ちになったのか。その時には確かにそれしかないと思っていたのですが、引退して様々な経験をして視野が広くなった今、何も知らないからこそ集中できた強さでもあるし、一方で何も知らないから行き着くところまで行ってしまいかねない危うさも感じます。

オリンピックは素晴らしいし、人生をかける価値のあるものだと思いますが、しかしオリンピックは人生そのものではありません。人生の前半で過ぎ去っていくものであり、その後には長い人生が待っています。そして、引退した後の社会は、スポーツの世界とは違う論理で動いていて、そこに適応するには時間がかかります。選手はその適応のプロセスで悩み、苦しみます。

選手が五輪という舞台から降りるプロセスも重要

五輪の十字架の中に、引退して苦しみながら引退後の人生に自分を合わせていけた選手がいました。著者が見た違いはずっと隣に居続けた家族でした。選手としての側面ではなく、その人自身と向き合い続ける人がいた点が違うのではないかと書かれています。

現在、選手のキャリア支援をする社団法人を運営していますが、五輪など大きなイベントの後に相談が増える傾向にあります。2020年9月からおそらくたくさんの選手が引退するでしょう。その時になんとかして選手たちを支える必要があると感じています。今選手が五輪という舞台に立つプロセスに私たちは夢中になっていますが、同じように選手が五輪という舞台から降りるプロセスも重要だろうと感じています。

為末大

1978年広島県生まれ。スプリント種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得者。男子400メートルハードルの日本記録保持者(2019年11月現在)。現在は、Sports×Technologyに関するプロジェクトを行う株式会社の代表を務める。

                   
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