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2019年9月20日(金)

ミスターラグビー平尾誠二 7つのエピソードで振り返る

日本代表が優勝候補の一角、アイルランドに勝利して、初の決勝トーナメント進出への期待も高まるラグビーワールドカップ。日本は第1回から出場していますが、初勝利を記録したのは第2回大会のジンバブエ戦でした。その試合でキャプテンを務めたのが「ミスターラグビー」こと平尾誠二さん。日本のラグビー界を語る上では欠かせない存在です。

2016年にわずか53歳でその生涯を閉じるまで、数々の功績を残してきた、そのラグビー人生を7つのエピソードと共に振り返ります。

1. 伏見工業高校キャプテンとして、初の全国制覇へ導く!

平尾さんがラグビーに出会ったのは中学生の頃。それまで引っ込み思案だった性格を変えてくれたのもラグビーだったといいます。ラグビーというチーム競技の中でコミュニケーションをとること、自分の思っていることを意思表示することが大事だと話していました。

第60回全国高校ラグビー大会  伏見工業高校 優勝

そして、メキメキと才覚を表し、伏見工業高校では3年生の時にキャプテンとして全国初優勝へとチームを導きました。

2. ラグビー大学選手権で史上初の3連覇!

同志社大学時代の平尾さん

高校卒業後、同志社大学に進学すると1年生からチームの司令塔として活躍した平尾さん。

慶応大学との伝統校同士の決勝を制し、ラグビー大学選手権史上初(当時)の3連覇を達成!この時のメンバーは「史上最強軍団」と言い伝えられているといいます。

3. 史上最年少19歳4か月で日本代表に選ばれる

平尾さんの名は瞬く間に日本中に広まり、なんと史上最年少19歳4か月(当時)で日本代表に選出されました。ワールドカップは第1回~3回大会に出場。第2回大会で初勝利を収めた試合のキャプテンを務めました。

4. 社会人ラグビーには進まず、アンティーク家具を学ぶためにロンドンへ!?

日本中が彼の将来に期待している中、平尾さんは大学を卒業したらラグビーを辞めることを決めていました。そして、アンティーク家具を学ぶため、ロンドンに留学したのです!

大きな決断をした平尾さんでしたが、やはりラグビーを忘れることができずこの年齢で辞めてしまうのももったいないと思い、イギリスでラグビーを再開します。ロンドン郊外の100年以上の歴史を持つクラブチームに入った平尾さんは、一つのポジションにこだわらず高いレベルでラグビーを楽しむチームメートたちに大きな衝撃を受けました。

5. ロンドンから帰国後、神戸製鋼で新しいスタイルに挑戦

その後、帰国した平尾さんは神戸製鋼に加入します。1988年、キャプテンに就任した平尾さんは、チームの意識改革を始めます。イギリスでの経験を生かし、ポジションを決めずに自分の判断で臨機応変に動くラグビーを目指しました。

そして平尾さんが目指したラグビーが花開きます。平成元年の全国社会人ラグビー大会で、「個人が主体的に判断しボールを運ぶ新しいラグビー」によって見事優勝をもたらしたのです。

全国社会人ラグビー大会で初優勝を決めた神戸製鋼の選手たち。右が平尾選手

その4日後に行われた第26回ラグビー日本選手権で優勝!初の日本一に輝きます。

6. 日本選手権で神戸製鋼7連覇!

平成元年のラグビー日本選手権優勝から、神戸製鋼は7年連続の日本一を達成。これは、新日鉄釜石と並ぶ歴史的な記録です。

ラグビー日本選手権 神戸製鋼―大東大

7連覇を達成した第32回大会の決勝は大東文化大学を相手に前半を48―0で折り返すと後半も神戸製鋼の圧倒的なペースで最終的に102―14と圧勝しました。

7. 34歳で日本代表監督に就任

神戸製鋼で現役のプレーヤーでありながら、ヘッドコーチも兼任していた平尾さんは34歳の若さで日本ラグビーの再建を託され、日本代表監督に就任しました。

「選手を支える名わき役として日本代表が結果を出せるようにがんばりたい」と抱負を話した平尾監督。その結果はすぐにあらわれ、就任した2年後のパシフィック・リム選手権で日本は優勝、さらにワールドカップへも導きました。

固定観念を打ち破り、常に新しい可能性を切り開こうとした平尾誠二さん。そのラグビー愛を受け継ぐ日本代表選手たちの活躍を応援しましょう!

                   
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